第59章 リハーサル
長江流域の上海(人口約40万)、武漢(ウーハン、人口約3万)、重慶(チョンチン、人口約2.5万)、及び長江支流流域の成都(チェンドゥ、人口約5千)には、それぞれ自治組織たる自経団がある。上海には10の自経団があり、それらを統括する自経総団が置かれている。自経総団は総書記と原則として9人の副総書記で構成され、それぞれ1つの自経団の責任者たる書記を兼務している。武漢自経団には地区ごとに漢陽、漢口、武昌の3つの支団があり、自経団の責任者たる書記と副書記2名は、原則として支団の責任者である支団書記を兼務。重慶には同様に3つの支団があるが、人口の少ない成都には支団はない。
国際連邦本部は月にあり、立法府たる評議会、行政府たる統治委員会、司法府たる最高裁判所から構成される。統治委員会は、内閣にあたる委員会の傘下に、専門分野ごとの局が設置されている。
主な登場人物
ミヤマ・ヒカリ:本作のメイン・ヒロイン、ネオ・トウキョウでターミナルケアを生き延びた。大陸の武昌に辿り着きダイチたちと行動を共にする、上海マオ対策本部技術第一部副部長、今は亡き同い年の従妹でカオルのフィアンセだったサユリに瓜二つ
周光立:(チョウ・グゥアンリー)ダイチの同級生で盟友、上海マオ対策本部の実務を統括する副本部長、上海自経総団副総書記を兼務、上海の最高実力者周光来の孫
周光来:(チョウ・グゥアンライ)周光立の祖父。上海真元銀行の創設者にして自経団組織の立役者の一人。89歳にして上海の最高実力者
劉静:(リウ・ジン)周光来の秘書、約40年仕える側近中の側近
高儷:(ガオ・リー)本作のサブ・ヒロインの一人、ネオ・シャンハイのターミナルケア生き残り、武昌支団勤務を経て上海マオ対策本部民生第二部副部長
馮万会:(フォン・ワンフイ)報道機関である長江新報の主任編集員、ダイチと周光立の先輩
張皓軒:(チャン・ハオシェン)ダイチの1学年下でカオルの同級生、上海マオ対策本部民生第一部副部長
ミヤマ・ダイチ:ヒカリの従兄、中国名は楊大地 (ヤン・ダーディ)、上海対策本部チーフ・リエゾンオフィサー就任、武漢副書記は兼務
陳春鈴:(チェン・チュンリン)本作のサブ・ヒロインの一人、武昌支団幹部の一人、ダイチ、カオル、張子涵とは幼馴染
張子涵:(チャン・ズーハン)本作のサブ・ヒロインの一人、武昌で物流業者を営みつつ上海マオ対策本部民生第一部副部長を務める
ジョン・スミス:ドイツ人、武昌で電気電子修理工房を営んでいたが、店を閉店、今は上海マオ対策本部技術第二部副部長
ヤマモト・カオル:中国名は李薫 (リー・シュン)武昌支団副書記兼上海マオ対策本部リエゾンオフィサー
朱菊秀:(チュ・ジューシウ)タクシー運転手李勝文の妻
艾巧玉:(アイ・チアオユー)モンゴル人、上海トップの総書記兼第2自経団書記で、上海マオ対策本部の本部長に就任、周光立の初任時の自経団書記
蒋霞子:(ヂィァン・シアズ)上海自経総団副総書記兼第3自経団書記で上海マオ対策本部の監察委員に就任
~周光立の業務日誌より~
11月8日(金)
朝から曇って肌寒い。午後から冷たい雨になる予報。
第5地区の新中山路に面した国父紀念ホールに、午前10時集合。李薫を除く対策本部メンバーと陳春鈴、それから各支団の警務隊員と民政局員のうち交替で警備、会場整理の補助にあたる総勢100人が集まる。
約1000席ある劇場型のホール。各自経団ごとに招集する対象者は約1100人だが、事前投票やリモート参加も見込んで、当日会場参加するのは800~900人と見積もる。念のため、折り畳み式の簡易椅子を、ホールに頼んで100脚用意してもらった。
出席者の移動手段。自家用車の使用は原則として禁止とし、特別な事情のある場合、事前申し出により認める。徒歩圏の第3、第4、第5、第6自経団については、できる限り徒歩での参加を呼びかけ、徒歩が困難な者のために、各回バスを5台用意して運ぶ。第1、第2、第7。第8、第9、第10自経団についてはバスによる送迎を基本とする。各回20台用意し4~5か所の乗降場を指定。開催1時間前からと終了後1時間、順次運行する。
集まった運営メンバーに当日の式次第と進行について説明。時間帯別の各自の持ち場と動きを確認してもらう。1000人規模の参加者を開始前と終了後に誘導する部分が、最も多くの人員を動員することになる。特に終了後に退場者が集中しすぎないための誘導ルールについて確認。
12時にケータリングの弁当で昼食。
12時半過ぎに周光来が到着したとの連絡が入る。ホール入口側の廊下で高儷と出迎え、舞台裏の楽屋のひとつに案内する。雨が降り出したらしい。秘書の劉静と運転手が同行。食事はすませてきたとのこと。高儷がティーサーバーでいれてくれた茶を、自分が運ぶ。
周光来の登壇部分を中心に、当日の進行を説明。最初に「星」のインパクトとその影響、ネオ・シャンハイの避難先の概要などを説明する映像を放映。すでに対象者が閲覧できるよう公開しているもの。その後に、長老・幹部などに見せた周光来の収録画像を若干編集したものを流す。それが終わるタイミングを見計らって周光立に登場してもらい、肉声で語りかけてもらう。
13時からリハーサル開始。当日、参加者が集まり始めるところからイメージで動きを確認する。簡易椅子を並べるシミュレーションもする。楊大地と陳春鈴は舞台袖に立って、全体の流れを確認している。
本番は秘密会のため、各通信社には、コンテンツの詳細を報道しないことを条件に、リハーサルの取材を認める。長江新報の馮万会はじめ、各通信社から合計10人が参加。
14時ちょうど、本番午後の部が始まる時間に合わせて、当日の式次第に従いリハーサルを進める。場内を消灯して、張皓軒が中心になって制作した映像を上映。約25分。引き続き約10分の周光来の映像メッセージ。終わる前頃に劉静の介添えで周光来が入場。映像が終わって場内が点灯すると、演壇のところに周光来が立っている、という演出。本人の演説は5分程度。終わると周光来は再び劉静の介添えで退場。入れ替わりに自分と高儷が入場。約20分のセッションが終わると10分間休憩。
残りの約50分は質疑応答。高儷が進行役になって自分が答える。想定問答集に従って、対策本部メンバーが質問役になって自分が答える。16時少し前に、参加した区長助理によるPIT投票。事前投票分とあわせ、投票結果発表。3分の2以上の賛成で承認されたことを前提とした締めくくりのスピーチ。念のため承認されなかった場合の手順も確認。
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退場する参加者の誘導の動きをシミュレーションして、リハーサルは17時少し前に終わった。舞台袖のダイチと陳春鈴のところにジョン、高儷、張子涵がやってくる。
[私は、高儷姉さんみたいに話、できないよお]と陳春鈴。
ネイビーのブラウスに同色のロングスカート。昨日とは打って変わった雰囲気の装い。化粧もいつもと一味違う。精一杯大人っぽく見せようとしているのだろう。
[心配しなくていい。原稿を作るから。それに君が話す部分は少しにする]とダイチ。
[それよりも進行の全体の流れをよく覚えておいてほしい。現地のスタッフに説明してもらうことになるからね]
[私にできるかなあ? なんか不安で…]
[なに言ってんだ、お前らしくもない]とジョン。
[そうよ、ふだん通りにやっていれば大丈夫よ、リンリン]と高儷。
[ほんとに大丈夫かなあ?]
「リンリン、大丈夫よ。ねえダイチ」とヒカリ。
[ああ、心配するな。君なら大丈夫だ。私もフォローするから]とダイチ。
上海出身の対策本部メンバーを周光来に紹介していた周光立がやってきた。
ドギマギする陳春鈴のところに近付きながら言う。
[やあ。来てくれましたね。よかった。てっきり嫌われちゃったかと思いましたよ]
握手のために周光立が少し前かがみになる。その分顔が陳春鈴の顔に接近する。
陳春鈴の心拍数が一気に上がる。
[今日は落ち着いた素敵なコーデですね。でも、昨日ちらっと見せてくれたカジュアルな装いも素敵でしたよ]
[…]
陳春鈴は返す言葉が出ない。丸い目を大きく見開いて周光立に見入っている。
[あなたのことは、楊大地やシカリ、高儷からよく聞いています。とてもお仕事ができるのだそうですね]
周光立が伸ばした手に、手を出しかけて躊躇する陳春鈴。周光立がさらに手を伸ばして彼女の手を固く握る。
[あ、ありがとうございます]上ずった声で、やっと言葉を出す陳春鈴。
[お役に立てるようにがんばります]
[よろしくお願いします]
周光立の案内で、舞台裏の楽屋にいる周光来のところへ行く。周光来は椅子に腰かけ、となりに劉静が立って控えている。
[武昌出身の対策本部メンバーをご紹介します]と周光立。ダイチ、ヒカリ、高儷の順で紹介する。
[ここから先は、お爺さまとは初対面のメンバーになります]
ジョンが進み出て周光来の前に立つ。
[ジョン・スミスと申します。電気工事エンジニアで、本名をベルンハルト・ツィンマーマンといいます]
[お名前から察するに、ドイツ系でいらっしゃるかな]
[はい、そのとおりです]
[楊大地のお仲間ですな。心強い。よろしくたのみましたぞ」といって周光来は手を伸ばし、ジョンと握手する。
次は張子涵。
[張子涵です]
[おお、武上物流の]
[はい。先代は何度かご挨拶に伺ったことがあると聞いています。私は今日まで失礼してしまいました]
[なんのなんの。貴女のような方が加わって、まことに心強い。たのみましたぞ]
張子涵と握手。
[あと、私と楊大地の高中の1年後輩で武昌支団副書記の李薫が、兼務で対策本部メンバーに加わっています]
周光立はそう言うと、最後に陳春鈴を紹介する。
[そして彼女は陳春鈴。武昌支団民生局の局長助理です。いまのところ対策本部メンバーではありませんが、武漢、重慶、成都の助理会の進行をお願いするので、今日はリハーサルの見学に来てもらいました]
おずおずと周光来の前に進み出る陳春鈴。上海の最高実力者と話しすることはまったく想定外だったので、さらに緊張してガチガチになっている。
[あ、あの…陳春鈴といいます…]
[ははは、そんな固くならんでいいよ。私は、ただ長く生きとるだけの爺さんだから]
[こう見えても、こいつ、仕事はやたらとできるんですよ]と張子涵。
[おお、そうか。孫のことも助けてやってくだされ。たのみましたぞ]
[え、あの…ええと…光栄です!]とやっとの思いで言葉を絞り出す陳春鈴。
全員の紹介が終わると周光来は帰り支度。コートと薄手のマフラーを劉静の手助けで身に纏うと、集まった対策本部メンバー+陳春鈴に向かって再度言う。
[みな、くれぐれもたのみましたぞ。では、今日はこれで失礼]
全員で楽屋の扉から出て行く周光来一行を見送る。周光立と高儷、ダイチとヒカリがついて行き、ホール入口の車止めまで見送る。降り続く冷たい雨の中、周光立とダイチが周光来と劉静に傘を差しかける。運転手が回してきた車に二人が乗り込む。4人が二人に向かって軽く会釈し、車は周光来の屋敷へと向けて出発する。
降りしきる雨の中、総勢16人が4台のタクシーに分乗して例の店へ。朱菊秀が加わった17人で2卓を囲む。
最初下座側に座ろうとしていた陳春鈴を、張子涵が促して上座側の席へ座らせる。
[今日はお前が賓客だからな]
高儷が周光立を促して、陳春鈴の隣に座らせる。
[姫へのおもてなしをお願いしますよ]
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~陳春鈴の日記より~
夢のような一日が終わった。挨拶して、握手してもらって…
でも宴会は参ったな。お食事の味もほとんど覚えていないし。周光立が話しかけてくれた内容も、上の空でほとんど思い出せないし。
ああ、こういう時お酒が飲めたらな、と思う。そうすれば酔いの勢いを借りて、もっといろいろと話ができたかもしれない。
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「じゃあ、リンリン、助理会のことよろしくお願いします」とヒカリ。
[わかった、シカリ姉さん。やれるだけやってみる]と陳春鈴。
[ふだんのお前通りやってりゃ、大丈夫だって]と張子涵。
[そう、あなたなら大丈夫よ、リンリン]と高儷。
11月9日土曜日の朝、雨の上がった「女子寮」の前で、武昌に戻るダイチと陳春鈴をヒカリ、高儷、張子涵が見送る。
[今度いつ、みんなに会えるかな]と陳春鈴。
[なあに、そっちに行くこともあるだろうから]と張子涵。
[じゃあ、そろそろ出かけるぞ]とダイチが陳春鈴に言う。
荷物を後部座席に置いて、2人がエアカーに乗り込む。
出発する2人。手を振って見送る3人。
上海の街区を抜けてハイウェイに乗ったころ、ダイチがいつになく無口な陳春鈴に言う。
[初めての人にたくさん会って、疲れたんじゃないか]
[うん、でも楽しかった]
[まあ、明日一日ゆっくり休んで、いろんなことは月曜に打ち合わせしよう]
しばらく間をおいて、陳春鈴が言う。
[あのさ…周光立って、紳士だよね]
[たしかに。実力者の孫だからって偉そうになることなく、誰にでも丁寧に接する男だ]
一呼吸してダイチが続ける。
[けどな、本格的に酔っ払うと面白いんだぜ。昨日はセーブしてたみたいだけれど]
[そうなんだ…]
[なんだ、気になるか?]
[…]
「デリカシーのない武昌の男ども」であるダイチも、さすがにこれ以上は言わなかった。
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~周光立の業務日誌より~
11月9日(土)
週次の面談報告のため。先週と同じく10時に本部長たる艾巧玉海総書記とアポ。監察委員の蒋霞子副総書記が同席。助理会の準備状況を中心に報告。
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