13 写経は意味無し
昨日帰って来ました。
「帰ってきた」ということは「行った」ということ。
出発の前日パー子はまず「自由研究」と称して、スーパーで木製の棚の手造りキットを買ってきて、ネジで数箇所留めて、ニス塗って一丁上がり。しかも巧みに親に手を貸させて仕上げてしまった。
問題は「国語の教科書丸写し」という修行というか拷問に近い宿題。しかし、いわゆる単純作業なので、このクルクルパーには簡単だ、と本人も親も思った。しかし・・・
自分は学生時代、ベルトコンベアで流れてくるカシワモチに葉っぱを乗せるバイトをやったことがある。夜8時から朝8時までで、確か1万2000円だったと思う。
「楽勝!」即座にこのバイト募集に飛びつき「毎日でもやります」と自分は言った。
始めて1時間くらいは確かに楽勝。何せ流れてくる餅にひたすら葉っぱを乗せるだけ。こんなもん、サルでも出来る。しかし2時間ほど経つ頃、自分はこの作業の大変さを味わい始めていた。何の目的も無い流れ作業、それはひどく退屈で、ひどく苦痛なのである。
深夜の休憩を経て、明け方。
遠くなる意識の中、自分は夢を見ていたようだ。「殺せ~殺してくれ~」と叫ぶ仲間たちが何人か脇を抱えられて、作業場から連れて行かれた夢を。
そして自分はと言うと、どうやら、人生とか、金とか、異性とか、本当にどうでもよくなって行って、朝6時頃には解脱していたように思うし、もしかしたら即身成仏していたのかもしれない。
なぜなら自分には8時に終わった記憶もなければ、バイト代をもらった記憶もなく、どうやって帰ったかさえ覚えていなかったのだ。
父はしばし当時のことを回想していた。
パー子も「楽勝の湖!」と言っていたわりにはやはり苦戦していた。
しかしそれはそれでいいのかもしれない。マンガ、テレビ、遊び、メシ、煩悩の塊のようなパー子が忘我の境地に至ってくれれば、さぞかし普段の勉強もはかどることであろう。
「ふふふ、写経の効果とは、そういうところにあるのかもしれない」そんなことを父はうそぶいていた。
奴は夜12時まで写経をして、ついに終わらせた。目はうつろ。煩悩は消え失せ、何の口答えもなく就寝。が…
翌朝5時。我々はパー子の「海~っ!」のトキの声で目覚めた。
P子「指差し確認。水着OK、ゴーグルOK、パパOK、ママOK。ペー置いてくしっ!」
煩悩なんて消えないし、少なくともP子には写経効果は無いし。
そして父は、いつも通りの煩悩パー子とペーを連れて南国へと旅立ったのであった。




