見下す人々
夢の中に現れた紳士服を着た男が僕に語りかける。
「ひとつ、いいものをお渡ししましょう。高橋様、あなたが望む人間を殺すことのできる呪術紙です」
そう語りかけてくる男の顔色はおよそ人間のものではなく、頭からは角が生えていた。僕自身でもこれは夢なのだろうと思いながらその男の言葉に耳を傾ける。
「あなたが殺したいと思うのはどのような人間なのか、それを書き、更に人数を書いた後、呪術紙の中央にあなたの血液を数滴垂らしてください。しばらくした後、その人間は呪い殺されることになります」
男はそう言いながらあまり見かけることのない紋様が施された紙をこちらに手渡してくる。今まで触れたことのない材質であることを感じながら目を戻すと男は一歩後ずさりをした。
「特にご使用にあたって制限はありません。使い方はあなた次第です」
聞きたいことはいくつかあったような気がした。しかしうまく考えがまとまらないし思ったように声を出すこともできない。
僕が手渡された紙と男を交互に見比べていると男は満足したかのような顔を見せ、体を半透明にし始めた。
「あなたにとって私がどのように見えるかはわかりませんが、納得のいくようにお使いくださいね」
男がそう言って姿を消すと僕の視界も真っ暗になった。
そして目が覚めた。全身から汗を吹き出し、肩で呼吸をしていた。どうにかしてこちらの世界に戻ってきた、そんな感覚があった。
そして体を起こしてようやく気がついた。自分の右手に呪術紙が握りしめられていたことを。
朝、下宿先を出て大学に向かう。十五分も歩けば講義室に到着する。僕は歩きながら今朝の夢を思い出していた。
あの男はざっくり言って悪魔だろう。スーツに身を包んでいたものの、禍々しい模様のネクタイを締め、角や尻尾まで生えていた。僕も変な夢を見たものだ。
そう思ってしまいたかったが、僕の手には呪術紙が握らされていたのだ。もしかしたらこれは本物かもしれない。しかし、呪いって大抵自分自身に戻ってくるとかそんな話も聞いたことがある気がする。
大通りの信号待ちでそんなことを思いながら時間を潰していたら、僕のすぐ後ろで二,三人程度の話し声が聞こえた。それと同時にまたいつもの劣等感が僕を襲った。無意味な緊張を感じ首のうしろを掻きむしる。
彼らは同じ学科の人で、一限目を同じ講義室で受けることになる。彼らには友人といえる人が多数いて、運動ができたり、会話が得意だったり、課題のレポートを器用にこなしたり、それぞれが何かしらの一芸だったり持っているものがある。
しかし僕にはそういったものが何一つない。名前さえ書けば入学できると言われているこの大学に入学してもう二年目、早くも僕はどうしようもない存在となってしまった。
信号が青に変わった。なにか用があるわけでもなく、時間が無いわけでもないが、彼らから少しでも離れるように歩を進めた。
大学の授業はいつも後ろの端の目立たない席で受けている。少しでも人の目に移りたくない僕はどの授業でも同じような席に座る。
講義が始まってしばらくすると寝る学生や授業とは関係のないレポートをすすめる学生が現れる。僕は彼らを視界の端で眺めながら、どうしてこんなことになってしまったのだろうかとなんとなく考え始めた。
劣等感を感じ始めたのは小学生の高学年あたりだろうか。走るのが得意、字が綺麗、虫のことならめちゃめちゃ詳しいなど様々な友人がいた。一方で悪巧みをすぐに思い浮かべる、担任を騙すのが上手、大人を困らせるのが得意な友人なんてのもいた。
単に体が大きいとか、少年野球に所属していて体育だけ得意とかなんでもいい、僕の友人にはなにか得意なことや人と違うことがあったのに僕だけには無かった。そう感じ始めたのがその頃だったと思う。
それでもきっとそういうものなのだろう、きっと自分にもなにかできることがあるだろうと自然に受け入れて皆と学び遊んでいた思い出がある。
中学生になってからはより明確に人との劣等感に怯え始めた。
どう頑張っても勉強は人よりもできなかった。平均点に届くかどうかくらいが精一杯で、普段から勉強しないでふざけまわっている生徒や、素行の悪い生徒の方が良い成績をとっていたことも多かった。
部活動では新しいことを始めたいという思いでテニス部に入部したが、全くうまくいかず同学年ではビリの筆頭だった。二年生になってできた後輩にも大抵は負ける始末になっていた。
自分の醜さについても気がついたのはこの頃だったとおもう。背は低く、顔にはニキビがいくつもあった。アトピー持ちだからか首のうしろを何度も掻くのが癖になっていた。
中学の生活に慣れてくるとこういったことをからかってくる人もいた。今思えば子どもの軽いからかいであり、本気で傷つけようとしたものでは無かっただろうと思える。しかし当時の僕はそう受け止めることはできなかった。
周りにいる人はみんな僕を見下し、笑い、馬鹿にしている。そういった思いが今後の人生でずっと付きまとうようになった。
学校生活だけではなく家でもそう思わされることが多かった。僕の姉と弟のせいだ。
三つ上の姉は背が高く、艶のある長い髪を持っていた。明るい性格で友達を家に呼んで遊んだり一緒に勉強していたりしていた姿もあった。学業も非常に優秀で中学生のときには生徒会に所属していたらしい。僕の入学当初、先生が「あの高橋さんの弟くんか!期待しているぞ」と言ってくれたが、しばらくすると腫れ物を扱うような対応になったことを覚えている。
二つ下の弟はスポーツ万能だった。親の勧めで水泳やサッカーなどを習っていたが、僕が中学でテニスを始めると持って帰ってきたテニスラケットに興味を持ちテニスも習い始めた。
初心者にしては動きの筋が良いらしく同年代には敵なしで、年上が集まる大会では何度も健闘していると聞いた。
そんな弟が中学に入学したら自分の下手さがより目立ってしまうと僕は強く恐れていた。
だから部活には入らずクラブチームに所属したという話を聞いた時僕は本当に安堵してしまっていた。
姉と弟は学校の友人のようにからかったり明確に馬鹿にすることはなかった。ただ、明らかに劣っている僕を見て何も思わないわけがないと、そう思い込むようになっていた。
学校でも家でも、なにか勝てることや自慢できることが何もないと思った自分はただひたすらに劣等感に包まれる日々を送っていた。
学校のいつも一緒にいるグループから見放されないようになんとか立ち回り、家ではなんとか見劣りしないように過ごす、それが精一杯の日々となっていた。
中学校生活の3年間でからかわれることは何度もあったものの、なんとか耐えることができた。馬鹿にされ、笑われたときもあったが、なんとかなっていた。
高校に進学したときは、これから仕切り直しだと前向きに考えていた。必死に勉強してなんとか合格した高校だ。そんなに簡単に諦めたくない。
自分の学力が低いことは百も承知だが、周りの人間もそうだ。大体同レベルの人間が集まっているのだからこれまでのことは一旦忘れてどうにかしてやり直そうと思っていたのだ。
だが、実際にはそんなことはまったくなかった。なぜか頭が良いやつ、要領よく何でもこなすやつ、話すのが上手でどのグループにも所属できるやつ、リーダー気質でクラスを引っ張っていくのが上手なやつ、様々な人間がいた。同じ学力レベルであるということが、より一層自分が何もできないということを引き立てていた始末だった。
高校生活はもうそれほど覚えていない。一人ぼっちにならないためになんとかつるんでいたやつからはひたすら容姿や不器用さを馬鹿にされ、臭いだのトロいだの言われていた。
どうすればいいかと先生に助けを求めるも明確に暴力を振るわれたり物を壊されたりしたわけではないので自分でどうにかしろと言われただけだった。
周りの人間と自分を比べて情けなくなった。涙を流したことも何度もあった。
ただどうすることもできないと心に決めつけ、どうにかして耐えしのぐことしかできないと考えていた。
また、テニスは辞めてコンビニのバイトを始めたこともあった。しかし他のバイト連中に気味悪がられたり、ミスを多発してストレスを溜めさせてしまっていたようだった。
すれ違いざまに露骨に仕打ちをされたり、休憩室から僕の悪口が聞こえたことが少なくなかった。
結局僕自身がその環境に耐えられなくなりすぐに辞めてしまっていた。
大学生になって一人暮らしを始めたのは姉と弟から離れたかったからだ。姉は一流大学に入学し、弟は弟で県内では敵無しといったテニスプレイヤーに成長していた。
優秀な姉と弟に挟まれて家に居場所が無いと感じていた。馬鹿にされているかもしれないとかそういった話ではなく明確に劣っている事実からなんとかして目を背けたかったのだ。
大学ではクラスメイトなんてものはなく、隣の席の友人といったものもないのでいよいよ僕は一人ぼっちになった。声をかける勇気もなく、授業の都合でグループになった人と関係を維持しようともせず、サークルに入ってテニスをまた始めたり新しいことに挑戦することもなくなってしまった。
しかしこれはもうしょうがないことなのだ。彼らの目を見ればわかる。僕のことを明らかに見下し、馬鹿にしているのがよく分かる。
僕自身、鏡を見れば納得してしまう。数年前からもひどかったのに、一人暮らしを始めてからはニキビやアトピーがよりいっそうのものになってしまっている。
髪はボサボサだし、服はヨレヨレで新しいのを買ったのがいつだったのかも思い出せない。
馬鹿にされ、劣等感の中でこれから生き続けなければならないのはわかりきっている。ならせめて直接言われることのないように隅で生き続けろと僕は僕自身に何度も言い聞かせるようになっていた。
そう、それで授業もこんなように隅で受けるようになって……。授業?
僕は一気に現実に引き戻されて目を覚ました。昔のことを思い出してそのまま寝てしまっていたらしい。
周りを見ると誰もおらず、僕だけが取り残されていた。二限目の真ん中くらいの時間になってしまっていた。
今からでも行くべきだと思うが、その勇気は無かった。遅れて講義室に入って目線を浴びるのに耐えられないし、配布物がある場合にはそれをもらうために学生の前で先生に謝らなければならない。そんなこと絶対にできない。
僕は午後の授業が無いことをいいことにそのまま帰ることに決めた。僕にはどうしようもないと心に言い聞かせて大学を出た。
ひどい心持ちで家に到着し、早めの昼食をとっても落ち着きはしなかった。むしろひどい妄想が始まっていた。
一限目が終わっても誰も起こしてくれなかった。馬鹿な奴が居眠りこいてると思われていたのだろう、そうに違いない。
学食では僕のことが笑いの種になっているのだろう。結局あいつは二限に出なかったとか、いつも一人ぼっちで友人がいないやつとか、そうに違いない。
自分の不甲斐なさと強いストレスに耐えきれなくなったのか、今朝の夢に出てきた呪術紙を手に取って机に向かい、なにか文字を書き込もうかと目を血走らせていた。
もちろんこんな紙に呪いの力があるとも思わないし、朝起きたらたまたま握っていたなにかの紙ということもありえた。ただ僕にはもう冷静な考えを持ち合わせることはできなかった。
みんなが僕を馬鹿にしている。見下している。僕が、僕自身がそうなりたかったわけでもないのに、そんなこと考えもせず僕のことを!!
僕の人生の半分を覆い尽くしていた劣等感や憎悪の感情が吹き出すことを抑えることができなかった。きっかけは僕がノロマで授業を寝過ごしてしまっていた、ただそれだけのことで僕が悪いとわかりきっていてもどうしても感情を落ち着かせられなかった。
呪術紙を縁取るように気味の悪い紋様が描かれている。僕はペンを取り僕のことを馬鹿にしていた憎い顔思い浮かべその名前を書こうとした。
しかしそれはできなかった。大学の奴らは名前もわからないし、それより前に関わりのあった奴らは名字やあだ名は出てくるがフルネームはもう思い出せなかった。
僕は僕自身のどうしようもなさにペンを強く握り、こんなしょうがないことで涙を流すまいと目を強くつむるしかなかった。
少しして、ちょっとだけでも冷静になれたのか、ここ数時間の自身の行動にため息を付いて落ち着きを取り戻そうとした。
この紙も捨ててしまってゲームでもしようかと思ったが、このままこの気味の悪い紙をそのままにしておくのもどうかと思い、少しでも使ってみようかと思って呪術紙に向き直った。
夢の内容が僕にとって強烈だったのかわからないが、あの男が言っていたことは思い出せる。どのような人間を殺したいかとその人数を書くように言われた。どちらかと言うと必要なのは名前ではないような言いぶりだった。
どのような人間、特に考えることもなく自然と手が動いた。僕のことを見下した人間。そう書いた。
人数は……、と思った時、いやもしもこの呪いが本物で、実際に人が死んだらと思ってしまうと手が止まってしまった。そもそも僕のことを見下した人間だなんて有耶無耶な書き方だと家族が死んでしまうかもしれないし、例えば電車で僕の顔を見た人が心のなかで笑っただけで呪いの対象になってしまうかもしれない。それではあまりにも無差別だ。そんな誰かへのどうでもいい優しさが少しだけ現れてしまった。
そう思うと同時に、常識的に考えてありえもしない呪いについて考えてしまっているのはどうかしてるのではと思ってしまっている。一人で勝手に軽いパニック状態になってしまっているようだった。
少し息を吸ってさっき書いた言葉を消す。そして少し考えてから言葉を書き直した。
どんな人間を殺したいかは、『今までに僕のことを一番見下していた人間』。
そして人数は、『1人』。
大学の同学科の誰かが死ぬか、あるいは高校のときに僕のことを馬鹿にし続けたあいつが死ぬか、それとも僕の人生を劣等感に沈めたきっかけとなった中学のあいつが死ぬのか。いや、もしかしたら姉か、弟か。
存在するはずもない呪いの力を頼ったわけではない。ただなんとなく今までの人生を改めておさらいしたかっただけなののかもしれない。
自分自身で何をしているんだろうと思いながらカッターで指を少し切り、呪術紙に数滴の血液を落とした。
何か変わるかもしれないという期待が一瞬あった。
しかし雷の落ちる音がするだとか大きな地鳴りが発生するとかそういったことは一切なく無駄に体をこわばらせただけだった。
鼻で少し笑いながらカッターをしまうと不意に後ろから声をかけられた。同時に僕は大声を出して驚き後ろを振り返った。
「驚かせてもうしわけありません。高橋様」
夢に出た男が僕の目の前にいた。
「呪術紙を使用になったのですね。どうぞこちらにお渡しください」
男は紙をこちらに渡すようにと手を差し出す。
僕は手も足も震わせながら紙を渡そうとしたが少し戸惑いがあった。
「この呪いを実行したらなにか僕にその呪いが返ってきたりしますか」
聞きたいことや疑問はたくさんあったが、口に出すことができたのはこれだけだった。
「いえ、高橋様。呪いがご自身に影響するといったことは一切ございません」
男がそう答えるの聞くと僕は今更どうすることもないと思い呪術紙を手渡した。
受け取った男は内容を読み、ちらりとこちらに目をやった。なにか含みのある眼差しだった。
「高橋様を一番見下していた人物を1名呪い殺す。この内容で本当によろしいのですね」
男の確認に僕はうなずいた。
「承知しました。それではすぐに執り行いたいと思います」
男は夢で見たときと同じように一歩後ずさりをするとその体を半透明にし始めた。
「それでは、高橋様」
男はそう挨拶すると完全に姿を消してしまった。
僕はその場に崩れるように座り込んでしまった。あの男は実在していたのだ。あるいは僕はその男が実在をしていたかのような幻覚を見て、会話をして、呪いにすがってしまっていたのだ。
どちらにせよ僕もいよいよだなと思いながらベッドに腰をかける。極度の緊張から開放され、どうにかして息を整えようとしながら首の後ろを掻きむしる。
そのときひとつ、咳が出た。口を覆った手には、なにか生温かい感触。
自身の手のひらを見てみると血がついていた。同時に口の中が血の味と匂いでいっぱいになった。
混乱の中で更に咳が出た。口から飛び散った血がベッドと床に飛び散る。
どうした、なにがあった、どうしてこんなことに。どうにかしようとするも倒れた体を自分の力ではどうすることもできなくなっていた。
まっさきに思い浮かべたのは呪いだ。
やっぱり呪いが自分にも返ってきたんだ、あの男が嘘をつきやがったんだ。
しかしそれと同時にあの男の眼差しを思い出す。そしてこの状況。僕はその時全てを悟った。
僕のことを見下していたのは大学のやつでも、これまでの友人でも、ましてや姉や弟でもない。僕自身だったということに。
僕こそが僕自身何もできないと馬鹿にして決めつけていた張本人だったのだと。
小学生の頃は将来の自分に期待していたし、中学生の頃は新しいことにも手を出していたし高校受験も頑張っていた。まだこのころはどうにかなっていたのかもしれない。
だがそれ以降はどうだろうか、高校時代は周りの人間を見て自分は何もできないときめつけ逃げ回っていただけだった。
大学生となった今も同じだ。自分が馬鹿にされることを恥じるもののそれをどうにかしようとしなかった。それはなぜか。僕が僕自身を一番馬鹿にし、何もできないノロマだとと決めつけ、見下していたからだ。
あろうことか馬鹿にしてくるあいつらが悪いのだと自分自身なにかすることから目を背け続けていたのだ。
どうして新しいことに挑戦することを辞めてしまったのだろう、どうしてどうでもいい誰かへの優しさを僕自身に向けることができなかったのだろう、どうして姉や弟を見習おうと思わなかったのだろう、どうして僕は僕自身と向き合えなかったのだろう。
後悔の念が絶え間なく溢れ出るものの、涙は出なかった。目からは血が絶え間なく流れ出るだけだった。
しかしどうしてどうしてと考えを巡らせるも、心の底では「僕だったからそれができなくてもしょうがない」と僕自身のことを最後まで見下してしまっていた。
薄れる意識の中で僕は感情を持つこともできなくなっていた。
もう何も見えない。息ができないが苦しいとも感じない。
最後に感じ取ることができたのは、僕自身の鼓動が止まる感覚だった。
前作から特に制作欲も無かったのですが、この話だけは書きたいなと感じて思いついてからその場でバババっと書いてしまいました。しかし書くだけ書いてこれ書く意味あったの?という気持ちに。
前作からの流れで明るい話や可愛らしいヒロインを期待していた方には申し訳ないと思っています。
感想やご意見等はいつもどおり募集しております。サラッと書いちゃってやってください。なんやかんや反応があると嬉しくて小躍りします。
以下自己評価
(話が暗すぎる。あとなんか長い。それとオチが容易に予測できる。というかつまらなくない?作品としてこれでいいのか?)