俺と市場②
町、と言うにはあまりにも混雑した大通りの人波は、それこそお祭り騒ぎと言うか、都会の駅前だか、デパ地下の様な賑わいを見せている。
そんな中、そのときの俺はコーラルさんと共にそれを掻い潜りながら足早に歩みを進めていた。
俺が精一杯の音量で大声をあげた時には(後で知ったことだが俺にとっては大声のつもりでも、その実そこまでのものではなかったらしく、それを教えられた際には普通に恥ずかしい思いをした)、大層不安そうな表情を浮かべていたコーラルさんだったのだが、今、道案内をするということで俺の一歩先を歩いているその横顔には、そんなものを微塵も感じられはしなかった。
いや、不安そうな表情ではないだけだ。
おどけた明るいものではない。
面持ちは堅く、今までになく真剣な目つきである。
不安がっていたことの半分は解消されたかな、とりあえず。
とりあえずではあるけども。
その一方であとの半分はまだ解消できていない。
危惧すべき案件だ。
解消した不安は、奴隷市場に辿り着けないのではないか、と言う点。
これは大丈夫な筈だ。
コーラルさんを見る限りの話ではあるが、奴隷市場に不安はあっても、奴隷市場に行けるかどうかに関しては、全く問題はないように感じる。
しかし、解消していない不安はと言うと、解消した点とは比にならない不安だ。
つまりは、奴隷を購入すること、それ自体を果たして俺に行う度胸があるのか、と言うものだ。
もちろん、家族を探している体なのだから、本来ならそこを不安に思っていてはいけない。
と言うか、不安になる必要がない。
だって、家族を取り戻す為に動いているわけだから。
大切なもののために動こうとしているのだから。
何ら不安に思う要素はこれっぽっちもない。
だけど、だ。
今から探そうとしているのは、赤の他人、どころか、両親と叔父に関しては全くの空想であるのだ。
関係性に関しては道徳性を欠く行為ではない。
むしろ、家族思いの好青年として捉えられても、おかしくないほどのものではある。
でも、それはそのことが真実であるならの話である。
だからこその不安だ。
コーラルさんに通じた嘘が今回も通じるとは限らない。
こんなことを言ってしまっては甚だ失礼だとは思うが、この際はっきり言ってしまおう。
コーラルさんは純粋な人なんだと思う。
真偽も定かでない話を、根拠もなく信用してしまうのは相当の阿呆だからであろう。
だからこそ感じるのだ。
次も同じ話を信じてもらえる保証はどこにもないと。
前回はたまたま運が良かっただけで、今度嘘ををついたら未来はないのではないかと。
それが不安の原因だ。
嘘をついて、奴隷を購入しようとしている。
そのことがたまらなく不安なのだ。
「着いたよ」
見ればコーラルさんは、一軒の食事場の前で足を止め、こちらに向かって話しかけていた。
店内はほぼ満席の状態であり、その中をかいくぐるように進む。
……ん?
ん、んん?
さっきまでの杞憂がどこかに行ってしまったかの様な唐突さ。
どこさ、ここ?
え? 何? あの真剣な面持ちで向かってた場所って、飯屋?
腹ごしらえってこと?
そりゃあ腹が減っては戦はできぬっていうけどさ。
むしろこの場面では、武士は食わねど高楊枝ってシーンじゃないの?
不安さを返して。
俺がついさっきまで感じていた不安さを返しておくれ。
不安感、ただいまして!
不安感、おかえりしてあげるから!
とかかんとか思うのも束の間、コーラルさんはおもむろに席に着き店員を呼びつけた。
「熱二つと白三つ、それに赤つけといて」
「……熱二つですかぃ?」
「そ。あたしの分とこの少年くんの分」
「へぇ」
「あ、あとそれと後で呼んどいてもらってもいいかしら?」
「承知いたしやした!」
また酒でも飲むつもりなのだろうか。
熱燗的な。
もういい加減にしてくれよ。
昨夜の感じからして、コーラルさんは決して酒豪というものには類しないと思われる。
まぁ、飲酒量自体は多かったわけだが。
ただ昨日の痴態に対する弁解がない当たり、記憶自体はすっとんでしまっているのだろうと考えられるのだ。
そうともすれば、それは酒豪ではなくただの酒飲みなだけである。
ついでに言えば恐らく、昨日のアルコールは未だに抜けていないに違いない。
表情に二日酔いのような、辛そうなものは一切垣間見ることはできない。
一見するとにこやかで明るい表情と、他者を慮る心配そうな顔はあったが、そのどちらにもアルコールが抜けていないような気分の悪そうなものは見受けられない。
しかしその一方で、俺を先ほど迎えに来た時間にはちょっと気になることがある。
十一の刻。
これを現実世界における十一時に相当させるなら、昼前ほどとなる。
そんな時間に迎えに来たということは、朝起きることができなかった理由が彼女にあるに違いないのだ。
まあ、だからと言ってそれを責める気はないし、問い詰める気もさらさらない。
俺自身早朝に目が覚めたわけではないし、何なら彼女にモーニングコール(むしろたたき起こされるに近い形のような気もしないでもない)をされ、起床したわけだし。
俺を起こしに来た時間だって、彼女が起床した直後じゃない可能性の方が大きいのだ。
女性は朝に行うことが多いともいうし。
まあ、この世界に元の世界の常識が通用するとも思えないが。
だから、一概には決めつけられないわけだが。
一方で、一概には決めつけられないからこそ、酒を飲まないという可能性も捨てきれない。
俺が面倒だからやめてほしいのが切実な願いである。
俺が、な。
しかし、それはどうやら考えすぎだったらしいのが真である。
「お待たせいたしやした、奥へどうぞコーラルさん」
一人の従業員らしき男の案内で奥に通された。
行きついた先は、部屋というにはあまりにもこじんまりとした一室。
そこには机やら椅子はなく、ただ一つ地下へと続く階段が待ち構えていた。
臆することなく降りていくコーラルさんに、俺は黙ってついていくことしかできない。
ずんずん進んでいく。
と言うか、昨日の今日でまた地下とか。
勘弁してほしいものである。
まあ、あの尋問部屋はそこにはないことはわかってはいるのではあるが。
しかし、不安にはなる。
不安の相乗効果である。
行きついた先はというと、昨日の酒場よりも賑わいを見せる大部屋が広がっていた。
飲み食いは豪快であるし、怒号は飛び交っているし、バーテンダーの風貌をしている中年ほどの男性はそれらを意にも介していないし、それに何よりだが……
全員、どう見てもガラが悪そう。
全員、どう見ても裕福そう。
全員、どう見ても最低でも一人、ボロ布を体に巻き付けた人を、首輪やら足枷やら鉄球やらを着用させて携えてる。
つまり、うん。
こりゃあ、ねえ。
それよ。
うん、間違いないわ。
ここ奴隷を売買するところなのね。
上の食事処はおそらくフェイクなのだろう。
木を隠すなら森の中、臭いものはきれいに見えるように工夫しろ、といったところであろう。
奴隷市場だからと言って、裏通りにしてしまっては、人の出入りというのは丸解りだ。
おそらくこの部屋の中にいる者の中には、ここを利用していることを知られたくない人間もいることだろう。
ならば不用意に足がつく場所にこんな施設は設置できない。
だからこそのカモフラージュ。
人通りの多い大通りに食事処としてあれば、通っていたとしても不思議がられることは何もない。
さっきの注文の様に、特別な文言を合言葉として従業員に告げれば、別室に通されるという仕組みなのだろう。
また、奴隷による売り上げだけでなく、飲食代でも儲けが出る可能性があり、責任者としては簡単に二足の草鞋を履くことができ、商売として問題なく成立することができるという算段なのであろう。
ただ。
ただ、こうして辿り着いてみると、なんというか……
うん、帰りたい。
自分から、「奴隷市場に行きたい」とか言っといてあれな話ではあるんだけれど、すぐさまUターンしてしまいたい自分がいらっしゃいます。
どう考えても場違い感が半端じゃない。
大貴族とか、王国に仕える戦士長みたいのとか、眼帯をかけた冒険者っぽい男とか、そんなのしかいない。
唯一仲良くなれそうなのはバーテンダーのおじさんくらいなんだけど、さっきから悪酔いしている女性の対処に戸惑っているみたいだし、期待はできない。
あと可能性としてあり得るとしたら……
大量にいるボロ布を着た人たち。
つまり、奴隷であると思しき人たちはどうだろう。
見た感じ男女比、九対一と言ったところか。
境遇は人それぞれではあると思うが、しかし、彼らの主人よりは俺寄りな気がしないでもない。
つまり奴隷であるところの彼らなら、なんとか話は合いそうな気もするのだが。
いや、前言撤回。
無理だ。
目に光が宿っていない。
虚ろな表情、身なりもだいぶ汚れており、希望を見出してない。
この先に待つものは絶望しかないかの如く、ただただ忠実に主人の命令に従事している。
そんな中、俺が不用意に
「やあ! 初めまして!」
なんて行こうものなら、俺は相当な勇者であるし、そもそも人として道徳的にどうかしている。
何より、俺はここに奴隷として足を運んだわけじゃない。
あくまで客としてだ。
それがどういうことを意味するかは考えずともわかる。
俺はこの後、こんな表情の見知らぬ誰かを購入することになるのだ。
この場にいなくても、引き受けてしまった以上いつかはそうなる。
なら、彼らには同情はできない。
してはいけない。
俺も虐げる側になるのだから。
「よう、コーラル。今日はどうした?
御領主様からのご依頼か何かか?」
不意に言葉が飛んできた。
野太い男の声だ。
店の奥、これまたどこかに繋がっているらしい通路から発された声の主は、のっそりとこちらに姿を現し、時折他の客と言葉を交えながらこちらに向かってきた。
巨人、と言うには語弊があるか。
それでもかなりの大男であるには違いない。
俺の身長のそれこそ三十センチメートル以上はあるような体躯に、鍛え上げられボディビルダーとしてもやっていくことができそうなたくましい褐色の肉体。
服装は、現代でいうところのとび職だろうか。
タンクトップに薄汚れたニッカポッカ、の様に見える。
ただ、驚くべきはそこじゃあない。
「いや私用でね、この少年くんの監視兼仲介人って感じ」
「監視だ? おい坊主、おめぇ一体何やらかしちまったんだ?」
「そんな大層なことじゃないよ、ただの不法入町さ」
「なんじゃそりゃ?
坊主、見た目の割に中々大胆なことするじゃねぇか。
気に入ったぜ、名前は何て言うんだ?」
頭頂部には魚の背びれのようなものが、
頬から顎にかけては魚のえらのようなものが、
ニカっと笑う口には、何重にも揃えられた無数の鋭い歯が、
眼光鋭く、顔面には幾重にも刻まれた傷跡が、
そこにはあった。
それはまるで、
「俺はコルク、ここの元締めをやってる。よろしく頼むぜ」
鮫のようであった。




