彼と私
第一印象は決していいとは言えない。
人間というものは、どいつもこいつも似たり寄ったりだと感じていたからだ。
いつも私たちを卑しい目で見てくる。
いつも私たちを家族と引き離す。
いつも私たちの言い分など聞かず虐殺を繰り返す。
そんな愚かさに兄は魅かれていた。
興味本位で攫ってきてしまうほどに。
どうしてこんなにも愚かしく弱々しい生き物なのだろうか。
これが兄の口癖だった。
だから私は兄と喧嘩した。
それでは人間と同じだ。
卑しい目で見、家族と引き離し、虐殺する。
だからこそ私は竜種の世界を離れた。
秘術を使い人間に接触し、その社会を知る。
そうすれば兄の言葉に疑問を持たなくなるのではないか、そう考えたからだ。
しかし、そんなことはなかった。
接触しても言葉が伝わらない。
相互の理解ができない。
したがって、私の中で人間というものを理解することは、到底不可能な現実であると思い知らされた。
そんな中、彼との接触は不思議な感覚に陥られた。
まず私の言葉を人間が知っているという恐怖。
そして私を満たしてくれる安心感がそこにはあった。
何故か。
何故か私は彼に対して好意を抱いていた。
それが愛情ゆえのものなのか、信頼ゆえのものなのかは判別がつかない。
しかし、一つ言えることがあるとすれば。
彼の存在が今の私を形成する要素として、少なからず貢献している事実があるということだ。
彼がいるから今この場で生きているのだと思うし、あの薄暗く冷え切った空間から抜け出すことができたのだと思う。
だからこそ、彼の言葉には従う。
それが別離であったとしても受け入れる。
当然のことだ。
私にとって彼は必要不可欠な存在であることに違いはないが、彼にとって私はこれといって対して重要視するべき存在ではない。
彼が必要ないと判断したなら切り捨てる。
彼が置いていくと判断したなら放置する。
私の感情よりも彼の行為を尊重する。
だからあのとき、あの卑しい牝からきつい臭いが流れ出てきていたことにも許容した。
彼が奴と行くことを判断したのだ。
ならどうして私にそれが止められよう。
なすがまま、流れるがまま彼の言葉には従うべきなのだ。
そうして私は彼を見送った。
だが今はどうだ?
見送ったつもりが走り出している。
彼とここ最近、四六時中行動を共にしていた女は私に語りかけてきた。
私に通じる言語で。
「彼が危ない。助けに行きなさい」
信用はしていなかった。
あの緑髪の牝のにおいも相当なものではあったが、彼女の方もここ数日行動を共にする間にも、着実に濃いものへと変貌したことが手に取るようにわかっていたからだ。
だが。
多くの嘘をついてきた彼女の言葉ではあったが、しかしその言葉は臭くない。
それに笛の音も聞こえた。
嫌な音。
私たちにとってあれは花の蜜のようなものだ。
否応なく引き付けられてしまう。
吹いたのはおそらく彼だ。
どこで手に入れたか知らないが、彼はあの頭の固い兄の鱗と牙を持ち歩いていた。
特に牙は蜜音笛へ加工し、使い方を教わっていたようにも思える。
兄は人間の呼称の仕方に興味があったのか、いつまで経っても人間と同じように竜笛と呼ぶことを止めなかった。
その興味がどこから来るのか、それを知りたくて社会に入り込んだというのに、ついぞそれは謎のままで終わってしまっているのだが。
そこで思った。
彼に迫る危険とは兄のことではないかと。
あの男は、自身の興味のためだけに人間と接触するような変態性がある。
それに彼が巻き込まれたのではないか。
そうだとすれば彼女の言葉にも合点がいく。
そうして私は走り出していた。
途中私の進行を遮るが如く、複数の人間が待ち構えていた。
妨害だ。
彼と私とを引き合わせないための兄の手先。
なら。
あのときのように分断するだけでいい。
襲ってくる手があれば引き離せばいい。
考える頭があれば引き離せばいい。
進行を邪魔する足があれば引き離せばいい。
行く手を遮るものはすべて動かなくさせれば、それで万事解決だ。
そうして最後に見えたのはあの牝。
彼に近づき刃を突き立てている。
それだけで理由は十分だ。
私は奴から、彼に突き付けている腕を掻っ攫い、赤にまみれた自身の体を更に染めることにした。




