俺と頼みごと
『こいつを見せれば、こちらの世界の人間は大抵どうにかなる』
別れ際、レッドにそんなことを言われ、俺は今町にいる。
この言葉を信じて動いた結論を先に記しておこう。
世の中そんなに甘くない。
事前に言われた通り、川沿いを流れに沿って歩いた。
灼熱の大地ではあったが、幸い水不足に陥る心配はなくなったことにはホッとした。
レッドが言うには「ものの5分」とのことだったが、それはおそらくドラゴンにとっての話だったのだろう。
普通に30分以上かかった。
ドラゴンの速さたるや、恐るべし、と言ったところだ。
しかし、そこに苦労という感じはなかった。
いや、確かに疲労はあった。
何しろ、どこだかわからない場所に急にほっぽり出されて、道に迷った挙句、ドラゴンに命を救われたかと思えば、「俺の背に乗れ」などといったイベントもなく、こうしてひたすらに一番近い町を目指し、歩き続かされたのだから。
それで疲れないなんて言うやつがいるのなら、俺はそいつを人間だとは認めない。
もう一種の妖怪だと言っても、過言ではないと思う。
精神的にへとへとで、いらん筋肉も使い、頭がパンクしそうで。
これは普通に疲労だろう。
だが、それでも大変だとは思わなかった。
むしろこの後、どんな展開が自分を迎えてくれるのだろうかという、ある種の期待感がそこにはあった。
だってよく考えてみなくてもわかることじゃん。
異世界だよ? 異世界。
しかも転移。
面白くないはずがないでしょ。
レッドに会うまでは遭難気分だったから、全く気付いていなかったけれども。
ここって現実世界じゃないんだよ。
太陽が二つもある時点で、少しテンションが上がっていてもよかったのだ。
だって異世界なのだから。
ドラゴンに助けてもらった時点で、少しテンションが上がってもよかったのだ。
だって異世界なのだから。
ドラゴンと会話できた時点で、少しテンションが上がってもよかったのだ。
だって異世界なのだから。
つまり、ここに生えている何の変哲もないような草花だって、川を泳いでいるよくわかんない魚だって、なんも意味もないように落ちている小石だって、すべて別世界のものなんだよ。
それってだいぶヤバい。
語彙力消失する。
でもそれとは別に、不安もある。
ちゃんと町につけるかな? っていうやつではなくて、別れ際に言われた頼み事のことだ。
――――――――――――――――――――――――
『妹を探してほしい』
『別に交換条件と言うほどのことでもないがな』
『一種のお願いといったレベルのものだ』
『気に留めておいてほしいといった具合のものだ』
『必死にあちこち探しまわってほしい、と言うわけではない』
どうしても、必死にあちこち探しまわってほしい、って意味にしか聞こえなかったんだけどな。
とりあえずスルーしておこう。
『その町に行ったら、なんでもいい、妹に関する情報を探してほしい』
『そしてオレに伝えてほしい』
理由は単純明快だ。
竜と人は相容れない。
だから、俺を頼ろうとしている。
人間なのに、なぜかドラゴンと対話ができる俺を。
『無論、タダでとは言わん』
『まず、これを渡しておく』
そう言って、レッドは自分の鱗を一枚、左手の甲から摘み取って、俺に手渡した。
赤い、ひたすらに真っ赤な鱗。
形として例えるなら、時代劇で悪代官が受け取っている様な、小判と呼ばれるものが、一番近い形状をしているかもしれない。
貰っといてあれだけど、取るときの音が妙にリアルで、少し引いた。
ブチっていう感じ。
ご想像にお任せします。
『オレは、人間たちの間で「真紅竜」と呼ばれている様でな』
『一度、人間社会に詳しい身内に聞いてみたんだが、オレの鱗は相当値が張るらしい』
『人間たちも妙に、針やら弓矢やら槍やら使ってくるから不審がっていたんだが、この鱗のせいだったみたいでな』
改めて見てみると、確かにきれいで、とても美しく感じた。
小判台の真っ赤な鱗は、確かに鱗と言ってしまうにはあまりに上品な代物だ。
ガラス細工の様に、日にかざせば向こう側が透けて見える一方で、決してガラスでは再現し得ない硬度がある。
葉脈の様に細かい筋が刻み込まれ、色もよく見ると単色ではなく、外側にかけて少し濃くなるグラデーションになっている。
現代の工芸品でも、ここまでのものは(たぶん)作れない。
人間がこぞって狙いに来るのにも、納得できる。
槍や弓矢で狙った理由も、この鱗をなるべく傷つけず持ち帰るためだろう。
剣とか魔法(この世界にあるのかどうかはわかんないけど、たぶんある前提で)だと必要以上に破壊してしまう可能性がある。
それほどの戦果になる、と言うことだ。
『それをロー、お前にやる』
『それを見せれば、こちらの世界の人間は大抵どうにかなる』
『聞くところによれば、換金すれば一生は食っていけるほどのものになるらしい』
『人間社会では「金」と言うものが必要なのだろう?』
『だからそれを、今後の活動資金にしろ』
『その代わりとは言わんが……』
妹、ね。
『喧嘩別れをしたんだ』
『だから会って謝りたい』
『それだけなんだ』
大切なものは失ってから気づくと言うけれど、俺はどうなんだろうな……。
元の世界に帰りたいとは、正直思ってない。
だから、レッドの言うことに同情はできても、共感する気には全くならなかった。
『竜種の世界では見つけられなかった、と言うことは、人間社会で生きている可能性がある』
『一般に人竜は、見た目がほとんど人間と変わらない、らしい』
『ただ一点、髪の色だけが異なる』
『竜だった時の鱗の色に左右されるらしい』
『オレは赤だから、人竜になれば髪が赤くなるのだろう』
『妹はきれいな緑色の鱗をしていた』
『透き通るような緑だ』
『だから髪の色は緑に違いない』
『そんな人間をオレは見たことがない』
『つまり一般的ではないだろう』
『一目で気づけるはずだ』
そんなこと言われてもな。
俺はここまで人という人を、ただの一人も見かけていないのだ。
何を基準に一般的ではないと考えればいいのか、その指標が全く分からない。
そんな中、「一目で気づける」だなんて。
無茶にもほどがあるってもんだ。
『……難しいか』
変な質問をするな。
素直に「難しい」と答えれば、がっかりした表情にしてしまうだろうし、相手を慮って「難しくない」と答えたところで、このドラゴンは「何故嘘をつく?」とか言ってくるのだろう?
もう、そうしたら、「善処する」としか言えないじゃん。
『すまない』
謝られてもなぁ。
なんていうのはおくびにも出さない。
表情にそれらしいことを出しただけでも、確実にばれる。
『それともう一つ』
そう言って、レッドは自分の口の中に手を突っ込んで、
思い切り歯を、
引き抜いた。
ご想像にお任せします。
『それを町で加工してもらえ』
そう言って手渡される。
なんかヌチャってしてる。
別段臭いってわけじゃないんだけど、顔をしかめずにはいられない。
『竜笛と呼ばれるものが作れるはずだ』
そういうレッドは、気にした素ぶりを見せない。
こういう反応は想定の範囲内だったのかもしれない。
『その昔、人間どもがオレたちをおびき出すために、竜種の歯を加工して作ったらしい』
竜にしか聞こえない音が出るらしい。
原理的には犬笛と一緒でいいのか?
『何か情報が得られたら、それを使ってオレを呼んでほしい』
あ、そう言えば聞き忘れてた。
『む? 名か?』
それがわからなくちゃ話にならないからね。
『スイ・ドラゴルーツだ』
「スイ」ね。
レッドの妹だからてっきり、ブルーとかグリーンとかそういうのをイメージしてたんだけど……。
英語と丸っきり一緒っていうわけじゃないのね。
『よろしく頼む』
深く頭を垂れ、ドラゴンは飛び立った。
そしてそのまま俺は、町へと向かうことになり、今に至るのだが……。
――――――――――――――――――――――――
「いい加減、何か話したらどうだ?
生まれは? 名は? 通行手形も無しに、いったいどうやってここまで来た?」
ひどくかび臭い。
土っぽくって、埃っぽい。
床は茣蓙の様だが、あまり意味を成していない。
薄過ぎる。
地面からの冷気を防げていないのだ。
地上の茹だるような暑さはなくなったが、ここは逆に肌寒い。
と言うか普通に寒い。
吐く息が白くなるし。
温度調整どうなってんだここ?
松明がいくらか焚かれているように見えるが、あんなんじゃ照明としても、役目を果たせていないように感じる。
無論、寒さ対策にもなっていない。
とてもじゃないが、こんなところ、さっさと退散したいというのが本音だ。
しかしそうも行かない。
手首には手枷、足首には足枷、部屋は鉄の格子で仕切られ、目の前には顔の濃い番兵が一人、うずくまるこちらに顔を近づけ、覗き込んでいた。
どうやら地下牢の様です。
「だ、だから、異世か」
「そんなことを聞いてるんじゃない、生まれはどこだ?」
そう言って、手に持っていた何かしらの棒で思い切り頬を叩かれた。
枝? の様に見える。
そんなものでいきなり叩かれる経験なんてないから、得物が何なのか全然わからん。
しかもだ。
言葉の勢いと、腕の振りおろし加減が全然一致してない。
脈絡もなく叩かれたから、くっそ痛い。
不意打ちにも近いし。
口の中が妙に鉄っぽい味がする。
多分どこか切れてる。
そういえば腹減ったな。
この世界に着いてから、まだ水しか口にしてない気がする。
「どこだ?」
威圧的だ。
顔面の濃さと、男が長躯である関係もあるのだろうが、それら以上に言葉によるものが大きい気がする。
町に着くなり、最初に出会ったのが、目の前にいる顔の濃い男だ。
と言うか、なんで俺が出会うのは男ばかりなんだろう。
いや、ライトノベルの王道としては、最初に出会うのがキーとなるはずなんだから、そこは女の子じゃなくても問題はない。
ドラゴンだったし。
だけど、次に出会うのが、こんなむさいおっさんなのは全然納得がいかない。
筋骨隆々。
鎧を着込んだ町の番兵。
いかにもな出で立ちの中年男性。
そして思う。
別にそこは徹底して男にする必要なくない?
いじめ?
ボーイミーツガールでいいじゃん。
ボーイミーツガイとか全然望んでない。
美少女番兵でよかったじゃん。
女体化で全然いいじゃん。
何でおっさん?
しかも草原の次が地下牢とか、どんな土管工のヒゲおやじだっつーの。
「だ、だから……」
言ったそばから殴られた。
痛い、と言うか熱い。
傷が熱を帯びたように熱く感じる。
言いたい。
すごく言ってしまいたい。
これが尋問と言うのなら、全てを丸々話して楽になってしまいたい。
だが言えない
つか言わせてくれない。
話したくても話せない。
話させる気がない。
話そうとして口を開く。
殴られる。
弁解をしようとして口を開く。
殴られる。
文句を言おうとして口を開く。
殴られる。
もう何回かこのやり取りを繰り返して、ようやく悟った。
死ぬ。
今度こそ死ぬ。
体調云々ではなく、肉体のダメージ的に。
視界の状態も悪いし、何より寒い。
肉体のダメージは、その前の脱水症状の時より、問題があるレベルまで来ているかもしれない。
主観的に。
あと精神的にもだめだ。
拷問に近い尋問のはずなのに、相手はこちらの話を聞こうともしない。
どうすればこの殴打が終わるのか、まったくもって皆目見当がつかない。
瀕死の状態なのに、根性論で戦わされ続けてるモンスターみたいな気分だ。
目の前が真っ暗になっていく。
何かこの寒さが逆にありがたいと言うか。
徐々に徐々に、
意識を奪ってくれる心地よさが、
ありがたく感じ
「はい起きる」
ない。
冷たくない。
ん?
温かい?
いや、暑い?
いや、熱い!
「あっつ……!」
水をかけられ目を覚ます。
失礼。
水じゃない。
お湯だ。
熱湯。
「顔面殴られるくらいじゃ死なないよ」
あっははと元気のいい笑い声が響く。
ハスキーではあるが、女性のものだとわかる。
牢の中にはいつの間にか、一人の女性が立っていた。
うっすらとだが、存在があることは確認できた。
褐色の肌に細見の体つき。
背丈は恐らく高い。
隣に並ぶ番兵と肩を並べているのを見ても、遜色はないように感じる。
一方で、服装は何だろう。
RPGで剣士が身に付けるような、軽めの鎧を纏っている様には見えるのだけれども、どうにも違和感を感じる。
ただ単純に、頭が朦朧として、意識がはっきりしていないせいかもしれないが。
番兵の男はそちらを向き頭を下げていた。
ヒロイン? なのかもしれない期待が微かにある。
絶体絶命なのに余裕あるな、俺。
前言撤回。
死なないわ、これ。
ただ、そんな気持ちを表に出す元気はない。
初めて出会った女性だというのに、意識がはっきりしないこともあってか、全然現実味がない。
つか本当に女?
天国に行ってしまった俺の、妄想の産物とかじゃないの?
妄想にしたくはないけど。
「おい、モンド。
あんたは業務に戻りな。
後の処理はこっちに任せなよ」
「で、です……いや、なら、ま、任せることにしよう」
番兵の名前は「モンド」と言うらしい。
女性の言葉に従い、モンドは錆びついた牢の扉を開け、そのまま足音が遠ざかっていった。
「さてさて、名も知らぬ少年くん?」
こちらの顔を覗き込み言ってきた。
「まずは自己紹介から始めようか」