俺と酒場①
この世界に太陽は三つある。
こちらの世界が異世界だと、俺に気付かせてくれたもの。
脱水症状。
それを引き起こした、真夏日を思わせる灼熱の大気を作り出している要因は、この三つの天体にあるそうだ。
否、天体はそのうち二つしかない、とのこと。
中空に浮かぶ二つは確実に天体としての太陽。
そしてもう片方の太陽の様に見えた球体は、「神様」、らしい。
その辺りファンタジー世界な感があって、非常に良いと思う。
顔を赤らめたコーラル・マンスチンは語る。
太陽神は本来の神様とは別の次元の存在、らしい。
端的に言って紛い物、だそうだ。
この世界の神様は計五人。
時生神。
命生神。
愛生神。
空生神。
元生神。
この五人はこの世界を作り、仕組みを作り、人々の営みを作り上げた、と言う。
「無知な少年くんは知らないだろうけど、この五人は魔法の詠唱に欠かせない存在なのだよ」
ぐびぐびとジョッキ状の木目の器を片手に、こちらに話しかける女剣士。
無知って……
しょうがないじゃん、異世界の文化なんか知るかばか。
とは言えない。
あははと笑って目線をそらす他ない。
情けねぇ……
「全ての原理は彼らが作った。無論魔法もね。
だから相談する必要があるの。
どうか貴方が御創造なさった奇跡の御技を、愚かな我々にも使わせて下さいませませー、ってね」
詠唱とはその延長線上にあるものだと言う。
「誰の力を借りたいのか、自身がどの様な人間なのか、どんな供物を捧げるのか。
諸々必要なことを言った最後に自分がどんなことをしたいか告げる、それが魔法詠唱」
だから、
「だから、魔法っつうのはねぇ……
あれ? 何の話だっけ?」
つい十数分ほど前からこの有様だ。
いい加減うんざりもする。
つうか、もう帰りたい。
ずっと言ってるけど、本当に帰りたい。
ヒワ・リコットから入町証を受け取ってから間髪入れずに部屋に這入って来たこの女剣士は、俺がそれを手にしているのを確認すると、俺の手をひったくり換金所の主が待つ部屋まで高速で戻っていった。
それはもう、俺の腕が肩から抜ける勢いで。
比喩でも何でもなく、ガチだ。
そこからの展開は細かく伝えることはできない。
つか、伝えることが少ない。
部屋に戻って、前金をかっぱらい、ダッシュで酒場。
で、今に至っているわけだが。
正直に言ってしまうと、とてつもなくタチが悪い。
前金の額、十ゴールドがどんなものなのか、この世界に来てから金銭というものに接触していない俺にわかるはずもないのだが、しかしそれでも心配ではある。
もしもあのドラゴンから頼まれた妹の捜索に、奴隷市場が本当に関わっているのだとしたら、金は入り用だろう。
そうでないにしても、どんな世界においてでも生きていくためには金がいる。
何かしらの行動を起こすためにも、最低限の衣食住は必要となるからだ。
拠点を決め、この世界の様式に合わせて生きていかなければならないことを考えると、金はいくらあっても足りることはない。
にも関わらず。
にも関わらず、だ。
今、俺の手元にはそれがない。
巾着袋ごときっちり目の前の酔っ払い剣士が、その手につかんで離そうとしていない。
最悪だ。
しかも真っ先に向かっていった店が、酒場だというのも問題である。
確かに予想をつけることはできた。
冒険者にはレストランの様な小奇麗で、様式美があって、礼節を重要視される食事の場なんかよりも、酒場の様に無秩序で、大声で笑ったり泣いたり怒ったりして、それでいて料理ではなく食物を貪る様に食らいつける場が似合っている。
だから酒場に行くこと自体は予想をつけようと思えばできたのだ。
しかしできなかった。
理由は単純だ。
そんなことにまで頭を回す余裕が無かったからである。
後悔先に立たずとは言うが、今後の展開は目に見えている。
ものの十数分で記憶が混濁した女剣士は、そのまま酒を飲み、そして酒を飲み、さらに酒を飲む。
そしてついには、普段自身では手を付けられない様な高級酒まで飲み干し、翌朝にはすっからかんになった巾着袋と女剣士の記憶がそのあたりに転がっているのだろう。
はぁ……
帰りたい。
「ああそうそう太陽神の話だな?」
話の趣旨を自力で思い出したことは褒めてもいいかもしれない。
「少年くん、君を連れ出して外に出たときにはもう外は真っ赤に染まっていてそれを見た君が「夕焼けきれいですね太陽三つもあるからですかねぇ」とか素っ頓狂なことを言い出すものだから「酒場に着いたら説明してやろう」とかって言って始めた話だよなこれは」
息継ぎせずに言いやがった。
周囲の賑やかさに耳をふさぐ勢いで半分ぐらい聞き流したが、どうやらこの話に至った経緯をそのまま言っていたようだ。
意外と記憶は問題じゃないのかもしれない。
「え、あ、その、はい、そうですね」
「なんだなんだなんだ、その言い方は?
なぜそう言葉に詰まる?
少年くん、酒は心と口元の潤滑油だと言う」
そう言うとコーラル・マンスチンは近くの女店員を呼びとめた。
しようとしていることはなんとなくわかる。
「え、いや、あ、あの、や、やめてください」
「なぜ?」
座った眼でこちらを睨みつけてくる。
だからと言って引き下がるわけにはいかない。
「未成年です、僕」
「見た目からして君の「故郷」ではの話だろう?
郷に入っては郷に従え、だ。
確か歳は……」
「…………十七、です」
「ここでは十五で成人だ、はい、エール二つ追加ね」
押し負かされた。
いや、勝てるだなんて一欠片も思ってなかったけども。
それにちゃっかり自分の分も頼みやがった。
「ここのエールは旨い。
さらにつまみも美味い。
あえてここに来たのは少年くんにここの良さを伝えるためでもあったのさ」
まぁ、言いたいことはわかる。
この美味そうな料理の匂いに混じって、その他大勢の客である冒険者の話声だとか、汗臭さだとか、お祭り騒ぎだとか、そういう雰囲気が気に入っているのだろう。
俺の好みではないが。
「僕も、まぁ、き、嫌いでは、ないです」
「だろう? それに」
そう言った瞬間、二人で座る席には新たな器が勢いよく登場した。
「エール二つお待ち!」
店員の掛け声。
「ものが出てくるのが早い」
そしてコーラル・マンスチンは店員と話し始めた。
余程気の置けない関係なのだろう。
俺なんかと話している時より、よっぽど楽しそうに見える。
女店員の方はと言うと酒場揃いの制服を着ているようだ。
メイド服、と言うわけでは無い残念ながら。
より動くのに適した格好、強いてあげるならジャージだろうか。
ただ地味と言うわけでも無い。
これがこの世界の酒場における最適解なのだろう。
そして気づいた。
彼女には尻尾があった。
彼女には細長い髭がついていた。
彼女には猫の様な耳がついていた。
終いには話している言葉を聞くと、
「コーちゃんはいい加減お酒止めたらどうかにゃ? 歳考えてにゃ?」
とか言ってるし。
獣人、猫の獣人と言うことなのだろう。
うーん。
なぜだろう。
「どうした少年くん?
あ、セピーか? あいつここの看板娘なんだよ。
日に二、三回は結婚を申し込まれてるようなやつなんだけどね、どれも不発に終わっちまうんだ。
まったく羨ましい限りだよ」
「セピー、さん……」
「ん? 惚れたのか?」
「え?」
惚れたのか。
いや、確かにかわいいとは思う。
猫耳だし、語尾が猫になってるし、快活そうで、クラスにいればアイドル的な存在なのだろう。
でもなぜか、
「惚れた、わけじゃないと思います……」
「……へえ」
頬杖を突きながら新たなエールをぐびぐびと飲む女剣士。
「それじゃあ、何はともあれ」
そう言ってもう一つの器をこちらに向けてきた。
これは、つまり、
「一口、いってみようか」
ああ、お母様。
ああ、お父様。
世の中どんな人がいるのか知りませんが、私はこれで立派な犯罪者になります。
未成年で飲酒。
まあ、そちらの世界に帰ることができるのが、どれくらい先になるかわかりませんから、ギリセーフだとは思います。
などと考えたところで何も始まらない。
ここは一つ。
「お」
意を決して。
「うんうん」
「い、いただきます」
一口。
「…………」
「感想を聞かせてもらおうかな? 少年くん?」
「……苦い、です」
まだまだ子供舌だったようです。




