俺と再会
「あの……」
不意に声をかけられはっとした。
町を一歩外に飛び出し、そのままスイさんとともにこの草原を次の町を目指し、西へ西へと進んでいったはいいものの、しかして俺は、初対面である彼女とどのようにして距離を詰めればいいのか、全くわかっていなかった。
まぁ、本当に次の町に向かっているというわけじゃないけども。
本来の目的は次の町を目指すわけではなく、あくまでもレッドと合流し、スイさんを引き渡すことにある。
しかし、ここにきて一つ問題がある。
確かに竜笛を使用することで、彼を呼びつけることができるというのは理解している。
しかし俺には、それがどういう形で両者を引き合わせるのかはまったくわからない。
呼んだら飛んで来てくれるのか。
はたまた召喚されるのか。
もしかすると謎空間へのワープだって考え得る。
それほど謎に満ちているのだ。
加工店の店主に聞いとけって?
忘れてたんですぅ、うっかりしてたんですぅ。
で、その内容次第ではレッドを他の人間の目に晒すことにもなりかねない。
あの巨体が飛来したら、遠方にいても往々にしてバレてしまうであろう。
だからこそ今は歩を進めている。
リスクが少なく、確実な再会を見込めるように、なるべくあの町から離れていこうとしているのだ。
「……」
で、ですよ。
そういった考え事は確かに必要だし、用心に用心を越したことはないのだけれども。
しかし、会話がここまで一つも行われ無かったことに、俺だって少なからず焦りというか、不安が無かったわけではないのだ。
でもさ。
いやぁ、だって無理じゃんそんなの。
ほぼ初対面ですよ、俺たち。
まぁ、初見は勢い余ってというか、その場を丸く収めるために、俺の人生の中で最大の博打を打ちましたけども。
あそこがピークです。
初対面の相手に抱きつくなんて普通じゃあセクハラ、いやそんなもんじゃすまない、速攻御用になってお縄を頂戴することになってしまう。
どうあがいても牢屋行き案件だ。
しかし、あれはどうしても必要な手順だった。
それに関しては過去の自分に異論はない。
だからといって、今日あんなことをしてしまった相手と会話を行えるほどの、メンタルはもうこれ以上自身には備えられていない。
無理です。
あ、あと。
ギンのときとは全然違うんです。
彼女のときだって最初はどう接していいものか、どう向き合うべきなのかすごい迷ったし悩んだ。
でもそのときは時間があったのだ。
一週間ほどの猶予があった。
だからこそ打ち解けることができたのだ。
今はどうかと言うと。
ちらっとスイさんを横目で見る。
一瞬にして目があった。
やばい、見なかったことにしよう。
というわけで。
無理です。
無理なんです。
「あの……」
そんなこっちの気持ちを察してくれたのか、スイさんから俺に声をかけてくれた。
なんて返事をしよう……
「どうかしましたか?」か?
「今日も快晴で気持ちがいいですね」とか?
「僕ロクロー・サクラガワって言います」みたいな自己紹介か?
で、悩んだ挙句。
「あ、あの!」
「は、はい、はい、なんでしょう、はい」
定番のしどろもどろになってしまった。
情けない。
「あの、今はどちらに向かわれているんですか?」
丁寧な言葉遣い。
こういう妹欲しかったなぁ。
で俺はと言うと、
「あ、えと、その、ひ、広いところ、そう、な、なるべく遠くて広いところに向かってます。
こ、これから、レッドを呼び出そうと思うんですけど、あ、あまり人目につかないところがいいかなって」
わかってくれたかしら。
うん、たぶんわかってくれた。
俺の言葉を聞いて、何やら考え込むように顎に手を添えてるし。
「な、何か考え事ですか?」
「え? あ、ちょっと気分が悪くて、なるべくなら水辺の方に行きたいんですけど」
まじか。
体調の変化なんて全然気づかなかった。
観察力不足だわ、はぁ。
なんて落ち込んでいる場合ではない。
こちらの世界に来た際、レッドに教えてもらった川はあの町沿いにある。
少し離れてしまったが、今から川沿いを目指し進んでも大した路線変更にはなるまい。
結局町へ行きたいわけじゃないしね。
「わ、わかりました。じ、じゃあ、いったん町の方まで戻りましょう。そ、そっちの方がわかりやすいですし」
スイさんはコクンと頷くと、特に不満を示すことなく来た道を遡り始めた。
そこからは他愛無い会話を少しではあるが行って、順調に楽しく歩みを進めることができた。
例えば、
「レ、レッドって、どういう奴なんですか?
い、妹さんにそういうのを聞くべきでは無いとは思うんですけど……」
「……秘密主義でして私にもよくわからないんです。
でも、基本的には凶暴で冷酷な人ですよ、好物も人肉ですし。
暴力的で誰からも恐れられていました」
「へ、へぇ……。は、話したときは、そんな風には感じなかったんですけどね」
「身内であっても、中々そんな姿を目にすることはありません。
……まぁ竜種なんて誰も彼も獰猛ですし、彼に限った話では無いのは確かですが」
とか、
「レ、レッドと喧嘩別れしたって聞いたけど、ど、どういう内容だったんですか?」
「……忘れました」
「え、あ、そう、なんですか……」
「取るに足らない理由でしたから。
兄とはいつもそんな感じです。だから嫌気がさしてしまって」
「な、なるほど……」
とか。
なんというか。
兄妹仲悪っ!
いやさ、喧嘩別れしたってことは聞いてたけどさ、これほどまでに兄妹間の関係性が悪化しているとは予想できないです。
口を開けば悪口とか。
喧嘩するほど仲がいいとも言うけども、これは嫌悪というか、憎悪の対象ですらあるかも知れない話しぶりだ。
なんか……
嫌だなぁ……
兄妹の感動的な再会、からの町までの小旅行的なのを狙っていたのに、これでは、険悪な一触即発状態からのいがみ合い針の筵移動になってしまう。
それは完全に嫌だ。
どうにかして仲を取り持つ必要がある。
更に新情報。
好物は人肉とか。
あのとき食われなかったのが奇跡な気がする。
ひょっとするとスイさんも、こうして並んで歩いている間にも、どの瞬間で噛みついてやろうとか考えているのだろうか。
いや、人に好みがあるように、ドラゴンにだって好き嫌いはあるはずだ。
レッドが人肉好きだとしても、スイさんもそうであるとは限らない。
うん、限らない限らない。
そういうことにしておこう。
青々とした草原を抜け川が見え、町とは反対の方へ進んでいく。
体調が悪いと言っていた彼女の表情は、しかし、より一層険しいものになっていた。
何というか汗の量が尋常じゃない。
確かにこの地域はとてつもなく暑い。
毎日、太陽が仲良く三つ並んでいる時間帯は、うだるような熱気が地表を襲い、夜はその反面激しい寒さが体の芯まで凍てつかせる。
暑いことは暑い。
それでも一週間と少しであっても多少は慣れる。
俺でさえなんとかなってしまっている。
しかし、隣のスイさんは汗が止まらない。
この世界の住人であるというのに。
出発前よりも今の方が酷い。
まぁ、水が近いのだからそのあたりは安心ではあるが。
俺みたいに、脱水症状で倒れる、なんてことは絶対にないだろう。
そして数分進んだのち、少し開けた場所に出た。
障害物が少なく、背丈の高い植物も存在していない。
長く続く川もここだけは妙に幅が狭いし、町はだいぶ小さく、入り口付近にいるであろう番兵も一切目視できない。
うん、こんなところだろう。
あとは、俺の気持ち次第だ。
ふぅ。
…………よし。
「そ、それじゃあ、いいでしょうか?
り、竜笛を使って、お兄さんを呼びますね」
「ええ」
仲が悪い割に呼び出すことに対しては躊躇が無いんだな。
バックパックから竜笛を取り出す。
使い方は教わった通りに、先端から根元に向かって思い切り息を入れる。
…………
………………
……………………ん?
鳴った?
鳴った、ん、だよね?
……もっかい吹いとく?
いや、でも、三回が使用上限だって言ってたし、無駄遣いをするわけにゃあいかないよな。
だけど成功して無かったら問題だし。
うーむ。
「せ、成功ですかね?」
あれ? 反応が無い?
上空を睨んでる。
険しい、実に険しい表情で。
上空?
デカい飛行物体が見える。
鳥か? 飛行機か? いや、スーパーマ、ではなく。
どうやら成功したようである。
おーい、と手を振ってみる。
すると向こうは火を吹いて応じてくれた。
うん、物騒極まりない。
あと多少怖さもあることを忘れてた。
好物は人肉。
うん、物騒極まりない。
そして唐突に落下してくる巨大物体。
うん、物騒極まりない。
俺たち二人の正面に勢いよく着地し、土煙を大量にあげた生物はその首をゆっくりともたげ、巨大な両翼を広げその姿を露わにさせた。
『久しいな、大恩ある者、ローよ。
竜笛の音、それに導かれこちらに来てみたがどうかしたのか?
何かスイに関する情報を手にしたのか?』
一週間弱ぶりであっても彼の態度に変化はない。
変わらず仰々しい物言いで、こちらにフレンドリーに接してくる。
まったくもって大した人だ、否、ドラゴンだ。
そして。
おりょ?
おりょりょ?
俺の隣にその本人がいることに気づいてない?
それもそうか。
元々のドラゴンの姿ではないのだ。
再会した瞬間に喧嘩勃発と思っていたのだが、どうやらその火蓋を切って落とすのは俺の役目らしい。
気合を入れろ櫻川緑郎。
ここが大事だぞ。
やれ、やるんだ、ロー。
「あ、えと、手にしたというか、見つけたというか……」
気分と言動が裏腹だ。
しょうがないよ俺。
頑張ったよ俺。
さぁこっからが修羅場だぞ俺。
『見つけた?』
少し首をかしげると、レッドは周囲の大気を取り込むが如く、大きく鼻から空気を取り込み、そして吐き出した。
その行為で更に土煙が上がる。
土煙大好きかよ。
『確かに、ローからは嘘の匂いはしない。
それに僅かではあるが、スイの匂いも感じ取れる。
どこだ? どこで見つけた?』
「あ、いや、だから、ぼ、僕の隣に……」
『隣だと?』
目線をそのまま俺からスイさんへと移すレッド。
ああ、これで俺の平和な旅路も終了か。
短い時間でしたがお付き合いありがとうございました、これからよろしくね殺伐とした空気。
さぁ、感動のご対面だ。
「お久しぶりです、お兄様」
『誰だこいつは、ロー?』
「会いたかったです、全身全霊をかけて」
『俺のために人間を用意してくれたのか?
が、それには及ばんぞ。復讐はこの手で果たしてこそだ』
「再会できる日を何より待ち望んでおりました」
『それに何よりこいつは臭い』
ん?
会話が一向に噛みあっていない。
お互いの話を聞いていない、と言うよりはお互いの言葉を理解していないように見える。
それに、表情も両者ともに方向性が異なる。
レッドはと言うと、こちらの意図を掴めないことから生じる疑念のようなものを。
逆にスイさんはと言うと、口角を上げ笑みを見せているようにしているものの、その顔全体は決して笑顔と呼べる代物ではない、なんとも不自然なものをしていた。
更に聞き捨てならない言葉が一つ。
「え? 臭い? 彼女が?」
レッドの言う匂いとは、純粋な嗅覚じゃないことくらい、最初に教えられた。
ならあいつの言う臭さとは、
『ああ、全身嘘の匂いが強い。
臭くて臭くて鼻が曲がりそうだ』
「で、でも、彼女は妹さんだよ?
そ、そういうのは流石にどうかと……」
『妹? 誰の?』
え?
いやいやいや。
「レ、レッドの」
『それは無い、こいつはただの人間だ』
は?
『それよりスイだ、どこで見かけた?』
いやいやいやいや、それどころじゃあない。
さっぱり訳が分からない。
じゃあ今ここで、今この場で、レッドに一方的に話している彼女はいったい何者だというのだ?
「え、と、その、スイさん?」
「……はい」
「あなたはスイさん、で、すよね?」
「いいえ」
「私はあなた方を殺す者です」
……は?
……は??
……はぁ???
思考が完全に出遅れた。
そして俺が彼女に誑かされ、レッドの元にまんまと案内させられたのだと気づいたときには、時すでに遅し。
彼女は一切表情を変えることなく、俺の脇腹に短剣を突き刺していたのであった。




