51 剣道家と砦攻防
寒々しい曲輪に、男は騎影をひとつきり落としていた。
砦の南西の端である。防衛の観点からするといかにも浅く頼りない。主郭の方には人間にしろ灰騎にしろ多数が詰めていて、篝火も盛んであるが、ここには数十騎の眠れる灰騎と人間二名がいるのみだ。
「どうしてこうなっちゃうかなぁ……また怒られるし、一等危ないしさぁ……」
ウリルクがぼやいている。状況の変化は彼女から帰路を奪った。
「こんなすみっこに来ちゃって、聖剣の灰騎ってば、一体全体何がしたいんですかね? ずっと起きてるし。馬からも降りる気配ないし」
焚き火をつつく様はどこかいじけている。疲れてもいるようだ。
エラッコもいる。茶碗にとった雑炊をちびりちびりと食んでいる。
「左様……信じるに値せぬ、ということであろう」
「そりゃまあ、急造りの砦ですけどねぇ」
「違う。枢秘長と白騎をだ」
「え? どういう意味でです?」
「直截に言って、敵」
主郭にはこれという動きはない。警戒の火が夜の底を焼いているばかりだ。
「それゆえに枢秘長をそばに寄せず、白騎から遠ざかり、神の化身を隠してその所在を我らにも明らかにせんのだ」
「そ、そんな……え、それじゃあ、私たちのことも敵だと?」
「そうみなしておるなら、ここへも来させんだろうよ」
「……あー、それってつまり……護ってはもらえない?」
「この世の者同士の争いからはな」
「いやいやいや、人間同士でなんて……え、本当に? 血眼来るのに?」
「囚われておろう、すでにして。どうして殺められんと思える」
「うわぁ……あ、でも、隠れる術でなら!」
「人間にはもちろんのこと、白騎にも通じんよ。あれはこの世の理に沿うたものゆえに」
月影が明滅した。どうにも雲が速い。甲冑に絡みついてはちぎれていく風を、このところは感じ取れるようにもなっていた。武具とは兵法者の身体そのものである。
背の大太刀は伝えてすらくるのだ……強敵が来襲すると。それは間もなくであると。
男は、ケインなる男のことを思った。
ジュマの調査によると、その男の本名は大森ケン。個人・団体ともきらびやかな戦績を持つ剣道家で、大手証券会社の営業マンとしても活躍していたそうだ。不器用ながらも清廉な人柄と評判も良かったが。
裏切られた。社会の理不尽に心身を病んだ。闇社会へと転がり落ちた。
借金苦から暴力団の用心棒となり、非合法な暴力に手を染めていって、そこでも社交の拙さから失敗したらしい。敵対組織のみならず警察からも狙われ、アメリカへ逃げ込んだようだ。
そして、五十歳手前に異鬼と化して。
―――来る、か。
東より黒い群れ。声なき絶叫の軍勢。数は非常に多い。
鐘が鳴った。火矢が放たれた。それを追うように射掛けられる数多の矢。多少の損害は与えている。落馬させることで敵の足並みを乱しもしたが。
血眼は止まらない。勢いをいささかも減じない。津波のごとくに迫りくる。
灰騎が飛び出した。数百騎がひと塊となり、流星のように駆けてゆく。異様な衝撃力でもって血眼を弾き飛ばし、津波の一部を破砕したばかりか、全体をも動揺させた。R6だ。彼は騎馬突撃に関する戦闘秘術を有する。
黒い敵群のうち六割方は灰騎勢へと喰らいつき、残る四割ほどが砦へと取り付いた。矢の雨が降りつけている。東側の浅い曲輪へとよじ登った一騎が大きく吹き飛んだ。
白騎だ。
人型の重機のようなあれらは拠点防衛に適しているらしかった。群がる血眼を叩き斬り、殴り貫き、振り払う。人外の膂力が大いに発揮されている。
男は斬り方を検討する。白騎の斬り方を、である。
見る。この曲輪にも白騎が八体と居て、血眼との戦いへ加わる様子もない。曲輪と曲輪をつなぐ門扉を固める様は衛兵というよりは看守のそれだ。
その戸が開き、十人の兵士が入ってきた。
先頭に立つ女性はここに駐屯する軍の指揮官である。
「聖剣の灰騎よ。殿下の『虎』よ。祭殿枢秘長として貴殿に要請する」
白騎が静かに動き始めた。門を塞ぐ二体。残る六体は二手に分かれた。男を半包囲しようというのだろう。
「灰毛の猫を、我に預け寄越すべし」
背に、灰騎たちの動き出す気配を聞く。馬を壁にし、この場を任されたいと示した。
「神はその猫の保護をお求めになられた。我が軍が責任を持つゆえ、貴殿は―――邪魔をするか、エラッコ」
「左様。見るに堪えんし聞くも哀れなれば」
十人と二名とが対峙した。いつであれどこであれ、社会とはこのようなものだと男は思う。
「警告したはずだ。無礼を働けば罰すると。我が使命を遮るなどもってのほかだぞ」
「使命か。まさにそれがゆえに汝を阻もう」
「笑止。危機を尻目に姿をくらました臆病者のごときが」
「はて。コムニカッティオ公へ神託をお伝えしたが」
「その後のことだ。聖殿軍団にも義勇軍にも参加せず、隠遁者を気取るなど」
「役割を全うしたまで。領分を越えた役を欲し、役に呑まれ、役に溺れるお主にはわかるまいが」
正義は対立する。それぞれに良かれと動き、ぶつかって、互いに悪しざまに思う。
「……溺れているか、私は。貴様の目にはそう映るのか」
「溺れていよう。誤りではないかと怯えつつも立ち止まれないでいるのだから」
女が剣を抜いた。応じるように抜いたのはウリルクである。
「逆らうか、聖騎士ウリルク」
「大僧師猊下直々の命令ですからね」
エラッコの他は次々に抜剣していく。
「我が神は、灰騎を支援するようお命じになっておられるのだ。イモータルレギオンのみでは勝ちきれないがために……人類の存続のために!」
強く言葉を発するも、女は一歩とて前へ出られない。
ウリルクがいるからだ。十人はどの一人もそれなりの使い手だが、この場の戦巧者はウリルクである。見事なものだ。寄らば斬る気配を放ちつつ、男や灰騎を利用すべく間合いを工夫している。
「汝の神……か。およそ怪しい超常者よな」
エラッコは無手で身構えたところもない。生きようという意志もさして感じられない。
「……神託を、貴様はどのような声で授かる?」
「左様、傲岸不遜にして稚気に富んだ女性の声として」
「……そう、か……」
「汝はいかに」
「……妖しいまでに艶やかな女性の声で、私を憐れみ、私を導く……白き鳥」
抜き打った。
雷切大太刀はあやまたず白騎を切断した。返す刀でもう一体を断ち、手首を返してさらに一体を両断した。それぞれに女、ウリルク、エラッコを狙った白騎である。
まだ来る。残すところ五体の白騎。
いや、血眼もだ。迂回したものか西側から木柵を越えてきた。いや、柵を壊しての侵入だ。騎馬のままに十数騎。いや、数十騎。明らかにこの曲輪に狙いを定めた襲撃。
得たりや応と迎撃する灰騎が、二騎、瞬く間に討たれた。
―――来たか。
長く優美な弧を描く刀身が、灰に煙って淡い光をにじませている。
異鬼……ケインあるいは大森ケンであった男。
男は無造作に馬を駆けさせた。異鬼へ。あちらもまた駆けてくる。間の邪魔は払う。男は血眼を数騎と斬ったかもしれないし、あちらも灰騎を同じだけ斬ったかもしれない。
どうでもよかった。白刃さえあれば、それ以外は余計であるから。
こちらもあちらも必殺を試み合って。
光が、炸裂した。




