鳥たちの道を往く その6
さくさくさく。
足元で、踏みしめられた雪が鳴る。
以前訪れた北海道の重くてべとべとした雪とは違って、ここの細かなさらさらの雪は、まるで片栗粉の上を歩いているような気持にさせた。
アイノさんのあとを俺たちはついて歩いていた。
家のすぐそばの森の中へずんずんと入っていくアイノさんに、俺は尋ねた。
「勝手に入っちゃっていいんですか」
ああ、とアイノさんはうなずいて、説明してくれた。
「自然享受権といって、フィンランドでは、それが国有地であれ、私有地であれ、誰でも自由に森の中に入っていって、ベリーやきのこを取ったりする権利が与えられているの」
やがて森は途切れ、目の前に突然湖が現れた。
その湖――この国に十八万個以上もある湖のうちのひとつ――は、真っ白な雪に覆われて、湖面は凍り付いていた。
足元には、湖の中央に向けてボードウォークが張り出している。
ライトノベルがボードウォークの上をてくてくと歩きだした。
少し離れて、俺もそのあとをついていく。
みんなは、そんな俺たちを湖のほとりで見守っている。
突端で、ライトノベルは立ち止り、俺の方を振り返った。
初めてメサに会ったときの、その姿が脳裏に浮かんだ。
あのときは、どことなく不安そうな小さな女の子だったけど、今のライトノベルは揺るぎない視線でしっかりと俺を見据えていた。
「ウキョウさん。私、行きますね」
開いた俺の口からは、言葉ではなく、ただ白い息が吐き出されただけだった。
「シンイチローとヨシカに、ありがとうっていっておいてください」
「わかった」
ライトノベルが頬を膨らませた。
「もう。そんな心配そうな顔しないでください。私、向こうの世界で最初の物語をもたらす者になるんですよ。いわば、物語の神ですよ。ラノベ主人公どころの話じゃないですよ」
「うん。そうだな」ふーっと息を吐きだして、俺はいった。「がんばってこい」
「はい」勢いよくうなずいて、それから、ライトノベルは怪訝な顔をして、首をかしげた。「ん? ウキョウさん、ウキョウさん」
手招きするライトノベルと視線を合わすようにして、俺は少しかがんだ。
ライトノベルは俺の左頬を指さしてこういった。
「お弁当つけて、どこ行くんですか?」
子供の頃からの習慣というのは恐ろしい。
そんなことはないとわかっていても、俺はつい、左側を向いて、左頬に手をやった。
自然とライトノベルの方に向いた俺の右頬に、ちゅっ、と小さな唇が押し付けられた。
「えへへ」
くるりと俺に背を向けると、ライトノベルはボードウォークからすとんと、湖の上に降り立った。
ぱふっ、と細かな雪が舞う。
「リント!」
乳白色にぼんやりと輝く空を見上げて、ライトノベルが叫ぶ。
遠くの方から、ざーっという音が聞こえてくる。
湖の中心に向けて走り出そうと足を踏み出したライトノベルは、しかし、盛大に転んだ。
「メサ!」
思わず俺は叫んだ。
うつぶせに倒れたライトノベルがゆっくりと起き上がった。
「ベルちゃん、大丈夫?」
「やれやれ、先が思いやられるな」
背後でほたるとダオの声がした。
いつのまにか、ボードウォークを渡って俺の背後にみんなが立っている。
「ううううう」
ライトノベルは泣きそうな顔で、ぱんぱんと体に着いた雪を払っている。
「大丈夫か?」
俺の言葉に、ライトノベルは振り返っていった。
「だ、大丈夫です。エルフは泣かないのです」
「しっかりね、物語の女神様」
「がんばってね」
「無茶すんなよ」
フィフィとリエンとダオが口々に励ましの言葉を投げかかる。
「それじゃあ、みなさん」ライトノベルが手を振った。「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
アイノさんの言葉にうなずくと、たたたたた、とライトノベルは走り出した。
雪埃を立てながら、湖面に小さな足跡がついていく。
俺たちの背後から、ざざざざざーという音とともに、たくさんの鳥たちが飛来した。
鳥たちは、走るライトノベルを包み込むように合流すると、湖面すれすれを飛び続けた。
やがてライトノベルの姿は、鳥たちに覆いつくされて見えなくなった。
ライトノベルを飲み込んだまま、鳥の群れは湖面から徐々に上空へと飛び立っていく。
湖を囲む森を越え、乳白色の空高く達すると、鳥たちは散り散りになって、思い思いの方角へと飛び去って行った。
最後の一羽が見えなくなるまで、俺たちは上空を見上げ続けた。
俺は隣に立つほたるの手を握った。ほたるも俺の手をぎゅっと握り返した。
そして湖には、ライトノベルの足跡と、針葉樹の静寂が残された。
ぽん、と俺の肩に手が置かれた。
「再び道が開く可能性は残されている」スマートグラスで映像をリーリンに送っていた平沢教授がいった。「確証はないけどね。でも、リーリンはその日が来ることを確信しているよ。ちなみに、僕もね」
「じゃあ、いつか新しい世界の話が聞ける日がくるかも、だな。ウキョウ」
ダオの言葉に、俺はうなずいた。
たぶんそれは、俺たちの想像をはるかに超えた物語に違いない。
「むっちゃ楽しみじゃん」
フィフィが俺の背中を叩いた。
そうだな。
その日が来るのを楽しみに待っていよう。
だからそれまで、しばしお別れだ。
その日まで。
さよなら、メサ。
さよなら、ライトノベル。




