エル、ルークに捕まる
なぜか私を抱きしめている人。その声と薄紫色の瞳に覚えがある。
「眼鏡もないし髪の色も違うけれど、もしかすると、あなたはメガネのお兄さんのアルトさんかしら? 」
「ああ。メガネのお兄さんのアルトで、エルの『ルーク兄しゃま』で、エルの婚約者のルーク・アルト・ディクソンだ」
――やはりメガネのお兄さんなのね。あら? いま婚約者って言った?
確か『誰も愛せない人』だったわよね。どうして私を探す必要があるのかしら?
酷い噂の婚約者でも、いないと困ることがあったの?
その彼がなぜ私を愛称で呼んでいるの?
それから『ルーク兄しゃま』って何だったっけ......。
私は、この状況の原因を懸命に考えた。
「あっ、私の小さい頃『僕がいいっていうまで魔法を使っちゃだめだ』って言った人だわ!」
「ほかには?」
「ほかに? う~ん、......公爵様のお屋敷でかくれんぼをした?」
「その通りだよ。エルは逃げてばかりだった」
「なぜ、そのお兄様がこんなところに来て私を腕の中に囲っているんですか?」
「君は俺の大事な人だからさ」
「大事な人? そんなこと簡単におっしゃって良いのですか? 私にとってあなたは未知の人です」
「俺のことはきっと思い出すよ」
でもやっぱり、信用できない。
「すみません。もう離していただけますか? 私、薬を届けなくちゃいけないんです」
私は顔を強張らせ、冷たい口調で身をよじって彼の腕の中から逃れようとしたら、とても悲しそうな顔をされた。
なぜ私が罪悪感を感じなければならないのだろう。
腕はほどいてくれたが、一緒に薬を届けに行くと言って手は繋がれたままだ。
「どこにも行きませんから、手を離していただけますか?」
「手を離すと、俺から逃げるような気がするんだ」
「まさか、急に逃げるなんて、メリッサさんに迷惑をかけることはできません!」
「婚約者の俺にはすごく迷惑をかけたのに?」
「えっと......ごめんなさい」
話しの流れで『誰も愛せない人』に謝ることになってしまった。なんか悔しい。
「ところでエルの精霊には名前があるの?」
「え、何故精霊のことを知っているのですか?」
「君の事なら大抵のことは知っているよ」
『シヴァ、この人シヴァのこと知ってるみたいよ。だから彼に何もしなかったの?』
『やっぱりルークだったんだね。大きくなってたから、はっきりと特定できなかった。ただエルをとても大切に思っていることが伝わったから、何もしなかったよ。エルの小さい頃は二人はとても仲が良かったんだ』
『え、そうなの?』
私は『誰も愛せない人』を見上げて答えた。
「シヴァって言います。あなたのことはたぶん悪い人ではないと」
「良かった」
薬を届けた後、『誰も愛せない人』は私と一緒にすぐに王都に帰りたいと言う。
仕事を側近に任せてきたが「多分もう限界だろう」と。
「そんなに急に言われても困ります。私はこの地で生きて行こうと決めているのです」
「お願いだ。エル。この地が君にもたらしたものは君にとって掛け替えのないものだと俺も思う。だが君は俺の婚約者だ。君を離したくない。それに君のお母様のことや伯爵家がどうなったか、知りたいだろう?」
彼は私の両肩に手を置き、私の顔を覗き込むようにしてそう言った。
そこで純粋に疑問に思った。
「ディクソン様は『誰も愛せない人』のはずですよね? なぜ私に拘るのでしょうか?」
「ああ、それは『エル以外誰も愛せない人』って意味だ」
「は? なんだか詐欺にあっているような気分だわ。母のことってなんでしょうか?」
「現在分かっている限りのことをすべて君に話そう。もともと君が我が家に来た日にすべて話すつもりだったのだから。それからルークって呼んでくれ」
「......では、ルークお兄様と」
「まあ、今はそれでいいか」
母や家の話を聞きたかった私は、『エル以外誰も愛せない人』の説得に負けた。
シヴァがいるから危険はないだろうと思って、とりあえず一緒に帰ることを了承した。
今は王都に帰っても、また直ぐにこちらに戻ればいいわね。今度は少しお金も貯まっているし。
と軽く考えていたのだが。
お店に帰り、メリッサさんにルークを紹介しようと思ったら、メリッサさんに会うなりルークが言った。
「リエルの婚約者のルークです。これからリエルと一緒に王都に帰ろうと思います。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。それからリエルを大事にしてくださって本当にありがとうございます」
ルークがメリッサさんに頭を下げた。私のために頭を下げた。なにかとても不思議な気持ちがした。
メリッサさんは驚くこともなくルークに言った。
「いずれこういう日が来ることはわかっていたさ、ルークさんとやら。リエルはここで楽しく暮らしていたんだよ。彼女を大切にしてくれるんだよね」
「もちろんです。約束します」
そしてメリッサさんは私を見て言った。
「今度は逃げずにきちんと話し合うんだよ」
メリッサさんには敵わない。すべてお見通しだった。
「それから精霊姫様、あんたの力はいずれ人のために役立つときが来るよ」
そう言われて、私は思わずメリッサさんに抱き着いた。その時ばかりはルークも手を離してくれた。
「メリッサさんは、私が精霊姫って知っていたんですか?」
「ああ、あんたにはシヴァがいて光も操っていたからね」
「あ、そうだ。メリッサさん、作業場の明かりどうしましょう?」
「あんたのお蔭で貯えも増えたことだし、光り石の良いのを買うことにするよ」
「私の本当の名はエルミナです。私を雇ってくださってありがとうございました。また必ずここに来ます。元気でいてくださいね。アリスたちには会う時間が無いみたいなので手紙を書きます」
メリッサさんは、深々と頭を下げた私の肩をそっと叩いた。
「あんたも元気でな!」
「はい。あの、この街の思い出にこのエプロンを頂いていいですか?」
「もちろんだよ! 残念だけどあんたほどそのエプロンが似合う娘もしばらくいないだろうね」
私はその後、泣きながら本と洋服程度の荷物しかない自分の部屋を整理した。ルークはその間ずっと部屋の入口に立っていた。もう逃げないのに。
そして荷物は騎士のオットーさんが、さっと持って行っていつの間にか用意していた馬車に入れてくれた。
「いやー、良かった良かった。これで俺に当たられないで済むわ」
なんて呟いていたけれど?




