ep.1
小学校1年生のとき、かわいくて、お金持ちで、いつもニコニコ笑顔で、優しくて誰からも好かれる女の子と同じクラスになった。
みなちゃんと呼ばれるその女の子は、先生からも友達からも、みんなから愛されていた。
私もみなちゃんが大好きで、みなちゃんもみんなが好きで、みなちゃんのまわりはいつも幸せな空気が流れているようだった。
私はいつしか憧れを抱くようになった。
『みなちゃんのようになりたい』
いつもたくさんの友達に囲まれていたみなちゃん。
『みなちゃんのようになりたい』
誰からも愛されるみなちゃん。
『みなちゃんのようになりたい』
いつも笑顔のみなちゃん。
しかしみなちゃんは急に笑わなくなった。
そして学校にも来なくなった。
みんなはみなちゃんのことが心配だった。
いつものみなちゃんに戻ってきてほしかった。
しかしみなちゃんは戻ってこなかった。
そしてみんなはみなちゃんを忘れてしまった。
────
小学校、中学校と私は人気者だった。
いつも素敵な友人に囲まれ、勉強も運動もがんばる優等生だった。
家はそれほど裕福ではなかったけれど、なぜかみんなにはお金持ちだと思われていた。
私はみんなに愛されている。
自覚はあったけど言葉にしたことはない。
人を不快にさせるかもしれない言葉は選ばない。
私はいつからかそうなってしまった。
小さいときはこうじゃなかったような記憶がある。
だけどいつの間にか、私は今の私になった。
私はこんな私が大好きだった。
順風満帆に私の人生は進み、私は高校生になった。
中学生のときの私は自然と生徒会長になり、校内から唯一の市立高校の推薦枠をもらっていた。
トップレベルではないけれど、偏差値68のその高校は進学校として有名だった。
塾にも通わずにそんな高校に人より早くに入学が決まって親はとても喜んでいた。
私も親が喜んでくれて嬉しかった。
すべてが順調だった。
しかし高校の入学式にそれは起こった。
新入生代表として体育館でみんなの前に立ったときに違和感を感じたのだ。
壇上にいるはずなのに、私は私を下から眺めていたのだ。
『返せ…』
頭の中にそう強い感情が流れてきた。
(返せって何を?)
私は反射的にそう思ったけれど、本当は気がついていたのかもしれない。
体育館の中は悲鳴が響き、先生たちが青白い顔で壇上にいる私に向かって走ってくるのが見えた。
私は倒れ、目の前には黒い何かが覆いかぶさっている。
それは私に真っ赤な刃を突き刺していた。
何度も何度も。
「返せ…」
黒いものはやがて真っ赤に染まり、私の目に焼きついた。
芦田美那…みなちゃんがそこにいた。
────
気がつくと私は真っ赤になったみなちゃんと、動かなくなった私を真上から見ていた。
(死んだのか)
私はすぐにそう思った。
みなちゃんは大人たちに囲まれてナイフを奪われるとおとなしくなった。
そしてこっちを見て大きな声で笑った。
あはははと笑いながら泣いていた。
私がすべきことはすぐにわかった。
私は気が狂ったように泣きながら笑うみなちゃんを抱きしめた。
『ごめんね、みなちゃんのだったよね。』
みなちゃんはピタリと動かなくなり、真っ赤になった自分と動かなくなった私を順番に見た。
そして恐怖の表情を浮かべ悲鳴を上げた。
救急車がやってきて、真っ赤になった私はストレッチャーに乗せられて運ばれて行った。
パトカーの音がして、警察もたくさんやってきた。
悲鳴を上げ続けるみなちゃんは手錠をはめられて毛布に包まれて連れて行かれた。
生徒や保護者たちはすぐに教室に移動させられたようで体育館にはその姿はなかった。
警察官たちはドラマで見たことのある黄色いテープを張っていた。
私はただそれを上から眺めていた。
私ははっきりと理解した。
みなちゃんの人生を奪い、狂わせたのが自分であったのだということを。
「今さら返すなんて、ひどいやつだな。」
体育館の天井近くに浮いている私の横に誰かがいた。
「そうだね。」
私はそう言って彼を見た。
真っ白な顔に真っ黒なサラサラヘアーの少年がそこにいた。
白い半袖のシャツに黒いハーフパンツにサスペンダーをつけていた。
白いソックスに茶色のローファーを履いている。
外国のおとぎ話に出てくるような少年が私の横で空中に浮いている。
「驚かないんだね。永瀬ゆとさん。」
少年はクスッと笑って私を見ていた。
この少年は私の名前を知っている。
もしかしたらこれは私の想像の中の世界なのだろうか。
「夢なんかじゃないよ。」
少年はゆっくりとそう言った。
「そっか。」
少年はそれ以上何も言わなかった。
私も何も言わなかった。
真下では私から流れた赤いものをパシャパシャとカメラで撮影する警察官がいた。
大人たちが険しい顔でその現場を見ている。
これはすべて私が原因で起こったことだ。
一人の女の子を殺人犯にしてしまった。
そして高校生の娘を失うという可哀想な親を作ってしまった。
高校の入学式がこんなことになって、新入生もその親も、在校生にも嫌な思い出を作ってしまった。
そしてこの高校は永遠に殺人事件のあった高校と言われるのだろう。
私のせいでたくさんの人を、物を、傷つけてしまった。
私は目の前にある事実を理解した。
「そろそろ行こうか。」
ずっと黙っていた少年はその冷たい手で私の手を握った。
私はただ頷き、少年に引っ張られていった。
────
人は死ぬと天国か地獄に行くのだと、子供の頃に大人に教わる。
悪いことをしたら地獄に行かなくてはいけなくなる。
だから悪いことをしちゃだめなんだよと言われる。
私はその教えを守り、人にされて嫌なことは絶対に人にしなかった。
いつもまわりのことを考えて自分がすべきことをやってきた。
私のまわりはいつも優しさで溢れていた。
しかし私は絶対にしてはいけないことをした。
幼かった私はどうしても感情を抑えられなかった。
私はみなちゃんになりたかった。
心の奥底では気がついていた。
しかし気がつかないふりをしていたんだ。
私がみなちゃんを奪ったということを。
どうやってやったのか、何がどうなったのか、今もわからない。
だけど確実に私はあの日、みなちゃんの中からみなちゃんを取り出して私の中に入れたんだ。
そして私の願いのとおりに、私はみなちゃんになった。
みんなから愛される優しいみなちゃんに。
「ついたよ。」
少年は掴んでいた私の手を離した。
そこは真っ暗な狭い部屋だった。
何もない。ただ真っ暗な空間だ。
「恐怖も感じないんだね。興味深いよ。」
少年は私の目の前に立ってニヤリと笑った。
どこか楽しんでいるようにも見える。
「元々あった感情は上書きされたのか、押しつぶされたのか…まだ残ってる?」
少年は私のまわりのぐるっと歩きながら、面白いものでも見るようにそう聞いた。
「さあ?」
少年の質問の意味はわかったけれど、答えはわからなかった。
「どうしようかな。こんな状態の君を地獄に連れて行っても、恐怖も感じなければ後悔もしないよね?」
私は自分の中に恐怖や後悔があるのか考えてみたがどこにもなかった。
今の私には感情がない。
私が導き出した結論はこうだ。
私はあの日、みなちゃんの感情を思考回路ごと盗んだ。
そして自分の中に取り込んだ。
私はみなちゃんのように考えることができるようになった。
誰にでも優しくできたし、なんでも苦無く頑張ることができた。
きっとそれらはどれもみなちゃんの持っていたものだろう。
そうして私はみなちゃんになって、みなちゃんのように過ごした。
私に何もかも奪われたみなちゃんは感情がなくなり、笑わなくなり、学校に行くこともなくなった。
みなちゃんは抜け殻になってしまったのだ。
しかし残っていた感情がそこにはあった。
みなちゃんの中にも小さな負の感情があったのだろう。
それが10年という歳月でだんだんと大きく成長して、今日という日が来てしまった。
私への復讐を果たすためだけに10年を過ごしたのだろう。
そしてそれに気がついた私は、私の中にあったすべての感情をみなちゃんに返してしまった。
優しいみなちゃんはあの状態の自分をきっと受け入れられないだろう。
私はとてもひどいことをした。
それは理解できる。
しかし後悔も贖罪の気持ちも何もない。
ただの事実がそこにあるだけだった。
みなちゃんにすべての感情を返した今の私は、いつかのみなちゃんのように抜け殻になったのだろう。
結果的に私は殺されてしまったわけだが、私の罪は誰よりも重いだろう。
状況は理解できる。
地獄に行けと言われたら行くべきだろう。
少年は小さなメモ帳をパラパラとめくっていた。
「君には珍しい能力がある。なんとなくわかってるかな。」
「私は人の感情を奪うことができる。」
「まぁ、そうとも言えるね。実際に君がしたのはそれだから。」
少年はいつの間にか椅子に座ってこちらを見ていた。
「君は感情を操ることができる。自分以外の人のものもね。」
「奪うことの何が違うの?」
「奪うだけじゃなく、戻したり、違うものを入れたりもできる。感情を書き換えたりもできる。すごいよね。そんなことができるなんて、人間を思いのまま操れるってことだよ。」
「へえ。」
少年はクスクス笑っている。
「君に感情がなくてよかったよ。僕だって君の能力で心を変えられてしまっていたかもしれない。」
確かにこの少年の言っていることが正しければ、それは人を操ることができる能力だろう。
しかし今となってはそんなことどうでもいい。
何もないところからガチャっとドアの開く音がした。
そこにはスーツ姿の男性が立っていた。
「芦田美那さんが死亡しました。」
男性は淡々とそう伝えると、またガチャっとドアを開けて出ていった。
「さすがに精神が崩壊しちゃうよね。気がついたら殺人犯になっているとか、受け入れられるはずがないもんね。」
「みなちゃん…」
私は大好きだったみなちゃんを思い出した。
いつも笑顔だったみなちゃん。
誰からも愛される人だった。
私がみなちゃんを殺してしまった。
「泣いているの?悲しくもないのに?」
少年にそう言われて私は自分の頬が濡れているのに気がついた。
なぜ泣いているのかわからなかった。
「面白いね、感情がないのに、あの子が死んだって聞いたら涙が出るんだ。悲しいのかな?後悔してるのかな?」
「わからない。」
私は首を横に振り続けた。
「よし、決めたよ。永瀬ゆとさん、君にはやり直すチャンスをあげる。その涙がどうして流れたのか、それが君の生きる意味になる。来世はあの子が幸せになるように全力で生きるんだ。」
「みなちゃんのために?」
「そうだよ。感情のない君が今望んでいることだろう?」
私はいつしか泣き止み、目を見開いていた。
心の中が熱くなるのがわかった。
「ありがとう」
私は無意識に少年に向かってそう言うと微笑んでいた気がした。
目の前にあるものが全て消えて、私は光に包まれた。
深く、深く、沈んでいくのがわかった。
────