ep.5
ザールの山の中腹にあるここは緑豊かで美しい谷だ。
ここにはたくさんの思い出がある。
ゾーマと一緒に魔法の特訓をした日々。
本当に楽しくて幸せだった。
ゾーマは肩掛けのバッグにすぐに使いそうな物だけ入れた。
「着替えとかはどうしたらいい?」
私は自分のリュックにありとあらゆるものを詰めようとしている。
「部屋にあるものはそのままでいいよ。」
私は不思議に思ったがゾーマのことだから何か思惑があるのだろう。
リュックにノートとペンと着替えを1揃えと、ゾーマの焼いた硬いパンを入れた。
外に出るように言われたので名残惜しい気持ちで部屋をあとにした。
ヘンテコな家だった。
小さな家のはずなのに中は広くて変な場所に階段があったり必要のないドアがあったりする。
私は外から眺めた。
「しばらくお別れかな。」
私がそう言い終わる前にゾーマは自分のバッグに家をまるごと入れてしまった。
「えぇぇぇ???」
私が驚いていると「家をしまえると言ったじゃろ?」とゾーマは首を傾げた。
私はその言葉を覚えてはいたが、冗談だとしか思っていなかった。
「この谷ごと持っていきたいくらいじゃがなぁ。」
(それはやめてあげて)
そしてそこはただの美しい谷になった。
家を建てる前はこんな景色だったのだろう。
私は深く頭を下げて谷に向かって「いってきます」と言った。
ゾーマはそんな私を見て優しそうな顔で微笑んでいた。
────
私たちはいつもの街を通り、必要なものを買い足した。
しばらく大きな街などないかもしれないので保存のきく食材を買い込んだ。
街を抜けて大きな街道に出ると、ゾーマはバッグから馬車を出した。
「馬車?荷車??」
馬がいないのでもしかしたら人力で引っ張るのかもしれない。
「馬車とも違うのぉ。とりあえずここに乗りなさい。」
ゾーマは馬のいない馬車の前の部分に座るように言った。
おそらく普通ならば運転席のような場所で馬の手綱を引くのだろう。
ゾーマは私がちゃんと座っていることを確認すると、本来馬がいるべきところに向かって何か呪文を唱えた。
するとそこには岩でできた何かが現れた。
「なにこれ?!」
「馬じゃよ。土魔法の。」
4本足で動物のように動いているから馬と言われたらそう見えなくもない。
岩の馬には綱がつけられた。
ゾーマは勢いよくそれを引くと岩の馬はゆっくりと歩き出した。
「すごい!!」
岩の馬はゾーマの言うことをきいて右に行ったり左に行ったりできる。
平坦な道ではスピードを上げて走った。
風をビュンビュンきるのはとても気持ちがいいものだった。
ときどきすれ違う人や馬車に乗ってる人たちは、こちらを見て驚いた顔をしていた。
(やっぱり普通ではないみたいだ)
ゾーマは「飽きた」と言って、岩の馬にまた魔法をかけた。
手綱を引く人がいなくても勝手に動くようだった。
「自動運転だね!」
「便利じゃろ?さて、わしらは昼飯にするかのぉ。」
私たちは後ろの幌のついた荷台に移動した。
思いのほか広くて2人くらい余裕で寝ることができそうだった。
ゾーマは魔法で小さなテーブルを出して、バッグから街で買ったサンドイッチを出してくれた。
カップを2つ出して、「ユトや、水を入れておくれ」と言うので水魔法でカップに水を入れた。
ゾーマはそこにお茶の葉を入れて魔法で温めた。
ハーブティが出来上がった。
ガタンゴトンと揺られながら2人でサンドイッチを食べた。
後ろの部分は開閉式になっている。
「おじいちゃん、後ろ開けてもいい?」
「いいよ。落ちないように気をつけるんじゃよ。」
私はゆっくりと後ろに移動して閉じている紐を解いた。
カーテンのように開いて端で括った。
もう街は見えなかったけど、ザールの山は見えた。
遠くから見るととても大きな山なのがわかる。
馬車は時速20kmくらいだろう。
自転車で走る速度と同じくらいな気がする。
そんなに大きな島じゃないからすぐに海に出ると思われる。
「おじいちゃん、船も持ってるの?」
「もちろんじゃよ。小さな小船じゃがね。」
私は前の世界の大きな公園にあった手漕ぎのボートを思い浮かべた。
ノートを出して隣の島までの距離を計算してみる。
およそ5kmくらいだろうか。
手漕ぎのボートでも渡るのは可能なのだろう。
そして夕方には港町であるオルタに到着した。
ゾーマは町に入る手前で馬車をバッグに入れた。
馬だった岩は魔法を解かれるとサラサラと土になった。
さっきまで一緒にいた仲間のような気持ちになっていたので、なんだか変な気分だった。
「今日はこの町で一泊しよう。うまい魚料理を出す宿があるんじゃよ。」
ゾーマは嬉しそうにそう言った。
「楽しみだね!」
オルタは小さな町だったけど活気があった。
島と島を繋いでいるので貿易も盛んなようだった。
いつもの街では見たことのない野菜やフルーツが売られていた。
ゾーマは私が興味津々で見ているのに気がつき、真っ赤なリンゴのような果物を1つ買ってくれた。
「甘くておいしいよ。」
「ありがとう!」
私はそのままかぶりついてみた。
リンゴの気持ちでかじったけど、味も食感も桃のようだった。
甘くてジューシーでとても美味しかった。
────
「ゾーマ様!お久しぶりですね。」
ゾーマは宿屋の主人と知り合いのようだった。
「孫と旅に出るんじゃよ。部屋と食事を頼むよ。」
「それは素敵ですね!私は店主のマイクです。ようこそオルタへ!」
「ユトです。お世話になります。」
マイクはゾーマより少し若く見えるけど十分におじいさんだった。
2階の部屋に案内された。
部屋は質素だったけど十分に手入れされていて、とても居心地がよかった。
「1階に大きな風呂があるぞ。食事の前に入っておいで。」
「はーい!」
私は着替えとタオルを持ってお風呂に向かった。
宿には10部屋以上あるようで客もそこそこ入っているようだった。
お風呂は受付の奥にあった。
入口が2つあるのでどちらかが女風呂だろう。
「右が女風呂だよ。」
後ろから女の人の声が聞こえた。
「ありがとうございます。」
私はペコリと頭を下げた。
そこには髪の長い美しい女剣士の姿があった。
彼女も入るところだったようだ。
人とお風呂に入るのは数年ぶりだった。
この世界ではゾーマが一緒に入ってくれていた。
それを除くと中学校の修学旅行ぶりになる。
女剣士さんは私のことなど気にする素振りもなく、さっさと裸になってお風呂に入っていった。
知らない人とお風呂に入るということがなんだか変な感じがした。
中は簡単な造りで、洗い場と浴槽がある。
シャワーなどついているわけでもなく、桶に浴槽からお湯を取って体や頭を洗うようだ。
シャンプーやコンディショナーがあるわけでもなく、ボディソープももちろんない。
ゾーマが何かのオイルで作ってくれた石鹸だけがある。
泡は立ちにくいけど、何かの花の香料やハチミツが入っていてとてもいいにおいがする。
「お嬢さん、それは何?」
女剣士さんは私の石鹸を見て不思議そうな顔をしていた。
「えっと、石鹸です。おじいちゃんが作ってくれたものです。」
「いい香りね!」
女剣士さんは興味津々でこちらを見ていた。
「使いますか?」
私は迷惑かな、と思いつつもそう聞いてみた。
「いいの?!ありがとう!」
女剣士さんは初めて石鹸を使うようだった。
確かにこちらの世界の店では売っていないものだ。
この石鹸も私がどんなものなのかをゾーマに話して、試行錯誤の末にできたものだった。
「本当にいいにおいね!それに肌がスベスベだわ!あ、私はシルクよ。傭兵をしているの。」
「ユトです。特に仕事はしていません。」
シルクは「そりゃそうでしょ!」と言って笑った。
シルクは傭兵として仕事をしながらいろんな土地を回っているのだと言う。
「なかなかの腕前なのよ!」
そう言ったシルクだったけど今は仕事を休んでいるのだという。
一緒に傭兵をしている仲間が病気になってしまったのだという。
その人の話をするシルクはとても辛そうに見えた。
あまりいい病状ではないようだった。
その仲間はこの町の病院に入院したきりなのだという。
「心配だね。」
「うん。いろんな薬草を集めてみたりしたんだけどね。なかなか効くものがなくてね。」
「早く治るといいね。」
「うん。そうね。」
シルクは笑って見せていたが悲しみは隠せないでいた。
きっと大事な人なのだろう。
────
食事のときにゾーマにシルクの話をした。
「薬草が効かないのなら難しいかもしれんな。」
この世界にも医者はいる。
しかし医療技術はまったく進歩していないようだった。
僧官の職につく人が回復系の魔法を使えるようだが、そもそもの数が少なく、こんな小さな町にはいない。
それに一般の人を治療してくれる治癒士などいないと言われた。
病気になると根本的な治療はできずに、痛み止めになる薬草を飲むくらいしかできないのだという。
魔法が得意なゾーマでさえ、傷を塞いだり解毒したりはできるけど、病気の治療はできないと言った。
悲しい現実だった。
私たちが食べ終わる頃にシルクが食堂にやってきた。
「あら、ユト!」
「こんばんは、シルクさん。こちらはおじいちゃんです。」
「うちの孫が世話になったそうで。わしはゾーマと言います。どうぞよろしく。」
「私はシルクです。ゾーマって…もしかして鬼軍曹のゾーマ様ですか?!」
「おに?!」
私がびっくりしているとゾーマは苦笑いをして「そんなふうに呼ばれることもあったかもしれんですなぁ。」と頭をポリポリ掻きながら言った。
「父によくその話を聞きました!!お酒を奢らせてください!少しお話できませんか!」
シルクは嬉しそうにゾーマの両手を握りブンブンと振った。
「おやおや、では少しだけ。」
シルクは私にもジュースをごちそうしてくれた。
「あの伝説のゾーマ様に会ったなんて言ったらみんなびっくりしますよ!あぁ、あいつにも会わせてあげたかったな。」
シルクはゾーマの武勇伝を次々と話し、最後にそう言った。
あいつとはきっと病気の仲間のことだろう。
「ユトから少し聞きましたぞ。さぞ心配でしょうな。私も少しなら薬を持っております。もしよかったら試してみませんかな?」
「え?!ゾーマ様の薬?!」
シルクの表情が明るくなるのがわかった。
「たいしたものではないですがな。毒ではないので試すだけでもいいかと思いますぞ。」
シルクは嬉しそうに「ぜひ!!」と言って立ち上がった。
シルクは今から行くと言い出し、私たちはすぐ近くの病院に行くことになった。
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