エルフ、大人になる その4
眼鏡の男は自動扉の正面入り口ではなく、脇にある通用口のような小さなドアを、持っていた鍵で開けた。俺たちはそこから建物の中に入ると、男は内側から扉をロックした。俺のそばにはずっとメサが寄り添っている。
図書館の中は照明が消されていて、昼間なのに薄暗かった。
「念のため、玄関側の電源は落としているんだ。気休めだけど。まあ、ここには本しかないから、入ってこようとするようなもの好きはいないだろうけどね」
暗いロビーを抜けて、開架図書のある閲覧室に入ると、そこは灯りがともっていた。
たくさんある机のひとつに、女の子がひとり、ポツンと座って本を読んでいた。
「お帰り、お兄ちゃん」女の子が顔を上げて、男の後ろに立っている俺に目を向けた。「その人は?」
「奴らに襲われそうになっていた」男が女の子にいった。「どうやら俺たちと同じで、例の影響を受けていないらしい」
女の子が立ち上がった。
「大丈夫ですか? 怪我とかは?」
ほたると同じか、少し下くらいだろうか。心配そうな表情で、俺たちのそばまで来た。右目に黒い眼帯をしている。
「大丈夫。ありがとう」俺はいった。
男は銃を壁に立てかけると、椅子に座った。俺と女の子も近くの席に座る。メサは俺の隣の席に座った。ふたりともメサの行動にはまったく反応していない。
ふと壁の銃に向けた俺の視線に気づいて、男はいった。「クレー射撃用だよ。ちなみにさっき威嚇で撃ったのは空包だ。実弾じゃないけど、当たると怪我をするからね。まあ、無理して資格を取っていてよかったよ」
「さっきは、本当にありがとうございました」俺はいった。「片桐右京です」
男はうなずいた。「右京くん、でいいかな」
「はい。そっちの方がしっくりきます」
「僕は、青山春彦。こっちは妹のナオミ」
「よろしく、右京さん」ナオミがいった。
「こちらこそ」
「ところで」春彦さんが俺に尋ねた「君はこの現象をどう思う」
俺はメサと視線を交わした。
「さっき、この人は想像力という言葉を使いました」メサはいった。
それは俺も気がついていた。この春彦という人は、どうやら真相にかなり近いところまで気づいているみたいだ。
俺は慎重に言葉を選んで、いった。
「周りの人たちから突然何かが欠落してしまったように、俺は感じました。それが何なのかよくわからないんですけど」
春彦さんはうなずいた。「僕も同じように感じていた。僕自身は、その欠落してしまったものは、想像力じゃないかと思ってるんだ」
「想像力……」やっぱり。
「そう。たぶん君は、たかが想像力がなくなったくらいで、と思っているかもしれない。でも、想像力というのは重要だよ。これがなければ、おそらく人間はスムーズに社会生活を送ることができなくなるだろう」
「お兄ちゃんは、想像力についてはちょっとうるさいんです」
ナオミちゃんの言葉に、春彦さんは苦笑いを浮かべた。
「右京君は、いくつ? 大学生?」
「はい。今は休学中ですけど。二十二です」
「私は高一」ナオミちゃんがいった。ほたるよりも一つ年下か。
「僕はこの図書館で司書をしてる。いや……していた、かな」春彦さんがいった。「ちなみに、今年で二十六だ」
春彦さんはもう少し年上だと思っていた。たぶんその落ち着いた物腰からそう思ったのだろう。
「それで、どうする?」春彦さんが尋ねた。「君さえよければ、しばらくここにいてほしいんだ。僕たちだけだと、やっぱり心細いからね」
「そういってもらえるとありがたいです」俺は頭を下げた。「よろしくお願いします」
「じゃあ、私、夕食の準備するね」ナオミちゃんが勢いよく椅子から立ち上がった。
「あんまり張り切りすぎるなよ」
春彦さんの言葉に、ナオミちゃんは頬を膨らませた。
「わかってるよ。これでもかなり腕が上がったんだからね」
そういって、ナオミちゃんは俺たちに手を振ると、閲覧室を出ていった。
「春彦さん、変なことを聞くようですけど」俺はいった。「この異変が起こってから、どのくらい経ってます?」
春彦さんはちょっと怪訝な顔をしたあと、少し考えてから答えた。「これが正確にいつから始まったのか、僕にもよくわからないんだ。でも、少なくとも、もう三日は経っていると思う」
俺はメサを見た。
「どうやら、時間の流れ方が均一ではないようです」メサがいった。
「君の感覚は違っているんだな」春彦さんは俺を見た。
「はい。俺はもう少し短いと思ってました」
三日か。
「でも、電気は来てるんですよね。ガスや水道は?」
「ライフラインは奇跡的にまだ機能している。今はほとんどがAIによって管理されているからね。でも、それも時間の問題だと思ったほうがいい。この異変がいったいどこまでの範囲で起こっているのかわからないけど」春彦さんはポケットからスマートフォンを取り出した。それは俺がこれまで見たことのない機種だった。びっくりするくらい薄い。「電話回線も、無線も通じない。テレビやラジオも死んでる。かなりの広範囲で異変が起こっていると思わざるを得ないよ。もしかしたら日本だけじゃないかもしれない」
「まるで、世界の終わりだ」俺はつぶやいた。
メサが悲しみをたたえた目で俺を見つめた。
「君は……」春彦さんが口を開いた。
首をかしげる俺に春彦さんはいった。
「いや……なんでもない。ああ、そうだ。別に細かな詮索をするつもりはないんだが、君はさっき大学を休学しているっていってたね」
俺はうなずいて、答えた。「将来のことでちょっと思うところがあって。大学を離れて、ひとりでゆっくりと考えたかったんです」
「そうか」春彦さんは、椅子に背中を預けた。「今のうちに悩めるだけ悩めばいいと思うよ。社会人になれば、なかなかそんなことはできなくなるからね」
「実は、俺、小説を書いてまして」
「へえ」俺の言葉に、春彦さんは身を乗り出した。
「あ、でも、ようやく小さなレーベルからデビュー作の出版が決まったくらいで、ぜんぜん大したことないんですけど」
「なるほど。それで、将来進むべき道について悩んでいるというわけか」
「ええ、まあ」
「で、どんな小説なんだい?」
「あー、いわゆる、ライトノベルというやつです」
俺の微妙なニュアンスを含んだ答えに、春彦さんは笑いながらいった。
「ライトノベルだって、立派な小説じゃないか」
「それはそうなんですけど……」俺が将来書くことになるライトノベルが遠因となって、この異変が起こっているかもしれないと考えると、複雑な気持ちになった。もちろん、春彦さんにそんなことはわからない。
「僕はあまりそっちのほうは詳しくないけど、ライトノベルとひと口にいっても作風や切り口、ターゲット層は様々だろう。出版が決まったということは、プロの編集者に認められたということだ。その将来性も含めてね。だから、胸を張っていいんじゃないかな」
「はい。それは、わかっています」
「そうかぁ。すごいじゃないか」春彦さんは俺の背中をばんばんと叩いた。見かけによらず、実はけっこう熱い人なのかもしれない。
「僕もそうだけど、ナオミも本を読むのが好きなんだ。だから、あの子の話し相手になってやってくれないかな」
「もちろん、喜んで」
「そういえば、あいつ、ラノベも結構読んでたな」春彦さんはそういって、意味ありげな視線を俺に投げた。「我が妹ながら、なかなか鋭い読み手だよ、彼女は」
「う。お手柔らかにお願いします」
春彦さんは笑いながら立ち上がった。「ちょっとあたりを見回ってくるよ。晩ごはんまでゆっくりしてて」
壁に立てかけていた銃をもって、春彦さんは閲覧室を出ていった。
それまで黙って俺たちのやり取りを聞いていたメサが口を開いた。
「右京さん。たぶんわかっていると思いますけど、彼らは現実の春彦さんやナオミさんではありません」
「ああ。わかってる。でも、別にカレヴァが二人の反応までいちいち操作しているわけではないんだろ」
「はい。兄がやったのはあくまでも最初の設定だけで、右京さんとのやり取りはすべて、あの人たち独自の反応です。そしてそれは、オリジナルがそうするだろうと思われることに準じているはずです」
「じゃあ、彼らとオリジナルとの違いはいったい何なんだ?」
メサが口を開く前に、俺はいった。
「わかってるよ。その問いに納得できる答えはないことくらい」
俺は椅子に体を預けて、頭の後ろで腕を組んだ。
「なあ、メサ。やっぱり俺には、彼らが本物じゃないなんて――本物の人間じゃないなんて思えないんだ」
俺とメサはしばらく無言で、日の暮れかかっていく窓の外を眺めていた。
一階の閲覧室からは、小さな中庭が見えるだけで、高い塀の外の世界では何が起こっているのかをうかがい知ることはできなかった。
それでも、俺たちは、まるでその小さな庭に何か重要なヒントが隠されているかのように、じっと見つめていた。
やがて、メサがいった。
「右京さんならそういうと思っていました」
それきりまた、メサは口をつぐんだ。
たぶんメサは俺に、この世界の住人にあまり深く関わらないほうがいいといいたかったのだろう。でも、結局、彼女は俺にこういっただけだった。
「私は、常に右京さんのそばにいますから」
俺はうなずいた。




