俺と少女
「……え、と。
その、名前……聞いてもいいかな?」
沈みゆく夕日に照らされ、茜色に染まった出店。
その一角に俺たちはいた。
座席からでも店の奥から、熱せられた油がはじける調理音と、食欲のそそる良い匂いはいやでも感知することができる。
まあ、そこまで腹は減ってないんだけれど。
あと、この世界でも夕暮れと言うものは存在するらしい。
それも特別綺麗な。
月は東に日は西に、と言うが、この世界の日は三つともに仲良く西に姿を隠して行っていた。
この分だと明日も晴れかなと、つい考えてしまう。
コーラルさん曰く、「自称」太陽神も西に沈む理由として、「他の太陽に遅れを取らないため」だそうだ。
正直言ってどうでもいい。
太陽と張り合うあたり、この神様は相当な自意識過剰なのだろう、うん、どうでもいい。
とか思ってたら、コーラルさんの方からも
「まあ、奴の話なんてどうでいいことなんだがね」
と返された。
友達かよ。
そんなことは無いとわかりつつ、しかし、冷静に突っ込んでしまう。
いくらお馬鹿な神様だからと言っても、それでも神様は神様だ。
当然、それを信仰している人たちもいるであろうし、過激派だっていないはずがないのだ。
そんな人の前で今の話をしてみろ、死よりも酷い結末が待っている、そうに違いないのだ。
と、反芻して、先程の質問をもう一度尋ねてみることにしよう。
「な、名前、教えてもらってもいいかな?」
机を挟んで正面に座る少女、番号五五〇一は、俯いたまま質問に答える気配はない。
いや、それ以上に、こちらを見ようとしていない。
あの部屋では暗がりだった為わからなかったが、髪の毛の色は白ではなく、きれいな銀色だった。
横目でチラリと見た感じ、眉毛も銀色なのだろう。
瞳は……こちらを見てくれない為わからない。
人見知り、ではないだろう。
青ざめた顔で俯いている感じ、気分が悪いようにも見受けられるが。
しかし、吐き気を催しているようでもない。
何というか。
……恐怖?
そう、恐怖だ。
何かに対して怖れを抱いているように見える。
俺……ではないだろう、どう考えても。
どちらかと言えば、俺が彼女に対して恐怖を抱いているのだ。
だって考えてみ?
怒りに任せて奴隷商の腕、捥ぎ取るんだよ?
捥ぐんだよ?
恐怖以外の何者でもないでしょ。
そりゃ、あのとき選択したのは俺自身ですけどさぁ。
でもあのときは、ああするのが最良だと思ったんですよ。
一人、壁に頭打ち付ける。
一人、俺を誘惑して来る。
一人、復讐する気満々。
一人、助けてとつぶやく。
誰を選ぶかって言われたら、そりゃあ四番目一択でしょ。
二番って言う手もあると思うかもしれないけど、事前情報ありだったからね? 前科ありだったからね?
ハーレムを目指したくはあるけど、あんな物騒な奴を加える気は毛頭無いのだ。
いつ死ぬかわからない私生活とか、普通に嫌じゃん。
まあ、この子を怒らせたら多分それの比ではないんだろうけど。
だから俺が恐怖を感じることは、理解してもらえると思う。
じゃあ、彼女は?
彼女が恐怖を感じる要因は、一体どこにあるのだろう?
外の世界に対してか?
いや、檻の中で俺に指名されたときから、既に怯えた表情だった。
むしろ、あのまま檻の中に閉じ込められている方が恐怖な筈だ。
人身売買の売り物として扱われ、いつ殺処分されるかもわからない状況なのだ。
だからこそ、怒りに任せて腕を捥いだのだろう。
たぶん。
なら、外に出ること自体には恐怖はない筈だ。
では何だと言うのだろう。
うーん。
考えても埒が開かなかった。
なら、
「じゃ、じゃあ、こっちでとりあえずの呼び名を決めちゃうね」
それが楽だ。
少女も頷いてくれたし。
「おい少年くん」
隣のコーラルさんから呼ばれるも、あえての無視。
どうせくだらないことだ。
どうするか。
命名とは難しいものだ。
名前は人ひとりの人生を左右する。
だから芸能人は自分の本名ではなく、芸名を使って他人に覚えてもらおうとするわけだし、自身の名前が気に入らない人は改名をしたりするのだ。
自分が好きなものの名前をつける、という手もあるにはあるが。
それをしていいのはペットまでだろう。
あくまで他人は他人だ。
自身の興味を押し付けるものじゃない。
じゃあ、彼女自身の趣味嗜好はどうだ?
いや、無理だ。
口をほとんど開かない、どころか目もまともに合わないのだ。
そんなどころじゃない。
じゃあ外見的特徴か?
背が少し低めだから「チビ」か?
無いな。
少し痩せてるから「ガリ」?
しょうがないじゃん、囚われてたんだから。
パス。
髪の毛が銀色だから「ギン」……
安直だがこれが一番だな。
射殺せ、とか、死せ、とか言ってしまいそうな感はあるけど。
「じ、じゃあ、君は今日から「ギン」で。
よ、よろしく、ギン」
それに対する少女の反応は、
「……」
無言ではあるが、しかし確かに頷いてくれた。
よし、とりあえず第一ステップは達成だな。
ふう、と一息をつき、次のステップへと至ることにしよう。
第二ステップと問われれば、
「すみませーん」
近くを暇そうにふらついていた、おっさんに声をかける。
ただのおっさんではない。
この店の給仕、つまり、
「お、おいしい奴、三つください……」
ここで一緒に飯を食おうという作戦である。
同じ釜の飯を食った仲、とも言うように、食事を一緒に取ることは関係性作りの第一歩でもある、と思う。
と言うか、少なくとも何も策を講じず、このまま宿屋に戻るよりかはずっと建設的な計画だと思うのだ。
彼女は無口であっても、他者からの反応に対して無視を貫いているわけじゃない。
だとすれば、こちらからコンタクトを取れば、少なからずの反応を返してくれるはずだ。
また、食事の好みも気になる。
これから、たぶん(恐らく十中八九)この子と一緒に生活していくことになるだろう。
ハーレム生活の第一歩としては成功(奴隷の子をハーレム要因と言ってしまってもいいのかどうか、倫理的に大丈夫なのかどうかはわからない)だが、いかんせんこの子の好みまではわかっていない。
まぁ、俺のタイプではないが。
どちらにせよ少しずつでも味覚や、食べ物の好き嫌いを精査することは必要な手順である筈なのだ。
だからこそ、店員を呼び止めたのだが。
「え……と?」
おっさんの様子が芳しくない。
眉間にしわを寄せ、こちらを見つめてきている。
どうしたのだろう。
俺が適当に頼んだのがよくなかったのだろうか?
そりゃあ俺だって、こんな通ぶったことはしたくないですよ。
初対面の相手にこんな風に切り出す勇気なんて、本来持ち合わせてないですもの。
でもしようがないじゃん。
メニューが読めなかったんだもの。
何故か。
三人で席に着いたとき、メニューには一通り目を通したのだが、一切合財、全く読むことができなかった。
いや、何某文字のようなものは書いてあるのはわかる。
形状はアラビア文字のように、うにゃうにゃうねってあるものだ。
だから、文字と言うことは認識できているのだ。
しかし、読めない。
明らかに自身は日本語を話しているのだが、文字は平仮名でも漢字でもない、謎の文字の羅列となっていた。
この齟齬は一体何なのだろうか。
まあ、そんなことはさておき。
「……坊主」
神妙な面持ちでおっさんが訪ねてきた。
はいはい?
「お前さんが二人前食べるってことでいいんだよな?」
はあ?
何言ってんだこいつ?
この場には俺以外に二人も人間がいるじゃないか。
俺、コーラルさん、ギン、合わせて三人前だ。
「ち、違いますよ。い、一人前です」
その言葉を聞くと、おっさんは深いため息をついて俺に厳しい視線を送ってきた。
コーラルさんも口を開こうとするも、おっさんが先にこちらへ苦言を呈した。
「申し訳ねえがうちでは食わんでくれ、金はいらん。
事情があるのかもしれねぇが、そういうのは汲み取れるもんじゃねぇ。
あんただけを特別扱いするわけにゃあいかねぇからな」
そう言われ、コーラルさん共々店を後にすることとなった。
自覚はなかったのだが、不満げに口を尖らせて愚痴を並びたてていた俺に対して、コーラルさんは話してくれた。
「奴隷っていうのはね、少年くん、本来庶民が購入できるものじゃない。
金持ち貴族か、大事業主がいいところなのさ」
「……貴族はわかりますけど、事業主、ですか?」
「人足の問題さね。
大掛かりな事業、例えば街道やら橋の建設、豪邸の建築や城壁の増築なんかは国家や都市のカネで行われるもんだけどね、結局のところ人件費は下請けの事業主が支払わなくちゃいけないのさ。
冒険者組合に依頼を出して、力自慢たちに仕事を行わせるのが一番早いんだけどね、あいつらの本業は魔物討伐だろう? 中々、通常の給金じゃ依頼を請け負ってなんかくれないわけさ。
かといって、一般の農民なんかに召集をかけたところで、使い物になる奴なんかほとんどいない。
だから奴隷だ。
力仕事なら三等でいいし、なにより替えがきく。
安く済むから支出が少ないし、大掛かりな事業なら利益がデカい。
だからこそ大事業主は奴隷を……その、なんだ、持っていやすい」
納得、反面、未だ理解できない。
「じゃあ、何故今のお店は追い出されたのでしょうか?
奴隷は富の象徴なのでは?」
「奴隷は庶民への恩恵には直接影響しないからね。
良くも悪くも貴族の見世物にしかならない」
良くも悪くも?
「この町に来る貴族ってーと、あの人が毛嫌いするような典型的な人種差別主義者ばかりでね。
長耳は母体、小人はおもちゃ、亜人種は家畜、そのぐらいにしか見てない奴が大半さ。
国中の冒険者やら商人やら、ごろつきやらあぶれもんが集まるこの町からして見れば、あいつらは商売の敵にしかならない。そりゃあいい客にもなり得るけどね。
でもそんなのは一部の連中さね。
だから奴隷を連れている=貴族=排除の対象とみなされるってわけ」
まあ、事業主にとってはいい迷惑だけどね、と最後にそうつぶやくとコーラルさんはそのまま黙ってしまった。
コーラルさんの言うあの人とは、恐らく御領主パプル様とかいう人のことだろう。
俺を宿に連れて行った後、面会に行くそうだ。
なんでも一日一回は面通しをしていないと、厄介なことになるらしい。
厄介なこととは何ぞや。
そして。
ちらりと横目で少女を見る。
未だおびえたように俯く少女、ギン。
何におびえているのかは知らないが、しかし、このままではいけないと思う。
「…………ギン」
びくっと体を震わせ、こちらに顔を向け…………ない。
視線が合わない。
やっぱり俺なのかなぁ。
理由が見当たらないんだけれど。
「そ、そんなに怯えないでよ。
ぼ、僕は、き、君に何かするつもりはないし……」
何かしでかしそうなドモり様である。
不審人物に見えてもおかしくない。
はぁ、とため息をついて気が付いた。
ギンがこちらに目を向けている。
しっかりと緑の瞳を見開いてこちらを見ていた。
その顔に若干の恐怖心は見られても、しかし、こちらから目を逸らそうとはしていない。
なら、それに答えないわけにはいかないだろう。
一度足を止め、向き直る。
「えと、その、なんと言うか、不安は残るけど、僕は、僕なりに頑張るから、その、よろしく」
差し出した手に手を返してくれたのが、いつになく嬉しかった。




