街灯の下の
バイトの帰り道。
十一時過ぎだった。当然だが、辺りは夜闇に包まれている。住宅街の通りを照らすのは街灯の明かりだけだ。
ふと気づくと少し先の街灯の下に誰かが立っている。僕が気づいた途端、明かりが点滅し始めた。
……それはそれとしてくそ暑い。雨でも降れば良いのに。
僕は人影のある街灯の下まで進み、何事もなく横を通りすぎた。
『……て』
女の掠れるような声が耳元で囁かれる。そして、首筋にひんやりとした指先が触れた。
さすがにぞくりとして、振り返る。
女はうつむいていた。顔は見えない。
『かたふりあきたべたいでしょ』
「……」
『きってよ』
意味不明だ。すでに人間だった頃の感情や思考は存在していない。その内、地縛霊とか質の悪い悪霊になる。
僕が反応しないと分かると、女は後退した。諦めたか。
……と、思ったのだが。
「きーっ!」
妙な声を上げて手を振り上げた。とっさに避けたものの、女の爪が頬を掠め、小さな傷を作った。
「っ!」
やっぱり、何かを訴えたいわけじゃない。人間を襲う類の霊ならこの場で消してしまった方が良いだろう。何より、この道は僕の帰宅路だ。
ポケットから常備しているお札を取り出した。それを女の額に押し付けようとした時。
「けけけけけけけ」
不気味な笑いを残して、闇に消えて行った。
逃げられたか。ズキッと頬の傷が痛む。対したことなさそうだが、きちんと浄めておいた方がよさそうだ。
それから帰宅し、その日は何事もなく過ぎて行ったのだが。
翌日、僕は熱鼻喉のフルコンボ、つまり風邪を引いていた。
幸い、大学の授業は一限だけ。終わってから、マスクをした状態でバイトに行くと、妙に驚かれた。
「ネクラさんも風邪引くんですね! びっくりです」
松間が目を瞬かせながらそう言ってきた。更衣室から出てすぐ、裏方で出会い頭に。酷い言われようだ。別に構わないが。
「こいつ、ギリギリバカではないから当たり前だろ」
先輩が厨房のカウンターから顔を出し、笑いながらわけのわからないフォローを入れる。
厳密には風邪ではない。昨日の霊のせいだ。霊の負の感情に影響を受けて体調不良を起こす人もいるが、僕はそういう体質ではない。しかし、昨日は油断してたからか。
「あら、その傷どうしたの」
市原が頬を指差しながらフロアから戻ってきた。
「自分で引っ掻きました」
「わ、痛そうですねっ」
すでにかさぶたになりつつあるが、周辺が赤く腫れているのでそう見えるのだろう。
と、その時。
何か、物を落としたような音がした。
全員が一斉に更衣室の入り口を見やる。
「ネクラさん、何かあったんですね……?」
萩山が青い顔で立っていた。