37 剣道家と敵地行程
剣道三段の血気盛んな学生。
血眼の脅威度について、男はその程度のものと見極めている。立ち合いの傾向としては攻め気一辺倒で冷静さを欠き、間合いが近く、手の内に柔軟性がない。つまり力任せで粗雑。
斬る。さらりと。
猪突の出鼻を斬り、獰猛さを適当にいなして斬り、技の終わりやまごつきを見逃さず斬る。雷切大太刀を振るうたびに散る黒霧を頓着なく浴びる。次々に斬っていく。
―――捨てられた者たちの憎悪、か。
襲い来る血眼は徒歩と騎馬との混成で五十に満たない。どうあっても避けられない位置に屯していたから単騎で斬り入っている。馬は沈着の速歩のみ。常に移動することで包囲させず、間合いを自在にして間断なく斬り捨てる。造作もない。灰騎としての戦闘は勘働きこそ鈍るものの肉体の疲労が少なくて済むが。
刎ねた首級が泣いている。血の涙を流している。
―――苦しかろう。暴力とは毒杯。そこに安らげるはずもなし。
ほどなくして斬り尽くした。夜を仄明るく映す灰騎の視界を、イタチか何かだろうか、小動物の影が横切った。丈の高い雑草が揺れる。
「聞きしに勝る業前」
夜気からにじみ出るようにして黒髪の青年が現れた。手には奇妙な灯籠がある。
「かかる灰騎を伴ってなお危うい、異鬼なる化生の凄まじさよ」
青年の声には抑揚が乏しく、いかなる心の動きも感じられない。身のこなしの緩慢さもあって老人の印象が強まるばかりである。
「ホントですよ。おっそろしいったら、もう」
二頭の馬を引き女が現れた。やはり無から湧き出でたかのような現れ方だ。先ほどまでは人馬共にわずかにも気配を感じなかった……正確には、音と光による感知ができなかった。
VRの限界だ。よくできた映画に包まれているものの、温度はなく、血汗や泥土が肺を苛むことはない。
「ねえ、異鬼相手でもちゃんと隠れられるんですよね? バレないんですよね?」
「我が遁甲術は摂理に基づく隠形なれば……血眼、灰騎、異鬼……神々の目とて欺けようぞ」
「わあ、自信たっぷりに不敬。神様に聞かれなきゃいいけど」
サバトラ猫が馬の背から跳び下りた。軽快に歩き、跳び上がり、男の肩へ座ってニャアと鳴く。
「耳が痛いや。でも正当な主張だ。どの世界にも摩訶不思議な秘術の類があって、それらは侵略者に対して特に効果を発揮する……イモータルレギオンは決して真っ当なシステムじゃない。後ろめたい救世もあったものさ」
男は静かに刀を納めた。暗黒の遠景を眺めて何を言うでもない。
聞き捨てたわけではない。答えるべき言葉を持たないからだ。
なんとなれば、男はこの異世界にいかなる責任も感じていなかった。妖しい魅力を感じてはいるものの、主として灰騎への変身体験およびその状態での奇妙な戦闘が興味深いのであって、あとの全てはどこまでも他人事でしかない。異邦人による不謹慎な物見遊山ですらあるのかもしれない。
「待って。これ、シエラ麦だ。どれもこれも粉カビだらけだけど」
「さもあろう。あれなる丘を越えれば、朝焼けの地平に小城と村落とを望める。大河と支流に挟まれて肥沃な土地柄であった」
「この辺りを通って避難したんだ……探せば色々と見つかっちゃいそうだなあ」
避難という言葉を耳が拾うや、男の脳裏に荒涼とした高地が思い出された。政府筋からの依頼で難民救済事業に関わった際の記憶だ。ジェノサイドからの逃亡は過酷を極め、男は数名を斬った。独裁者の軍の斥候と、それに協力した遊牧民と、国連職員を襲ったテロリスト……難民の中の一人をである。
戦争の悲惨はどこにでもある。憎悪と凶行もしかり。よくよく塗れてきた。
どこであれ平穏あれかし―――男がそう祈ったところで。
肩を下げて猫を降ろす。手を伸ばして警戒を促す。雷切大太刀を抜き放って、切っ先へまで意識を伸長させるべく試みる。VRコントローラーにおいてもそれは可能である。
「異鬼……!」
それはジュマの声か。それとも別か。
すでにして馬を進めている。丘の上へ現れた影は威風堂々たる単騎。紅の眼光が禍々しくも凛々しい。にわかに飛来する殺意。弾き落とす。クロスボウか。空烈に合わせて二振り、三振り。いずれの太矢も雷気が消し飛ばした。
馳せ来る。
あちらの得物も長大な片刃剣だ。星明かりを集めて優美に弧を描くその刀身。
馳せ違った。
何としたことか、刃と刃はそっと触れるにとどまった。音は、正体不明の光気と雷気とが反発し合った飛沫によるもののみ。相打ちを嫌い合っての相抜けである。
―――全日本以来だな、これは。
馬首を返し、丘の半ばで対峙した。蝋色の騎馬。凶暴性を凝縮しきって凪いだたたずまい。人外化生としての背格好は似たようなものだ。
馳せ寄る。
打ち合って火花。斬り返して火花。騎馬の鍔競りへ。
震え、次第に赤熱を帯びていく刃の接点の先に、紅の眼差し。互いに必殺を狙っている。手に取るように伝わる意図と技量……男は己の老いを思わされた。守勢なのだ、どうにも。
技を応酬し、離れた。
勝負あり。
表から崩しての下がり面……十分に殺しきれるそれを囮とし、裏へ高速変化しての首刈り。力強い攻めだった。それら全てを鍔先三寸の押しつけでもってなやした男は、離れ際に異鬼の首根を撫でた。雷切大太刀を長く使っての撫で切りであった。
バチバチと音を立てて致命傷が広がっていく様を、異鬼はさも不思議そうに見ている。
―――こういう立ち合いもある、ここは。
やがて、何事もなかったかのようにして、異鬼は消えた。夜風と呼べる最後の一陣が吹き抜けて、東の空がほのかに彩られ始めた。
「今の……偶然かな? それとも狙い撃ち?」
「討っ手でしょう」
ジュマへ答えて、男は異世界人たちを見る。枯れた青年と道化る女の反応は対照的だ。片や平静さを隠そうともせず心にもない賞賛を口にし、片や恐怖を押し殺して愛嬌を振りまいている。
「あれれ? 今すぐにも帰りたくてたまらないぞ?」
「人一人分の帰路があればよいな。昼夜区別なく襲う凶刃のなきことも、祈ろう」
「わかってますう! もう無理って知ってますう! あ、でも、神様の加護とかあればいけるんじゃ……?」
「ニャア」
「……左様、保証はしかねるとのこと」
「こ、心もとない……灰騎ももう呼べないしなあ」
「呼べるよう、願うかね?」
「え、嫌ですよ。神様の支払いで安全をもたらしてほしいです」
見て、見られて、男の方から視線を外した。問答のしようもなく、できたとて男は極めて不得手であった。
男が病室へこぼした吐息は誰に知られることもない。
夜が明けていく。血眼と異鬼の脅威がひとまずは祓われる。青年が先導し、女がお供し、両騎の影を踏むようにして男と猫が続く。灰騎勢の進軍を追う旅である。遭遇戦を避け、抜け道を多用する道行きでもあったのだが。
―――やはり、見られている。
GPSや電信がなくとも摩訶不思議な術があり、VR環境下とあっては男の勘働きも十全に働かない。
―――覚れず、振り切れないこの上は、斬り除けるのみ。ここがどこであれ。
日がいよいよ高く昇る頃、身を隠した廃屋でジュマが言った。
「ここで休憩にしよう、剣DO氏」
猫がその生態のままに顔を洗う。荷は解かれていないが二人も身を休めている。
「再開はあちらの時間で六時間後でいいかな。端末にタイマーを設定しておいたよ。少しでも英気を養ってほしい……何か融通してほしいこととかあるかい? もうアーカイブと戦闘計画書は見終わったろう?」
「特にはありません。此度は『十将』の御一人と会うつもりです」
「ん、わかった……睡眠だけはとってね?」
灰騎としての身体を壁際に蹲踞させてから、男はVRゴーグルを外した。ゲームからのログアウトはしていない。いつでも開始できるようコントローラー類もしまわない。
静寂の個室で長く息を吸い、より長くかけて吐ききって、男は電話番号の入力を開始した。




