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さよなら、ライトノベル  作者: Han Lu
第二章
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それぞれの場所 その3 -ベトナム-

 疲れたー。

 五日間の通訳業務が終わり、自宅のベッドに倒れ込むようにして横たわると、リエンはそういってため息をついた。

 クライアントは日本の企業で、ベトナムのローカル企業、主に中小規模の食品加工会社の工場を訪問する際の通訳が彼女の業務内容だった。

 当初の予定では、自宅のあるホーチミン市周辺の企業を訪問するはずが、急きょベトナム最南端の町、カマウまで行くことになった。飛行機で一時間足らずとはいえ、早朝の便で出発、到着後すぐに企業を訪問し、二日間カマウで業務。そこから車で北上し、カント―周辺で二日間、さらに車でホーチミン市まで戻ってきて最終日の業務が終了した。

 久し振りに戻ってきた自宅は思ったよりも片付いていた。どうやら夫のグエンはちゃんといいつけを守ってくれたみたいだ。といっても、たぶん外食ばかりだっただろうから、あまり汚れものは出ていないのだろう。

 ベッドの上でウトウトしていたら、いつの間にか本格的に寝入ってしまったらしい。

 グエンが帰ってきて、ようやく目が覚めた。

「ハイ。あら、もうこんな時間!」

 外は既に日が暮れかけている。

 慌てて体を起こしたリエンにグエンが笑いかけた。

「そんなことだろうと思って、晩ごはん買ってきた」

「ごめんなさい」

「いいよ。お義母さんのところにクオンを迎えに行くのは明日にしたから。たまにはゆっくりすれば」

「ありがと」

 リエンはベッドの上に横たわって、伸びをした。 

 夕食のあと、ダイニングキッチンのテーブルの隅に置かれている閉じられたままのリエンのノートパソコンを見て、グエンはいった。

「決めた?」

「まだ。迷ってる」

「どうして。自分が書いた本が出版されることが君の夢だったじゃないか。それが実現する第一歩なんだろ。迷うことはないじゃないか」

「そうなんだけど……」リエンは自分の胸の内を夫に打ち明けるかどうか、迷った。いっても、たぶん理解してもらえないだろう。でも、何もいわないでおくこともできなかった。「今書いてるイセカイストーリーは、確かに書いてて楽しい。日本のライトノベルを読むのも好き。でも、本当に自分が書きたいものって、本当にこれなのかなって、最近思うの」

「どういうこと?」

「例えば、私が今書いているものをクオンに――いえ、自分の子供だけじゃなくて、この国の子供たちに胸を張って伝えていくことができるだろうかって」リエンは首を振った。「正直いって、とてもできない。あなたはあんまり読んだことがないから、わからないと思うけど。たぶん私たちが書いているようなライトノベルはこの先――例えば二十年とか五十年とか、そんな先の時代には決して残ってはいない。今は確かに、日本でも、そして最近は東南アジアでも、もてはやされている。アメリカでも徐々に認知されつつある。でも、これは……なんていうか、本物じゃないわ」

 グエンはリエンのいうことにじっと耳を傾けていた。そして、リエンの湯呑にお茶を入れると、彼女の前にそれを置いた。

「確かに、僕はあんまり小説って読まないから、よくわからない。ただ、これがチャンスであることは間違いないと思う。最初のきっかけはなんだっていいじゃないか。君だって知ってるだろ。この国の出版事情を。ベストセラーの大半が海外の翻訳小説で、子供たちが夢中になっているのは日本の漫画だ。急に状況は変わらないさ。最初は日本の資本が入ったライトノベルのレーベルからでも構わないじゃないか。まずは自分達の足場をきちんと整えることが先決じゃないかな」

 グエンの入れたお茶を飲みながら、リエンも夫の話に耳を傾けていた。

「この国は若いわ。平均年齢三十歳、GDP成長率もここ数年ずっと5%を超えている。これからいろんなことが変わっいくはずだし、私もそう思ってる。だからこそ、今からちゃんとしておきたいの。最初から安易な道を選びたくはない。もちろん、今のこの国の現状では、海外からの資本参加がなければどんな事業も立ち行かないことはわかってる。ただこれは、鉄道や道路を作るんじゃない」リエンは自分の左胸を指さした。「ここの問題なの」

 グエンは黙ってお茶をすすった。

「あなたが今なんて思っているか、当ててみましょうか」

 リエンの言葉に、グエンは肩をすくめた。そして、ふたりは同時に同じ言葉を口にした。

「頑固な理想主義者」

 グエンは笑っていった。「君はあの頃からちっとも変ってないな」

「あなたのいっていることが正論だということは、わかってるのよ」リエンは両手を広げた。「私、日本に行くわ。『R⇔W』インターナショナルだって、まだ始まったばかりだし。これからの展開は私たち次第だと思う。だからちゃんとこの目で見届けたいの」

「わかった」グエンはうなずいた。

「また留守にしちゃって、申し訳ないけど」

「こっちのことは心配しなくていい。たぶんまたお義母さんには迷惑をかけることになると思うけど」

「あなた、母に気に入られてるから大丈夫よ。それより――」

 グエンは何かを察して、慌ててお茶を飲み干すと食器を片付け始めた。「疲れてるだろうから、先にシャワー浴びてきたら?」

「ちょっと待って。水曜日、帰りが遅かったみたいだけど?」

 ため息をついて、グエンは両手を広げた。

「さっきの言葉を訂正するよ」

 どうぞ、と手を差し伸べるリエンに、グエンはいった。

「嫉妬深くて、頑固な理想主義者」

 ふたりは笑い合った。

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