第58章 お引越し
長江流域の上海(人口約40万)、武漢(ウーハン、人口約3万)、重慶(チョンチン、人口約2.5万)、及び長江支流流域の成都(チェンドゥ、人口約5千)には、それぞれ自治組織たる自経団がある。上海には10の自経団があり、それらを統括する自経総団が置かれている。自経総団は総書記と原則として9人の副総書記で構成され、それぞれ1つの自経団の責任者たる書記を兼務している。武漢自経団には地区ごとに漢陽、漢口、武昌の3つの支団があり、自経団の責任者たる書記と副書記2名は、原則として支団の責任者である支団書記を兼務。重慶には同様に3つの支団があるが、人口の少ない成都には支団はない。
国際連邦本部は月にあり、立法府たる評議会、行政府たる統治委員会、司法府たる最高裁判所から構成される。統治委員会は、内閣にあたる委員会の傘下に、専門分野ごとの局が設置されている。
主な登場人物
ミヤマ・ヒカリ:本作のメイン・ヒロイン、ネオ・トウキョウでターミナルケアを生き延びた。大陸の武昌に辿り着きダイチたちと行動を共にする、上海マオ対策本部技術第一部副部長、今は亡き同い年の従妹でカオルのフィアンセだったサユリに瓜二つ
周光立:(チョウ・グゥアンリー)ダイチの同級生で盟友、上海マオ対策本部の実務を統括する副本部長、上海自経総団副総書記を兼務、上海の最高実力者周光来の孫
ミヤマ・ダイチ:ヒカリの従兄、中国名は楊大地 (ヤン・ダーディ)、上海対策本部チーフ・リエゾンオフィサー就任、武漢副書記は兼務
ヤマモト・カオル:中国名は李薫 (リー・シュン)武昌支団副書記兼上海マオ対策本部リエゾンオフィサー
陳春鈴:(チェン・チュンリン)本作のサブ・ヒロインの一人、武昌支団幹部の一人、ダイチ、カオル、張子涵とは幼馴染
張子涵:(チャン・ズーハン)本作のサブ・ヒロインの一人、武昌で物流業者を営みつつ上海マオ対策本部民生第一部副部長を務める
張皓軒:(チャン・ハオシェン)ダイチの1学年下でカオルの同級生、上海マオ対策本部民生第一部副部長
ミシェル・イー:本作のサブ・ヒロインの一人、香港系中国人で本名は于杏 (イー・シン)、国際連邦総務局から派遣され上海マオ対策本部リエゾンオフィサー兼連邦アドバイザーに就任予定
トンチャイ・シリラック:国際連邦情報通信局から派遣され上海マオ対策本部に連邦アドバイザーに就任予定
高儷:(ガオ・リー)本作のサブ・ヒロインの一人、ネオ・シャンハイのターミナルケア生き残り、武昌支団勤務を経て上海マオ対策本部民生第二部副部長
ジョン・スミス:ドイツ人、武昌で電気電子修理工房を営んでいたが、店を閉店、今は上海マオ対策本部技術第二部副部長
ミヤマ・サユリ:中国名は楊小百合、ダイチの妹、カオルのフィアンセ。1年前に病死
~周光立の業務日誌より~
11月4日(月)
武漢、重慶、成都の助理会招集通知送信、PIT事前受付システム、事前投票システム、資料掲載サイトの立ち上げを武昌のヒカリが重慶、成都と連絡しながら実施。何度か調整を行った後、午前中のうちに最終テスト。問題ないことが確認できた。
17時から、3地域のマオ委員会と上海の対策本部を結んだ合同会議。各自簡単に自己紹介の後、今後の進め方について。楊大地と李薫が3地域との連絡・調整責任者となること、シャンハイ側の受け入れ体制整備と連携して3地域側の移動計画を協議してほしいことを述べた後、助理会の開催について最終確認。
楊大地とともに陳春鈴が3地域の助理会の進行役を務めることを説明し、彼女を紹介。
次回以降について。来週は助理会のため休会。以降、当面週一回開催することとなった。
合同会議の終了後、3地域の助理会招集通知送信等を実行。問題なく完了。
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~陳春鈴の日記より~
合同会議は緊張した。「助理会の進行役」って紹介された。こういうの慣れてないから。
それに紹介してくれたのが周光立。心臓が「バッコンバッコン」になった。
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~周光立の業務日誌より~
11月5日(火)
上海に移ってくる武昌メンバー・連邦メンバーの宿所が、自宅だけでは到底足りない。この前は張子涵に武上物流の上海オフィスに、李薫に張皓軒の家に泊まってもらったが、連邦からミシェル・イーとシリラックもやってくる。そこで、自宅から3ブロックほど行ったところにある空き家を「女子寮」として確保した。6人分の部屋がある大きな家で、ヒカリ、高儷、張子涵、ミシェル・イーに使ってもらう。自宅は楊大地、李薫、ジョン・スミス、シリラックの宿所とする。
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11月6日水曜日、武昌は朝からどんよりと曇って肌寒かった。高儷、ジョン、張子涵が武昌から上海へお引越しする日。ヒカリが初めて武昌に来たときに「運んで」もらった地上走行型の箱型トラックに、高儷と張子涵の引っ越し荷物を載せ武昌街区を東から西へ走る。朝9時頃、張子涵がジョンの店の前で車を止め、3人は店内に入る。
ジョンがまとめた引っ越し荷物は、大きな工具箱が2つ。あとは衣類と身の回りのもの。
[これだけでいいのかい?]と張子涵。
[ああ。どうせネオ・シャンハイには大して持ち込めないだろう。この際、身軽になっておこうと思う]
張子涵が手伝ってトラックの荷台に運び込む。
ヒカリは、店舗兼住居の中を懐かしそうに見て回る。
【最初の日々をここで過ごしたのよね】と高儷。
【そこの部屋に住まわせてもらって、この作業台で難物のコンピュータの修理をした】
作業台の前に置かれた椅子に腰かける。いつの間にか「ヒカリ専用」になった椅子だ。
「ダイチに会って、彼がわたしのいとこであることを知ったのもここだった」とニッポン語でヒカリが言う。
ジョンと張子涵が戻ってきた。
【どうした、ヒカリ。故郷に名残を惜しんでいる少女みたいな顔してるぞ】とジョン。
【わたしにとってはここが「原点」ですから】
【旅立ちに未練は禁物だが、おまえさんの場合は特別だからな】
【そうだ、せっかくだから写真撮りましょうよ】と高儷。
室内でジョンとヒカリが並んだ2枚。そして4人揃って自撮りで2枚。そして店の前で、張子涵と高儷が交替でカメラマンになった3人の2枚。
[そろそろいいかい]と張子涵。
[ああ、OKだ]と言ったジョンの瞳は、心なしか潤んでいるようだった。
運転席側から張子涵が乗り込み、反対側から高儷、ジョンの順に乗り込んだ。
[じゃあ、あした、上海で]とヒカリに張子涵。
「道中お気をつけて」とヒカリ。
クラクションを一つ鳴らして、箱型トラックがジョンの店だった家屋の前から出発した。
その日の15時頃、武昌支団オフィス。身の回りの整理が終わったころ、ヒカリのところにダイチが来た。
「もう上がれるかな」とダイチ。
「ええ。片付いたわ」と立ち上がりながらヒカリ。
「ボクも今日は上がることにする。一緒に例の場所に行っておかないか?」
「そうね。この天気では夕日は無理そうだけれど」
「だから早いめに行っておこう」
30分ほど後、コート姿の二人がダイチのエアカーから降りた。東湖の湖岸、湖を西に見る岸から、湖越しに武漢の戦前の建造物の名残を眺める。湖面を渡る風が体を冷やす。
「夕陽が見れなくて残念だった」
「うん。でもいいの。あのとき見た風景は、はっきりと目に焼き付いているから」
「ボクもここから見た風景の数々を、一生忘れることはないと思う」
「いろいろな思い出と一緒にね」
一呼吸おいてヒカリが続ける。
「わたしもこの街のこと、ここで起こったことを一生忘れない。生き残されたわたしを、受け止めてくれた街だもの」
「明日からいよいよ本格的に上海だね」とダイチ。
「そう。こちらに来ることもあるだろうけど、あちらが本拠地になる」
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~カオル(李薫)の独白~
ヒカリとダイチが早いめに上がって、一緒に出て行った。
明日はヒカリが上海へ移る日。きっと「あそこ」へ行ったんだろう。
サユリとダイチの思い出の場所。
僕も何度かサユリに連れて行ってもらって夕陽を眺めた。
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~周光立の業務日誌より~
11月6日(水)
張子涵が運転したトラックは23時頃、自宅前に到着した。ジョン・スミスが荷物と一緒に下車。自分が代わりに乗り込んで3ブロック先の「女子寮」へ案内。張子涵と高儷が落ち着いたのを確認して、徒歩で自宅に戻る。
主に高儷が使っていた部屋をジョンに使ってもらうことにする。落ち着いたところで、ビールで乾杯。一本ずつ空けて、25時前には就寝。
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11月7日木曜日、武昌は晴れて小春日和。ダイチのエアカーのトランクに、ヒカリの引っ越し荷物を載せる。ネオ・トウキョウから持ってきた衣類と身の回りのものに、サユリの服を加えたもの。2つのカバンをヒカリと、やたらとヒールの高い靴を履いた陳春鈴が、1つずつ持ってエアカーに運び込む。コートを着たままだと少し汗ばむくらいだった。
ダイチ宅にいったん戻って、ヒカリは中を見まわす。ここは武昌で一番長く過ごした場所。ダイチと話をし、高儷に料理を教えてもらい、いろんな人、アーウィン部長とも時を過ごした。
[写真撮っとかないでいいの、シカリ姉さん?]と陳春鈴。
「そうね、昨日高儷たちと一緒に撮ったから。あなたと一緒に1枚撮りましょうか」
二人は家の前に並んで、ダイチがカメラマンになって撮った。
時刻は10時となった。
「そろそろいいかい」とダイチ。
[私はいつでも大丈夫だよ]と陳春鈴。
「ええ。行きましょう」とヒカリ。
ヒカリは助手席に、陳春鈴は2泊3日分の荷物をいれたカバンと一緒に後部座席に座る。小さい水玉模様のシンプルな水色のブラウスにベージュのパンツ。身に着けている衣類はいたってふだん着なのだが、黒の高いヒールの靴と、脱いでおいてあるシックなライトブラウンのコートが、なんともアンバランスだ。
「陳春鈴は、上海は久しぶりなのよね」とヒカリ。
[うん。3年くらい前かな…初中の友達と、一緒に遊びに出かけた]と落ち着かない様子の陳春鈴。
[髪型変えたか?]とダイチ。
ヘアサロンに行ったのだろう。前髪をふわりと垂らしてあどけない丸顔を大人っぽく見えるようにまとめた、ボブカットのヘアスタイル。
[う、うん…助理会とか、いろんな人の前に出るんだから、ちゃんとしとかなくちゃ…]
中継局の建物で少し遅めの昼食兼トイレ休憩のために止まった他は、ずっと走り続け20時頃上海着。ダイチが先に場所を聞いておいた「女子寮」の前にエアカーを止める。
1日早く住人になっている高儷と張子涵がお出迎え。
いや、もう一人、背の高い男性がいる。その姿を認めて陳春鈴の表情がこわばった。
[えっ、どうして?]とつぶやく。想定外だったようだ。
[こんな格好じゃ…]
ヒカリがエアカーを降りて、3人と話している。ダイチはトランクを開け、ヒカリの2つのカバンを取り出して「女子寮」へ運び込む。
後部座席のドアがいきなり開いて、カバンを抱えた陳春鈴が飛び出す。
背の高い「彼」が握手しようと手を差し出す。
その手を[ごめんなさい]と言いながら振り払うと、彼女は一目散に「女子寮」へと向かい、扉を開けて中に入ってしまった。
[あらあら]と言いながら高儷が開けっ放しの後部座席のドアを閉める。
[なんかオレ、悪いことしちゃったかなあ]と周光立。
[そうじゃないです。あいつ、わかりやすくて、むつかしいんです]と張子涵がフォロー。
[決して悪いヤツではないんで、大目に見てやってください]
「明日になったらわかりますよ」とヒカリ。
周光立がダイチのエアカーに乗り込み、自宅へと向かった。
「女子寮」の室内。6つあるベッドルームのうち、左手のキッチン、バスルームの隣から順番に高儷、張子涵の部屋となっている。その右隣の部屋をヒカリが使うことになった。
陳春鈴は、リビングのソファーに座り込んで、下を向いたまま動かない。
[食事にしましょう]と高儷が声をかける。
陳春鈴が、立ち上がってテーブルへと向かう。動きがどこかぎこちない。
食卓では3人が、周光立の話題で盛り上がる。ますますぎこちなくなる陳春鈴。早々に食事をすませて、シャワーを浴びるとヒカリの隣の部屋に入る。
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~陳春鈴の日記より~
きょうは…ああああああああああああ…
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~カオル(李薫)の独白~
ああ、上海へ引っ越してしまった…
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