俺と疑念
『異世界からの来訪者、というのは、さして珍しいことではない』
俺からの大雑把ないきさつを聞いて、ドラゴンから出てきた第一声がこれだった。
「いきさつ」と言っても、そう大したものではない。
気づいたらここにいて、彷徨って、死にそうになって、それを目の前の相手に助けてもらった、といったくらいだ。
元の世界のことは語る必要は、今はないだろう。
話し出したら多分キリがない。
なら、省いてしまった方が楽だ。
嘘をついたことにもならないし。
そして、その説明を話している間、このドラゴンは大人しくしていた。
うなづくでもなく、相槌を打つでもなく、ただじっと俺の顔を眺めながら、黙って聞いていたのである。
話し終え、少しの間逡巡して、まず発したのが先ほどの言葉だった。
『無論珍しくないとは言え、数が多いとは言えん。
その存在を認知している者も、ごく少数だ。
だが、我々竜種はお前の様な者をよく知っている。
よって、オレにとっては珍しくないのだ』
そしてドラゴンは深々と頭を下げて言い放った。
『名乗り遅れたな、大恩ある者よ。
我が真名はレッド。
赤き始祖を持つ偉大なる者たちだ』
なんと言うか、ひどく仰々しい。
自分のことを「偉大なる」とかって言っちゃうあたり、ひどく痛々しい。
これ、字面としてみたらヤバそうだ。
きっと「赤き始祖を持つ偉大なる者たち」って言葉の上に、小さくルビで「レッド・ドラゴルーツ」とか書いてあるに違いない。
中二全開だ。
聞いてるだけで恥ずかしくなる。
と、そう言われてふと思う。
「えっと、その、さっきも言いましたけど、「大恩ある者」って言い方、やめません?
俺、じゃなくて僕、大したことしてないですよ?」
そう、大したことはしてない。
俺みたいな、ほとんど筋力もないような奴が、背中に刺さっていたものを抜く、手伝いをしただけだ。
俺じゃなくてもしてただろう、あの(ひどく恐ろしい)状況だったら。
もちろん、あれを人間がされていたら、命の恩人どころの騒ぎではないことはわかる。
刺さる時点で即死ものの案件であるし。
そうでなくとも、無理に抜こうとすれば、失血多量のショック死なんていう可能性の方が大だ。
しかし彼はドラゴンだ。
いくら弱っているように見えても、血も止まっていたし、俺が抜けるぐらいには(苦労はしたが)緩く刺さっていた。
つまり俺がやらずとも、誰かしらが助けてくれたに違いないのだ。
人間が戦争を起こそうとするぐらいだ、数も少なくないはずである。
しかし、
『いや普通であれば、オレはあの場で野垂れ死んでいたはずだ。
それを救ってくれたのが、お前だ。
なら、その呼び名とて、別段不思議はあるまい?』
いや、めっちゃ不思議。
めっちゃくちゃ不思議。
不思議以外の言葉が見当たらないくらい不思議。
コミュ力の高さ、腕っ節の強さ、脅しの恐さ(?)、どれをとっても誰かしら助けてくれそうな気がする。
『……ん?
なるほど、そういうことか』
何かに気づいたらしい。
『お前は、お前の世界の常識でものを言っているな?
死にかけの奴を救うのは、世の中の道理であると。そういうことだな?』
そういうこと、なんでしょうか?
『なら、お前にはこちらの世界の常識を教えねばならんな。良いな?』
まあ、良いですけど。
無論、その手の話に興味がないわけではない。
郷に入っては郷に従え、ではないけど、異世界には異世界なりの常識ってものがある、はず。
だったら、それを知っておいて損はないはずだ。
損はない、はずなんだけど……
それをドラゴンに教えてもらうっていうのはどうなんだろう?
俺はこちらの世界でも(たぶん)人間なんだし、そういった常識的なことは、同種族である人間から教わるべきなんじゃないだろうか?
そう考えると、この場でこの提案を断ってしまった方がいいのではないか、とまで感じてしまう。
うまい断り方があるわけではないが。
しかし、
『この世界ではな、竜と人というのは互いにいがみ合っている』
話し始めてしまった。
こちらの反応を待たずして、勝手に話し出すドラゴン。
表情が得意げに見えるのは気のせいだろう。
こうなったら最後まで聞いてみるか。
『その結果、二千年ほど前には大きな争いが起きた。
人間どもの歴史では「竜人戦争」と言うらしいがな。
あんなのは「戦争」何かじゃない、「殺戮」だ。
人間どもには竜種というのは、相当害のある生物に見えていたらしいが、竜種にとって人間とはな、』
『親の仇だ』
『兄弟の仇だ』
『息子の仇だ』
『妻の仇だ』
『そして、あんなことをするのは生物とは言わん。ただのクズだ。
だから、そこから今までの間、人間と関わろうなどと思う竜はほとんどいなかった。
見つけ次第、憎しみのあまり潰してしまう者が大多数だろうからな。
それでも、もし、人間社会に溶け込むため、人間に化け紛れ込んだような愚かな奴がいるなら、そいつはもう竜とは言わん』
『人竜となる』
『故に竜は人竜とは関わろうとは思わん。
一族の仇に傅いた愚か者だからな』
『故に人竜は竜とは関わろうとは思わん。
一族の怒りを買って死ぬのがオチだからな』
『故に竜は人とは関わろうとは思わん。
無残なまでに消し飛ばしてしまいたくなるからな』
『故に人は竜と関わりたい。
残党狩りをして、世界に自分の名を売りたいのだろう』
『故にわからなかったのだ。
人竜と嘘をつき、近づいて来たお前が。
しかも、人間だとバレて、尚、攻撃を仕掛けてこなかったお前が』
圧がすごい。
言葉の端々から伝わってくる怒気。
憎しみの連鎖は止めなくてはならない、なんて言う人や作品はあるけれど、しかしそれを言えるのは当事者じゃないからだと、俺は思う。
復讐をするのは自己満足だ、と主張する人もいるけれど、しかしそれを言えるのもまた当事者じゃないからだ。
このドラゴンは正にその真っ只中にいるのだろう。
復讐したい、憎しみを果たしたい。
字面は淡々としていても、しかし、その言葉に込められた怒りは本物であった。
だからこそ、
「だ、だからこそ、矛盾を感じていたと。
本来なら、憎み憎まれる関係性なのに、こんな風に命を救って救われて。
恨むに恨めず、殺すに殺せず」
『ああ、そういった意味での「大恩」だ。
人間からすれば、我ら竜種は何をしでかすかわからんただの化け物だ。
あの場でお前に声をかけたのも、ちょっとした気の迷いだったのかも知れん。
しかしそのおかげで、オレは生き延びることができた。
竜種にとって人間は仇ではあるが、しかしお前自身はそうではない、ただの童だ。
だとすれば、この様に呼んだとしても不思議はあるまい?』
不思議ではなくなりましたが……
腑に落ちたかと問われれば……
なんとも表し難い。
大前提として、
「そもそも、何で仲間に助けてもらわなかったんですか?
人間が真っ向から戦争を仕掛けるような種族でしょう?
だったら数だって少なくないはずです。
故郷とか、それこそその辺にいる同じドラゴ、じゃなくて竜種の人に助けてもらえばよかったんたんじゃ……」
とそこまで言って気づいた。
否、ちょっと考えればわかることだ。
人間に声をかけるほど切羽詰まっていた。
つまり、仲間には声をかけられなかった。
仲間には声をかけられないこと、つまり近くにいないか、あるいはいるけれど会いには行けないか。
近くにいないなら早急にでも行けばいい。
しかし、後者だった場合。
「……仲間内で何かあったんですか?」
『竜種の中では察しがいいことは、美徳と思われているのだが、なるほど、確かに余分な説明を省けてだいぶ楽だな』
そこまで言って、はにかむドラゴン。
『端的に言って、家庭内トラブルだな。
その尻拭いをするためにここにいる
だから、他の奴らには迷惑をかけられなかった、そういうことだ』
だいたい理解できた。
理解できたには理解できたが……、まだ肝心なところがわからない。
そもそも、何故人間に話しかけ助けてもらおうとしたのか、それがわからない。
無論、切羽詰まっていたからといってしまってもいいのかもしれない。
仲間に迷惑はかけられないから、その辺にいた人間に声をかけたのだとは思う。
しかし、その一方で、これ程までに憎む相手に、助けを請うものなのだろうか、という疑念がなくならない。
それこそ再三思い出すが、ドラゴンにつけられたあの傷は俺が見たときにはもう治っていた、否、塞がっていたのだ。
つまり、傷をつけられてから、俺に声をかけるまでには、随分と余裕があったと考えられる。
恐らく、最初は誰に声をかけるつもりもなかったのだろう。
だからこそ、傷が塞がるほどの時間が経過してしまったのだ。
しかし、ここへ来て急に助けを求めた。
それまでいくらでも時間があったのに、だ。
他の人間に声をかければいいのに。
もっと力がありそうな奴にすればいいのに。
恥を忍んで助けてほしいと言えばいい話なのに。
弱る前の方がより助かりやすいのに。
しかし、このドラゴンはそれをしなかった。
何故か。
何故か、傷が治るほど時間が経ってから、俺みたいな子供(童、童と言われているから、恐らく子供と認識されているのだろう)に声をかけたのだ。
まったくよくわからん。
しかし、
『して童よ』
ドラゴンが口を開いたおかげで、この疑問に対する正式な回答は得られなくなってしまった。
『そうは言うが、お前はオレに何と呼ばれたいのだ?』
名前に決まってる、そう言おうとして思い出す。
「あ、ご、ごめんなさい。
ま、まだ名乗ってない……」
恥ずかしい。
話し相手は(人間じゃないにしても)惜しげも無く、自分の名前を披露してくれた。
真名と言うくらいだ、本来他人には教えないはずのものを、俺みたいな素性も知れない人間に教えている。
それなのに俺は。
自分のいきさつを語るだけ語るとか。
「えと、さ、桜川」
そこまで言ってふと思う。
ここって中世的世界観だよな?
RPG的な?
だとすると、
「ろ、緑郎。
ロクロウ・サクラガワです」
恐らくこの言い方が正しい。
そうすれば自ずと、
『ロクローか、いい名だな』
ファーストネームで呼ばれる。
よっし、とりあえず名乗りは問題な
『であれば、オレはこれから、童、お前のことは「ロー」と呼ばせてもらおう』
……いやいやいやいや。
何でさ!
いや確かに、長い名前のときは、普通に起こり得るイベントなのはわかる。
特にヨーロッパ圏は、そういうのが顕著だったような気がする。
ジョナサンがヨナになったりとかさ。
でもそれはそれ。
名前で四文字って長い?
普通にロクロウでいいじゃん?
しかも何で「ロク」じゃないのさ?
何だよ、あえての「ロウ」って?
しかも発音的には「ロウ」っていうか、「ロー」って感じにされたし!
納得いかん!
クレーマーにでもなってやりましょうかぁ?
あぁん?
「じゃ、じゃあ、それで。
よ、よろしくお願いします、レ? レ、レッドさん?」
などと言う度胸は俺にはない。
いたって普通のチキン野郎です。
ジョナサンだって、見ようによっては四文字だし。
『さん、などいらぬ。
普通にレッドと呼べ』
「さん」どころか「様」を付けたくなる。
本人には、恐らく却下されるだろうから、何も言わないけども。
「じゃ、じゃあ、レッド……」
ううむ、違和感しかない。
『うむ。それでだ、ロー。
お前、この後どうする?』
特に考えてはいなかったが、しかし、このままと言う訳にもいかないだろう。
取るべき行動とすれば、
「い、一番近い町に行こうかと……
こちらの人間社会にも、馴染まないといけないですし……」
そうだ。馴染まないとならない。
金もなければ飯もない、雨風を避けられるような所すら、見つけられていないのだ。
まずは衣食住。
それが最優先事項だろう。
元の世界にどうやって戻るかなんて、後から考えても何ら問題はないはずだ。
そもそも、あまり戻りたいとも思ってないし。
『そうか』
一言そう呟いて、腕を組む。
『ならばオレは、お前に町の位置を教える』
そして続けた。
『その代わりと言ってはなんだが、頼みを聞いてくれないだろうか』
『妹を探してほしい』
現在のストックはここまでです。
なるべく早めの更新を目指しますが、私事が現在大変な時期に差し掛かっており、なかなか続きはかけない状況にあります。
唐突に次話投稿される場合もありますが、ご了承ください。