第54章 二人目の「姉さん」
長江流域の上海(人口約40万)、武漢(ウーハン、人口約3万)、重慶(チョンチン、人口約2.5万)、及び長江支流流域の成都(チェンドゥ、人口約5千)には、それぞれ自治組織たる自経団がある。上海には10の自経団があり、それらを統括する自経総団が置かれている。自経総団は総書記と原則として9人の副総書記で構成され、それぞれ1つの自経団の責任者たる書記を兼務している。武漢自経団には地区ごとに漢陽、漢口、武昌の3つの支団があり、自経団の責任者たる書記と副書記2名は、原則として支団の責任者である支団書記を兼務。重慶には同様に3つの支団があるが、人口の少ない成都には支団はない。
国際連邦本部は月にあり、立法府たる評議会、行政府たる統治委員会、司法府たる最高裁判所から構成される。統治委員会は、内閣にあたる委員会の傘下に、専門分野ごとの局が設置されている。
主な登場人物
ミヤマ・ヒカリ:本作のメイン・ヒロイン、ネオ・トウキョウでターミナルケアを生き延びた。大陸の武昌に辿り着き、コンピュータ修理の仕事をしつつ、武昌支団の非常勤の幹部を務めている、今は亡き同い年の従妹でカオルのフィアンセだったサユリに瓜二つ
陳春鈴:(チェン・チュンリン)本作のサブ・ヒロインの一人、武昌支団幹部の一人、ダイチ、カオル、張子涵とは幼馴染
ヤマモト・カオル:中国名は李薫 (リー・シュン)武昌支団副書記、ダイチを補佐し、民生系を統括する
周光立:(チョウ・グゥアンリー)ダイチの同級生で盟友、上海自経総団副総書記兼第4自経団書記、上海の最高実力者周光来の孫
馮万会:(フォン・ワンフイ)報道機関である長江新報の主任編集員、ダイチと周光立の先輩
ミヤマ・ダイチ:ヒカリの従兄、中国名は楊大地 (ヤン・ダーディ)、武漢副書記兼武昌支団書記
高儷:(ガオ・リー)本作のサブ・ヒロインの一人、ネオ・シャンハイのターミナルケア生き残り、今は武昌支団に勤務する
張皓軒:(チャン・ハオシェン)ダイチの1学年下でカオルの同級生、上海第4自経団第18支団の幹部の一人
周光来:(チョウ・グゥアンライ)周光立の祖父。上海真元銀行の創設者にして自経団組織の立役者の一人。89歳にして上海の最高実力者
艾巧玉:(アイ・チアオユー)モンゴル名をアザヤ・ツォクト・オチルという、上海トップの総書記を務め、第2自経団書記を兼務、周光立の初任時の自経団書記
李香月:(リー・シャンユエ)上海第4自経団第18支団書記
唐小芳:(タァン・シァオファン)上海真元銀行総裁
蒋霞子:(ヂィァン・シアズ)上海自経総団副総書記兼第3自経団書記
アドラ・カプール:インド人、上海第6自経団第28支団の幹部の一人
林孝通:(リン・シアオトン)商物流業者の首領の筆頭格
陳紅花:(チェン・ホンファ)商物流業者の首領の一人、張子涵と親交がある
蕭凱:(シィアォ・カイ)上海真元銀行理事
李勝文:(リー・ションウェン)タクシー運転手、ヒカリが大陸で最初に出会った人物
劉俊豪:(リウ・ジュンハオ)人材紹介業者、コンピュータ系に強い
張子涵:(チャン・ズーハン)本作のサブ・ヒロインの一人、武漢で物流業者を営むとともに武昌支団の非常勤の幹部などを務めている
ジョン・スミス:ドイツ人、武漢の電気電子修理工房の店主、ヒカリの雇い主にして武昌支団の非常勤の幹部を務めている
~陳春鈴の日記より~
シカリ姉さんから高儷の話を聞いた。失わなくてもすんだかもしれない大切な人を、失ってしまったという。運命というにはとても残酷。シカリ姉さんもつらいだろうに、高儷のことをすっごく心配してる。何か私にできることは…
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~カオル(李薫)の独白~
大切な人を失う悲しみは、自分にもわかるつもりだ。ヒカリの胸中はずっと察してきた。けれど、いまの話、あんまりではないか。火星で生きている息子さんが救いになっているかもしれない。でもお祖父様、ご両親、なによりもご主人を失ったこと、それも連邦のAIに殺されたようなものだって…何かしてあげられることがあればいいのだけれど…そっと見守ることだけだろうか。
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~周光立の業務日誌より~
10月25日(金)
朝一番に長江新報の馮万会に連絡。付帯事項の概要を伝え、プレスリリースに盛り込むよう依頼。すぐに改訂版原稿が返ってくる。楊大地とチェック。OKと伝え、他の通信社へのリリースにも使うことの承諾をもらう。
午前10時に上海自経総団、武漢・重慶・成都各自経団の連名で、正式プレスリリース「恒星間天体マオの衝突対策としてのシャンハイ・レフュージへの避難計画について」が出された。
午後、楊大地、ヒカリ、高儷に第18支団民政局副局長の張皓軒を加えた5人で打ち合わせ。
最初にプレスリリースへの反応について張皓軒から。おおむね好意的で批判的な反応は1割未満。ただし「もっと早くに知りたかった」という声が多数あった他、移動時期や移動後の生活についての不安を訴える書き込みがあったとのこと。
住民の反響に応じるためにも課題はやはり助理会。概要を話す。
各自経団には、区長助理が約1000人、そして区長、副区長があわせて100人いる。事前投票する者や当日PITでリモート参加する者もいると思うが、やはり一度に1000人規模を収容できる場所が必要。第5地区の国父紀念ホールしか場所は考えられない。
開催は、上海は11月11日(月)の週に、午前の部と午後の部を5日間行い、10ある自経団すべてを終わらせる。武漢、重慶、成都もほぼ同じタイミングで実行することで楊大地に調整を依頼。上海は毎回、最高実力者の周光来に短時間演台に立ってもらい、他地域はビデオ映像を流す。上海は自分と高儷が進行を務め、他地域は楊大地とヒカリが進行役。
最初の助理会が開催される1週間前の4日までには、区長助理、区長、副区長に式次第を送り、PITによる事前受付・事前投票のシステムにアクセス可能にする必要あり。当日の進行スタッフの確保と運営確認。そして参加者を運ぶ交通手段の手配も欠かせない。
助理会に向けた課題への対応のためにも、対策本部の組織を立ち上げなければならない。
本部長には艾巧玉総書記に兼務していただくつもり。各自経団に対して指揮命令ができるように。自分は副本部長として実務を取り仕切る。民生系と技術系のそれぞれ2つの部。それに公安部、財務部、商務部のあわせて7つの部を設置しようと考えている。楊大地は本部付、ヒカリ、高儷、張皓軒は各部の副部長として常勤幹部メンバーに加わってもらう。
自経団と上海真元銀行から部長・副部長クラスの常勤幹部メンバーの選任をお願いする。明日、総書記と面談予定。自分が第4自経団の書記を辞任し、第4自経団副書記で第18支団の李香月書記を後任とすることとあわせて、幹部選任の話をしようと思う。また、上海真元銀行の唐小芳総裁とのアポもある。上海真元銀行に関する付帯決議と幹部選任について話をする。
10月26日(土)
楊大地、ヒカリ、高儷は武昌へと戻った。楊大地以外は来週再び、対策本部の常勤幹部メンバーとなる武昌スタッフとともに上海へ来ることになる。
艾総書記と10時のアポ。李香月第18支団書記を伴ってオフィスで面談。
まず、上海の正式承認手続きとして助理会を開催することを説明。準備・開催ともに最短で行い、11月15日(金)までには完了させる考えであることを申し上げる。総書記からは「限られた時間でも、納得できる充分な説明を行うように」とのお言葉。
次に対策本部組織の概要を説明し、人事を相談する。
最初に、対策本部の本部長に総書記が就任することをお願い。自分は副総書記兼務で副本部長に就任するとともに、第4自経団の書記を辞任するつもりと告げる。自分の後任の第4自経団書記には李副書記を推挙したいと話し、賛同を得る。本部長への日報の提出と最低週1回の面談による報告のご指示。総書記会の開催頻度を、月1回から2回へ増やす。
対策本部幹部メンバーとして、艾総書記と自分の他に、上海自経団から副総書記クラスの監察委員、支団局長クラスの専任の部長(民生系1名、技術系2名)を任命したい旨相談。監察委員には第3自経団の蒋霞子副総書記ということで総書記も同意。システム系の部長は上海メインサーバーがある第6自経団第28支団技術局のアドラ・カプール局長で総書記と意見が一致。インド人女性の優秀なエンジニアでマネジメント能力も折り紙付き。他2名の部長については、総書記に人選をお願いする。
楊大地に副本部長級の本部付幹部となってもらうことをはじめ、その他の本部付幹部と各部の副部長の選任については、お任せいただくことでご了解。副部長には外部の非常勤スタッフも登用する予定であると申し上げる。
午後一番で南京会の林孝通会長に電話。キャラバン・コネクションの幹部メンバーの中から1名、非常勤の副部長を出してほしいとお願い。業務のパートナーが張子涵となると話すと、江東会会長の陳紅花が適任だろうとのこと。自分もそう考えていた。林会長から本日中にお話しいただける。
上海真元銀行の唐総裁と本店オフィスで15時のアポ。蕭凱理事と李香月副総書記候補が同席。上海真元銀行関連の付帯決議について説明し、50年かけての通貨発行権移管も含めてご納得をいただいたのち、対策本部組織の概要を説明。上海真元銀行に関わる事項を担当する財務部の部長は、当面自分が兼務するが、対策本部専任幹部として、財務部長就任含みの副部長とシステム系の副部長の候補を、上海真元銀行から推挙することをお願い。対策本部設立および幹部人事について、28日(月)午後の総書記会で承認を得る予定なので、28日午前中までに人選していただくことでご了解。
3地域の移動資金の見積り。とりまとめ次第、融資申入れを行う。
夜は、李勝文と劉俊豪に電話。それぞれ民生系と技術系の非常勤の副部長となることを打診。ふたりとも最初は戸惑っていたようだが、趣旨を説明して了承してもらった。
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エアカーの後部座席で、高儷は寝息を立てている。
助手席に座ったヒカリがポツリと言う。
「はじめて上海から武昌に向かったときも、こんなだったわね」
「感情のアップダウンが激しくて、疲れ切っているんだろうね」と運転席のダイチ。
「そうね、大泣きしたあとに無理に陽気にしてたから」
「キミは大丈夫? 『2285』のことではキミだって…」
「彼女とわたしで決定的に違うのが、子どもを喪ったかどうか。親というものは、子どもに先立たれることが、他の肉親の場合と比べて段違いにつらいものなの」
「そういうものなんだね」
「だから受けた衝撃という点では、彼女のほうがわたしの何倍も大きいと思う」
エアカーのモーター音と彼女の寝息のアンサンブルが、エレジーを奏でているかのようだった。
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~陳春鈴の日記より~
28日月曜。支団オフィスでお昼休みにシカリ姉さんと張子涵と話をしている高儷のところへ。
[あの…話があるの]
[何かしら? 陳春鈴]
[ええと…私のことを「リンリン」って呼んでくれないかな?]
高儷の顔が一瞬戸惑ったようになったけれど、すぐに口元に笑みを浮かべてこう言った。
[ありがとう…じゃあ遠慮なく呼ばせてもらうわ、リンリン]
[それでね、私は「高儷姉さん」て呼んでもいいかな]
[うれしいわ、そう呼んでもらえると]
[あのね、シカリ姉さんも私も張子涵もいるし、楊大地も李薫もジョンも…みんないるからね。ひとりじゃないんだからね]
口元に笑みを浮かべたまま、目じりにうっすらと涙を滲ませて高儷姉さんが言った。
[ありがとう…ほんとにありがとう、リンリン]
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~カオル(李薫)の独白~
高儷とヒカリの様子について、ダイチから話を聞いた。高儷に比べてヒカリのほうが、衝撃は小さくてすんでいるとのこと。火星に生きている息子さんの存在が大きいようだ。
そう、ふだん意識することはないけれど、彼女はすでに結婚していて、ひとりの男の子の母親なんだ。やはり、僕なんか眼中にはないんだろうか。
今週後半は久しぶりの上海。彼女も一緒に行く。ああ、彼女と二人で落ち着いて話ができたら。
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