俺と市場①
「じゃあこの中からだな、坊主」
肌を突き刺すような凍てつく空気。
さながら牢屋のような格子のある部屋が、無数に広がる地下空間。
この世界においても、地下というものはどこにあろうと寒いものらしい。
「好きな奴、持って帰っていいぞ」
眼前の筋骨隆々の鮫頭の男にそう声をかけられる。
「さあ、選びなよ、少年くん」
冷たい視線を隣から送ってくるコーラルさん。
今、俺の精神性と趣味嗜好が試されようとしている。
俺の選択がこの世界において、変態的じゃないことを祈るほかない。
――――――――――――――――――――――――
数時間前のことである。
俺はその日の朝を、気持ちよく迎えることはできなかった。
と言うか、どこかで「目が覚めたら元の世界に戻ってきた。なんだぁ、夢オチかぁ」って感じになってくれるのを期待していました。
病院のベッドの上でした、的な。
全ては現実逃避したい俺の妄想が具現化したものでした、的な。
はい。
そうです。
正直に言います。
前回の話では「帰りたいのかな? 帰りたくないのかな?」と、ベッドの上で眠りに浸るまで、うだうだと考えていたわたくし。
でしたがたぶん。
もしくはおおよそ。
てか確実に。
帰りたくなってしまったんだと思います、元の世界に。
いわゆる一つのホームシック。
だってさよく考えておくれよ。
よくさ、異世界転生モノのライトノベルにはさ、主人公が最強のチート能力を手に入れてさ、かわいいヒロインたちに囲まれてさ、ハーレムを最初期から築きあげてさ、俺TUEEEE状態をすることができてさ、戦えば経験値が入って特殊なスキルがゲットできてさ、人生勝ち組! みたいなのが主人公に選ばれるじゃん。
今の俺は何?
見知らぬ土地で放置され、チートもこれと言ってなく、地下牢に放り込まれ、尋問を受け、好みでもない女に一日振り回されて、俺YOEEEE状態みたいな感じで、学生でいるぶん前の世界の方がよかったかもしれないって若干思ってしまうこの状況。
そりゃさ、人によってはさ、「ドラゴンと話せるなんてすごいじゃん」とか「好みではないにしても美人なんだろ?」とか思う人もいるかもしれない。
けど、それに対して俺はこう答えたい。
「だからどうした」
いいことなのかもしれないが、でも俺にとってはなんの利益にもなってない。
成り行き上とはいえあいつの妹を探すことを承諾したのは俺自身だし、あの尋問もとい、拷問部屋から連れ出してくれたコーラルさんにも感謝はしている。
だとしても。
そうだとしても、身寄りもない俺が、見知らぬ土地で暮らすとすれば、あまりにもこれではお釣りどころか、借金していてもし足りないくらいなのだ。
実際、異世界って言うからテンションも上がりはした。でもそれだけだ。
こっちの世界にきてからネットに触ってない、ゲームをしてない、漫画もないし、アニメもない。絶対元の世界の方がよかったって思うのさ。
人生やり直したいとか思って異世界に来る主人公はよく見るけどさ、でも考えてみ?
それまでやってきたゲームの記録はパアだよ?
課金しててもパアだよ?
好きな漫画、アニメも最後の最後で大どんでん返しがあるかもしれないのに、それが一生見れなくなるんだよ?
で、まさに俺自身がその状況なわけでして。
こちらの世界に利点はない。
そして元の世界には思い残しがないわけない。
だからこそのホームシックは無理ないと思いません?
実家と言うよりは、母国、母世界といった感じだけれども。
しかし、だ。
朝は不条理にもやってきやがりまして、
「少年くん、お待たせ……って、なんだ、まだ寝てるのかい?」
とかという、ありがたくないモーニングコールをされまして、
「今日はお約束の奴隷市場を案内してあげる日だろう?
朝って言っても、もう十一の刻を過ぎちまってるんだ。さっさと起きて、朝飯も食わなきゃならんだろう? ほれ、ほれほれ」
とかという、ありがたくない今日の予定を教えていただきまして、ようやく現実から逃れられないことに気が付いた次第であります。
はぁ……
――――――――――――――――――――――――
「どうしたどうした少年くん。
たいそう疲れた顔をして。
昨日の謁見がそんなにも緊張したのか?
全くしようがないやつめ。そんなんじゃこの先ご家族を見つけ出すまでに、体力不足で魔物どもに襲われて死んでしまうぞ?」
起床後、コーラルさんからまず服をどうにかした方がいいと提案を受けた。
元の世界の服、つまり学生服を着ているから目立ってしまってしょうがない、と言うわけではなく、ただ単純に薄汚れていて汚らしいし、どこか臭いと言われた。
こんなにも絶望しているのに、なんでそんなことを言われなくちゃならないんだ、と思うだけ思いつつ、しかしそんな言葉は声に出さず一応の反論をした。
この服は故郷の思い出の品なんです、と。
なるべく着ていたい、と。
それにこれを身に着けていれば家族もこちらに気づいてくれる可能性がある、と。
何も間違ったことは言っていない。
「家族」、に関してはまるっきり出鱈目だが。
この世界で制服を着てる奴なんて、俺ぐらいなもんでしょ。
「ふーん」
いつものよくわからない返事をされ、コーラルさんは違うことを提案してきた。
「じゃあ、洗浄の魔法を使ってあげるよ」
万能なんですね、魔法って。
なんて思うのも束の間、コーラルさんはこちらに人差し指を向け、円を描くように振るう。
『洗浄!』
青い魔法陣が俺の足元に現れ、そして瞬時に消滅した。
すげ。
何がすごいかって。
確かに魔法の発動により自身の体は清潔になった気がするし、そう言う魔法の存在をすごいとも感じはするんだけれども。
それ以上に、
無詠唱ですか。
不意にそんな言葉を口走っていた。
俺が魔法と言う存在をこの目で確かめたのは、わずか二回だけ、しかもどちらも昨日の換金所でのことである。
一回目は、換金所の主人、ヴィオ・カーバッジによるもの。しかしその際は、ちょっとした詠唱を行った後に魔法の発動はなされていたし、二回目は初老の執事(だと思われる風貌)のヒワ・リコットが詠唱も呪文名もきちんと発音し、さらに魔法陣まで使うという徹底した風であった。
それゆえ、どこの作品でもお目にかかるような無詠唱でも、余裕で驚かされることとなったのである。
しかし、それに対するコーラルさんの反応は至って淡泊で、
「魔法の発動は、詠唱・術名・魔法陣の使用、魔法陣の不使用、術名・魔法陣の不使用、詠唱・術名・魔法陣すべての不使用って順番で徐々に難易度が高まるの。
平均的な魔導師やら魔法剣士なら、魔法陣くらいは使わないから……まぁ確かに珍しいと言えば珍しいのかもしれないね」
とか言われ、「才能としては凡より少し劣る」と評された俺は益々不貞腐れた。
その後、街を練り歩きながらの遅めの朝食。
ブランチ的な何かである。
その折に、昨晩コーラルさんが聞き違えた「チイト菓子」と呼ばれるものを買ってきてもらえた。
正式名称としては「チイトの種の焼き菓子」。
見た目は完全にポップコーンである。
味は完全にポップコーンである。
口触りは完全にポップコーンである。
ポップコーンじゃん。
あーあ。
異世界に来た俺が新たに発明してやろう、とか密かに画策していたのにこれでは計画がおじゃんである。
その結果、余計にイライラし、勝手に不機嫌になり、無気力そうな振る舞いで歩みを進めることとなった。
その際にコーラルさんには、体力不足で魔物に殺されるとかくだらないジョークを言われたわけである。
キレましたよ、そりゃあ。
出会って二日で何してんだって感じですけどもね。
いくらなんでも短気過ぎやしないかと、自分自身でもそう思いますけどもね。
でもストレスはそこそこ溜まっていたわけですよ。
積りに積もったものがね。
だから往来の、人ゴミの中で精いっぱい大声で言ってしまったわけですよ。
奴隷市場にはいつ行くんだ、と。
そりゃあもうでかい声で。
そうしたら、話してる途中でコーラルさんに口を塞がれてしまいまして、こちらを案じるかのような顔つきで耳元にこそっと言われました。
「……本当に行くのかい?」
とても不安です。色々。




