序
生まれたときのことは覚えているのに、死んだときのことを記憶していないというのはなんとも皮肉なものである。研ぎ澄まされた銀の小刀を腹に入れたとき、私の目の中に、海に落ちる夕日が映るはずであった。しかし実際には貧血に似た意識の遠のきと、武士の心を喪った自衛隊員たちの喧騒が身の後ろから聞こえてきただけだった。
仄聞するところに依ると、私の死は劇的に報じられた。しかし、莫迦なやつだとの声の方が多いようだった。インターネットなる人間を廃人にする装置のようなもので確認したので、正しいとは云えないのかもしれない。が、大方その評価は正しい。泥水の溜まる下流のまどろみのような愚劣な感性では理解できぬのだ。バタイユの云うエロチシズムに於ける禁忌、或いはカントの云う崇高に近く、すべての人間が醜く曲解し、すべての人間が、朝焼けの澄んだ呑気な空気みたく、美しい曲解をしているのである。
私はもう割腹自殺などしない。ああ云った行為は、一度限り、失敗のないよう、様々な機関に気配りをせねばならぬ。それ以上に、曲解されることが我慢ならない。
文学の世界で名声を得、まともに生涯を終えたなら、三島由紀夫と云う言葉には、無機質な、繊細な、気難しく晦渋な、軽薄な、ペダンチックなイメージが纏わりつき、脆弱で如何にも線の細い人間だと勘違いされてしまう嫌いがある。そのイメージは正しいのだ。いくら強靭な肉体を帯びても、私は間違いなく戦争から回避し、逃げた人間なのだ。大江君のように、戦争を毛嫌いし、暴力そのものを否定することができれば、何分気が楽だったのだろう。散文を書き始めた頃は、大江君のようにエロチックだったのだから! 私は文学の中に閉じ籠もって、逃れず、安住の地で、芸術至上主義者を気取っていることに、欺瞞を覚え、社会や政治に純粋であると云う態度に綻びが生じ、最後に何かせねばならぬと、強迫観念じみた感情が肉体より中、つまり魂の部分でどうしても否定できなくなっていった。が、死んだ私は莫迦者と罵られ、曖昧な態度を取る大江君はノーベル文学賞を取り、今ものうのうと虚偽的なイデオロギーを得々と演説しているというではないか。川端先生も亡くなられた。Wikipediaなる真っ白な頁にそう書かれていたが、このフリー百科事典は誰が作り、そもそもこのインフラストラクチャは政府が管理しているのであろうか。
すべてがからっぽな伽藍堂の時代になってしまっているようである。――