俺と証
『今から君に入町証を授けようと思う』
『家族を探すにせよ、奴隷市場に行くにせよ、ひとまずそれがなくては始まらないだろう』
『それにあたってこの男を紹介するよ』
『ヒワ・リコット、長年ボクに仕えてくれている従者の一人だ』
『老年で頼りなさそうに見えるかい? そう、実際その通りだ。
彼の特技は掃除洗濯などの家事全般でね。
しかも最近は足腰が弱くなってきて、その特技さえも過去の遺物と成り果てようとしている』
『それでも雇っているのは義理人情ってやつかな』
『そんなことはどうでもいいか』
『ヒワは入町証を発行する権限を持っていてね、まぁ特別な権限っていうわけでも無いんだけど』
『ロクルくん、君には別室に移動してもらってそれを受け取ってもらおうと思う』
『手続き? そんなもの必要ないよ、大丈夫、心配しないで』
『簡単なものさ、少しチクッとするけど数秒もかからない』
『そのあと、またこの部屋に戻ってきておくれよ』
『前金の受け渡しと奴隷市場の位置はそのときに、ってことで』
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ひどく不安だ。
入町証ってそんなに安易なものでいいのだろうか。
いや、それ以前に、俺はあのヴィオ・カーバッジとか言う換金所の主人が心底苦手だ。
嫌いと言ってしまってもいいかもしれない。
理由がなんなのかは俺にもわからないのだが、あの胡散臭さと気味の悪さ満点の男がとにかく嫌いだ。
そんな男に「前金」「入町証」「奴隷市場の位置」とか、ほとんどクエストをクリアしてしまいそうなアイテムを全て、しかも特に手続きすらなく受け取れてしまうことに、とてつもない不安を感じている。
怖い。
心底怖い。
断れる状況でも無かったし。
無論、奴隷市場について話のきっかけを作ったのは俺だ。
だからそれに関する情報をもらえることは、確かにありがたいことなのだ。
ありがたいことなのだ。
ありがたいこと。
ありがたいこと、なんだが。
「どうかなさいましたかな? どこか悪いのですか?」
「あ、い、いえ」
心配して声をかけてくれたのに、そっけない態度をとってしまった。
いや優しい人には違いないのだろうが、あの男の従者ということだ、油断はできない。
いやいや、そうじゃないな。
この人はたぶん、たぶん、きっと優しさから俺を心配してくれたのだ。
だから、考えを改めろ俺。
疑心暗鬼になり過ぎだ俺。
本人を見れば普通の人じゃないか。
親切にも俺の体調を案じてくれてるし(ヴィオから扱い方を指示されているのかもしれない)、
ヴィオからの指示で俺に入町証を発行しようとしてくれているし(犯罪の片棒を担がされるのかもしれない)、
今はそれを行うための部屋へ俺を親切に案内してくれているし(もしかするとこのまま変な部屋に入れられて監禁されてしまうかも)、
何より見た目優しそうなじいちゃんだし(見た目なんていくらでも変化できる)。
……カッコがうざい。
何でそんな裏読みしてるんだよ俺。
いつからそんなに人間不信になったんだよ。
自分で言うのもあれだが、自己批判的すぎだろ俺。
そんな感じで、のこのことついてきてしまって本当に良かったのだろうか、感が拭えていない。
ヒワ・リコットは時折振り返りつつも、きびきびとした姿勢で俺を導いてくれている。
と言うか、この案内が無かったら普通に迷ってるわ、これ。
入った時から感じていたが、内部は外装に比べてだいぶ傷んでいるようだ。
廊下の隅には、ここ数日、いや数年ほど掃除をしていないであろう程の埃が固まっているのを、ここ数秒で何度も見かけた。
ドアノブにも細かい塵がたまっていたし。
だからこそなのだろう、どこを歩いても同じ景色が続いている気がしてならない。
どこもかしこも、装飾品なんてないし、壁や扉ももくすんだ色をしているし、何一つ目印らしいものは見当たらないのだ。
俺一人だけ「別室に移動しておいて」なんてほっぽり出されたら、きっと翌月くらいには餓死した遺体で発見されていただろう。
餓死、餓死ねぇ。
てか腹減ったな。
体感時間にして異世界に来てから約四、五時間程度。
プラス、こちらの世界に来る前はバイトをした帰り道だったんだから、約三時間程度。
合計すると五、六、七、八……
八時間!?
八時間もほぼ飲まず食わずでここまで来てるの? 俺?
いや、授業終わってからバイト行くまで、ほぼ何も腹に入れてねえよな……
つまりあと四時間位足されるから……
え、何?
俺ほぼ半日も飯食ってないの?
何で持ちこたえてるの俺?
今も腹減ったとは感じてるけど、そこまでのものでもないし。
俺の体、大丈夫なのかな……
「ロクロウ様、こちらへ」
おっとと、いかんいかん。
考え事も大概にしないとな。
急すぎてわからなかったが、方向転換か?
と思ったのだが、そうではないらしい。
扉だ。
ここに来るすがら見てきた扉の中でも一際大きい。
そして、何と言うか豪華で、重厚そうで、色彩も丁寧で、一目でこの屋敷において最も重要な部屋に続いているのだろうことが容易にわかるものだ。
そんな扉の前でヒワ・リコットは静かに佇んでいる。
「こちらの部屋にて入町証の受け渡しを行います故、どうぞお入りになってください」
そう言いヒワ・リコットは扉に軽く手を触れ、そして目を閉じる。
「これはこの地域独特の作法、ではなく、魔法の一つです。
種別としては『変換魔法』と言うのが正しいのだとは思いますが、なにぶんものをあまり多くは知りませんので、はっきりとしたことはわかりません」
訊ねるつもりは無かったのだが……
つまりこの扉は、見た目通りに重いのだろう。
それを変換魔法で軽くすることで開けやすくする。
変換魔法を使えない泥棒とかは、それだけでアウトなわけだから、防犯の意味も兼ねているのかも知れない。
もしかして、コーラル・マンスチンがこの屋敷を来訪した際のあの手順も同様のものだったのかも。
変換魔法を使って扉を開けやすくした、のか?
にしては、あそこって正面扉だよな?
そんな重っ苦しいものでいいのか?
普段使いができねぇじゃん。
「どうぞ、こちらです」
通された部屋は書斎の様な「汚部屋」だった。
いや、書庫のような「汚部屋」な感じでもある。
工房みたいな「汚部屋」な気もする。
魔法使いの「汚部屋」、うん、この表現が一番しっくりくる。
まず目に付いたのは無数の本だ。
大小は様々だが、辞書のような厚さの本が、ざっとだが数百冊はあるように見える。
それが床を覆い尽くしている。
片付けられていない、なんてレベルじゃない。
もっとやばい類のものだ。
そして本棚。
天井につくほど背の高い本棚が、壁に沿っていくつも配置されている。
それ故、この部屋自体は応接室より一回り程広い空間の筈が、幅の広い本棚に壁際は占領され、更には乱雑に積まれた無数の図書が、その狭まった部屋の利用可能空間を最大限まで縮小させていた。
要するに、通常よりも部屋が狭く見え、足の踏み場がないのである。
「旦那様は物事を整理することには長けていらっしゃるのですが、どうも物体に関してはその限りではなく。
ただ、あまり動かし過ぎると後で何かと文句を言われますため……」
そうしてヒワ・リコットは、口元に人差し指を当て、室内の床が見える程度の掃除を始めた。
この世界においても「内緒」のジェスチャーに変化ないらしい。
また一つ新しい発見だ。
メモメモ。
「さて、こんなものでしょうか」
何が?
と問うまでもなく何を言っているのかはわかった。
劇的アフターだわ。
匠。
早い、驚きの早さ。
それまでのゴミ屋敷っぷりはいざ知らずって感じで。
普通に整えられているし。
足の踏み場を作る云々じゃない。
まるでリフォームじゃん。
「室内の床が見える程度」って思ってた俺はアホなのか?
いや、そうじゃないだろう。
このじいさんの能力が高いのだ。
しかし、これで過去の遺物とか……
現役時代はいったいどれほどのものだったのか、と考えざるを得ないわ。
「さあ、ロクロウ様、こちらにお立ちになって下さい」
部屋の中央に招かれ、そして直立待機をする。
蔵書が散らかしっぱなしの、汚部屋と評してしまった部屋だったから気づかなかったが、木目の床には白い模様が描かれていた。
今俺が立っている地点を中心にして二重三重四重、いやそれ以上か。多くの円が描かれている。そしてそれらの間には複数の文字がある。こちらの言葉なのだろう、全く読める気配がしない。
なんとなくわかった、これは
「魔法陣……」
不思議と言葉にしていた。
否、それは無意識的に成否を求めていただけだったのかもしれない。
「おや、よくお気づきになりましたね。
魔法に関して何かしら心得が?」
その質問は予想できていた。
なんて答えるかもだいたい考えてある。
だが、
「あ、え、えと、そのこ、故郷では陰陽術と言うか占星術と言うか、その、常人には扱えないもので、え、えと、こ、心得があるかないかで言えば、な、ないです」
THEしどろもどろ。
端的に言えよ俺。
詳しく言おうとして逆にわかり辛くなってるぞ俺。
しかし、そんな受け答えであったのにも関わらず、目の前の老人ヒワ・リコットは、
「なるほど、わたくしも実は陣を用いなければ扱えぬ程、魔法に関しては素人なものでして。
この様な体裁で、ロクロウ様がおっしゃる様な特別な人間と同格と捉えられてしまうのは誠に恥ずかしい限りです」
なんとなくわかってくれたらしいことと、とんでもなく大仰に扱われている様なことがわかった。
本当ならマジマジ言って発動するとか、名前も言うのも恐ろしい悪の魔法使いがいるだとか、くしゃみをして衣服を弾け飛ばす教師がいるとか言いたかったんだが、こんなにもしどろもどろになってしまうくらいなら口に出さないほうがマシだ。
「ではこれから儀式を開始させていただきます。
ロクロウ様、こちらに左手を向けて下さい」
指示通り従順に手を向ける。
「少しの痛みを伴いますが、気にしないでいただきたい。すぐに収まります故」
え、何それ、怖い。
ちょっと心の準備が欲しい。
ゆっくり深呼吸を三回位して、ストレッチも数分やってからでお願いしたい。
と思っていたのも束の間。
『元生神、空生神、時生神に奉る』
始まってしまった。
呪文の詠唱。
目の前の老人は大きく息を吸い、そして目を閉じた。
『地の契約、水の公約、空の盟約』
『誓いを守りし主を助する者也』
そこまで言って部屋が明るくなった。
蛍光緑の光が迸っている。
なんと言うか温かい。
気温は真夏の様な蒸し暑さで、四十度は下らない程だと感じているのに、それに上乗せされるこの温かみは別段嫌にならない。
『約定をここに』
『メイリアの枝とエリシウムの風』
『豊穣を齎す水を制する者』
違和感。
ここまでの痛々しい厨二チックな魔法詠唱を聞いて、急に持ち上げていた左手に違和感を感じた。
違和感と言っても大したものじゃない。
ちょっとした痛みだ。
手の甲を針の様なものが刺して行く感じ。
気持ちがいいってわけじゃない。
でも不快感は無い。
事前に伝えられていたから、覚悟ができていたのかも知れない。
いずれにしても気にするほどのことじゃない。
必要な過程だろうし。
『彼の者に契約の証を与え給え』
『証明発行!』
クソダサい。
まんまじゃん。
詠唱はまぁあれだとしても、魔法名みたいのはもっとかっこいいんじゃないかなとかちょっとでも思ってたのが恥ずかしくなる。
でも確かにそんなもんかも知れない。
ライトニングって言えば電撃が、ブリザードって言えば吹雪が出たりするのが魔法なんだから、かっこよくなくたって意味としては間違い無いのだろう。
クソダサいけども。
そんなクソダサさではあったが、魔法自体はきちんと発動したらしい。
見ると左手の甲には、紋様の様なものが黒く浮かび上がり、そして内側へ沈んでいった。
「……成功の、ようですな……」
余程の体力を要したのだろう。
呪文の詠唱を終えたヒワ・リコットは、その場にへたり込み肩を上下に激しく動かしていた。
え? 死なないよね?
なんかすごい唐突に喘息の発作が起こったみたいになってるんだけど?
大丈夫なんだよね?
「御心配なさらず、いつものことです。
未熟者ゆえ、術の発動後はいつもこのようなのです」
未熟者かどうかはわからないけど、たぶんそれ年齢も関係してると思う……
歳だよ。
そして思う、これでスタートできる、色々と。
まずはきちんと町に入って奴隷市場に行って……
いや、その前に牙を加工した方がいいのか?
前金もまだ受け取っていないし。
そうしたらまたあの男、ヴィオとか言う換金所の主人に会わなきゃか……
そのあとは、滞在場所も決めなきゃな、うん。
そんなもんか?
今のところしなくちゃいけないことは。
「終わったか? 少年くん?」
扉を蹴破り這入ってきた声で思い出した。
そう言えばまだ一つあったわ。
「よし、それじゃあ、奢っておくれ。
頼りにしてるぞ? 少年くん?」
腹ごしらえだ。




