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深紅の竜巻



 埃被った倉庫を数日掛けて掃除し、何とか人の住める空間にした。

 部屋の主はボル・ブロワー。赤毛の美女は汗と埃塗れの身体を漸く清潔にして、数時間前眠りについた所である。


 「うぅぅ、わ、ワニが、ワニが」


 硬いソファーの上、毛布に包まるボルは悪夢に魘されていた。


 「クソ、クソッタレジョン・クレイドル、うぅぅ」


 どかーん。二部屋離れたリビングルームから爆発音。

 なんだ、何が起こった。


 ボルは毛布を蹴っ飛ばして飛び起きる。下着姿なのも構わずリビングへと飛び込んだ。


 「アド! ……?! なにこれ」


 リビングでは憎たらしいクソッタレ、ジョン・クレイドルがボクシンググローブを嵌めた巨漢と相対している。

 褐色の肌、盛り上がる僧帽筋、胴は綺麗な逆三角、隆々とした腿。

 黒光りする牛角を備えたその亜人はボルも知っている。ボクシングワールドチャンピオンだ。


 名前は確かカーベイ・カンポ。


 「頑張れぇージョーン!」


 声援を送るアドニス。メイア・シックスに抱きかかえられている。


 ジョンは声援に答えるようにひらひら手を振る。カーベイ・カンポが踏み込んだ。


 ジャブ、ジャブ、ジャブ。全く目で追えずボルはうぇぇと呻いた。

 ボクシングを嗜む身としては把握していて当然のファイターだ。テレビで見たままの体捌き。

 カーベイの左は早過ぎる。しかしジョンは全く危なげなくそれをいなしている。


 「(はやっ、二、三、あれ? 今潜った? パリィ、パリィ、え? 今の何?)」


 カーベイがボディを振り回す。シューズが床を擦り、ジュ、と奇妙な音を立てる。

 そのカミソリのようなフックに合わせてジョンが肘を出した。

 パンチをエルボーで迎撃。点を点で止めたのだ。

 そのままカーベイの右手を捻りつつ身体を密着させ、そこから先はボルには分からなかった。


 何だか良く分からないがカーベイが吹っ飛んで、壁にぶつかったと思ったら四肢をバラバラに四散させていた。

 千切れ跳んだカーベイの足がボルに命中。ぼかっ。


 「……マネキン?」


 マネキンの足だ。


 「1ラウンドKOだな」

 「イェーイ!」

 「コングラッチェレーション」


 ハイタッチするジョンとアドニス。メイアがぱちぱちと気のない拍手をしている。

 ボルは漸く何が起こっているのか理解した。



――



 「何考えてんのよこのハゲ!」

 「待て、ハゲちゃいないぜ」


 ソーセージに噛り付きながら暴言を飛ばすボル、スクランブルエッグを掻き込みながら反論するジョン。

 ギャーギャー遣り取りする二人を眺めながらアドニスはパンをもそもそやっている。


 「アドの力を遊び半分に使うなんて……!」


 さっきのワールドチャンピオンはアドニスの能力によって生み出された物だった。

 マネキンに落書きでもさせたのだろう。そしてそれは動き出し、ボルの目にも止まらないテクニックとスピードを披露した。

贅沢な話だ、ワールドチャンピオン『カーベイ・カンポ』がスパーリングの相手だなんて!


 「安全は確保されていました」

 「出会った時から思ってたけど、アンタ制御プログラムがイカれてるの?」


 追加のスープをテーブルに運びながらしれっと言うメイア。毒舌を返すボル。


 「アド、貴方も覚えているでしょう。自分が初めて力を使った時の事」


 アドニスはやっぱりパンをもそもそやりながら、ちょっと俯いた。


 「二年前、突然三体のマネキンが怪獣に変身した」

 「違うよ! ロディ・メイスンとサンダーボルト、それとロディのペットのトライウッドだよ!」

 「えぇそうね、その二人と一匹のアニメ・ヒーローは通行人に片っ端からプロレスを挑んで病院送りにしたわ」

 「あうっ」


 拘りを持って言い返すアドニスだが、ボルの視線が冷たくなるだけだった。


 「その五分後には工事現場に置いてあったワークロボがトリケラトプスに変身して警察署に突っ込んだ」

 「あぁ知ってるよ。その事件の事なら“よーく知ってる”」


 うんざりだと肩を竦めるジョン。ボルの眼力もこの男はどこ吹く風だ。


 「アド……もっと慎重になって。貴方の持ってる能力は危険な物なの。

  貴方が優しい子だって事を私は知ってるわ。でも貴方が創り出したヒーロー達はそうじゃなかった」


 軍研究所内ならば万全の体制でアドニスを守る事が出来た。だがここで同等のセキュリティレベルは望めない。


 「ごめんなさい……」


 しょんぼりするアドニスの頭をジョンが乱暴に撫でる。


 「言い過ぎだぜレディ」

 「……厳しくても、必要よ」

 「俺の意見とは違う」


 ジョンはコーヒーカップに口を付けて、舌の滑りを良くした。


 「危険な力なんて存在しない。危険な使い手が居るだけだ。

  アドニスや俺達がすべきなのは、恐れる事じゃなくて理解する事だ。

  アドニスにはもっと練習が必要なのさ」

 「ご高説どうも。このボロ事務所が吹っ飛んでも同じ事が言えれば良いけど」


 気付けばメイアがテーブルの傍に立っていた。手にはフライパンを持っている。


 「先程から建設的な会話とは言えません」


 メイアはそれを無表情のまま圧し曲げた。フライパンは粘土細工のように形を変えた。

 ぎ、ぎ、ぎ、めこ、ぐにゃぁ。

 これ以上続けるなら、次はお前達をこうしてやる、とメイアの無機質な瞳が言っている。


 「ミスタ・ポートマンの前での喧嘩は止めて頂きます。OK?」


 ジョンもボルもフライパンの二の舞は御免だった。二人は即座に肩を組んで頬を寄せ合った。


 「ははは、安心しろよメイア! 俺達はベストフレンズだぜ」

 「そうよメイア、互いに遠慮がないからちょっと言い過ぎちゃうのよね!」


 メイアは口端だけを持ち上げるいつもの笑顔を作った。


 「それは良かった。…………ではミスタ・ポートマン、約束通り算数のお勉強を始めましょう」


 はーい、と椅子から飛び降りるアドニスと、彼を案内するメイア。


 ジョンとボルは肩を組んだままそれを見送った。


 アドニスはボルに見えない所まで来るとニマニマ笑う。


 「怒られちゃったけどさ」

 「はい」

 「なんだか楽しいねぇ」

 「……えぇ、そうですね」


 メイアはもう一度笑顔を作った。



――



 「よーく狙え。大きく息を吐いてゆっくり吸え」

 「ふぅー……すー……!」

 「指だけで綺麗にトリガーを引くんだ。力を入れ過ぎると銃口がブレて中らない」


 何故こんなオンボロ事務所の地下にシューティングレンジ何て物があるんだろうか。

 ボルは苦々しい顔でジョン・クレイドルのシューティングセミナーを眺めている。


 受講者はアドニス・ポートマン。ジョンは手取り足取り丁寧に指導している。それこそ過保護なくらいに。


 「息を吐ききって落ち着いたら、苦しくなる前に引いて見ろ。気楽にな」


 ぱすん、と気の抜けた音がしてアドニスが握る小振りなハンドガンから弾丸が発射された。

 それは十六メートル先のマンターゲットの胸部に命中。カチチチと異音を響かせる。


 非殺傷のスタンニードルガンだ。棘から電気を流して対象を無力化する。反動が小さく子供でも扱い易い。


 「良いぞアドニス!」

 「イェーイ!」


 ハイタッチ。その後もアドニスの射撃は続く。

 一頻り撃たせ、全てのニードルがマンターゲットに吸い込まれていくのを確認したジョンは感嘆の声を上げた。


 「良いセンスだ! 本当に良い!」

 「へへへ……」


 照れ笑いのアドニス。その後もジョンのセミナーは続き、分解整備に安全管理と多岐に渡る。


 ご機嫌な様子のアドニスを見てボルはむぅぅと唸った。




 お次は空き部屋を使っての近接格闘…………と言うよりは、危機管理講習だ。

 数歩進めば触れられるような距離に危ない奴が居たらどう逃げるか。

 腕を掴まれたら? 後ろを取られたら? 挟み撃ちの時は?

 照明を落とした部屋の中に投影された巨大なウィンドウ。様々なシチュエーションでの対処法をムービー付きで解説していく。


 埃っぽい部屋だが余分な物が置かれておらず広さだけはある。

 アドニスはそこでジョンの肩に乗ったり、一緒に寝転んだり、ひっくり返ったりしながらニコニコ笑った。


 「Let’s カン・フー!」

 「Oh yes カン・フー!」


 ボルは柔軟体操で身体を解しつつ恨めしそうにそれを見ていた。




 夕食前、リビングの古臭いテレビの前でアドニスとメイア・シックスが珍妙な踊りを披露している。


 数世代前の体感型ゲームだ。

 リビングに現れた立体映像のピンクのカバが次々と光る円盤を飛ばし、それを何でも良いから叩き落せば音が出て、ミュージックになる。


 「私は最新型最高性能の傑作機です」

 「すごーい!」


 アドニスも子供特有のすばしっこさで次々円盤を叩き落すのだが、流石に取り零しが出てくる。

 そこをすかさずメイアがカバー。二人のコンビネーションで次々と最高難易度をクリアしていった。


 雪崩の様に円盤が押し寄せてくるステージもあったのだが、メイアは常人には理解不能な挙動でそれらを叩き落す。唖然である。


 「ミス・ブロワー、レッツプレイ?」

 「ノーセンキュー」


 ボルは拗ねた様に答えた。



――



 夜、個人用端末に向かいながらウィスキーを煽るジョン。

 風呂上がりのボルがガウンのまま現れてそれを横から引っ手繰る。


 「おっとレディ……随分と……野心的なスタイルだな」


 赤い毛並みの猛獣ボル・ブロワー。そのスタイルと来たらセクシーの一言。

 ゆったりとしたガウン。開いた胸元は殺人的威力だ。


 「酒の味は分かるみたいね」

 「友人にその道のプロが居る」

 「悪くないわ」


 ジョンのウィスキーは鼻の奥まで香しさがスッと通る。痛烈だ。


 「アドは、大喜びね」

 「そりゃ小さくても男だからな。男ならどんな奴でも心の奥底に、戦士の本能を持っている物なのさ」

 「何それ、馬鹿みたい」


 アドニスは与えられる知識をどんどん吸収していく。それも楽しそうに。


 戦う術、生き延びる方法。

 普通の子供が嫌がるような算数の勉強だってとても楽しそうにこなす。

 数世代前の、時代遅れのゲームをやる時だって真剣で、やっぱり楽しそうだ。


 「アンタみたいなアウトローに物を教わって、古臭いゲームであんなに喜んで、本当に楽しそう」

 「…………」

 「アタシ達のせいだって見せつけられると、正直ショックよ」


 アタシ達がずっとあの子を抑圧してたからだわ。


 ボルにも

 ボルにもそれが何故かは分かっていた。

 普通の子供が与えられるような喜びを、彼は与えられずに居た。


 「……こういうとレディは欺瞞的だと感じるのかも知れないが」

 「何よ」

 「それでもアドニスには君が居た。君があの子を支えてくれていたんだ」


 ボルはショットグラスを机に叩き付ける。


 「……ろくでなしに慰められてるかと思うとゾッとするわね」

 「高学歴のインテリエリートに口説かれるのはもう飽きてるだろ?

  偶には俺みたいなごろつきと話すのも悪くないんじゃないか」

 「少しは怒ったりしないの? バカにされて」

 「レディの涙が優先だ。……子供の幸せの次に」


 ジョンはウィスキーを更に注いだ。


 「おかわりをどうぞ」

 「……酔わせてどうする気?」

 「こりゃ失礼」


 ジョンはショットグラスをさっと引いて自分で煽る。


 「まだ半信半疑だったけど」

 「俺の事か? 今でも信じちゃいないんだろ」

 「“ジョン・クレイドル”はコミックの中のヒーローよ。アンタがコミックの中から抜け出してきたんじゃ無いのなら、やっぱりただのコスプレ野郎でしょ?」


 困ったな。そう言いながらジョンはドレスシャツの胸元を緩める。


 「でもアンタが真剣にアドニスの為に動いてるのは分かったわ。

  やり方に知能指数が足りてないのは変わらないけどね」

 「手厳しい」


 更にショットグラスに注ぐジョン。今度はそれをボルが奪い取る。


 「おい」

 「アルコールは免罪符になる。知能指数の低い連中とお友達になる理由に」


 ぐいっと一口。空になるショットグラスをジョンに投げ渡した。


 「明日からはアタシも参加するわ。貴方達の……極めてアウトロー的な……その、ダーティなサバイバルテクニックのセミナーに」

 「へぇ?」

 「アタシが通ってたスクールは、総合端末にハッキングして門限を誤魔化すのが伝統だったのよ」


 成程、その技術があればアドニスの大きな助けになるだろう。



――



 二週間が過ぎた。アドニスにとって賑やかで楽しい事ばかりの二週間だった。

 よく学び、よく遊んだ。毎日はしゃぎ疲れて眠りに落ちる。

 アドニスはボルやジョン、メイア・シックスを家族のようにすら感じていた。血の繋がらない家族だ。


 この二年間欲しくて堪らなかった色んな物を、彼らが与えてくれた。


 でも、母の事を思わない日は無い。



 アドニスは窓際に頬杖を突いてしとしと雨の降る薄汚れた街並みを眺める。

 メイアがすぐ傍に佇んでいる。このヴィクトリアンメイドはアドニスの為に、何時間でも声を発さず、ジッと待つ事が出来る完璧な世話役だ。


 「……母さん、元気にしてるかな」


 いつもならメイアは直ぐ答えた。彼女に搭載された人工精霊は優秀だ。

 でもこの質問には何故か答えない。ただジッとしている。


 アドニスはジョンが準備してくれたキャンバスに落書きを始めた。

 手のひらサイズのデフォルメされた女性。腰まで届くロングヘアにピンクの服。

 ちょんちょんと目鼻を付けて、口はにっこり笑顔。


 「……お母様ですね」

 「へへ……」


 アドニスははにかんだ。彼がよくこうして母の絵を描く事をメイアは知っていた。

 写真の如く精緻に描く事もあれば、こうしてデフォルメして描く事もある。

 共通点はいつも笑顔でいる事だ。


 アドニスは筆で母をつつく。それを合図に絵は動き出した。

 キャンバスから飛び出して机の上に飛び乗り、背伸びして手を伸ばす。

 何をしたいのか察したアドニスはしゃがんで母に頬を寄せた。


 ぐりぐりと母が頭を撫でる。頬に親愛のキスをして、そして煙のように消える。


 「病気、良くなったかな」


 やっぱりメイアは答えない。


 暫く二人は静かに窓の外を眺め、やがてメイアは言った。


 「買い物に行きましょうか」

 「外に出て良いの?」

 「現在チェダース地区に脅威レベルの高い敵は存在しません。私が護衛を務めるのならば外に出て良いと、ジョンに許可を取ってあります」

 「やった!」


 以前のマフィア騒ぎから暫く外出禁止令が出ていたが、漸く解除だ。


 ジョンは用事で出掛けているし、ボルは深夜まで端末で何やらやっていたせいで今も寝ている。

 アドニスは大急ぎで出掛ける準備をした。



――



 絵が上手くなったんだ。



 レインコートを着込んだアドニスはモンタナ・ブロックと言う名前がプリントされたチョコレート菓子の袋を大事そうに抱えている。

 0.5ミリのホログラムカードがおまけとしてついており、軽く手でなぞるとコミックヒーロー“ワイリー・モンタナ”のヴィジョンが投影されてクールな台詞を決めてくれるのだ。

 最近のアドニスのお気に入りである。当然一番はジョン・クレイドルだが。


 「研究所だと、決められた時間以外に絵を描くと怒られちゃうから」

 「それは窮屈ですね」

 「うん、それに描いてる間はずっと監視されるんだ。むずむずするよね」


 買い物袋を手に下げるメイアは聞き上手だ。アドニスは次から次へと何でも話してしまう。

 雨のしとしと降る大通り。人通りは少ない。


 「手を描くのが結構難しいんだ。大人って皆いつも表情を変えないけど、思ってる事が結構手に出るんだ。知ってた?」

 「それは知りませんでした。私もそうなのですか?」

 「う、うーん、メイアは分かんない。あんまり動かないから」

 「……それはそうですね」


 メイアはグレイメタルドール。普通の生物のようには語れない。


 「ボルは結構分かりやすいよ! イライラしてる時は親指と人差し指を擦るんだ!」

 「成程……ジョンと話している時の彼女は時々その仕草を見せます」

 「最近はグッと数が少なくなったから、きっと仲良くなったよね?」

 「私もそう思います」


 チェダース公園へと差し掛かる。奇怪なオブジェと噴水が配置された公園で、今日もスモッグに負けないタフな野鳥達が虫を啄んでいる。

 噴水の横に景観をぶち壊しにする空気浄化装置が設置されていた。散水機のように薬剤のシャワーを撒き散らしながらブンブンと唸るそれを見ない振りすれば、悪くない公園だった。


 「あっ」


 アドニスは声を上げた。


 公園に子供が居る。同年代と接する機会に恵まれなかったアドニスはついつい目を遣ってしまう。

 女の子だ。しかもその子は屋根付きベンチの下にキャンバスを設置して一心不乱に取り組んでいるではないか。


 アドニスの好奇心が酷く刺激された。


 「今日は祝日です。スクールはお休みでしたね」

 「……見に行っても良い?」


 メイアはいつものあの無機質な笑顔を作って頷いた。

 アドニスはこっそり近付いて、キャンバスに食い付くような姿勢で絵を描く少女の背後から覗き込む。


 公園の申し訳程度の木々と、噴水。そしてその上空に広がるチェダースの汚れた空。

 空に敷かれたエアカーの為のスカイラインガイド。自己主張の激しいカスタムを施したマシン達がその光の上を綺麗に滑っていく。

 そしてそれらは全て雨で濡れている。


 精緻な絵であった。アドニスは思わず、ほわぁ、と感嘆の声を出した。


 少女が肩を震わせて飛び上がる。


 「うわっ、なんだお前!」

 「あ、ご、ごめ」

 「は、離れろよ! いてっ」


 少女がキャンバスを固定していた多目的ボットの脚部に躓いた。アドニスが咄嗟に彼女の手を掴む。

 転倒しかかった彼女を何とか助けるも、今度はアドニスが湿った地面に足を滑らせる。二人してもみくちゃになりそうな気配。

 すかさずメイアが二人の手を取った。十トン級搬送ボット並みのパワーを発揮する彼女だ。子供二人くらい訳無かった。


 「お、おぉ、有難う」

 「うん」

 「じゃねぇよ、何だお前ら」

 「え、いや、その」


 アドニスは上手く言葉が見つからず、咄嗟に言った。


 「素敵な絵だね」


 少女は少しの間「何だコイツ」と言う表情で居たが、やがて警戒を解いたのか気の抜けた顔になる。


 「……だろ?」



――



 『ボル、いつまで職務放棄を続ける気だい?』


 与えられた個室、ボル・ブロワーは赤毛を手櫛で梳きながら罵声を返した。


 「職務放棄してんのはアタシらの上役でしょ」

 『さっさと戻って滞っている案件を片付けて欲しいんだがね』


 通信端末から投影されるヴィジョンにはコーヒーカップ片手に舌をしゅーしゅー言わせているカメレオン男。

 シンクーだ。アドニスとボルが研究所から出て以来、彼の裁量権では追い付かない仕事までさせられているらしい。

 秘匿性の高い職場だったのでそう簡単に代わりを見つけられないのだ。


 「アドの安全が確保できたら直ぐにそうするわ」

 『それは君の仕事じゃない筈だ』

 「じゃぁさっさとスペシャルフォースを投入するように上に掛け合いなさいよ。

  あの子をコスプレ好きのサイコパスの所に置き去りになんて出来るモンですか」

 『君は一度言い出したら頑固だからね……。時々思うよ、“くたばれ”って』

 「思うだけなら金もかからないわ。経済的ね」

 『経済的、と言うのは金が健全に循環する事だ』

 「畑違いの勉強は結構よ。……それで、例の件、調べてくれたの?」


 無駄話を打ち切ってボルは本題に入った。

 シンクーは少し沈黙した後、データの送信を行う。


 『事実だったよ。君の言うコスプレ好きのサイコパスの言う事は』


 ボルは暗号化されたデータファイルを自身の端末で解読しながら溜息を吐いた。


 「……最低ね、アタシ達」

 『それに関しては同意見だ』

 「珍しく意見が合ったわ」

 『僕は大体の事に対してクソ食らえと思っているが、契約や誓いに関しては真摯だ。

  今回のこれは僕の美学に反する』


 この不遜で皮肉屋なカメレオンに美意識があったとは驚きだ。

 悪口に関しては人の事を言えない筈のボルは自分の事を棚上げしてそう考えた。


 『君が何をしようとしているのか何となく予想付くがね、まぁ好きにすると良い』

 「へぇ? 止めないんだ。アンタの仕事が更に遅れるかもよ?」

 『言った筈だ。“美学に反する”と。クソな仕事と僕の美学なら、優先すべきは明白だ』


 ふん、と鼻を鳴らすシンクー。ボルは小さく笑って、少しの間このカメレオンと見詰めあった。


 やがてシンクーは話題を変える。


 『そういえばボル、少し前に捜査に来た警察官だが、中々面白い人物だったよ』

 「へぇ? 上が上手い事揉み消すとばかり思ってたけど。

  何にせよアンタが面白がるって事は相当な変人ね」


 警察への圧力を掛け損なったのか? 上司殿も耄碌したか。

 ボルは気のない様子で返事する。


 『ジョン・クレイドルを探しているらしい。真赤に塗られたとても公用とは思えない車に乗っていた。

  僕も車には少しばかりうるさいが、アレは中々の物だったね』

 「……態々ジョン・クレイドルを名指しで?」

 『ド派手な黒いエアカーの話を聞きつけたようだ。事情は知らないがかなり対抗心を燃やしていた。

  ジョン・クレイドルがどうなろうと知ったこっちゃ無いが、騒ぎが起きるのは確実だろうな』



――




 震える深紅のその姿。

 それに狙われたら、もう行きつく所まで行くしかない。




 ジョンはテンガロンハットを押え、雑居ビルの階段から空を見上げていた。

 耳慣れない甲高いエンジン音が聞こえる。ジョンも車に関しては少々詳しい。そのジョンが思うにこの女の悲鳴のようなエンジン音は……。


 カリカリチューンのヤバい奴だ。何時吹っ飛んでも可笑しくないような負荷を掛けている。


 「胸騒ぎがする」


 ジョンはトランスポーターとしての仕事をこなした直後だった。長居は無用。


 端末からオータム・ハンターを呼び、雑居ビルに横付けさせて飛び乗る。

 こういった乗り降りは空路交通法違反だがそんな物を気にする奴はチェダースには居ない。


 計器類を操作し、オータム・ハンターを温める。ビルの上まで上昇した時、それは現れた。



 ヒィィィィ、と言う音。女の悲鳴のようなエンジン音。

 震える深紅のボディ。ハイカットエアバンパーには推進器が増設されている。

 それは明らかにオータム・ハンターに狙いを定め、一直線に向かってきている。


 「何ッ」


 ジョンはバックミラーに移ったそのマシンを見て眉間に皺を寄せた。端末を操作すればオータム・ハンターの後部カメラで捉えた姿がウィンドウに表示される。


 「アレは間違いない、トーネード!」


 ジョンはオータム・ハンターを急発進させる。

 その後ろを赤い竜巻が猛追し始めた。



――



 「何だお前、また来たのか。鬱陶しい奴だな」

 「へへへ……」


 次の日も、その次の日も、アドニスはチェダース公園に向かった。

 絵を描く少女との会話が目的だ。


 茶色い癖毛の彼女は猫の亜人らしい。特徴的な猫耳と猫っ鼻。

 口ではアドニスを邪険にしているようだが、尻尾はピンと立って上を向いている。猫は機嫌が良い時はそうなるらしい。メイアが教えてくれた。


 彼女はロドニーと名乗った。年のころはアドニスと同じか少し上くらい。


 「見せて見せて!」

 「好きに見りゃ良いだろ」


 ロドニーは今日も風景画を描いている。以前は雨が降っていたが、そうでない時のチェダースの空は少し違っている。


 アドニスは人物画やキャラクター、ポップな描き方やデフォルメは得意だ。

 しかし目の前の物をありのまま受け入れて描き出すのはロドニーの方が上手い。


 ふぅん、へぇ、と目をキラキラさせるアドニス。

 ロドニーはそんなアドニスの肩越しに背後を見遣った。奥ゆかしいヴィクトリアンメイドがしずしずと一礼する。


 「また保護者同伴か。お子様だな~」

 「メイアは凄いんだ」

 「誰もそんな事聞いてねぇよ」


 子供が、それも同じ趣味を持つ者同士が仲良くなるのはあっという間だ。

 この二人もたったの数日で吃驚するほど仲良くなった。


 二人して色んな事を話す。同年代だからこそ弾む話と言う物がある。

 メイアは静かに黙って二人を見守っている。


 「お前普段なにやってんの? 平日真昼間からメイド同伴で散歩かよ」

 「ロドニーだってそうじゃん」

 「俺は良いの。スクール行ってねーから」

 「僕だって行ってないよ」

 「はーん? まるっきりお坊ちゃまって感じなのに。ひょっとして貧乏か?」

 「や、それは……分かんない。もしかしたら貧乏かも」

 「もしかしたらって何だよ、ハハ。ま、いーけどな。アタシん所だって貧乏だし」


 ロドニーはキャンバスに向き直って詰まらなそうに言った。


 「そうなんだ」

 「事情があるんだ」

 「僕も。上手く言えないけど、事情があって、遠くには行けないし、学校もダメなんだ」

 「何だそりゃ。良く分かんねー、大変だな」

 「ロドニーは?」


 彼女はアドニスを睨み付けたが、ぽやっとした顔を見ると毒気を抜かれたようだ。


 「母さんがな」

 「……母さん?」

 「おかしくなっちまってさ。前はナヴィーグチェイス・ポリスだったんだけど」

 「警察官だったんだ。……おかしくなったって?」

 「お前結構無神経だよな」


 アドニスはしょんぼりする。


 「……良いよ別に。お前は……アタシ達の事馬鹿にしてる訳じゃねーし」

 「しないよ」


 ロドニーは筆を置いて汚染物質で覆われた空を見上げる。


 「一年前からずっと、母さんはチェダースの悪党を探してるんだ」



――



 「トーネードぉ……! またお前に会えて……嬉しいぜ……ぇぇッ!」



 ジョンの全身に掛かる猛烈な慣性。

 オータム・ハンターは全力で推進器を吹かしながらビルの谷間を駆け抜けていく。


 空路交通法違反を監視する飛行ボットがやかましい警告音を上げる。だがそんな物がオータム・ハンターを止められる筈がない。


 超高速度域での無理なターン。スライド。上昇下降。etc。

 通常出力ではこれに対応できない。オータム・ハンターのスクランブルタービンが唸りを上げて回転を始める。


 特殊なエンジンに加えてこの秘密兵器。これを開放したオータム・ハンターに追随できるマシンは殆どない。


 そしてその稀有な例が……

 今女の悲鳴のようなエンジン音を上げながら追ってくる、『トーネード』だった。


 「一年前にくたばったと思ってたが、どうやら勘違いだったらしいな」


 ハンドルを小さく切って少しずつ進路を変えながら推進器を制御。

 一定の域を超えた途端にオータム・ハンターは大きく滑り出し、急旋回を行う。


 廃ビル外壁すれすれを正に削り取る様に飛び、そのまま横道に突入。この狭い路地は本来空路ではない。エアカーの侵入できない領域を、タガの外れたスピードで突き抜ける。


 腐った木片、錆びたショーパブの看板、雑多なゴミクズが吹き飛んでいく。

 イカレていた。ジョン・クレイドルも、その後を追うトーネードも。


 『ちょっと、ジョン。何処で遊んでんの?』

 「悪いなレディ、取り込み中だ。急ぎで無ければこちらから掛け直すのを待ってくれ」


 通信が入る。投影されるヴィジョンはボル・ブロワー。

 いつも紳士的な態度を心がけるジョンだが、襲い掛かる激しいGに少しばかり余裕が無い。


 当然だった。常時内臓を掻き回されているような状態だ。


 『好きにして頂戴、大した事じゃないわ。どっかの特別捜査官がアンタ追っかけてるってだけ』


 ボルはさっさと通信を切った。ジョンは呻いた。


 「今正にそいつとダンス中だ……!」


 路地裏から飛び出した。前方は大きく開けた通りになっている。

 周辺で一番交通量の多い空路だ。大量のエアカーやガイドビーコンが連なり、雑多ながらも目を引く美しさがある。


 ジョンは急上昇を行った。肺から空気が絞り出され、鳥を絞めた時のような悲鳴がジョンの口から零れる。

 トーネードもついてくる。他のエアカーの居ない高度まで上昇した時、うってかわってジョンは急降下。


 通りの中央には地下道へ通じる道がある。中は迷路のようで、悪ガキどものたまり場になっている。


 ジョンは迷わずそこに飛び込んだ。この地下道への入り口には細工がしてあるのだ。


 「お楽しみは……また今度……!」


 オータム・ハンターは入り口を抜けると同時に特殊な周波数の信号を出す。

 地下道の入り口はその信号を受けてシャッターを下ろした。マイクロミサイルの直撃にも堪えるシャッターだ。この地下道は、以前は災害時の避難所として使われていた。


 トーネードは堪らず急減速。しかしその勢いを完全に殺す事は出来ない。

 緊急用の車載ディフェンダーを起動し、バリアで地面を抉り取りながら漸く停止する。


 周囲を飛ぶ空路監視ボットのアラームが煩い。

 トーネードのドライバーは少しの間地下道への入り口を睨み付け、飛び去った。




 「撒いたか」


 オータム・ハンターをオートドライブに切り替え、ジョンは葉巻に火をつけた。キッドマンからポーカーで巻き上げた代物である。


 濃い煙を吐き出し、どくどくと鳴る心臓を宥める。興奮の余韻と共に言葉を吐き出した。


 「リベンジマッチか……。イケてるぜ、トーネード」


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