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俺と草原

「あぢぃ〜〜」


 蒸し暑く、気怠い。

 七月の初め。季節としては初夏と称してもいいのだが、感覚としては残暑の様である。

 粘ついた汗が肌に残り、ワイシャツの布地をべったりとくっつかせ離さない、絶妙な不快感を催す暑さである。


 こんな日には、電気代のことなど考えずに使用したエアコンで冷えた部屋の中、アイスを食すなり、キンキンに冷えた炭酸飲料を飲みつつ、

 漫画を読んだり、ゲームをしたり、そのまま昼寝をしてしまったりという、考え得る限り最大の夏の娯楽でまったりと家の中で過ごしたいものだ。しかし、


「できないんだよなぁ……」


 ふいにそう呟いて、青々と茂る草原に座り込み、ゆっくりと仰向けになる。

 眼前には雲一つない青い空があった。

 昨晩雨が降ったのであろう、地面はまだ乾ききらず冷たい水分を含んでいる。

 下から感じるそれのおかげで、少しは陰湿な暑さもマシに感じられる様になったが、しかしまだ足りない。


 地面の冷気と太陽三つ分(・・・・・)の熱量では、明らかに太陽の方が強い。

 背中の汗を少し和らげ、通常時よりも快適にするレベルである。

 根本的な解決にはまるでなっていない。


「太陽三つ分か……」


 そう、三つ分(・・・)である。比喩でもなんでもなく三つ分である。

 青くどこまでも広がる空には、地上を照らす太陽がある。


 この蒸し暑さも奴のせいであろう。

 しかし、自分が思う地球のそれと違うのは、それが一つだけではないということだ。

 少し左の方に一つ、そして右に目を移し一つ、さらにその付近に一つ。

 計三つの光源が、地上に対して恐ろしいほどの熱量を降り注がせていたのである。


 そうして俺は真っ先に思いつく。


「つまり……異世界、転生? 転移? 召喚? しちゃった感じ?」


 自問自答し、しかし答えが出ず大きくため息をつく。


 学校からの帰宅途中だったっていうことは記憶している。

 県内でも有数の私立高校、そこに補欠で合格し、赤点スレスレの毎日をおくっていたことも記憶にある。


 特に去年の成績など、目も当てられないくらいひどく、母親からお小遣いの供給が打ち切られ、バイト生活を余儀なくされたことも確かだ。

 今日だって通常通り授業を終え、そのまま自転車でバイトに行って、お疲れ様でした〜って言って店を出た。


 問題なのはその後だ。

 そこまで思い出し、ふと気づいた。


(その後って何してたんだっけ?)


 よく思い出せなかった。


 もしかしたら、ソッコーで家に帰ったのかもしれない。

 そしてそのまま寝落ち。

 このよくわからない世界は、自分が想像の中に作り上げたもので、夢の中で自分が見ている妄想なのかもしれない。


「だとしたら、想像力豊かだよね。太陽三つとか、どんな妄想だよ」


 しかし、ない話ではない。

 というか、異世界転生や異世界転移などという突飛な言葉より、よっぽど現実的だ。

 おかしな夢を見て、現実から逃避をしようとしている自分がいる。


 そこまで考えてわかる。

 辻褄が合った。

 これしかない。


(これは夢だ、余裕で)


 じゃないとおかしいじゃないか。

 なんで住宅街を帰っていたはずが、いきなり草原の真っただ中にいるのか。

 なんで付近に使っていた自転車がないのか。

 なんで初夏のはずなのに、残暑っぽいのか。


 答えは一つ、「夢」だからだ。

 帰宅して、ベッドに入り、そのまま寝落ち。

 だからこそ、ここは住宅地じゃないし、付近に自転車もない、その上エアコンも付け忘れて妙に蒸し暑いのだ。


 つまり、明晰夢ってやつだ。

 夢を夢だと自覚できる症状。

 そんなこと十数年生きてきて、一度もできたことがなかったから迷信だと思い込んでいたが、やはり嘘ではなかったらしい。


 だとすればこの後、「夢」だからという、特有のトンデモ展開が待ち受けていてもおかしくはない。

 少年はそこまで思い、バッと体を起き上がらせた。


「喉、渇いた」


 蒸し暑い部屋で寝ているからであろう、夢の中だというのに妙に喉が渇いている。

 せめて、扇風機の一つでもつけてから眠るべきだった。


 夢の中なのだから、こんなところまで忠実に再現しなくてもいいんじゃね? と考えつつ、屈伸運動をする要領で立ち上がる。


「とりあえず、水を、探そう」


 こんなにも青々とした草原が広がっているのだ。

 RPGで鍛え上げられた、自分の脳が想像しているのだから、

 近くに川の一つや二つあったところで不思議ではない。

 そう考え、暑さでへとへとになりつつも、歩を進めることにしたのである。


 ……


 …………


 ………………


「どこかに」


 水が、


「ある」


 はず、


「ない……」


 歩けど歩けど、川の「か」の字さえ感じられなかった。

 行けども行けども、景色は変わらず、青い空、緑の草原のまま。

 数時間ほど経過したのにもかかわらず、どこまでも似たような景色が続いていた。


 俺の脳内は一体どうなっているんだと疑うほどである。

 所持品を確認しても、スマホ、バイト終わりに先輩から(ありがた迷惑だったが)貰った少量のお菓子、

 そして自宅やら自転車やらの鍵類のみ。


 喉の渇きを癒せる道具がないのを見る限り、自分はどうやらイージーモードのゲームには飽き飽きしていたのだろう。


「うまくもないのに見栄張りやがって……」


 自分の安っぽいプライドに、改めてため息が出ていた。


 と思っていたのも束の間、今度は急に景色がおかしいことに気が付いた。

 揺れる。

 歪む。

 回る。


「あ、れ……?」


 頭がガンガンする。

 ついでに言えば吐き気も。

 そして妙に気分が悪い。


(これ……もしかしなくても、脱水症状っていうやつなんじゃ……)


 その場に膝から崩れ落ちてしまった。

 夏場に長時間、水分もろくにとらず動き回っていたのだから、当然のことだろう。

 いやむしろ、夢の中なのだから、現実の俺自身がエアコンをつけていないせいで、本当に死にかけているのかもしれない。


 だからこそ、考えずにはいられない。

 夢というのはこんなにハードだっただろうか。


 確かにトンデモ展開があることは期待していた。

 しかしそれは、チート魔法を使って敵を殲滅させたり、チート剣術で魔物をバッタバッタと切り捨てたり、

 あわよくば主人公モードでハーレムを作成したりという、現実世界ではかなえられない内容がメインのはずだ。

 こんな誰もが経験できるであろう、脱水症状など断じて望んでいない。


 無論、この場に美少女がいるなら話は別だ。

 その子が献身的に俺を介抱してくれて、その腕の中で息絶えるのも一つの理想かもしれない。

 だがこの場には、美少女はおろか、ひと一人さえ見当たらない。


 そうして思った。


 これは夢じゃない。

 身近に迫った死だ。


(もしかしなくても、現実だな、これ)


 意識さえも危うくなってきている。

 自身の死が近づいて、俺はようやく気が付いた。

 この世界は妄想なんかじゃない、現実であるということが。


 見知らぬ土地で。

 誰にも知られぬまま。

 脱水症状で死ぬ。

 無様以外の何物でもないが、しかし現実だ。


 でも、それはあまりにもむごい話だ。

 

 まだ死にたくはない。

 やり残したこともあるし、ヤり残したこともある。


 だったら。

 そう思い息を思い切り吸い込む。


「誰か!! 助けてください!! 水を!! 分けてください!!」


 今出し得る限り、全力の声量で叫んだ。

 倒れこんだままでは、いくら大きな声を出したところで届かない可能性の方が高い。


 しかし、叫ばずにはいられなかった。

 このまま意識を飛ばしてしまえば、もう一生瞼が開かないかもしれない。

 それなら、どんなに小さい希望でもすがりつきたい、そう思ったからである。


 当然、返事はなかった。

 当たり前だ。さっきまで相当歩いて、誰ともすれ違わなかったのだから。


(当然か……)


 なら、希望なんて持っている方がバカバカしい。

 この一縷の望みは捨てて、さっさと目を瞑ることに


『おい!』


 しない!

 目はまだ瞑らない!

 どこからか声が聞こえる!

 渋めの男の声が聞こえる!



 しかし、う~む。おっさんか……。


 こういう時は、かわいい女の子の声を聴きたかったものだが、文句は言っていられない。

 ダンディと言っても差し支えない男の声が聞こえたのだ。

 方角はわからないが、しかしはっきりと聞こえていた。


「助けて、下さい……」

『誘導してやる。立て。そうしたら、右にまっすぐ走れ』


 我ながら、よくもわかりやすく、弱々しい声を出せたものだと感心する。

 そのおかげか、謎の声は的確な指示を出してくれた。


 右。


 つまり、あれだけ歩いたのにまだ先があったということだ。


 声に指示された通り、走る。


 否、もう走る気力は残っていなかった。

 ただただ、前に歩を進めること。

 今の自分にできるのは、それが精々なものだった。


 どれくらい歩いただろうか。

 意識も朦朧とする中、あることに気づき目を見開かせた。

 いや、耳を聞き開かせたとでも言うべきだろう。


「……聞こえる」

『だろう?』


 ごうごうと流れる水の音が聞こえていた。

 気持ちよさそうに鳴く水鳥の声が聞こえていた。

 魚が飛び上がり、水面に音を立てて落ちる音が聞こえていた。


「川…………」


 もうそこから先はよく憶えていない。

 無我夢中に、がむしゃらに、這いずり回るかのように、全速力で川に向かった。

 それは川と呼べるようなたいそうなものではなかった。

 せいぜい小川程度のものだ。


 しかし、今の俺にはそんなことは関係なかった。

 川面に顔面を沈めるように漬け込み、これでもかというほど、水分を口に含んだ。


 多分この水の味は一生忘れない。

 普段飲んでいる水道水の、何倍も何万倍もうまかった。

 炭酸飲料なんて比じゃないくらい、とてもうまい水だった。


「はぁ……」


 生きてる。


 現実世界では感じたことのなかった生への喜び。執着。

 生きるってこんなにほっとすることだったのか。

 改めて感じた。


『大げさな奴だ』


 声がした。あのダンディな声だ。

 あわてて周囲を見渡すものの、近くに人影などない。

 当然だ。

 これまでひと一人通り過ぎていないのだから。

 ではこの声はどこから?


「まさか……テレパシー……?」

『てれ……なんだそれ? それより、そっちじゃない。()だ、上』

「上?」


 言われて真上を見る。

 雲一つない青空が広がっていた。

 田舎ならではの広い空が広がるのみ。

 そして、一羽の鳥の姿。


(カラス? いやデカいし鷹か鷲?)


 そんなことを考え、しかし声の主と思しき男は見つからない。


 と言うか、普通に幻聴だったのでは?

 そんなことを逡巡しながら目を瞑る。


 唐突だった。

 ズシンともドシンとも、ズキャンともドカーンとも取れるような、重量がある硬いものが墜落するような音がした。

 それもすぐ真横で。

 左隣で。


 土煙がひどい。


「え……?」


 墜落してきたそれは、舞い上がった煙のせいではっきりとは見えないが、どうやら岩ではないらしい。

 動いてるし。


 大きさはなんというか、とにかくデカい。

 人間なんかじゃ太刀打ちできないくらいデカい。

 全体的に巨木みたいだし。


 うっすら体が見える。

 赤い皮膚、デカい翼、長い首。

 ああいや、皮膚じゃない鱗だ。

 なんかテカってるし。


 っていうかなんなんだろう、竜?


 だんだんと視界もはっきりしてきた。

 顔も見える。


 うん、ドラゴンだよこれ。


『よう』


 しかも喋った、日本語(・・・)で。



 やっぱり夢だと思っていたい。

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