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45 聖騎士と城伯

 かつて義勇軍が奪還した小都市は、現在、ルオ・レギオ・ピウマイネン城伯が預かるところのものだ。従来の人類生存圏と新生存圏とを円滑に結びつけるための、一時的な総監就任である。


 アレンヌは秘密裏に帝都を脱出し、ここへ身を寄せていた。


「ど、どうにも果断が過ぎるねえ、枢秘長殿は……遠征軍、もう進発したそうだよ」


 総監府の上層食堂である。昼食後のお茶を共にした城伯が、さも参ったという顔で言う。


「これで帝都合戦などという最悪の事態は解消できたわけだし、物流も戻るけれど……ううむ……あの兵站計画は合理的であるし、中継基地の建設も理に適っている……適ってはいるのだ……しかし彼女も領土回復大計を熟知しているだろうに、どうしてこうも強引かつ即興的な変更を……」


 城伯は茶杯を持ち上げたり、降ろしたり、また持ち上げたりとする。飲まず溜息ばかり。


 随分とやつれた、この初老の男は。激務のせいだ。こうしている今も傍らには数種類の書類束が彼の判断を待ち続けている。


 そっと、ポイが茶菓子の盛られた皿を押しやった。そこから取りほおばりもした。


 城伯はニコリと笑ってひとつ取り、かじるかと思いきや、やはり手元へ下げてしまった。


「無茶である……ということでしょうか」

「無茶にならないよう無理をしている、という印象だね。いやはや、どうにも性急にすぎる」

「……よほどに戦況を危うんでいるのですね、枢秘長は」

「もともと、イモータルレギオンは勝利を約束する神託ではなかったからねぇ……」


 アレンヌは帝都で知り得た全てを城伯へ伝えてある。今後の行動を相談するためだ。城伯の提案はポイの守護という名の、距離をとった静観であった。


 ポイは、健やかである。


 帝都奪還の戦いに参加した者たちは、誰しもが、この少女の献身と天才と功績を知る。彼女こそがイモータルレギオンの中心であり、かの畏怖すべき灰騎を召喚した英雄なのだとわかっている。どこでも大いに厚遇された。主に食事の質と量と頻度で。


 だから太った。喜ばしいことに太れた。現在とてもふくよかである。今も食べている。


「神託……畏れ多くも三神のそれを賜りました際、閣下はその場におられたのですよね?」

「うん、そうだよ。あれは本当に本当に凄かった……ついに帝都が陥落し、いよいよもって滅亡という言葉が現実的になったところへもたらされた救い……あの日あの時に謁した神々しさは筆舌に尽くしがたいものがある。ほら、私なんぞの拙い詩想では特にね?」


 アレンヌは在りし日の公爵の雄弁を想った。神託についても聞かされたものだ。それは荘厳な儀式のようなもので、皇帝以下百臣百僧は炎の中から次々に現れる灰騎たちの威に震えたという。


「ええっと……おうぷん、べえたてすと、ちゅうとりある……だったかな?」

「閣下、それは?」

「祭祀司が伝えてくれた神の御言葉の一節さ。いまだにその意味するところは不明なのだけれど」

「神の御言葉!? 預言ということですか!」

「えっ? そ、それは神託なのだから、当然、預言が……ああ、そうか、卿が聖騎士に叙任される頃ともなると、エラッコ殿はもうおられなかったね」

「その名……占火術と古代秘術の権威として聞いたことがあります」

「うん。その方さ。当時は祭祀司だったんだ。特殊な才をお持ちの方でね。次の大僧師とも目されていたのだけれど……何というか、その、浮世離れした方だったから……いつの間にか姿を消してしまった」


 違和感が、アレンヌの中で大きくなっていく。もとより抱えていたものだ。


「……枢秘長の秘術は、本当に、神より賜ったものなのでしょうか」


 口に出してみると、それは疑惑の形をとっていた。


「召喚術に限らず我々の信仰は常に火を伴っています。暗夜に身を寄せる篝火の、暖かく頼もしいゆらめき……去りし人々と沈黙の内に寄り添い合うような安らぎ……イモータルレギオンの奇跡はまさにその信仰のままに顕現しました」


 火を想う。火と共に戦い、火と共に憩い、火と共に語った日々を。


 ポイの詠唱が思い出された。そうあれかし、そうあれかしと、世界を言祝ぐ祈りだった。


「ひるがえって鑑みるに、白騎にはそれがありません。見た目こそ白く聖なる様を装っていますが……闇夜の冷ややかさをそのままに潜ませていて……ひとひらの灯火も感じられません」


 ポイと目が合った。


 彼女は白騎について何も言わない。まるで興味がない。その態度すらも今やなにがしかの意味があるように思えて、アレンヌは言い募る。


「そもそも、不自然なのです。本当に灰騎の戦いへ助勢することが神の御心に叶うのなら、どうしてそれは皆にわかる形で啓示されなかったのでしょうか。イモータルレギオンの―――」


 破壊音。悲鳴と怒号。聞き慣れに聞き慣れた、戦いの騒音。階下からだ。


 刺突剣をひっつかむやアレンヌは前室を経由して廊下へ出た。警備の兵士たちと短く問答。まだ誰も事態を把握できていない。しかし確実に戦闘音だ。主階段から音は上がってきている。階段下には衛兵詰所がある。アレンヌは食堂へ戻った。


「閣下、主階段を避ける脱出経路はございますか?」

「う、うーんと、鐘楼塔から縄梯子を降ろすようかな? うん、そうなると思う」


 唾を呑み、城伯は言いきった。


「これは内部からの襲撃だぞ、アレンヌ卿」

「……確かにそのようです」


 窓から見る限り、城館の門にも小都市の街並みにも、何ら闘争の気配を窺えない。


「枢秘長派でしょうか」

「どうだろう。遠征軍の進発は皇女派にとっても行動の切っ掛けになりうる」

「な……皇女派に、ここを襲う理由があるのですか!?」

「一応、神国派残党の首魁ということになるからねぇ、今の私。監視は受けていたんだよ」


 ポイに身支度をさせつつ、状況を推し量る。城伯は書類をまとめて背負った。


「……内訌……いつもいつも……!」


 アレンヌは度し難さに震えた。余力なき帝都への進軍中に公爵は襲われ、今また、余力を浪費するかのように人間同士の争いが頻発する。口惜しさを嚙む。血の味がする。


 兵士たちが前室へ集まっていた。味方だ。しかし劣勢らしい。


「我々はいついかなる時であれ一致団結などできはしない……ああ、いや、悲観してのことじゃあないんだ。この『まとまらなさ』は、存外、素敵なものだと思うのだよ。異なる意見や利害が存在するからこそ、私たちは問題を多角的に検討したり解決したりすることができる。ほら、帝都奪還においても、神剣と聖剣がそれぞれに奇跡の力を発揮したように。万事、そういうものさ。ぶつかるから停滞も超えられる。競うから進歩していける」


 敵は、枢秘長派だ。腕に赤い布を巻いているから一目でわかる。帝都警備隊がそうであったように、総督府の兵士もまた敵味方に分かれてしまった。


 前室が最後の砦だ。もう廊下へは出られない。


「……そんな風に私は考えるんだけれども、ええと、君たちはどう? どうだろうかな? まずは話を聞かせてくれないか。知らない顔じゃあないのだし、この老骨に自らの正義を論じてやるというのも悪くない……素敵なことだろう?」


 城伯が後ろ手に指示を寄越している。味方の兵士たちが壁になってくれている。アレンヌはポイと共に静かに食堂へ戻った。窓へ。危険だが屋根伝いに鐘楼塔へ向かうしかない。


 城館の敷地内は騒がしくなっている。異変は伝わっている。枢秘長派の数は多くないようだ。


 ―――狙いは何だ。城伯か。あるいは聖剣か。


 ポイの手を引きながら屋根を行く。追手はついていない。


 さても、一般に知られている美麗な聖剣は偽物であり、今も皇女のもとにある。しかし本物の聖剣がどのようなものであるかを枢秘長は知っていよう。アレンヌに託されたことを察知したのか。


 家探しをされたとして、アレンヌの部屋にも聖剣は見つかるまい。秘密裏に隠し置いた。


 ―――それとも、まさか!


 鐘楼塔に人影が見えた。


 その手が、短い棒のようなものを、掲げた。


 ―――ポイなのか!?


 冷気が吹き上がった。屋根へ新たに尖塔の立つようにして、白騎。どこか虫の節足を思わせる身体構造の奇妙。一体でなしに三体も。それぞれに長剣と盾とで武装して。


「アレンヌ卿、無駄な抵抗はおやめください」

「ならば去れ! 己の無分別さを恥じて!」


 呼びかけに怒鳴り返しつつ間合いをとる。まともにぶつかって勝てる相手ではない。


「分別……神の御心に従い、身を捧ぐこと以上の分別がどうしてありえましょう」

「自らの足で立ち、自らの意志で戦う! それ以外の闘争などあってたまるか!」


 退路はない。もはや囲まれている。飛び降りる隙もない。


「灰騎も、白騎も、どちらも神の尖兵ではないですか」

「灰騎の意志! 我らを助太刀してくれる、あの尊い意志! わからないで!」


 来た。ポイを伏せさせる。抜剣。さばいた切っ先が肩をかすった。もう一本もさばく。硬い。非力を呪う。代わる代わるの切っ先。明らかに加減されている。


「……それでも、神のために……」

「神を言い訳に使うなあ!」


 決死の刺突が白騎の胴を貫いた。


 怖気立った。


 黒い気体が、穴から漏れ出たのだ。瘴気にひどく似たそれ。日差しを受けて消滅していく様もおぞましいほどに類似している。


 ―――やはり、白騎は。


 盾が迫った。三枚の白い盾が、三方から恐ろしい速度で迫り、アレンヌを打った。飛び散ろうとする意識。歯を食いしばっても、もう。


 ポイの手のやわらかさとあたたかさ……それを感じた気がした。



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