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マッチングアプリで出会った男がハムスターだった

作者: はっとり

「ユカさんですか?」


はい、と言いながら私が声のする方向へ目をやると、そこにいたのはハムスターだった。


「初めまして、ユイトです」


確かにマッチングアプリのプロフィールはハムスターの写真だった。

動物が好きなんだな、と好感が持てたのと、顔写真を載せていない男性の方が逆にイケメンの可能性が高いというネットの情報を信じて会ってみることにしたのだが、来たのはハムスターそのものだった。


「どうかしましたか?」


ユイト(ハムスター)が気遣うように聞いてくる。

どうかしているにも程がある状況だが、何か言わないと、と焦り、私はようやく一言を絞り出した。


「あの、その方は……?」


ユイトは女性の手のひらに載っていた。メガネをかけ、黒髪ロングの品の良さそうな女性だった。

彼女が私の目線まで両手を上げ、ユイトと目線が合うように持ってきていたのだ。


「ああ、飼い主です。ほら、ハムスターが一人で渋谷に来るって大変じゃないですか。電車に乗ったりしないといけないし、お金も大きいから持てないし」


ユイトがそう言うと、女性はユイトを包むようにして載せた両手を動かさないまま


「佐々木といいます。お気になさらずに」と軽く頭を下げた。


とりあえずカフェでも入りませんか、とユイトに促されるまま、

私たちは渋谷駅から少し離れた静かなカフェに入った。


2人席に案内されると、佐々木さんはテーブルにユイトをぽてっと置き

「じゃあ終わったら言ってね」と言い残すと一人で奥の席へと移動していった。


ウェイトレスが注文を取りに来て、私はカフェラテとケーキのセットを、

ユイトはひまわりの種と水のセットを注文した。


「あの、最初に謝らなきゃいけないんですけど、実はユイトっていうのはアプリ上の名前なんです。

何かイケメンっぽい名前の方がいいかなって、ちょっとカッコつけちゃって」


律儀なハムスターだな。と私は思った。

アプリ上で別の名前を使うくらいのことを謝る人はあまりいない。

そして謝るハムスターはもっといない。


「本名は、ジャンガリアン・ハム彦って言います」


「ハム彦……」


ぴったりの名前だなあ、と私は思った。ジャンガリアン、が苗字なのだろうか。


「ユカさんは本名ですか?」


本名です、と答えるとハム彦は


「やっぱり、なんか『ユカ』って感じの見た目だなって思ってたんです」と言った。


「ハム彦さんも『ハム彦』って感じの見た目ですよ」


「そうですか? やっぱりユイトは失敗だったかなあ」


ハム彦はそう言って笑った。頬袋に詰めていたひまわりの種が一粒コロンとテーブルに落ちた。


「ユカさんは動物好きなんですよね」


それはアプリのメッセージ上で話していたことだった。

私は動物全般が好きで、一人で動物園や水族館、犬カフェや猫カフェにも行ったりする。

そしてそれが、プロフィール写真にハムスター(自分)を載せているハム彦に好感を抱いた理由でもあった。


「僕、猫カフェに行ってみたいなって思ってるんです」


「え、猫カフェに?」


「猫を間近で見たことが無くて。あんなに人間に愛されている動物ってどんな感じなんだろうって、

一回でいいから実際に見てみたいんです」


「でも……」


私は言葉に詰まった。ハムスターが猫カフェに行くことは、人間がワニの群れる水辺で泳ぐようなものだ。


「分かってます。多分、生きては帰れない……」


戦地に赴く兵士のような、重みのある言葉だった。

セリフだけ聞いたら、誰も猫カフェのことを話しているとは思わないだろう。


「でも、ガチャガチャってあるじゃないですか。100円玉を何枚か入れてレバーを回すと出てくるやつ。

あの丸いケースに入って行ったら大丈夫なんじゃないかなと思ってるんです。

あれって空気穴も開いているし」


「なるほどお……」


私は思わず感心してしまった。ハム彦は好奇心と知性を兼ね備えた男だった。

カフェに入ったばかりの頃、テーブルに直置きされた大福にしか見えなかったその姿は、

礼儀正しく鎮座する青年に変わろうとしていた。


「あの、ハム彦さんはスポーツと読書が好きって……」


それもアプリのプロフィールに書いてあったことだった。私はハム彦のことがもっと知りたくなっていた。


「はい。スポーツと読書っていうか、読書がスポーツなんですけど」


「読書がスポーツ?」


「はい。僕くらい体が小さいと、読む時に本の上を歩きながら字を追って行くんです。

それでページの終わりまで行ったら本から降りて、次のページの下に潜り込んで、体を使ってページをばたんと倒すようにめくる。だから結構体力を使うんですよ。

でも運動になるし、疲れたら10ページくらいめくってその下に入れば、いいお布団にもなるんです」


「お布団にも……」


私とハム彦は、その後も普通の男女のように話をした。池井戸潤の小説が特に好きだということ、

飼い主の佐々木さんの肩に乗って一緒に本を読むこともあるということ。

犬カフェには一度行っており、ゴールデンレトリーバーには良くしてもらったということ。


私はこれまでマッチングアプリで会って来たどの男性よりも、ハム彦とはリラックスして話すことができた。半年ほど前にマッチングアプリを始めてから、10人以上とは会って来ただろうか。

互いを探りながら、相手に値踏みされているような感覚が嫌で、値踏みしてしまっている自分がもっと嫌で。思えば私はマッチングアプリに、恋愛に疲れていたんだなとぼんやり思った。


「いやあ、良かったあ」


ハム彦は安心するように息を吐きながら言った。丸い体がちょっとつぶれるようにぽよっと広がった。


「実はマッチングアプリで実際に人に会うのって、初めてだったんです。どんな人が来るのかなって、

ドキドキしてたんですけど、ユカさんみたいな方で本当に良かったです」


「私も、ハム彦さんに会えて良かったです」


そう言いながら、私は自分が救われていることに気づいた。仕事も恋愛も、周囲の目を気にしながら走り続ける終わりのないレースのような生活の中で、この時間だけはエアポケットのように世界から私を遠ざけ、柔らかく包んでくれていた。


ハム彦は私を見上げて後ろ足で立つと


「あの、もし良ければ、また……」


と言った。私が続きを待っていると、ハム彦はペタッと尻餅をついた。


「良けれ……ああ、くそ、こんな時に……」


座ったままハム彦の頭がカクンと落ちる、すぐにまた私の方へ顔を向けるが、またカクンと落ちる。


「ユカさん……また……」


それだけ言うと、ハム彦は仰向けにこてんとひっくり返り、口を半開きにしたまま目を閉じた。

寝てしまったのだ。ハムスターの睡眠時間は1日14時間もあることを私は知っていた。

小学生の時、友達の家で見たハムスターも、活発に動き回ったかと思えば、突然電池が切れたように眠っていた。


「ハム彦さん」


と、私は小声で呼びかけた。返事がないことを確認すると、私は人差し指で、仰向けになっているハム彦のお腹にちょっとだけ触ってみた。うん、柔らかい。目を閉じてその温もりを感じると、私はハム彦を両手でそっと持ち上げ、佐々木さんの席へと運んでいった。


「あの、寝ちゃったみたいです」


そう小声で話しかけると、佐々木さんは読んでいた本をぱたりと閉じて


「ああ、ありがとうございます」


と微笑えんでハム彦を受け取り、持っていた皮のハンドバッグを開いた。

ハンドバッグの中にはおがくずがみっしりと詰まっており、その上に折りたたまれたタオルハンカチが置かれていた。佐々木さんは両手でハム彦を持ったまま小指と薬指を使って起用にタオルハンカチを開き、その間にハム彦を入れてまた畳んだ。


「手も出しとこう」


と佐々木さんは言った。ハム彦は顔だけをタオルハンカチから出し仰向けに寝かされていたが、佐々木さんはさらに前足をちょこんと引き出し、タオルハンカチから出した。


「ほらお布団みたい」


「ほんとだ……」


佐々木さんはスマホを取り出しハム彦の写真を撮った。私も失礼します、と言い私も写真を撮った。

お会計は佐々木さんが払ってくれた。ここは私が、と佐々木さんは譲らなかった。外へ出ると、そこは相変わらずの雑踏とほこりっぽい空気で満たされた、いつもの渋谷だった。


「今日はありがとうございました。昨日の夜から緊張してたみたいで、疲れが出ちゃったんだと思います」


佐々木さんはそう言うと深々とお辞儀をした。私もお礼を言い、しばらく雑談をした後、また会う約束をして私たちは連絡先を交換した。


「あの、一つだけお聞きしてもいいですか」


別れ際、私は佐々木さんに思い切って尋ねた。


「ハム彦さんって、ゴールデンハムスターですよね? ジャンガリアンじゃなくて」


ハム彦の顔と背中は、秋の稲穂のような薄い茶色の毛におおわれていた。

灰色や黒、白の模様が混ざったジャンガリアンハムスターとは異なり、典型的なゴールデンハムスターだ。なぜジャンガリアン・ハム彦という名前なのか、ずっと気になっていた。


佐々木さんはうつむいたまましばらく黙っていたが、やがて私の目をしっかりと見つめて口を開いた。


「それについては、ジャンガリアン一族の呪われた宿命については、のちのち知ることになるかと思います。どうやらあなたには“資格”がおありのようだから」


「宿命? 資格?」


私が聞き返すとほぼ同時に、黒塗りの高級車が私たちのすぐそばに止まった。


「それでは失礼します」


私の疑問に答えず、佐々木さんは黒塗りの車に乗り込み、去って行った。車が見えなくなってからしばらく立ち尽くした後、私は目を閉じて耳をすませた。心臓は、いつか『マッドマックス』で見たV8エンジンのように強烈に全身を打っていた。闘いが始まる。炎は既に灯されたのだ。私の肉体が、精神が、人生が、大波のように世界へ溢れ出そうとしていた。


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