シヴァとの出会いと魔法
シヴァが傍にいるのに気が付いたのは、古い机と椅子とベッドしかなくなった部屋でボーっとしていた時だった。さすがに毎日の義母の暴言は私の心身を蝕んできていた。
悲しさとか寂しさとかそんなものも感じなくなって、なぜ自分は生きているんだろうと思っていた。みんな私を嫌う。嫌うならまだいい。いないものとされるのは辛い。
ある日、思わず近くにあった鋏を手に取り、このまま喉に刺したら楽になれるのかとボーッとそれを見ていた。
頭の中に『エル、エル』と話しかけてくる声がする。
「私、頭もおかしくなっちゃったのね」と口に出したら、
『エル、しっかりして! ずっと一緒にいたじゃない。僕だよ!』
そう言われて気づいた。
「ん、そう言えば聞いたことのある声だわ。なぜ今まで忘れていたのかしら」
小さい頃、よく独り言が多いと言われていたのは、この子と話していたからだと思い出した。
『エル、名前を付けて! そうしたら姿が見えるよ』
「君はどんな形をしているの? 色はあるの?」
『エルから見たら、たぶん銀色で真ん丸』
「そっかー、うーん、じゃシヴァ!」
『ま、いいか、それで』
そう言うと、すぐに目の前にポンッと可愛らしい姿の銀色の真ん丸が現れた。
『バーバラはね、エルを蔑むことで自分を偉いと思う人間なんだ。だからあの人の言うことを信じちゃだめだからね。僕はエルが大好きだよ』
シヴァは空中に浮きながら、私に優しく語りかけて来た。
そうか、そうだった。
「シヴァが義母さまやジェナの暴力から私を守ってくれてたのね」
『人の痛みを知ることは大切だからね』
私はふわふわのシヴァをそっと抱きしめて、礼を言った。
それにシヴァは実の母のことを知っていた。
『オフィーリアはエルのこと、とてもとても可愛がっていたよ』
『それなのになぜ捨てられたの?』
『そこら辺のことは僕もよくわからない。でもこれだけは言える。エルのせいではないよ』
シヴァがそう言ってくれたので、私はそれからの生活に耐えることができた。
十歳の時から家庭教師は付けてもらえなかったので、ジェナの勉強時間に掃除しているふりをしながらドアの外から話を聞いていた。
リッグス先生は以前の私の先生だ。
だから彼女は私に聞こえるように、あまり勉強の得意でないジェナ向けではなく私のために大きな声で授業をしてくれた。
ジェナは授業自体が分からないらしく、静かだった。寝ていたのかもしれない。
最低限の淑女のマナーもそうして覚えた。
ある日リッグス先生とすれ違ったとき、街の図書館に行きなさい。もっと勉強できるわよ。と言って図書館の入出許可証をそっと私の手に握らせた。
でも、街に出るのは辻馬車にも乗る必要があるし、やはり小銭程度は必要だ。
仕方がないのでウィラにこっそりと相談した。
するとウィラは、少しのお金を私に融通してくれた。
「大きくなったら必ず返すね」
「大丈夫ですよ、心配なさらないで」
だから私は、嬉々として図書館に通うようになった。
その頃になると、義母やジェナはお茶会や音楽会などに行くことが多くなり、私が外出しても気づかれなかった、
いつのころからか図書館では、親切なおじさんやおばさんが私の勉強を見てくれるようになった。
週に一回だけど、おおよそ三年の間、歴史や語学全般、地理、計算は彼らが教えてくれた。
お陰で一般の知識とそれ以上のことを身に着けることができた。
家の書庫には父親の仕事関係の本や貴族年鑑などが殆どで、地理の本や辞書を除いてはあまり役に立たなかった。
ただ、書庫には紙とペンが置いてあるのでそれを使っても叱られなかったのは助かった。
義母とジェナは書庫には来ることもなかったから私が紙とペンを使っても気が付かなかったとは思うけれど。
私が水魔法と光魔法を使えることをシヴァに言われて知ったのは、リッグス先生が私の先生でなくなった頃。
そういえば小さい頃無意識に使って誰かに「大きくなるまで人前で使っちゃだめだよ」って言われた気がする。それから使わなくなったのね。
皆、私に無関心だったのを幸いに魔法の練習のために、厨房から歩いて十分程の裏の林によく出かけた。
伯爵家の敷地内ではあるようだが、木の低い柵で庭と隔てられており、ほとんど手入れもされていないことが、むしろ心地良かった。
もう少し足を伸ばせば湧水が流れる小川もある。
様々な鳥の声、柔らかく地を照らす木洩れ日、木々が揺れて風に囁く様子。
色とりどりの落ち葉のふかふかの絨毯みたいな秋もいいけれど、何といっても美しいのは若葉が萌える頃。辺り一面が柔かな緑で埋め尽くされる。
冬も雪がめったに降らないのできちんと着込んでいけば大丈夫。
時々リスがその中を駆け回り、シヴァが楽しそうにリスと戯れる。
この地の自然に私の心がどれだけ癒されたことか。
林の中には、雨除けの本当に小さなドアもない小屋があって、そこは私の重要な基地になった。ここには義母の声もジェナの声も届かない。優しい風に包まれるだけ。
さて、魔法はシヴァも教えてはくれるのだけれど
「そこをギュッとしてサッとやるんだ」なんて言われても何のことやら。
幸い書庫に魔法の基礎に関する本があったのでそれを参考にして腕を磨いた。
確かにギュッと言うのは、私のからだの中にある魔力を手の先に持って行き、サッと放出する感じではあるんだけれど。
徐々に要領が分かって来て、水と光で虹を出現させられた時は本当に嬉しかった。
特に便利だったのが、小川の中でする暑い日のシャワー。一緒に下着も洗う。
湯あみなんてこの世界ではめったにできないし、非力な子供では自分でからだを拭いてもそんなにきれいにはならなかった。
魔法でシャワーを使えるようになって、髪も見違えるように綺麗になってきた。
ただし、ジェナに見つかるとうるさいので、いつも一つに縛り、上から三角巾をしていた。
私にとって、魔法は将来の希望を開くものだった。
これがあれば、もう少し大きくなったらこの家を出ることができる。
魔法のことは誰にも言うつもりはなかった。これがすごく珍しいもので今は使える人がとても少ないということを本で知っていたから。
それに、義母やジェナに知られたら、どんな風に利用されるか分からない。
十二歳ころから父が家に戻ってくると、年に一度ほど謎のお使いを頼まれることがあった。
例えば『この書類を整備中の道路の事務所に持って行ってくれ』とか、例えば『本屋である本を買ってリンツ公園の東側のベンチで一刻ほど読んでいてくれ』とか、例えば『どこそこのレストランにこの手紙を持って指定されたテーブルで待っていてくれ』とか。
私は父も家にいるのは久しぶりだから私抜きの親子水入らずで過ごしたいのだろうと思い、私も外出するのは嬉しかったので父の頼みを喜んで引き受けた。
けれど、なぜかいつも茶色い髪の眼鏡をかけたお兄さんと遭遇した。
さすがに三回目となると偶然ではないのではないかと思ったが、いい人だったし父も分かっているのだろうと深く考えないことにした。確か名前はアルトさん。
アルトさんは優しい人で、私のことを何故か知りたがる。
「どんな本を読んでるの?」
「普段は何しているの?」
「勉強は何の科目が好きかな?」
「好きな色や食べ物は?」
シヴァしか友人のいない私だったから、話をすることが楽しかった。
魔法のことは言わなかったけれど裏の林にある秘密基地のことは話してしまった。
「とても落ち着く場所なの」と。