47 剣道家と剣士
夜霧を抜けた先に血眼のひと群れ。駆け入る。剣を振るう。
男は十夜を戦い続けていた。
灰騎勢と共闘して血眼を斬りに斬り、目途がたつや別戦場へと駆け、また斬る。夜を通してだ。朝だとてVRゴーグルを外す暇はない。危機にあるという戦場へと馬を急がせ、道中わずかに目を閉じるも、到着するや否やその場の戦況を確かめて夜の反攻を計画する。日が落ち、敵は襲い来て、灰騎勢と共に―――という繰り返しである。
血眼が戦略を変化させたからだ。
男が最前線へ到着した夜までは、まさにその場へ血眼が殺到してきた。決戦場を定めての押し合いへし合いだ。それは数的に劣る灰騎勢にとっては個の質による戦況逆転がしやすかったのだが。
現在、東部戦線の血眼は南北へ広く展開し、中小規模の集団がそれぞれに西へと進出してくる。
厄介だった。この世界にはレーダー技術がなく、空から監視する術もない。灰騎の機動力が全てである。しかし敵集団を補足しきるには灰騎の数が足りていない。コミュニティツールにより距離を問わずの連絡ができることだけがせめてもの救いか。
もう一つの厄介が男の視界に入った。
―――居たか、「剣士」。
その異鬼。男が剣士と呼ぶようになった異鬼。それは抜群に強い。そら、星明かりを集めて優雅な長刀がひるがえる。さらりひらりと閃くたびに灰が散る。灰騎が討たれていく。
寄る。向こうも気づいたようだが見切られた。また灰色の首級が飛ぶ。
これだ。この厄介さ。かの異鬼に対抗しうる灰騎は指折り数えるほどであり、それでも血眼を倒すためには欠くべからざる戦力であるというのに、討ち減らされる。戦線から次々に脱落させられてしまう。復帰するには帝都大祭場からの遠駆けが必要だというのに。
強引に距離を詰めていく。総騎馬の戦場にも慣れたが、話に聞く戦闘機同士のドッグファイトを連想するようなもどかしさがあった。離れるのは一瞬であり、近寄るのにばかり時を要する。
また血眼が数騎。もはや意識するでもなく斬り捨てている。
捉えた。剣士を右斜め前に見る形勢で追う。有利な位置取りではある。しかし遅々として間合いが詰まらない。馬の速度が同等なのだ。
―――ケインとやらか。それとも別の誰かなのか。
晒された背に隙が見当たらない。やはり相当の腕前だ。数度と対決し、一度として負けてはいないものの、どの一度においても危うい場面があった。下腹に力を入れ直す。
そら、来た。急減速からの薙ぎ。
摺り上げて肩を狙う。浅い。肩当てを削ったのみ。あちらの返した刃も男の馬の尾を十本ばかり断っただけである。
形勢が変わり、男は右手後方に剣士を見ることとなった。馬も低速である。
次第に速歩となり、常歩となり、やがてどちらともなく止まった。周囲には敵も味方もいない。暗黒に淀む空の下、戦塵が音もなく地を撫でていく。
剣士が下馬し、男もそれに続いた。切っ先は互いに地へ向けたままだ。
―――誰であれ、尋常に勝負。
相青眼。向かい合った不動の刀。どちらの得物も長大であるが、強化された膂力はそれをものともしない。じりじりと寄る。摺り足である。わずかも揺れずの切っ先が……触れた。
動かない。得物のまとう魔訶の力が火花を散らしている。
動かない。見えざる力……磨き、練り、体現している術理がせめぎ合っている。
見える。剣を通じてまざまざと人間が見える。良き師に恵まれ、剣友と切磋琢磨し、一途に剣を振ってきた男だ。誇り高い気構えには剣才が輝いている。腹の据わりようは歴戦のそれだ。
ただ、心に隙があった。
どこかいじけている。何かを恥じている。暗闇の底からにらみ上げるような、怒りと悲しみ。
―――哀れな。
振り下ろしていた。
剣士の兜を両断し、雷切大太刀は首の半ばにまで達している。あちらの剣はといえば男の左方へと弾かれていた。間合いは、共に踏み込み終えての近間。相面だ。最も素振ったところの面打ちを見舞い合い、男の剣が中央をとった。とられた側の剣を殺しつつ頭蓋を断った。
切り落とし。男の最も得意とするところの技である。
黒く崩れていくものを振り捨てて納刀した。東の果てに紅。夜が夜であることを改めて思わせる色合い。VRゴーグルを外したとて夜であろうとも思う。
どこからか猫が現れた。ジュマだ。鞍へと飛び乗ってくる。
「各戦線の状況をまとめた」
視界の端にウィンドウが開いた。帝都を左端とした地形図には灰色の凸字で味方戦力が表示されており、重なるようにして濃淡に色分けされた塊―――雨雲レーダーに見られるそれを確認できる。血眼の出現数を予想したものだ。
落雷地点よろしく紅の印もある。異鬼の出現箇所だ。その中でも特に強調して記されたものが一つあり、それは男の現在地に一致する。「剣士」を示すものである。×の字が上書きされている。
戦況は悪い。
北東部、南東部の二戦線は持ちこたえているものの、ここ東部においては血眼の浸透を抑えきれていない。各戦線をつなぐ安全域ももはや失われた。それは北東・南東の二戦線の後背を脅かすものであり、再出現した灰騎の戦線復帰にも支障をきたすことを意味する。
「敵にさらなる大規模浸透の予兆がある。阻止の要所は今から表示する四地点で―――」
ジュマは変わった。軽妙な口調は鳴りを潜め、コンピューターのような非人間的な応答ばかりとなった。
先だって男が受け取ったメールによると、彼女のリソースの問題らしい。地球と異世界、どちらにおいても膨大な情報処理を要する戦いへ注力しているとのことだ。その成果の一つがこの血眼予報とでもいうべき出現予測図である。
「―――以上の理由から、このように味方戦力を配分する。『剣DO』の戦場間移動については図に示した赤線の通り。ただし『剣士』の出現情報により適時計画は変更されると留意されたい」
黙して聞く。うなずきはしない。男の必要な情報を待つ。
「『R0』の所在は不明。大陸東端部が予想されるも追加情報なし」
静かに息を吐いた。「戦場の霧」を実体験として知り、「戦争の摩擦」をはじめとする戦略的不確実性についても知見のある男に、ジュマを非難するつもりはないが。
もどかしかった。こうしている今も、男の息子は生命を燃焼させている。
余命を思った。誰よりも激しく戦うことで徐々に死んでいく息子を想った。声が漏れた。胸が焼かれるように痛む。大太刀の鍔を意味もなく握り、鞘ごと引き出して口許へ寄せ、噛んだ。灰騎としては当てただけだ。うなる。コントローラーのプラスチックを噛んでいる。
「……人間の軍について情報を共有する」
地形図へ新たに表示されたのは白色の凸字だ。
「一万人規模の先発軍は三つに分かれた。三千は北東戦線へ、三千は南東戦線へ、残る四千は東部戦線へ進軍中。正体不明のゴーレム兵士を運用している模様」
言う通りに凸字は分かれ、そのうちの一つが男の現在地に接近した。
「四千人規模の後発軍は―――」
さらにもう一つ、青色の凸字が帝都から東へと動き出した。どちらにもあの女将軍は参加していないと伝えられている。男はもう右から左へと聞き流すばかりだ。
戦争は、いつもこうだ。
暴力が暴力を呼び、嵐となって、当初の目論見を吹き飛ばしてしまう。
男は馬を駆けさせた。朝焼ける空の下、次の戦場へ。不要なほど急ぐ。速度に遣る瀬無さをごまかし、地を薙ぐ風のようにして。




