ルヅーカ
「では、こちらの条件はこれで全てです。これからも貴国と友好な関係を築けることを願っています」
柔らかに微笑み相手国の使節を見送る。
ああ、つまらない。実に面白くない。
近年発展が進み、そこそこの領土と権力を誇るエラン国。
兵士らが住まう城の廊下で、トーンは溜息を吐いてつい先程まで行われていた外交を思い返す。
こちらの仕掛けたものを罠とも疑わず駆け引きも始まらないまま了承の返事が返された、なんとも淡白な外交。
結果としては自国に有利な条約が結べたとはいえ、外交官としての仕事に手応えがないのはつまらない。ここ最近は穏便にすますことを第一とした国交が多く、昔のような駆け引きや腹の探り合いが堂々とできる機会がめっきり減っている。不満も溜まるものだ。
「トーン」
休憩中の脳に低い声が降ってきた。振り向くと、軍服を着こなした威厳のある姿が目に入る。
「総統閣下」
姿勢を正してそう呼ぶと、彼は…ヴェルフ総統閣下は、美しい緋の瞳をこちらに向けて言った。
「条約の締結、ご苦労だった」
「いえ、滞りなく進み何よりです」
先程とは違い偽りのない微笑みで返すと、総統も満足そうに笑った。
「それは何よりだ。次の外交も期待しているぞ」
「は、光栄であります」
執務室に向かう総統の背に、気づかれないように再度ため息をつく。
───次の外交、か
正直言って次の外交先、アレセーナ国にはあまり良いイメージがない。はっきり言ってあの国の政策方針は糞である。
兵士国民を単なる人的資源と捉え無碍に扱い、強国への外面ばかりを取り繕うような態度はどうも好きになれない。まあ実際領土もそこそこあるので、国が生き延びるためには割と有力な政策なのかもしれないが、国民の活気がない国など成長して何になるというのだろうか。まあ、上層部は美味い汁を吸えるわけだからそれでいいのかもしれないが、あれではいつ反乱が起こっても不思議ではない。いや、むしろ何故起こっていないのか不思議ですらある。
まあとにかく、そんな国の外交官とは顔を合わせるのも億劫だ。それでも一応仕事、力を伸ばしつつある国家とは出来るだけ穏便に友好な関係を築かなければ。
自分の中で決意を固め、二週間後の外交のために資料を纏めた。
二週間後、予定時刻丁度にあちら方の馬車が城門に到着した。時間を守ってきたところをみるに、どうやらこの国も一応下に見られてはいないようだ。
「この度は遠いところからわざわざお越しいただき、感謝いたします。本日の話し合いを務めさせていただきます、トーンと申します」
社交辞令をのべ、深々と頭を下げる。
「このような場を設けていただきありがとうございます。道中城下町の様子を見させていただきましたが、いやはや、随分と国民との距離が近い国なのですね」
一瞬、沈黙。
そうだった。ここ最近の退屈な外交で忘れかけていたが、外交とはこうあるべきだ。
億劫だと思っていたがこの外交、案外やりがいがありそうだ。
「はは、国としては国民の暮らしが第一ですから。ではどうぞ、こちらへ」
馬車から降りた人間は外交官含め3人。あとの2人は護衛だろう。品定めのつもりであちらに気づかれないようちらと見る。
前言撤回。
やはりこの国は屑だ。
護衛のうち1人は立派な軍服を着こなしたガタイのいい高身長の男だった。
問題はもう1人。
───どう見ても子供じゃないか!
軍服を着てはいるものの、少し後ろに立つ少年はどう見ても15、6にしか見えない。外交使節とはいえ他国への訪問者護衛、こんな危険な仕事を子供にやらせるというのか。
先ほどまで若干上がっていた気分は一気に冷め、また嫌な気分が脳を占めた。
「どうされました、外交官殿」
目線に気づいたのか、相手の外交官が尋ねてきた。
「いえ、随分と若い護衛を連れてらっしゃるのだと思いまして」
「ああ、これですか。見た目の割に案外使えるのですよ」
…耐えろ、顔に出すな。
本人の目の前ではっきりともののような扱いをする行為に思わず顔を顰めそうになるが、悟られないように「そうですか」とだけ淡白に返し、外交を始める。
気に食わない、気に食わない。
外交を終えてからも嫌な気分は続いた。結果として不利な条約を結ばされたわけでも、宣戦布告を言い出されたわけでもない。ただ、お世辞にも友好な関係を築けたようには思えない。次回の外交では何を言われても、それこそ戦争に発展してもおかしくない。そもそも要求がおかしいのだ。傀儡国の譲渡を初回外交で持ち出すか?普通。いくらなんでも一方的すぎるだろう。それを抜きにしたって、今までのつまらない外交の方が何倍もマシと思えるほど苦痛だった。
ニヤついた顔の外交官が最後に取り付けた約束の日は、更に二週間後。それまでに一つ、やらなければならないことがある。綺麗に清掃された廊下を歩き、トーンは一つの部屋の前で立ち止まった。
「ヘレル、居るか」
ノックとともに声をかけると間延びした返事が返ってきたので、ドアを開ける。
「なーに、任務?」
「ああそうだ。…その前に、何だこの書類の量は。また溜めていたのか?これなんて、期限大分過ぎてるぞ」
近くにあった書類の束から1番上を手に取る。どうやら破損した武器の購入申請書らしい。そこそこの上層部である彼がやる必要は無いと思うのだが、大方サボりがバレて増やされた書類の一つだろう。
「手伝ってくれてもいいんだよ?」
「却下だ、自分でやれ」
「ちぇー、っと、それより任務は?伝えにきたんじゃないの?」
「ああ、そうだった。お前にはこれから、諜報員としてアレセーナに行ってもらう」
諜報員、つまりスパイだ。聞いた途端にヘレルは隠すこともせずに顔を顰めた。
「俺あそこ嫌いなんだけど」
「仕事に文句言うな。俺だってさっき接待してきたんだ」
「うへえ」とぼやきながらも仕事と割り切っているのか、はたまた俺の「任務中の書類仕事免除」という言葉に釣られたのか、任務の詳細を尋ねてきた。
「今日の外交の感じだと、近いうちには必ず対立する。その時に備えて、相手の戦力を知っておくべきだと思ってな。まあ戦力になりそうな上階級の実力と資源数辺りを調べてきて欲しい。潜入の仕方は任せるが、参考までに、来週、新たに新兵募集があるらしい。情報部に身辺情報の偽装は頼んであるから、後で受け取りに行ってくれ。質問は?」
「特にないよ。そうだね、新兵募集に乗っかっていく方向で行こうかな」
「わかった。ああ、それと」
一つ、知りたいことがあった。
「個人的な頼みだが、15、6の少年兵を見かけたら少し調べて欲しい」
ヘレルは少し驚いたような顔をしたが、了承してくれた。
この国は最低だ。
ついでに俺も。
新兵募集と掲げられ、集まった国民には同情する。恐らくここにいる全員、望みの通り兵士に採用されるだろう。そして、初回任務で半数は壊れるだろう。もしくは死ぬか。兵士になるのにはそれぞれ理由があるだろうが、大半は家族を養うため。つくづく同情する。もっとマシな職を探すか、国を移ればいいのに。
まあ、ここに集めるためにまともな働き口など潰されている上、貴重な人的資源を簡単に国外に出すわけが無いのだが。
全く酷い国だ。その政策に加担している俺も大概だが。
さて、戦闘実技試験の監視についているわけだが。試験を受けに来た者は、時々こちらに視線を向ける。まあそうか、俺のような'子供'がここにいることが不思議なのかもしれない。それにしたって見過ぎだ。誰だって見られるのはあまりいい気分はしないだろう。
時折いい人材はいるものの、やはり元は一般市民。銃の扱いは拙いし、運動能力も一般の域を出ない。
今度もダメか、可哀想に。
「次」
隣の試験官が声をあげる。
「74番、ヘルム・シューカーです」
「始めろ」
試験官の合図で、彼は銃を構えた。入っている弾は5発。そのうち3発でも的に当たりさえすれば上出来だろう。今までの候補者も大体が2発くらい、人型の的の急所と呼べる部分に当てたのは数人程度だろう。
が、
「いいぞ、戻れ」
綺麗に礼をして去った彼の的を見て、驚く。
空いた穴は5つ、そのうち3発は首、頭、そして肺の位置を抑えていた。実力は明らかに十分だ。
だが、これは喜ばしいことではない。
「ルイ」
「は」
試験が終わり、試験官に声をかけられる。
「74番と、組め」
「了解」
どうやら上層部も思考は割とまともなようだ。一般人を対象とした新兵募集。これほどの実力を持って入ってくる人間など、十中八九黒、スパイだ。
去り際、彼も他の候補者と同じように俺を見ていた。諜報員ならもう少し大人しくしているべきだと思うが。
予想通り、全員合格。晴れて大量の新兵が入ってきた訳だが、
「失礼します!」
声とともに件の新兵、ヘルムが入ってきた。彼の国の情報操作官が優秀なのか、本当は白なのか、彼の身辺情報はしっかりしたものだった。まあまずないと思うが、俺としては後者であることを願いたい。この男、なかなかに優秀なのだ。だからこそ疑われるのだが。
「要件は」
「国王陛下がお呼びです」
「…わかった、すぐに向かう」
国王への謁見などという大層なものではない。なんせこの国のトップはは軍事国家でもないのに平気で自ら軍に命令を下す。そのくせ王として権威を振りかざすのだからたちが悪い。大方今度も俺に命令を下すために呼び出したのだろう。全く、ただの迷惑なお飾りの方がまだマシだ。
──もしもし、トーン?
──うん、入れた。いや、遅れたのはごめん、でもこっちにも色々あったんだ
──あと、君が言ってた少年、見つけたよ。ルイっていうらしい。苗字はないって
──上司になった。うん、ごめん。ミスった。あはは、死なないように頑張るよ
──え、追加?いいけど…。ごめん、なんて?
──ルヅーカ?
ヘレルを送り込んだ。アレセーナでは今頃入隊試験が行われている頃だろう。全く、あいつはどれだけ書類を貯めているんだ。その分のツケがほぼ俺に回ってきているのだが。帰ってきたら仕返しをしなくては。総統に提出する分の書類を終え、部屋に戻る道でまだ積まれているであろう書類の山に思いを寄せる。うんざりするな。
「さて」
ダン!!と大きな音が鳴る。目先に見えるのは銃痕。先ほどまでトーンが立っていた場所だった。
後ろから、チッっと舌打ちが聞こえる。全く、暗殺なら音を出すなど言語道断ではないか。ヤケになったか、頭が足りていないか。突き出されたナイフを軽く受け流すとあっさりとその場に倒れたので、正直拍子抜けだ。これでも一応いい立場にはいるつもりなのだが、こいつを送ってきた国は一体どんな____
「…お前、アレセーナの者か?」
見たことあるぞ、この男。外交護衛の男ではないか。あの少年といいこの男といい、本当にどんな仕事の割り振りをしているんだか。
「…」
「答えろ」
睨み、押さえつける力を強めるも、男は何も言わない。仕方ない、地下室送りか。それにしても
「アレセーナめ、とうとう仕掛けてきてきたか」
総統にも護衛を増やそう。
命を狙われてからはや3日、あの男には責問を続けているが、何も情報は得られず、軽く苛ついている。初日の感覚からしてすぐに吐くかと思ったが、情報の秘匿だけはしっかりしているようだ。ならばやはり、捨て駒か。いや、何も得られなかった訳ではない。拷問官の話だと、男は譫言のようにずっと同じ言葉を呟いていたようだ。
「ルヅーカ」
ずっと、ずっと。ルヅーカなんて言葉聞いたこともない。名前だろうか、地名だろうか。どこの国の言葉なのかもわからない。錯乱による意味のない言葉の羅列かも知れない。だが、唯一のヒントだ。情報部に調べさせてはいるが、ヘレルにも聞いてみるか。
──ヘレルか、ああそうだ。ずいぶん報告が遅かったな。無事合格したのか?
──そうか、まあいい。引き続き進めてくれ、くれぐれもヘマはするなよ
──ああ、例の。名前は?そうか。まあそれには時間をかけなくていい
──…は?新兵採用だろう?お前本当に…。まあいい、いや、よくはないが、死ぬなよ。
──ああそうだ、追加で調べて欲しいことがある。
──ルヅーカ、という単語を調べて欲しい
「ルイ」
眼前の太った男が俺の名を呼ぶ。跪き、顔を上げないまま言葉を待った。
「お前と組ませたヘルムだが」
「身辺を調べても何も出なかった」
俺は内心ほくそ笑んだ。やはり彼の国の情報部は優秀らしい。これでまだしばらくはあの優秀なやつを手放さずに済むだろう。
「だが、あいつはやはり怪しい部分がある。実力だけで判断するのでは弱いが、疑わしきは罰せよ、彼には役に立ってもらう」
駒として、と続けた。顔を見ずともわかる、ニヤついた口調。ああ、嫌な予感がする。
「彼を操れ、ルイよ。お前のやり方でな」
それだけ言うと、下がれ、と言われたので部屋を後にする。
別に彼に情が湧いている訳でもないが、やはり人をものとして扱うのは好まない。まあ、やらなければ自分が酷い目に合うだけなので、特に逆らうつもりもないが。
「お前のやり方で」
なんでもやらされているうちに思いついた、最低な方法。それを自分の保身のために他人に使っていると思うと、吐き気がする。俺は、実はこの国で一番の悪人なのかもしれない。
時間が経つのは早いと言うが、自分にとってこの二週間ほど長いものはなかった。普段の倍量の書類仕事。部下に手伝わせても相当な量あったぞ。ヘレルめ、面倒な書類ばかり後回しにしやがって。
まあでも、今からの仕事を考えればそんな時間がずっと続く方がマシかもしれない。
この二週間。
前回のアレセーナ外交から、二週間。
今回もあちらはエラン国での外交を望んだ。遠征費もかからないし断る理由もないが、あちらとしては手の内を晒したくないのだろう。この調子だと次もまたうちの国だろうな。
今回の外交には、プランがある。結局、前回襲ってきた男は何も吐かなかったため、アレセーナからの刺客として処理することはできない。だから、あえて話題には出さない。
だが、大人しく相手の思惑通りに動くつもりもない。前回の護衛、ルイというらしいあの少年を調べたのには訳がある。彼を利用するためだ。軍人といえど、まだ子供。過酷な環境によって情緒の発達に多少の問題はあるだろうが、何もあの環境に好き好んでいる訳ではないだろう。ヘレルの報告によると、だいぶこき使われているらしい。そこに漬け込み、懐柔する。もちろん一軍人、そんな簡単に靡くわけもなく、直接的に行ったら報告されて終わりだろう。あくまでも賭けだ。子供の方がまだ流されてくれる可能性が高いと思ったまで。慎重にいかねば。
「度々足を運んでくださり、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ、準備も大変でしたでしょう」
嫌味か。ならそっちでやればいいだろ。内心では荒れまくっているものの、当たり障りのない受け返しをする。
さて、本題だ。
「今日は前回の護衛の方ではないのですね。入れ替えでもあったのですか」
「いえ、まあ。誰にでも務まる仕事ですので」
「そちらの方は以前も見かけました。お名前をお聞きしても?」
「聞く価値もないですよ、どうせただの護衛です」
少年に話しかけても、外交官が遮る。まあ、この場で話せないのは想定内だ。
「そうですかね。ではその「ただの護衛」の彼を、この後少しお借りしてもよろしいでしょうか」
「何のために?」
「いえ、ただこの国には彼ほど若い兵士はいないもので、少し城を見てもらいたいのです。何かまずことでも?」
少し圧をかけると、まさか、と軽く躱され、了承を得た。当の少年自身はさほど気にしていないようだった。あちらとしても身内から情報を晒してもらっているようなものであるし、見るだけ見てこい、と言った感じだろうか。
前回ほど険悪なムードにはならなかったものの、やはりやり辛さはあった。次回の外交の日取りは決めてこなかったので、特に次までの進展などはないだろう。
「では、彼をお借りします」
あとのことは部下に任せ、少年を連れ出す。
少し後ろをついてくる彼を気にしながら、向かったのは中庭。
「どうぞ」
テラスに座らせて紅茶を出し、安全の意を込めて先に口をつける。
少年は黙ってカップを手に取り口にした。
「さっきはお名前を聞きそびれてしまいましたが、改めてお聞きしても?」
「ルイと申します」
少年は迷うようなそぶりも見せず、簡潔に答えた。年相応の、少し高めの声。
「あの、何故私をこのような場所に?」
「先ほどお伝えした通りですよ。この軍には若い人がいない。それに、私個人があなたと話してみたかった」
「...外交官様が望むような受け答えができるとは思えませんが」
「何も国のことを話すわけではありません。身構えずに、は無理でしょうが、ただの世間話をしようではありませんか」
若干訝しむような視線はあるものの、話しかければ返してくれる。本当に世間話ししかしなかったが、今回はそれが目的だ。多少警戒が解けてくれればそれでいい。
「時間も時間ですし、そろそろ戻りましょうか」
「そうですね」
「付き合っていただきありがとうございました。とても楽しかったです」
「いえ、こちらこそ」
最後まで淡白な返しだが、狙い通り若干気を許してくれたようだ。
おかしい、二つの事柄が。まず一つ、あれから何度か国内に不正侵入者が入ってきた。もちろん検問もしているし、この国も侵入者の1人や2人捉えられない程弱くない。だが、捕らえた後、侵入者皆様子がおかしい。少し前に聞いた言葉「ルヅーカ」。それを呟き続けるのだ。精神状況がおかしいのかもしれない。だが一つ、わかりそうなこともある。ルヅーカは、おそらく人だ。最近になって捕らえた者たちから、ルヅーカを様付けで言い出す者が出てきた。判断材料としては弱いが、一つの進展と言っていいだろう。人にしても、なぜその名を呼ぶかはわからないのだが。
そしてもう一つ、あれから一度もヘレルからの報告がない。書類を貯めたりはするが、こういう大事な仕事をサボるような奴ではないのに。こちらからの通信にも一切応答がない。
まさか、いや考えたくはないが、殺されたという可能性は十分にあり得る。
「クソッ」
仕方ない。元々送るつもりではあったが、もう行ってもらうか。
第一大隊副隊長、ギル。これからのことを考えるとどの隊も隊長を抜くのは厳しいだろう。だが、ヘレルが失敗ということはそこそこの実力がないと無駄死にさせることになりかねない。だからこその選択だ。
俺は数週間前と同じように、部屋をノックした。
軍人になったのはなぜか。
別に大きな理由はない。金のかからない士官学校に行って、そこそこ運動が得意だったからなるべくしてなった。売られた訳でも、親が軍人だった訳でも、守りたい者があった訳でもない。
要するに、特に意味はなかった。
でも、軍人になってからは楽しいことが多かった。そこそこの立場につけたし、仕事も楽しい。何より同期とは仲良くなれた。今まで友達らしい友達を作って来なかった俺を友と呼んでくれる者ができた。今、もし守りたいものが今あるかと聞かれれば、俺は迷わずその友人を選ぶだろう。
ここで皆に聞きたいことがある。その、大切な友人に首を絞められているこの状況をどうしたらいい?
「ぐ…は、なせ…ヘレル…」
目の前の男、ヘレルは何も言わない。ただ首に這わす手に力を込めるだけだ。おかしい、なぜこうなった。アイツからの命令でここに侵入して…?そうだ、廊下でこいつを見つけて、誰もいないから声をかけようとして…で、こう、か。
裏切ったのか?こいつは。連絡がなかったのも。今こうして俺の首を絞めているのも。
いや、そんな訳ない。こいつはそんなことしない。きっと何かあるはず…
「どうした、ヘルム。何をやってる」
突如、知らない声が降ってきた。
「ルイさん。いえ、侵入者を発見しまして」
「侵入者?」
「はい。いきなり話しかけてきたので」
「…そうか、わかった。地下に連れて行ってくれ」
「わかりました」
王の命令から一週間、ヘルムも大分従順になってきたようだ。この様子ならもう手出しは必要ないかもな。ふと、顔を上げると、少し先の廊下で何やら揉めているようだ。…あれ、ヘルムじゃないか?まずい、洗脳が行き過ぎて他の兵に危害を加えるなんてことがあってもおかしくない。面倒になる前に止めなければ。
「どうした、ヘルム。何をやってる」
近づいてまずは声をかけてみる。反応するところを見るにただ暴れてるて訳じゃなさそうだ。
「ルイさん、いえ、侵入者を発見しまして」
「侵入者?」
「はい。いきなり話しかけてきたので」
ああ、なるほど。絶望したような男の顔を見て察する。
こいつ、エラン国の者か。
「…そうか、わかった。地下に連れて行ってくれ」
「わかりました」
ヘルムはサッと男を気絶させ、担ぎ上げる。
さて、彼とは少し話をする必要がありそうだ。
「ゔ…」
小さな呻き声を漏らし、薄らと目蓋を開ける。眩しさに目を細めたりする必要はなく、そこは薄暗い地下室だった。
捕まったか。
最後に覚えているのは、ヘレルの顔。冷たい瞳で睨みつけ、躊躇いもなく俺の首を絞めてきた。あれは、敵を見る目だ。
「お目覚めかな」
「ッ」
また先ほどと同じ声が思考を遮る。目を向けると予想通り、そこには廊下でヘレルに命令を下していた少年がいた。俺は、この男のことを知っている。事前にトールから教えられていた。
彼が、ルイ。
聞いたところにると、ヘレルは今、こいつの下にいるらしい。
アイツの目、行動の原因はこいつの仕業なのか?だが、万が一彼が諜報員だとバレていないのなら、迂闊な質問するべきではない。ここは取り敢えず相手の出方を見るとしよう。
「…すごい目だな、まあ当たり前か。さて、お前にはいくつか訊くことがある」
「…」
「一つ目、お前はエラン国の者で間違い無いな?」
「…」
馬鹿か、そんなこと簡単にいう訳ないだろう。ルイは無言の俺をしばらく見つめていたが。ふと後ろを向いて見張りに向き合った。
「少し、外に出ていてくれませんか」
驚いた。普通敵国の者、しかも城内に進入してきた者とわざわざ二人きりになるなどしないはずだ。今からでも暴れて殺しにかかるかもしれないのに。しかし、また驚いたことに、見張りの兵は何も言わずに部屋を出て行ったのだ。
──これは、チャンスか?いや、まだだ。まだ兵士は外にいるだろうし、何より手枷が邪魔だ。もう少し、もう少し待とう。
警戒を解かずにいると、眼前の少年はまたこちらに顔を向けた。
「さて、都合の良いことに、ここには監視カメラがない。ここは洗脳を施す為に造られた部屋でね、カメラ越しに危害が及ばないようになっているんだ」
いきなり何を言い出すのだろうか。不審な言葉にさらに警戒心を高める。おそらく殺気も伝わっているはずだが、少年は気にもせず言葉を続ける。
「二人っきりの状況を作り出したのには訳がある。なあ、一回だけ、俺を信用して質問に答えて欲しい。ヘルムは、さっきの男は、お前の仲間か?」
疑問形ではあるものの、ほぼ確信しているような顔。返答に迷い、俺は無言を貫いた。
「無言は肯定と受け取る、と言いたいところだけど、まだ確信は持てない。単純に彼の名を知らないだけかもしれないからね。だから俺は今から、独り言をいうよ」
ふいと僅かに目を逸らして、彼は続けた。
「さっき見た通り、彼はもうこの国の人間だ。俺のいうことを聞くし、もしお前がかつての仲間だったとしても、容赦なく攻撃をするだろう」
そうだ、実際にアイツは俺を侵入者として突き出したのだ。
「ヘルムには、少し特殊な洗脳、暗示をかけたんだ。かけたのは俺、その手法を編み出したのも、俺。上からの命令、なんて言い訳が通用しないのはわかってる。」
でも、とまた俺の目を見る。
「俺もこの国にいて何も感じない訳じゃない。正しいとも思わないし、ヘルムのことも可哀相だと思う。だから、せめてもの罪滅ぼしで他とは違うことをしたんだ。アイツの記憶を軽く消した。正確に言えば、前の軍の情報を。上には少し失敗したと言ってある。まあ、お陰で殴られたけどな。でもこれで情報の漏洩はない。エラン国について詳しいことは上もわかってないんだ」
信用はできないが、納得はできる。外から聞く限りでもこいつのような一般兵士が良い扱いを受けているわけがない。不満もたまるだろう。だがなぜ、これから戦争が起きるであろう国に有利になるようなことをしたのだろうか。そんな若干の疑問に気づいたのか、ルイは言った。
「お前にこんな話をするのも、ヘルムの記憶を消したのも、すべては俺のためだ。俺はな、お前らエラン国に大層迷惑な仕事をまかせようとしているんだ」
「この国を、潰してくれ」
お前らならできるだろ?とルイは哀しげに笑った。
「俺はもう嫌なんだよ。俺のせいで、人が不幸せになるのは。でも、俺が今更死んだところで、この国は腐ったままだ。だから、終わらせて欲しいんだ」
どこか、こいつを信用しつつある自分がいる。ヘレルを操ったのもこいつ。送られてきた兵士がどこかおかしかったのも、おそらくこいつのせい。だが、わずかに同情心でも芽生えたか。俺は座ったままルイを見上げて言った。
「俺は、俺の国は、もとよりこんな国に負けてやるつもりはない」
ルイは少し驚いたような顔をして、そうか、とやはりまた哀しそうに微笑んだ。
「今言ったことは本心だ。でも、それをするにあたって君にも洗脳をかけなければならない。納得はしないだろうがこれも作戦のうち、戦争まで上に疑いを持たれる訳にはいかないんだ」
一気に脳が冷める。信用しかけていたのが馬鹿みたいだ。結局俺も捕虜としていいように使うんじゃないか。
「ルヅーカ」
聞き覚えのある単語に眉をひそめる。トーンが言っていた、調査対象。
「俺が編み出した洗脳法だ。そして、お前に今からかけるのもこれだ。信用はしてくれないだろうが、今度は軽くかける」
当たり前だ。これから軽く洗脳しますと言われて頷く馬鹿がいるなら見てみたい。なんとかならないかと手枷を揺するもどうにもならない。
「…あとは、相当強い忠誠心でもあれば多少は、まあ」
そう言いながら、ルイは俺の耳元に口を寄せた。
結局、ヘレルはもちろん、後から送ったギルからも連絡がない。
だが今はそれどころではない。三回目の外交を終え、総統室に報告を急ぐ
「総統閣下。アレセーナから宣戦布告の宣言が」
「そうか」
低い声で呟き、鋭い眼でこちらを見遣る。
「トーン」
「は」
「アレセーナは強い。軍の総力を尽くして相手をしろ。敗戦は許されぬぞ」
「はい」
総統室を後にし、兵舎へ向かう。
「戦争など、望むべきではないのにな」
誰もいなくなった部屋で一人、総統は呟いた
「東、少し薄いな。森の手前まで第三中隊に向かわせろ」
ついに二人から連絡がないまま始まってしまった戦争。だが、そんなことで一々狼狽してはいられない。司令官の指示を聞きながら、前に進む。何も自分の仕事は外交だけではないのだ。「軍の総力を尽くして」もちろん俺も戦う。だが、さすがはアレセーナ。前線配置ではないのに、相手する敵兵の数は少なくない。とはいえ戦況は劣勢ではない。このままいけばなんとかなるのではないか。などと考えられるほどには。
そんな緩い思考を叩き去ったのは、視界の端に映った人物だった。
そこにいたのは、連絡を待ち望んでいた仲間。そして、今一番会いたくなかった人物。
「ギ…ル」
無言のまま、彼はナイフを振るう。周りの兵が驚く中、どこか予想していた展開に声を張り上げる。
「狼狽えるな!アレセーナの戦法は洗脳だ!こいつは今、自我がない!可能ならば生捕りに、不可能ならば、敵と見做し…殺せ」
それを聞いて皆少し距離を取る。つくづく優秀な部隊だな。全く…
「早く戻ってこい」
二人を戦場に送り出したはいいが、果たして生きているのだろうか。まあ大丈夫だとは思うが、味方に殺されていたら最悪だ。あの国もここと変わらないなんてことはないと願いたい。
「っと」
...他人の心配をしてる場合じゃないな。さすがエラン国、油断しているとやられてしまうだろう。最終的には死ぬつもりだが、今ここで死ぬ訳にはいかない。まだやることがあるんだ。だから、申し訳ないが向かってくる相手は殺す。戦場において仕方の無いことだろう。上官から今回は単独行動を言い渡されているが、これは実に都合がいい。こっそり相手の城に忍び込むにも、ヘルム達に接触するにもやりやすい。
突然、背中に衝撃が走った。何が起こったか分からないまま、瞬時に振り返る。
「久しぶりですね」
そこに居たのは、いつかの外交で俺を中庭に連れ出したエラン国の外交官だった。
無言で拳銃を構える。だが、まだ撃たない。彼もまるでそれをわかっていたかのように軽く微笑む。
「お久しぶり、です」
微笑む男に挨拶を交わす、戦場にそぐわない情景。だが、間には決して穏やかではない空気が流れていた。背中や他の傷があちこち痛む中、一番気になっていることを聞いてみた。
「ヘルムは」
「ああ、生きていますよ。ついでにギルも。当たりまえじゃないですか。彼らは仲間ですよ?それにしても全く、簡単に服従してしまうなんて、まだまだですね」
生きているという事実に軽く安心する。...それがいけなかった。前方にあった気配が一瞬で背後に移る。振り返ったのは首筋に刃が触れる感触の少しあと。しまった、と思うには遅すぎる。
「あなたにも、少し来てもらいましょう」
暗転する意識の中、彼は確かにそう言った。
未だ戦争のさなか、俺は戦場ではなく医務室にいた。アレセーナは確実に消耗しているはずなのに、一向に尽きない兵の数に不気味さすら覚える。大方、総力戦と銘打って国民を参加させているのだろうが、それならばなぜ士気があそこまで続くのか謎だ。盲目的にでもなっているのだろうか。
目線の先には包帯を巻かれたルイがいた。
敵兵に対して随分な好待遇だと思うが、これには訳がある。
ヘレルとギル、彼らの最後の報告によると、アレセーナの軍事力には洗脳が大きな戦力となっているらしい。そして、その中の大きな鍵を握る人物が彼だというのだ。だから、わざと生かしておく。とはいえ重症、目覚めるにはまだ時間がかかるだろう。もしかしたらアレセーナが滅ぶのが先かもしれないな。
「トーン!」
ふと後ろから聴き慣れた声がした。
「ギル!」
医務室だというのについ大きな声を出してしまい、慌てて声を抑える。
「お前、正気に戻ったのか」
「狂人みたいな言い方するなよ。まあ、あながち間違ってないけど。…その、すまなかった。俺、あんな簡単に敵に取り込まれるなんて」
「気にするな。あの国はそれを得意としている訳だからな」
「いや…」
まだ尚なにかを言い澱むような態度を疑問に思う。何かあるのかと訊こうとすると、ギルの方から言いにくそうに話してくれた。
「俺、こいつに、ルイに洗脳かけられる前に言われたんだ。忠誠心が強ければ、かからないかも…って」
なるほど、それでこいつは国を裏切ったとでも思っているのだろうか。
「だからなんだよ」
「は?」
「お前、今こうして戻ってきてるじゃないか。それに、そんなの相手の匙加減でどうとでもなるかもしれない。そんなの信じるなんて馬鹿のすることだろう?」
そういうと彼の表情は多少和らいだ気がする。
…ん?ちょっと待て、今、結構重要なこと言ってなかったか?
「おい、ちょっと待て。こいつにかけられたってどういうことだ?っていうかこれから洗脳するって相手になんで軽減についてなんて話したんだ?」
「あ、それは…」
と、ギルからアレセーナで行われていることとそれについて彼の関係、彼がしていることを聞いた。
「なるほど、謀反か。それに、国民にも同じような手法を取っていたと考えれば色々納得がいく。ギルやヘレルですらこうなるんだ。一般人なんてもっと簡単に懐柔できるだろうな」
何にせよ、ルイが目覚めるまでことは進まないだろう。ヘレルは未だ洗脳が解けた様子もない。彼が起きたら早急に対処してもらわなければ。
結局、彼が目覚めたのは総統に話が行ってからすぐ、まだ戦争が終わる前だった。
ゆっくりと意識が浮上する。目を開けると知らない天井と柔らかい感触。どうやらここはベッドのようだ。
…なんて穏やかな目覚めを迎えられたらよかったのに。
「っづ!!」
全身を暴れ回る痛みに思いきり顔を顰めた。なんだこれ、俺は炎の中にでも突っ込まれたのか?
動けば痛みが増すと分かりきっているので、全身の力を抜くことに集中する。暫くすれば多少は落ち着き、ようやっと状況を考える余裕ができた。幸い記憶に問題はなく、なにがあってこんな状態かは鮮明に思い出すことができた。だからこその疑問だが、なぜ俺は生きているのだろうか。戦場で斬りつけられたまま放置しておけば勝手に死ぬというのに、見る限りここは医務室だろう。なぜそんな面倒なことを一兵士に…。
ああそうか、わかった。
頭の中に一つの仮説が立つ。
おそらくここは、アレセーナではなく、エラン国だ。
最悪だな、むしろ殺してくれ。
助かればいいってもんじゃない。なぜ戦争の最中、一対一で敵対している軍国の城にいるのだ。いやでも今更情報なんていらないだろうに、そんなに戦況は悪いのか?仕方ない、どうせ死ぬんだ。アレセーナが勝つなんてことがないよう怪しまれない程度に情報を吐こう。
そう俺が「僕なにも知らないよ作戦」の立案を中止していたところに、割り込んできたのはガタガタというやかましい音。どうやらドアを開ける、いや開けようとする音らしい。おいおい、ここは医務室だろうに、扉の立て付けくらい良くしておけよ。急患亡くすぞ…
などと心の中で敵国に無駄なアドバイスをしていると、ようやく扉が開いたようだ。カツカツという軍人特有の半長靴を鳴らしながら、足音がこちらに近づいてくる。そしてカーテンの前で少し立ち止まり、一呼吸置く──こともなく、無遠慮にカーテンが開けられる。寝たフリも考えたが、目を閉じるよりも相手と目が合う方が早かった。
「…どうも」
「…」
どうやら声帯に傷はないらしく、声は普通に出た。が、相手は無言のまま停止し、次の瞬間大声で叫びながら走り去っていった。先ほどのドアといい、この国の人間は医務室をなんだと思っているんだ。
「トーン!トーーン!!」
叫ばれていたのは俺もよく知る名前。ああ、平穏は終わりか。このベッドとも別れの時が来るのだろう。さよならベッド、こんにちは地下牢。
程なくして、見知った姿と知らない男の二人が現れた。話しかけてきたのは見知った男、外交官の方。
「随分早く目が覚めましたね」
「お陰さまで。ここまで手厚く処置をしてくださるとは思っていませんでした」
「こちらとしてもあなたに死なれては困りますのでね」
相変わらずにこやかに微笑まれる。
「そちらの方は?」
「ああ、我が国のトップ、ヴェルフ総統閣下です」
笑顔のまま爆弾を投下される。敵兵の前に国のトップが顔を出すなど正気の沙汰ではない。穏やかではない思考の前で、とにかく非礼のないようにと上体を起こそうとする。
「っあ゛」
や ら か し た
怪我のことを忘れていたわけではないが、案の定激痛が走り総統の目の前でベットに伏せる。これはまずいぞ、うちの国なら即死刑ものだ。だが、冷や汗が止まらない中、かけられた言葉は想像とだいぶ違った。
「無理をするな。怪我の状態は軍医から聞いている。本来は話を聞くことすら許されないはずなのだからな。だがこちらも一刻を争う。無理を承知で頼んでいるんだ」
目線を合わせるようにして心配するような言葉をかけられ、思わず呆けた。はっとし、顔をあげようとすると隣に居た外交官が手伝ってくれ、無事元の体勢に戻ることができた。あまりの優しさに涙が出るかと思った。冗談だが。
「手当に重ねお気遣い感謝します。それで、訊きたいこととは?」
「回りくどい話は嫌いだ。単刀直入に訊こう。ルヅーカ、とは何だ?」
まあそうか。なんでも答えるつもりだったが、一番言いづらいことから訊かれた。だが、この国には恩も借りも、負けさせない理由も十分にある。教えないという選択肢はない。
一呼吸置いて、目線を合わせる。
「...ルヅーカは、あなたです」
総統は驚いたような顔をするが、きっと彼が思っていることとは少し違う。気にせず続ける。
「ルヅーカとは、総統閣下です。トーン外交官です。そこら辺の医薬品です。机の上の書類です。そして、俺です」
訳が分からないと言った顔の二人に、さらに続ける。
「この世の全てのものには名前がある。逆をいえば、名前がないものは存在しないに等しい。そして、何も無くても、名称さえ存在すれば大衆を使って「確かにあるもの」にできます。それが、ルヅーカです。少し吹き込めば彼らはそれを盲信的に追いかける。簡単に言えば、信仰対象ですかね」
「洗脳の手法、という訳ですか」
「はい。アレセーナの兵の数を見たでしょう?あの殆どは一般市民です。しかし、彼らが人を躊躇なく殺せるようになるには時間がかかります。誰だって悪事に恐怖している。ルヅーカが存在するのは誰かに責任転嫁することで感覚を麻痺させるためでもあります」
「だがなぜそれで民が言うことを聞く?あれだけ人数がいれば反乱など簡単に起こせるだろう」
「言ったでしょう、信仰対象だと。彼らはルヅーカを神かなにかだと思っている。自分よりはるか上の存在に命令を下されて、断る人などいないでしょう」
「なるほどな」
自分で言ってて悲しくなってくる。救いを求めるはずの存在が、破滅に導かせていると言う現実を改めて突きつけられた。そして、その根本にいるのが自分だということも。
「あの、こんな立場で言えることでは無いのですが、ギルとヘルム、あ、いや、ヘレルは無事なんですよね?」
「無事...ですが、へレルに関してはまだ洗脳が解けていません」
そりゃあそうだ。かけたのはこの俺だ。簡単に解けるはずがない。
「...え、今、「ヘレルは」と言いました?」
「?はい」
「ギ、ギルは?ギルは今正常なんですか!?」
「ええ、さすがに前線復帰はさせていませんが」
信じられない。軽くとはいえ一度かけた洗脳を自身で解くなどできるはずがない。いや、まさかあいつ...。
「おお、目ェ覚めたか」
割り込んできた声は生気を含み、本当に洗脳が解けていることを知らされる。
「ギル...」
「お前、本当に軽くかけたのかよ。本気で正気失ってたんだけど」
「いや、まずお前、なんで解けてんだよ」
「?そこのトーンとやり合って、目が覚めたらこうだった。最も記憶はだいぶあやふやだけどな。それより...」
と、どこか言い辛そうに口ごもる。
「...洗脳に忠誠心が関係するって、あれ、本当のことだったのか?簡単にかかって、俺、自信なくて」
なるほど、やっぱりか。一つ息をつき、しっかりギルと目を合わせる。
「まず言っておくと、あんなのハッタリだ。自我がある状態で反抗心を持った人間操れるほど俺は器用じゃない。それに、軽くとは言え洗脳だぞ?そんな簡単に解けてたまるかよ。…って言いたいんだがな、現にお前は自分で洗脳を解いている。忠誠心云々の話は嘘だが、その効果を薄めるほど強力な心持ちはあったと言っていいんじゃないのか」
心配そうな顔にそう言ってやる。これは嘘じゃない。実際そんなことがあるかはわからないが、少なくとも彼が仲間を大切に思う気持ちは洗脳を凌駕する程度には強かったと言っていいだろう。
「さ、安心材料を頂いたのはいいですが、問題は山積みです。ギルはそろそろ配置に戻ってもらいますよ。そしてあなたには、」
外交官は少し真面目な顔で向き直った。
「一刻も早くヘレルの洗脳を解いていただかないと。彼はあれでも一応大事な戦力。戦場に出向いて貰えばその分攻勢も増すでしょう」
重症で働かせるくらいは正当な扱いだろう。ゆっくり頷き、今度は先ほどよりも慎重に起き上がろうとした。
「ちょっと、なにしてるんです?一刻も早くとは言いましたが、流石にこの状態で働かせるほど馬鹿ではないのですが」
「?いや、動けますよ?」
「…半端な状態で変に解かれたら困るんです。いいから短くとも5日は安静に。心配せずともそうそう簡単に負かされるつもりはありませんから」
半ば強引にベッドに倒され、軽く埃が舞う。逆らえるほど体力も回復していないので素直に沈むが、扱いの差に軽く混乱する。
アレセーナではありえないな。
「では」と言って立ち去る一行を最後まで見届けることなく再び目蓋は閉じられた。
6日後、俺は城内の廊下を歩いていた。清掃の行き届いたきれいな廊下は、自分の靴で歩いていていいのか躊躇うほどだった。
「ここです」
当然のように俺の付き添い、もとい監視についているのは、例の外交官だった。なんなんだこいつは、暇なのか。
指し示された扉を見る。階級を隠すためかどこの部屋も同じような扉をしていて、名前のプレートなども提がってない。
ここがヘレルの部屋らしい。
ゆっくり扉を開けると、中の様子が伺えた。机と椅子、棚とクローゼット、ベッド…と、特になにもない簡素な部屋だった。そして肝心のヘレル。遮蔽物もないので姿を視認するのは容易い。
手足を拘束されてはいるが、ベッドの上で目を閉じるかつてのバディ。なるほど、よく見れば色々と工夫されている。目が覚めている間暴れられないように拘束具の鎖は短くしてあるし、手足首も傷つけないようにテープが巻いてある。本当に、つくづく優しい国だなここは。
「暴れられはしないようですし、一旦外に出ていてくれませんか。大丈夫です、こんな状況で変なことできませんから。むしろあなたに何かある方がめんどくさいんで」
外交官に声をかけると、案外すんなり出て行ってくれた。
「さて」
まずは起こさねば。軽く揺するとさすがは軍人、すぐに目を開けた。
「おはよう、ヘルム」
「…おはようございます」
微笑んで挨拶をすると、彼も笑ってくれた。が、次の瞬間体を起こそうとして目が完全に覚めたのか、次第に顔が強張る。
「っ、そうだ、俺、つかまって。すみません、助けに来てくれたんですよね、これ、外してもらっていいですか」
ガチャガチャと音を鳴らしながら手足を揺する。こうしてみるとギルとやっていることが同じだなと少しおかしくなる。
「大丈夫だ、その必要はない」
「っ何故ですか!早く、早く戻らないと、戦わないと…!」
だんだんと焦ったような声を出すヘレルに、一言だけ発した。
「ルヅーカから」
「!」
途端、大人しくなり、先ほどのようにどこか虚ろな目で見つめ返される。もう大丈夫だろうと錠を外しながら語りかける。
「ヘルム・シューカー、もう終わりだ。思い出せ、ヘレル」
「は…?」
まだか。
「ルヅーカはもう指令を下さない。ヘレル、お前の出身はどこだ?所属はどこだ?…本当の仲間は誰だ?アレセーナは終わる。俺も、ルヅーカも全てなかったんだ」
どうだ…?軽く懇願するような思いでヘレルの顔を伺う。
「ヘレル、」
声をかけようとして、身体に衝撃が走る。治りきっていない怪我が開いてしまったらしい。原因は目の前の男。自由になった体で俺を突き飛ばした、ヘレルだ。そう、それでいいんだよ。…成功だ。
「なんで、お前がこの城に」
痛みでなかなか起き上がれない俺に、震える声で呟く。
「なんで、ここまでもう来たっていうのか。トーンは、ギルは、総統はっ」
「落ち着け」
救済の声は案外早いようだ。
「…トーン?」
「ああ。全く、大きな音がしたと思ったらなんだお前は…」
「解けたみたいです。この反応は正常でしょう。痛いですが」
「ありがとうございます。医務室まで付き添いますよ」
「なんで普通に話してるの!?トーン、こいつはアレセーナの…!」
「だから落ち着けって。俺が敵相手にこんな悠長にしてると思うか?」
宥めるような視線を送られ、ヘレルは一旦黙る。
「詳しい話は後でするから、とりあえず二人とも医務室に」
支えられるようにして立ち上がり、未だ鋭い視線を向けてくるヘレルの前を行く。
未だ痛む身体を労りながら、ベッドの上で静かに話を聞く。トーンから話を聞いたヘレルは、何故か少し青くした顔で謝ってきた。
「本ッ当にすみませんでした」
「え、いや、何が?」
いきなりのことについ敬語を忘れて返す。
「つまりは俺のことも、ギルのことも守っててくれた訳でしょう?それなのに怪我した身体押し倒して...ああもう、ほんとごめんなさい!」
勢いよく頭を下げられるが、戸惑いは増すばかり。
「いやだから、なんでそんな、感謝されることなんてした覚えないし、もとよりあなたが仲間を相手するよう仕向けたのは俺ですよ?殴ってもいいくらいなのに」
それでも申し訳なさそうな顔をするもんだから少し参る。
「...じゃあ、もういいです。許します。これでいいでしょう?早く頭あげてください」
「...はい」
「怪我、平気ですか。まあ安静期間が伸びるくらいですかね」
「心配いりませんよ。もう役目は終わり、あとは死ぬだけです」
そう言うと、驚き声をあげたへレル。
「死ぬだけって、え?な、なんでですか!」
「何って…そのままの意味ですよ。お二人の洗脳も解きましたし、戦争もこちらの国の勝利でもうすぐ終わる。あとは悪しき国の裏参謀として処刑されるまでです」
「な、でも…」
「そうか」
何かを言いかけたヘレルの言葉に、低い声が重なった。
「総統閣下」
驚くヘレルと反対に、落ち着いた声で呼びかけるトーン。それに答えることなく、ゆったりとした歩みで総統はこちらに近づいた。
「お前は、死を望むか」
「はい。私だけでなく、民衆もそうでしょう。私のようなものが生きていては彼らも落ち着かないでしょうし」
「もし私が生きろと言ってもか」
「私の所属はアレセーナ、無礼を承知で申し上げますと、貴方様の命令に従う義務はございません」
「戦勝国に対してもか」
この方はもう勝ちを確信してらっしゃるのか。
「はい。それに、あんな軍でも、いい人はいました。そんな人たちが戦死した中、のうのうと生きようとするほど屑ではないつもりです」
「そうか、わかった。だが、今は忙しい。お前の処刑の発表は戦争が終わってからで構わんな?それに、生き残ったアレセーナ国兵士の洗脳も解いてもらわねば。そちらの国の言葉で言うなら「人的資源」として受け取ろうではないか」
「はい。もちろんです」
その返事に満足そうに頷くと、不満げなヘレルとトーンを連れて出て行ってしまった。
やはりこの国は優しすぎる。嫌味な言い方をしていたが、要は市民兵士は無事で暮らさせようと言うわけだ。彼らには比較的簡単な洗脳を施してあるから、解くのに時間はいらない。
終戦まで、つまりは国王の首を取るか白旗をあげさせるかまでは多くともあと4日といったところだろう。自分の部屋ももう焼けてしまったのだろうか。身辺整理が楽で助かる。こういう時、親しいものがいないというのは便利なものだな。
終わりは案外早く訪れた。沸き続ける兵士も徐々に減り、互いに消耗が激しくなってきた頃、負けを認めたのはアレセーナの方だった。自惚れるわけではないが、俺自身の行方がわからなくなったことも大きな一因だろう。まああちらでは戦死扱いだろうが。
未だ弾丸の跡や硝煙が残る中、俺は怪我をした体で荒れ果てた土地に立っていた。言わずもがな、アレセーナ国民を正気に戻すためである。国王不在の崩れかけた城の管制室、トーン外交官付き添いの元で全体通信のインカムを操作していた。ルヅーカを一言めに出せば全ての人間が反応する異常な光景を目の当たりにする。だが、これも今日で終わるのだ。思っていた通り国民に対する洗脳は比較的早く解くことができ、戦争は本当に終わった。城から出る際は面倒ごとを避けるために裏口から。幸い特に人と出会すこともなく城内を出ることができた。すっかり様子の変わってしまったあたりを見ながら、これからのことを考える。明日か明後日には俺はもうこの世にいないはずだ。総統の計らいで国王の処刑は俺より先に行われるらしく、あの男の死に様が観れるのならもうこの世に未練などない。格好良く死んでやろうではないか。
「ルイ、さん」
「罪人に敬称はいりませんよ。どうしました?」
「その、処刑の話、私も納得が行っていないのですが。医務室では何もいえませんでしたが、ヘレルと話してもやはりあなたは死ぬべきではないと思うんです」
何度か聞いたことのある言葉に思わずため息が出る。
「トーン外交官様、あなたがよくても自分はそう思わないんですよ。あなた方は優しい。そしてこの国の国民も、いい人ばかりだと思うんです。だから本当のことをいえば、もし彼らに許しを乞えばきっと同情で生かされると思うんです。でも、俺はとんでもなく自分勝手ですから、死ぬ気でいると言ったら死ぬまで諦めませんよ」
トーンは何も言わなかった。
「さ、行きましょうか。まだやることはあるでしょう?」
処刑台とは思っていたよりも高いらしい。集まったほぼ全員を見渡せる高さにいるため、民衆の表情はよく見えない。が、少なくとも声を上げて喜ぶものはいなかった。個人的には自分の死に反応がないのは少し寂しいが、心優しい彼らは複雑な気持ちで集まっているのだろう。
「処刑人、前へ」
覆面を被った大人が自分の横に立つ。未練はないと言ったが反対に少し楽しみにしている自分を少し気味悪く思った。このつまらない人生、走馬灯は何が映るのだろうか。
「アレセーナ参謀兵士、ルイの処刑を執行する」
無慈悲な声とともに斧が振り下ろされる。
ああ、どうやら俺の人生は死に際までつまらないらしい。先程まで期待していた走馬灯は、軍での記憶が所々に思い浮かぶだけ。ああ、でも死に恐怖はなくとも走馬灯は流れるらし─────
ルイが、処刑された。彼と最後まで一緒にいたのは俺だろう。アレセーナの城を発つ時、何も言えなくなった自分に彼が言った言葉を思い返す。
『そうだ、外交官様。あなたの淹れた紅茶、とてもおいしかったです』
彼が年相応に笑ったのを初めてみた。
「ははっ」
ここ最近、彼の監視が仕事だったので一人でいることは少なかった。一人きり、静かになった廊下で乾いた笑いを零す。彼なりの別れの言葉かもしれないが、そんな事言わないで欲しかった。悲しくなるじゃないか。
頬を沿う涙は同情か、それともあの少年に情でも芽生えていたのだろうか。墓も建てられない小さな兵士にそっと祈りを捧げた。
「どうか、安らかに」
fin
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