ルーク視点 3
幼女から少女になっていたエルに俺は少し戸惑った。
俺の事は全く分からない様子だった。変装しているから仕方がないのだが、少しぐらい俺に気がついてもいいだろうと苛立った。もっとも、あれから五年の月日が経ち俺も十五歳だ。
エルは人見知りすることもなく、いろいろ俺に話してくれた。
瞳をキラキラさせて、読んだ本の話をしたり、可愛い小さな友達の話も良くしていた。
勉強は、歴史や地理が好きだと言う。好きな色は「銀色」らしい。
そういえば伯爵邸の裏の林に秘密基地があるそうだ。風が優しくて、とても落ち着く場所だと。
エルにとって息の抜ける場所があることは良いことだ。
エルに会うまでは、顔いっぱいの笑顔で俺に纏わり付いていた、あの可愛いエルが純粋に心配なだけだった。
だが今は、均整の取れた体に薄緑の混じった金の髪が揺れ、変わらない大きな碧の瞳で恥ずかしそうに笑って俺を見る。
そんな成長したエルを知るうちに、フィオナ殿下には多少後ろめたい気がしたが、俺の中に幼い頃とは違った気持ちが芽生えて来るのが分かった。だからこそ自制した。
エルの様子を見るのは一年に一度だけだ。オフィーリアに頼まれからだ。
三回目に会った後あたりだろうか。一度だけ、マイロからエルが良く図書館に行くと聞いて、その日を推測して、図書館で待っていたことがある。
俺は変装していなかった。エルは小さい頃のことは忘れていると言うし、多分俺とは分からないだろう。
エルは質素な服装をしていたが、かつて社交界の華と言われたという母親にますます似て来た。特徴のあるその髪がさらりとエルの顔にかかる様子は美しくて思わず見とれる。
決して叶う想いではないというのに心が浮き立ち、すぐにも寄り添いたくなる。
熱中して本を読んでいるエルの近くで、俺は自分の心を抑えながら本を読んで過ごした。
彼女が急に頭を上げ、慌てて図書館の入り口に歩いて行った。
誰だろう? そこには初老の夫人が笑顔でエルを迎えそのまま二階の奥に消えた。
後で聞いたが彼女は図書館でエルに語学を教えてくれる「優しい人」だった。
俺は彼女の読んでいた本を知りたくなり、戻した本を確かめてみるとそれは光魔法に関する本だった。光? どうして? エルは光魔法を使えるのか?
幼い頃、あの破落戸に囲まれた時に使った魔法は、あれは光魔法だったのか?
俺はエルが二階から降りて来るのを待っていた。老婦人を入り口まで送ったエルは、また先程の本を読み始めた。
区切りがついたらしい。そのまま本を返してペンや紙を布の袋に仕舞うと立ち上がり、出口に向かった。
俺はエルが俺のことを本当に覚えていないのか、どうしても確かめたくなった。
出口を出たところで、エルに声をかけた。
「失礼ですが、ハンカチをお忘れではないですか?」
もちろんハンカチは俺のだ。
振り向いたエルはその瞳を瞬かせて俺を見た。俺の心が跳ねた。もしかすると俺に気が付いたのかと。
だがエルは、ハンカチに目をやると抑揚のない声で
「いいえ、私のは古着で作ったものですからそんな真っ白で綺麗なものではないです。では失礼します」
そう答えて、彼女は軽く俺に頭を下げて踵を返した。
どうしても納得のいかない俺はさらに声をかけた。
「魔法に興味があるのですか? 魔法の本を読んでいましたよね」
エルは足を止め、今度は振り返らずに
「ただの趣味です」
そう言って、足早に俺から離れて行った。
(やはり駄目か。逃げられた......)
この時は、かなり落ち込んだ。
フィオナ殿下の病状が悪化したのは、四回目に眼鏡のお兄さんとしてエルに会おうと思っていた時だった。
それから俺は時間の許す限りフィオナ殿下と一緒にいた。
少し歩いては息切れをする彼女を支えながら庭園を歩いた。
「薔薇は本数によって花言葉が違うのよ」
そう言って、近くにいた庭師に赤い薔薇を三本切ってもらっていた。
「ルーク、あなたに」と俺に渡してくれた。
「これの意味は?」って聞いたら、「後で調べて」と言って微笑んだ。
ソファに殿下と共に座りながら本を読んだ。彼女は伝記物が好きで、俺の知らない音楽家や詩人の生涯を小さな声でゆっくりと話してくれた。王宮の喧騒が感じられない静かな時間だった。
ある日、殿下から踊ってくれと言われた。
身体に障るから駄目だと言ったのだが、彼女は切なそうな顔をして思い出が欲しいと言う。
「分かりました。少しだけですよ」
俺は頷き、彼女を腕にしっかりと抱きながらゆっくりと踊った。
彼女は俺の胸に凭れながら小さな声で
「あなたのこの胸に私ではない人が住んでいるのは知っているわ。でも私はあなたといることがとても楽しくて幸せだったから、それでも良かった。私がいなくなったらその人を幸せにしてあげてね」
そう言ったのだ。
俺は言葉を失った。
ダンスを終えた時に彼女の額にキスをした。なぜかそうするべきだと思ったのだ。
彼女は花がほころぶような笑顔を俺に見せた。だが、彼女の笑顔を見たのはこれが最後だった。
まもなく殿下は帰らぬ人となった。はっと気が付いて赤い薔薇の花言葉を調べた。
「愛してる」か......。
――俺は知らず知らずのうちに殿下を傷つけていたのだろうか。
それからは鍛錬で気を紛らわした。
幸いというか宰相補佐と言う仕事を割り振られ、格段に忙しくなった。
エルに対しては、フィオナ殿下への罪の意識もあり具体的な行動を起こすのが躊躇われた。
一年の喪が明けて、十九になる俺は夜会と言うものに出ることになった。出たくはなかったが、立場上貴族の付き合いというものがある。
仕事の話もしたかったのに、すぐ女性たちに囲まれた。
「お気の毒でしたわね」から始まって、
「私が慰めてさしあげますわ」で終わる。
さらに
「寂しかったらいつでもお会いします」と続くこともある。
彼女たちは俺の心なんて知る由もないから仕方がないのだけれど、正直な話、すごく煩わしかった。
貴族の男たちは
「うちの娘は器量よしであなた様にぴったりですよ」と近寄ってくる。
どこかの夫人が娘を伴って来ることも多かった。
「早く婚約なさった方が、気が紛れるのでは? うちの子は優しくて気配りの利く賢い娘なんです」
或いは「娘は淑女としてのマナーも知識も完璧ですわ」などなど。
俺は悲し気に俯きながら首を横に振りながら
「ご厚意は嬉しいのですが、もう誰も愛することができないと思います。そんな私と結婚する女性は不幸になるだけです」
そんなことを何度言ったことだろう。
一度は下火になったはずのエルの噂も聞くことがあった。
「オールドフォード伯爵家の長女は義妹を虐めている酷い姉なんですって」
「私は、男関係がだらしないって聞いたわよ。公子様はまさかそんな女に興味がないでしょう?」
それで、俺はつい言ってしまった。
「そういう女性なら、私も愛さなくていいので気楽です。案外私にぴったりかもしれませんよ」
だが、俺は心の中で憤っていた。こんな噂を流した奴は絶対に許さない。
そろそろエルと会いたい! 光魔法のことも聞きたい。
きちんとエルと向かい合わなくては俺は前に進めない。
その気持ちがだんだんと強くなり、俺は彼女の様子を知るためにマイロに連絡を取った。