エルフ、チャーハンを食べる その2
真っ白な空間。
地面も空も壁もない。
いや、でもちゃんと立っているということは、地面はあるのか。
「ここは……」
俺は背後に立っているメサとアイノさんを振り返った。
「ここに名前はないんです。私たちの世界と、右京さんたちのいる世界との間にある、隙間みたいなところ」アイノさんがいった。
「私たちの世界……」俺はアイノさんの言葉を繰り返した。
「実のところ、それも名前はないんですよね。右京さんたちの世界と同じように、私たちも自分たちの世界を、ただ、世界、と呼んでいます」アイノさんは、肩をすくめた。「私たちの世界を、右京さんたちは正しく認識できません。だから、ここを使って説明します。メサ」
メサはまた何やらぶつぶつと口の中で唱え始めた。
アイノさんが、俺の背後を指さす。
再び振り返った俺の目の前に、いつの間にか大きな木が現れていた。
立派な木だが……様子が変だ。
その木は、芽が出たばかりの若木の姿から、朽ち果てていく寸前の古木の姿まで、目まぐるしくその姿を変えている。
映画の技法のひとつである多重露光、いわゆるオーバーラップのように、複数の映像が重なって見える。そして、それぞれの映像は、重なりながらも現れては消え、を際限なく繰り返していた。
じっと眺めていると、頭がくらくらとしてきた。
いつの間にか俺の両側にメサとアイノさんが立っていた。
俺は木から視線をそらして、アイノさんの方を向いた。
「私たちの世界を右京さんたちが正しく認識することはできません。でも、あえて見ようとしたら、たぶんこう見えるはずです」とアイノさんはいった。「私たちの世界では、時間は一つの方向に流れていません。過去から未来、始めから終わりまでのすべての時間がそこにあるのです。そして、物事のあらゆる可能性も揺らぎながら存在しています」
俺は再びその木を見た。
「つまり、この木が生まれてから朽ち果てるまでのすべての時間と、この木に起こりうるすべての可能性が、俺の目の前に等しく存在している。そういうことですか?」
「さすが、ウキョウさんです!」メサがぴょこん、と飛び跳ねた。「その通りです!」
以前、そんな設定のSF小説を読んだことがある。
あるんだけど、さすがにこれは……。
「メサ。収縮させましょう」
「はい」メサが、うううう、と唸り始め、そして、叫んだ。「てやーっ」
その木は若葉が生い茂った状態で変化が停まった。
「便宜上、私たちの世界を『向こう』、右京さんたちの世界を『こちら』と呼ぶことにしましょう。『向こう』と『こちら』はお互いが補完し合いながら存在しています。どちらかが欠けたら、もうひとつの存在が立ち行かなくなってしまう、そういう関係です。そして、今、その関係が危うくなりかけています」
「まさか……。メサのいってた、俺がラノベを書くと世界が滅びるって……」
「そのまさかです」アイノさんは真顔でうなずいて、こういった。「異世界はあると君が言うなら、僕は信じる」
そのアイノさんの言葉に、俺はたじろいだ。
それは、俺がいつか書こうと思っていた、まだプロット段階の小説のタイトルだった。俺はその構想はもちろん、タイトルさえ誰にもいったことはなかった。
「もちろん、右京さんの小説が原因のすべてではありません。でも、右京さんの書く小説は、大きなきっかけのひとつとなるんです」
「さっき、『向こう』では過去から未来まで、すべての時間が等しく存在しているっていいましたよね」
「ええ」
「つまり、『向こう』の人たちは、未来のことがわかるということなんですか」
「正確にいうと、違います。過去も未来も、可能性として揺らぎながら存在しています。ただし、なかには、その揺らぎが収まって、ほぼ確定してしまう出来事もあるんです。そして、右京さんの小説から始まるこの動きは、ほぼ確定しつつあります」
「でもまだ、収縮しきっていません!」メサが腕をぶんぶん振った。「だから私が来たのです。ウキョウさんの執筆を阻止して、世界が滅びないようにするためです」
「でも、どうして俺の小説が……」
「『向こう』と『こちら』をつないでいるのは、『こちら』の人たちが持つ想像力です」アイノさんは続けた。「右京さんは今から五年後に、『異世界はあると君が言うなら、僕は信じる』という小説を上梓します。それは、大ベストセラーになります。最初はライトノベルのレーベルから出版されましたが、その後一般向けの単行本、文庫本でも販売されます。ライトノベルのコアなファン層だけじゃなく、広く一般読者を巻き込んだ、大きなムーブメントが起きます。世間に『異世界ブーム』が訪れます」
それが本当なら、本来喜ぶべきことなのだろうけど、俺はアイノさんの話についてくのがやっとで、何の感慨もわかなかった。
「そのあとは、お決まりのパターンです。右京さんのエピゴーネンがどんどん出てきます。『異世界』を扱った一般読者向けの小説が――こういうとき雨後のタケノコのようにっていうんですよね――たくさん現れます。しかもそれは、日本だけにとどまらず、やがてアジアへ、さらに欧米にも飛び火していくのです。そして――」アイノさんはアイロニカルな微笑みを浮かべた。
「そして、『イセカイ』は、世界共通の言葉となります」




