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38 勇者R2と剣道家

 男は緑深い八王子の一軒家を訪ねた。


「あなたが、あの剣DO氏……こちらこそお会いできて光栄です」


 血色は良くも運動不足が見て取れる若者は、気恥ずかしそうに名乗った。


「はい。ぼくがR2です。神剣十将としての姿は、あの、これが一番わかりやすいかなと。大好きなロボットアニメの主人公機なんです」


 きらびやかな模型が座卓へそっと置かれた。角や突起はいかにも装飾華美ではあるが、獅子の意匠が勇猛果敢であり、なるほど戦闘映像で何度も認めた姿形である。


「一応、まだ大学生です。ほとんど通わないままずっと休学中で……いえいえ、生まれついての怠け者ってだけです。がんばる理由がないとがんばれないんですから」


 男は若者の生い立ちを事前に知り得ていた。


 中堅未満の公立高校から難関国立大学へ合格した秀才で―――家族に恵まれていない。まず伝統芸能家の父親に捨てられ、次いで異父弟を溺愛する母親に冷遇されて、今は母方の祖母と二人暮らしである。


「そうですね、イモータルレギオンにはがんばる理由があります……ライオンアーマーをゲットできたことも大きいですけど、それはランキングを駆けあがる切っ掛けでしかなくて……あの夜の中でなら、勇者みたいになれるんですよ。見て見ぬふりなんてしないで、一生懸命に誰かを護って、戦うことができます。こんな僕なんかでも、イモータルレギオンでなら」


 熱が、皮膚を介さずに伝わってくる。男は火を認識した。若者の品のいい顔立ちの奥にあって、両目からチラチラと覗いてくる、清新で真っ直ぐな火をだ。


「今は北東部で戦っています。山がちな地形が騎馬に不向きなんですけど、どうしても力攻めのシチュエーションばかりになるので重戦士が必要になります。R3さんとR8さんもよくご一緒しますよ。戦況はまずまず……このところは大渓谷で押したり引いたりと膠着していますが、何とか山地の要害を押さえたいと考えています。そうすれば北からの血眼は堰き止められますから」


 神剣イベント以後、戦場は帝都北東部、帝都東部、帝都南東部の三戦線に分かれている。大祭場に出現した灰騎たちはいずれかの戦場へと駆け行く。


「……呼吸氏は、東ですよね」


 まさに男が目指しているのは東部戦線だ。


 突出した最前線となっているそこへの移動は至難であり、灰騎が休みなく単騎駆けをした場合、百騎中二騎や三騎程度しかたどり着けないという。


「すごい方です。強くて、カッコよくて、まるで本物のヒーロー……皆の希望そのものだって思うから―――」


 か細く吐息。


「―――怖い、ぼくは」


 うつむいた視線がさまよい、模型を捉えて、泣き出しそうな笑みを生んだ。


「無事でいてほしいって、祈らない日がありません」


 火が揺れる。若者は震える右手で震える左手をつかんでいる。


「だって、イモータルレギオンは普通のゲームじゃない。誰も言葉にしないだけで、薄々そう感じている人は多いはず……少なくとも神剣十将の人たちは間違いなく気づいている……あなたもそうじゃないですか? このゲームには何か取り返しのつかないところがあって、ただの遊びのつもりでいるととんでもないことになる……そうわかっているから、会いにきてくれたんでしょう?」


 沈黙をもって男は答えた。真実を知ることで招く危険は、ジュマに関する場合、致命的なものになりかねない。


 正しい無対応―――そのはずなのに。


 居たたまれなさを覚えて男は目蓋を閉じた。閉じきらず薄く若者の気配を窺った。灰騎としての勇壮などまるでなく、弱々しいばかりの若者である。成人すらしていない。


 男は、恐る恐るであるも重々しく、頷いて見せた。嬉しそうな吐息が聞こえた。


「ぼく、R1とはたぶん交流があったんです。掲示板での匿名のやり取りなので確証はないんですけど……ひどく社会を恨んでいて……深淵MODで異鬼になって、ぼくたちと敵対して、あの決戦で討ち取られて……今はもう、あっちにもこっちにも、どこを探しても影も形も……過去ログの書き込みすらも見つけられません」


 呼吸氏も音信不通ですしと、また吐息。ここでないどこかを見通そうとするような、張り詰めた横顔。戦地や被災地と距離があろうとも、誰かを思う眼差しはそれを超えんとして真摯だ。


「東への合流、すごく期待しています。どうか、どうかよろしくお願いします」

「……力を尽くします。互いに、武運のあらんことを」

「はい、ご武運を!」


 中央自動車道を疾走する帰路、カーナビゲーションのモニターにはジュマの姿があった。フレームへ頬杖をついて何やら笑顔である。


「素敵な面会になったね! とっても初々しくて、わたし、何だか嬉しくなっちゃったよ」

「私は心配です。彼の戦歴を思えばいびつなことですから」

「ん。それはイモータルレギオンの実際ってやつで、わたしが全責任を負うものだけれど―――」


 クスクスと笑って、ジュマが言う。


「―――君さ。君のことが嬉しいんだ」


 カーオーディオが四方からさも喜ばしげな声を伝えてくる。


「お父さんだったよ。まるで、独り暮らしの我が子の様子を見に来たような感じでさ」

「……そう、でしょうか」

「うん! 頼もしいったらないし、実際問題、頼りにさせてもらうよ? 君の息子さんを救うには、わたしだけじゃ足らないかもしれない……拒絶されやしないかっていう懸念がある」

「そう、なのですか」

「真の天才は、まさに真の天才であるがゆえに、自分が救われることなんて考慮してくれないのさ。いつでもどこでも、彼ら彼女らはそんな風にしてまばゆいんだ」


 ここではないどこかへ向けられた眼差し。漏れにじむ万感の思い。


「……聞いてくれるでしょうか、私の言葉を」

「届けておくれ。泣き叫んででも」


 ステアリングが高速の振動を伝えている。進路上に開けた夕空がゆっくりと滑りゆく。


 男は、息子が話す様を思い出せない。目と目を合わせて会話をしたことがない。何かを押し殺したような声と、眠る姿ばかりが思い浮かぶから、言葉が見つからない。


 こうしている今も、懸命に戦っている。


 どうしようもなく、己の不甲斐なさを嚙む。


「……こっち側での攻防もさ、かーなーり、持ち直せたんだよね。サイバーな領域では完勝だよ。グローバルネットワークの支配権も取り戻したし」


 軽い口調で聞こえてくるそれは、二つの世界を巡る超常の争いの戦況である。


「敵の存在証明もできた。物理的に隔離されたスーパーAIを保有する組織で、アメリカ、イギリス、日本、韓国、イタリア、ドイツ、フランスにおいて非合法活動をしている。各種テロ組織とのつながりも認められるけれど、どうにも詳細がつかめない……資産も、人員も、根拠地も、中心人物も……推察するためのデータすらろくに見つからないなんて、連中ときたらアナログな手段ばかりとっているんだろうさ。札束入りのカバン、手書きの手紙、会食会合……伝書鳩とかも使っていたりして」


 男の理解するところ、ジュマは高度情報化社会の超常存在ではあるものの、組織力は皆無であり、つまりは実際的なマンパワーを欠いている。


「意図的に、でしょうか」

「間違いなくね。どういうわけか『我々』のことをよく調べ上げているみたいだ」

「……容易ならぬ敵ですな」

「厄介極まるよ。何しろ目的も定かじゃない。宣戦布告もなしに襲ってきた挙句、交渉の窓口一つ開こうとしないんだから」

「まさか、戦争目標が不明であると?」

「そのまさかさ。『我々』の力の強奪が目的かとも思ったけれど……」


 力。『我々』。ジュマの神秘性の根拠だ。


「奪った力で何をするのかと思えば、あっちの世界へ災厄をまき散らすばっかりだからなあ」


 意味不明だとぼやく様には心労と苦悶とが見て取れたから、男はスピードメーターやサイドミラーへ視線を逸らせた。遠く都心部の高層が見え始めている。


 もう、男は沈黙していることもできたのだが。


「剣道家を調べてみるといいかもしれません」


 提案めいたことを口に出していた。


「剣道家? 君みたいな?」

「はい。先刻戦った異鬼はゲームの操作技術ではなく、剣道の術理をもって剣を振るっていました―――」


 剣風は隠せない。対決を思い返すと、男の脳裏には齢四十から五十あたりの試合巧者が浮かび上がってくる。並みはずれた技量もさることながら、怯ませようもない冷徹な腹の座りようがあった。


 男が思うに、それは命のやり取りに慣れなければ持ちえないものである。


「―――私同様、誰かしらからの要請を受けて参戦しているのではないでしょうか?」

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