42 狂戦士R7と剣道家
どこからか泣き声が聞こえた気がして、男は背後へと意識を向けたが。
何もない。ここには柔らかなものなど何一つ。
斬る。ひしめく殺意の只中で、技の稚拙をたしなめるようにして、縦横無尽に斬ってゆく。次から次へと血眼が来る。来た端から斬り捨てつつ前へ。馬の全速など無用である。さりとて止まっては敵が空く。
―――見られているな。
どこを見るでもなく全周囲へ注意を払って、男は敵を探していた。異鬼という分類の中でも特に強力な一騎をだ。
血眼を跳び越えて、来た。大上段からの唐竹割りをいなす。違う。異鬼には違いないが練りが甘い。暴力を暴力のままに振るっているようでは未熟なのだ。三合とせず両腕を飛ばした。
さらに、異鬼。馬上で弓をつがえるも。
血眼が押し寄せた。けしかけたようだ。数十騎がつかみかかろうかという勢いで迫り来る、その間隙を衝いて、矢。あるいは血眼を貫通して、矢。冷酷な弓射だ。二矢かわして一矢弾いた。鍔は十二分に盾足りうる。
四矢目は、足下に見捨てた。
男は跳躍したのだ。鞍の縦幅は十分に踏み込み足を支えうる。赤い目どもが追い付くよりも早く、先へ。異鬼へと届いて、斬った。袈裟懸けに両断だ。
結果、地べたである。
騎馬と憎悪とに溺れてしまいそうなその場所で、男は少し笑んだ。今から用いる絶技は、先人がまさにそのような状況で編み出した代物と聞いていた。その剣豪は半裸で、まずは敵の得物を奪う必要すらあったというのだから、完全武装の自分は随分と楽だと思う。
殺到する凶器という凶器を、男は膝立ちにて迎えた。
槍の穂先を回避。立たず、持ち手を斬る。別な刺突。避け、馬の脚を薙いだ。また避け、他の手を斬る。身はかがめたままに。馬の脚を。次に手を。また脚を。篭手打ちと左右胴打ちを低く繰り返す。突き上げもして。
混乱が混乱を呼ぶ敵の無様を尻目に、男は馬上へと帰還した。
さても首筋に冷や冷やと触れてくるかのような、形なき何か。
―――測られている。
まだ来る。今度は三騎。やはり異鬼。左から薙刀、剣と盾、斧槍。
寄せ来る血眼を適宜斬りながらも三騎の出方を伺っている。迂闊には攻めてこない。さりとて怯懦の躊躇いでもない。隙を見出そうとしている。連携はありやなしや。
不意に、敵勢が動揺した。しかもそれは広がっていく。
三騎も気づいたのか間合いを開こうとした。隙だ。即座に馬を寄せ、突く。大太刀による左片手突きだ。肩口を刺した。雷気とでもいうべきものが伝播し、剣が、次いで盾も落ちた。首級も落とす。
薙刀も、斧槍も、来れない。いよいよ血眼の群れが崩れたからだ。
灰騎だ。五十騎ほどの灰騎が敵勢を叩いている。苛烈な攻勢だ。特に先頭で戦っている一騎が凄まじい。特大の両手剣で騎馬を丸ごとに叩き斬っていく。
もとより、これは彼らの戦であった。
十倍以上の数の血眼と駆け引きし、劣勢になっていたところへ、男が飛び入り参戦したのである。方法としては敵群の最も稠密な部分へと斬り入った。敵の注意を引き付ける狙いだ。経験則としての最適解である。
どうやら、此度も上手くいったようだ。
味方の優勢は明白で、血眼の群れを引き裂き、一つ一つ叩き潰す過程に入っている。乱暴にして徹底的な戦い方だ。まるで恐怖を激情で押し潰そうとでもするかのような。
残りの仕事として、男は二騎へと馬を進めた。
薙刀と斧槍。どちらも長物で、馬上戦闘に相応しい間合いを持つ。男はどちらの技巧も知る。前者は日本の、後者はバチカンの、それぞれ名手と稽古し立ち合った。
構えから察するに、薙刀の方は武道家で、斧槍の方はゲームプレイヤーである。
右に、左に、回り込まれていく。挟み撃ちにしようというのだろう。左方、薙刀の方はすり足で。右方、斧槍の方は弾むフットワークで。止まらない。その逸り。どちらも何らかの切り札をきってくるに違いない。
男はというと、おもむろに下馬した。
馬を下げ、左足を前に出し、豪壮に左上段の構えをとった。
わずかに動きを止めた二騎の、それぞれの逡巡の意味を捉えきって―――男は右方へ。
起こりなき重心操作による始発と、上半身の揺れない足運びと、馬の四つ足を踏み分ける意気の跳び込み。にわかに鬼気を発した斧槍が、なにがしかの威力を発揮するよりも早くに、振り下ろす。
異鬼の左半身、右足の膝から先、黒馬の上半身、そして黒とも紫とも言い難い体液……地にぶちまけられたそれらを見捨て、なおも妖しい斧槍を払い飛ばし、異鬼の右半身に首級を見定めた。断つ。切っ先に感じ取れた困惑。なぜ自分が負けたのか、という程度のそれ。やはり恐怖を知らない戦士はもろく、危ういものだ。
もう一騎は来ない。来れない。大太刀の切っ先はすでにしてそちらへ向いている。
馬から降りた異鬼と静かに向き合い、男は正眼の構えをとった。相手方は左中段の構えである。互いに尋常な形であり、それゆえに力量の差がまざまざと感じ取れた。
間合いに入り、斬った。それで終いである。
―――来ず、退いたか。
星明かりの長刀を持つ異鬼は、その気配はあったものの、姿を見せることはなかった。
いつの間にやら観戦していた灰騎……五十騎を率いる一騎が、篭手で拍手を寄越したから、男は一礼をもってしてその場を辞したのだが。
明くる朝、イモータルレギオンのコミュニケーションツールにて、男はその灰騎と再会したのである。
「ワゥ! あなたが剣DO! サムライそのものだ!」
タブレット端末に大きく写っているのは金髪碧眼の若い女性だ。ネーム欄にはR7とある。豪奢な雰囲気は服装からではなく本人の磨き抜かれた美貌によるものだろう。
「昨晩は素敵だった! あの最後の決闘! クロサワアキラのよう! 援軍も大助かり! ここ最近、東部戦線へ復帰しようって灰騎が襲われてばかりでねー? 何とかしようと討伐隊を組んだらあの伏撃だもの」
「東部は、危ういのですか」
「押せ押せではないけれど、危うさはないかな? だってR0がいる!」
R0。男の息子のことを、R7は嬉しそうにそう呼んだ。
「彼の戦闘は完璧だ! ルクレール将軍もかくや! 彼についていけば必ず勝てるのだけれど、ついていくのは簡単じゃないね。とにかく速いし、どうにも神出鬼没だから」
「常に一緒ではないのですか?」
「以前はそうだった。でもこのところは敵があまりに大勢だから……R0は単独でゲリラ戦も仕掛けているみたい。ここぞという大規模戦には必ず来てくれるよ」
男は唸った。男に戦略や戦術はわからない。しかし独ソ戦のパルチザン、ベトナム戦争のベトコン、アフガン紛争のムジャヒディン、アルジェリア戦争のFLNを知る。小部隊による数的劣勢の挽回とは、兵站ひいては士気への打撃により、政治的な効果を求めるものだ。
血眼に兵站は必要なく士気も変動しない。政治があるわけもない。息子の奮闘が効果的であるとは思えない。
孤独を想う。息子のこれまでと、今を。
男は自ら孤独になったが息子は違う。親のくせに子を独りにした罪が、悔恨の酸と自責の針とで男を苛みつづけている。いっそ苦しむことすら浅ましく、心配するなどおこがましさの極みかもしれないが。
虚しさだけは、息子の人生を脅かすことなかれと願う。
懸命な孤軍奮闘に、意味と意義と成果があってほしいと願う。
「……彼は、私の理想」
R7が微笑んでいた。
「何も恐れず、何も迷わず、あるがままに常軌を逸している。私もああなりたい。なりたくてたまらない」
「……幸せでしょうか。その在り方は」
「もちろん。だって誰に侵害されることもない。真っ直ぐに、自分を生きられる」
男は返答に窮した。ジュマから事前に、この女性の事情を伝えられていたからだ。
彼女は元国連職員である。人道支援の最前線で働いていたが、紛争の混乱の中、勤務する事務所を暴徒に焼き討ちされてしまった。複数名の職員が殺される凄惨な事件だ。国際社会の無関心が遠因であるとして、痛恨の教訓ともなった悲劇である。
「このゲームも本物。私たちは本当に戦っている。平和維持軍というには乱暴すぎる形だけれど」
うなずく。暴力へ暴力で対抗する乱暴の後ろ側に、はたしてどのような平和が育まれるものか、男には想像もつかない。しかし恐らくは中心に彼女―――男を召喚しつづけた女将軍がいるのだろうと思う。
男はわずかに首をかしげた。
また、泣き声が聞こえたような気がしたからである。




