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ネバーギブアップ、ボル・ブロワー



 シビルが腕時計型の端末を操作する。開けたスカイステージの四方に青いネオンのラインが走り、煌びやかで下品な女の像を作り出す。


 その中に浮かび上がる店名。”ハードラック”。


 「ここはアタシの店だけど、サマリアは大事な取引をする時によくここを使うの。これはただのアートじゃなくて防御フィールドよ」


 ネオンを指で指し示しながら言うシビル。このエネルギーシールド戦車砲ですら通さない。


 「取引には相互の信頼が必要よね。だからアタシの店では騙しも殺しもやらない。サマリア・ファミリーのプライドに懸けてね」

 「本当に? 今まで一度もか?」

 「他所のヒットマンが忍び込んできた事はあるわ。まぁ……そいつは……色々思い知ったと筈だけど」


 疑わし気なキッドマンの言葉にシビルはウィンクして見せた。


 「だからもしアタシの店で武器を向けられたとしたらそいつは殺しちゃって良いわ。多分身内じゃ無いから」

 「多分、か」

 「身内だったとしても身内じゃ無くなるもん。同じ事よね」

 「素敵なアドバイスをどうもありがとよ」


 キッドマンは更にグラスを傾けて話を打ち切る。


 アドニスは目をキラキラさせて周囲を見回していた。代り映えのしない地下研究所から連れ出され、刺激的な展開に身を置いている。

 アドニスは危機感よりも好奇心や冒険心を沸き立たせていた。だってジョン・クレイドルがボディガードなんだ。何を怖がれっていうんだ?


 「ぼーや、どう?」

 「凄い、カッコイイよ!」


 シビルはジッとアドニスを見詰める。こんな素直な少年は初めて見たかもしれない。


 「そっか、嬉しいわ。…………来たわね」


 防御フィールドの一部を中和しながら一代のエアカーがステージに乗り込んできた。古式ゆかしい黒塗りの車だ。

 ボンネットに麦穂のエンブレムが下品にならない程度に自己主張している。


 後部座席のドアが開いてスーツの男が飛び降りてくる。茶色の中折れソフトハットを手で押さえ、ロングコートを翻らせながら。


 映画にでも出てきそうな、正にマフィアと言えばコレ、みたいな往年のスタイルだ。


 「ウチのアンダーボスよ。他人に紹介されるの好きじゃないみたいだから、名前は直接聞いて」


 サマリアのアンダーボスは二名の護衛を引き連れ、何も言わずジョン達の座る席に着いた。

 外見的特徴に何か混ざった様子は無い。恐らくはナチュラルヒューマン。

 目尻に皺の寄ったたれ目だがそこに優しさは無い。言いようのない迫力ばかりがある。


 ジョンは礼を尽くし、一度椅子から立ち上がり帽子を脱いで挨拶した。


 「御機嫌ようアンダーボス・マフムード」


 あーあ、とシビル。先に名前を呼んじゃうのか。

 マフムードは舌打ちした。


 「御機嫌ようジョン。会えて光栄だ。ロネオ・プリンセスの銃の件では部下が世話になったな」

 「ロネオは友人だ。……アンタらは違うが」


 ボーイがウィスキーボトルとグラス、ロックアイスを持ってくる。マフムードは手ずからウィスキーを二杯準備し、片方をジョンに渡した。


 「結構。知っている相手に名乗るのも変だが、礼儀として自己紹介させてもらう。

  マフムード・ハニヤータだ。……乾杯」

 「乾杯」


 ジョンはグラスを打ち合わせ、一息に呑み干した後シビルに言った。


 「後でレジストドラッグを頼む、アルコール用。……マフムード、この後運転しなきゃならないんでね」

 「良い心掛けだよジョン。飲酒運転は良くない。……何より子供が見ている」


 マフムードの感情のない視線を受けてアドニスは震えあがった。声も出せずに下を向く。


 ジョンは椅子に座り直すと背もたれにどっかりと身を沈め、足を組んだ。


 「マフムード、今日は朝から大変だった。サマリアの友人達が俺の事務所に押し掛けてきてな」

 「あぁ、そうだろうな。玄関をノックしても開かないと泣き言を言っていた」

 「何故だ? 気位の高いアンタらが軍や警察の言いなりになるのか?」


 マフムードはふーむと溜息を吐く。


 「迷子を家に帰す手伝いを頼まれた」

 「俺もそうしようとしてる。事情は把握してる筈だ」

 「奴らは報酬に2500万コルム提示して来た。土地を買って屋敷を建て、まだ余る金額だ。ガキ一人に」


 吐き捨てるように言うマフムード。ジョンの更なる挑発。


 「アンタらが禁制品の密輸で稼ぐ額に比べりゃ大した事は無いな」

 「口を慎めよ若造。お前に俺達の仕事の何が解る」

 「態々再確認させて欲しいのか?」


 ジョンはアドニスに視線をやった。ガキ一人をエネルギーガン片手に追い掛け回すのが今のサマリアの仕事だった。


 「名誉ある男の仕事とは何だ?」


 マフムードの護衛がジョンのグラスにウィスキーを注いだ。


 「ふざけた質問をする度に一杯呑め。俺の酒だ。文句は無いだろう」

 「…………喜んで頂戴しよう。だが呑ませる以上は答えるんだろうな?」


 ジョンは苦も無く度数の高いウィスキーを呑み干した。

 昨今の世の中、ヒューマンもデミヒューマンもアルコールに耐性を持っている。このウィスキーはそんな酔うに酔えない蟒蛇どもを無理矢理酔わせる為の物だ。

 マフムードは気分良さそうに笑った。サマリアは酒の密輸で飛躍した組織である。


 「アンタら、アドニスをどうしたいんだ」

 「ふん……。正直言えば思案中だ。2500万コルムで売りつけても良いし、別の取引に使っても良い。

  取り敢えず手許に置いて損は無い」


 取引? 軍が追い掛ける厄ネタだ。取引相手を見つけるにも苦労するだろう。


 ジョンはグラスをテーブルに叩き付ける。キッドマンが猫髭を整えながら詰まらなそうにそれを見ている。


 「どうした、注げよ」


 マフムードの護衛は遠慮なしにウィスキーを注いだ。あっと言う間に胃袋に収めるジョン。


 「マフムード、これは俺の推測だが……アンタへのオファーは一つや二つじゃないな?」

 「……クライアントは確かに軍だが複数の派閥から条件を提示されている。

  迷子のガキを家に帰すか、或いは攫うか、若しくは…………」


 アドニスは息を詰まらせた。マフムードの言葉の先は容易に想像できる。


 殺される可能性もあるの? 途端に冷や汗が噴き出してくる。


 「そうはさせない」


 断言するジョン。アドニスの胸に安堵が広がった。

 ジョン・クレイドルの言葉には気負いも何もない。強がりではなく、事実を伝えるように、穏やかな口調だった。


 「お前はただの運び屋だった筈だ。何故そのガキに肩入れする」


 マフムードが首を傾げた途端、黙っていたメイアが動き、マフムードの護衛からボトルを奪い取った。


 「条件はフェアに。宜しいですか、ミスタ・マフムード」


 マフムードのグラスになみなみとウィスキーを注ぐメイア。


 アウトローはメンツが命だ。サマリアのアンダーボスが酒を注がれて呑まない訳にはいかない。

 マフムードは無表情のままグラスを干す。


 「シビル、次のボトルを持って来い」

 「オーダーは?」

 「俺の持ってる中で一番いい奴だ。早くしろ」

 「……またウチの若頭の酔狂が始まった……」





 幾つもの質問が飛び交った。ジョンとマフムードは次々にウィスキーを干した。斜に構えて気のない様子のキッドマンですら、いつしか唖然と事態の推移を見守っていた。

 この馬鹿ども、どんだけ呑む気だ。


 「俺達は……うっぐ……チェダースの……権益を守る。これは……ただ単にビジネスと言う……ぐふ、訳じゃ、ない……」

 「つまり……?」

 「大昔……、大恐慌……時代……、役立たずの、役人、ども……に代わり、お、俺達こそがチェダースを……維持した……!

  ここは……俺達の……家だ……」


 いつしか酒を注ぐのはメイアの役割になっていた。ジョンにもマフムードにも差を付けずガンガン呑ませる。


 「改めて……取引の……内容は? 金だけじゃない筈だ……」


 再びジョンのグラスに注がれるウィスキー。流石のこの男も顔を赤くしたり青くしたりしている。

 対するマフムードも青息吐息。分解ドラッグも呑まずにこの怪物ウィスキーを呑み続けたのだ。今こうして意識があるだけで奇跡である。


 ジョンが干す。マフムードは歯を食いしばって背筋を伸ばした。


 「人付き合いだよ、ジョン」

 「ふ、ふざけんなよマフムード」

 「事実だ。……支援者の……リクエストに……答える必要が、あった」

 「どこぞの、せ、政治屋、かよ、ふん」


 酒臭い溜息を吐き出してマフムードはジョンを睨む。


 「もう一度、もう一度、聞くぞ、ジョン」

 「……だ、そうだ。メイア、注いで……差し上げろ……」


 注がれる酒。干すマフムード。顔色が土気色になる。


 「何故、ガキ一人に、意固地になる」

 「さっき……答えたろ」

 「もう一度、答えろ……、真実を……」

 「真実だ……嘘は吐いてない」


 ジョンはくらくらする頭を押さえながら答えた。ミラーボールがあちらこちらを浮遊しながら酒に溺れるろくでなしどもを照らし出す。




 ――ジョン・クレイドルは子供達のヒーローだ。



 行動理念はそれだ。


 全ての少年少女達には、いつでもどこでも、誰か一人くらいは、その身を案じる者が必ず居る。

 利益や損得でなく、彼らの幸せをただ願い、彼らを理不尽から守る為に命を懸ける者が必ず居る。


 それこそはジョン・クレイドル。


 黒いコートのハンサムなヒーローは、いつだって子供達の為に戦うのだ。




 アドニスは感動していた。コミックの中のジョンそのものだった。それはそうだ、だって彼はジョン・クレイドル。

 ジョンは設定に多くの謎が残るヒーローだ。だが行動理念は正にこれ、常に子供達の為に悪と、場合によっては他のヒーローとも戦う。


 平和でも正義でもない。そういうのは他のヒーローがやれば良い、とコミックの中のジョンは言っていた



 マフムードは肩を震わせて笑った。シビルはギョッとした。

 マフムードが声を出して笑う所などここ数年は見ていなかった。


 「レジストドラッグをくれ。二つだ」


 すかさず緑色のゲルが入った無針注射器が差し出され、ジョンとマフムードはそれを首筋に宛がった。


 「……酒に対し敬意の無い呑み方をしちまった」

 「結局解決には至らなかったな」


 アンタがやる気ならこちらも戦う準備がある。ジョンはハットを被り直した。


 「小僧、サマリアを舐めるなよ」

 「敬意は払う。だがやるってんなら遠慮はしない」


 急速に酔いが醒めていく二人。殺気を孕ませ睨み合う。


 そこに爆音が響き渡った。



――



 「何やってんのアイツ!」



 ボルはタクシーの中で絶叫した。それを見つけたのは偶然だ。


 老朽化した廃ビルの屋上でエネルギーランチャーを構える熊の亜人。


 その亜人はボルの目的地であるスカイステージ、”ハードラック”に青色の光線をぶち込んだのである。


 「お客さん、逃げた方が良いぜ!」


 陽気なタクシードライバーが引き攣った笑顔で言う。


 「ありゃファットマン・ミグノンとか言うヒットマンだ!」

 「最近の殺し屋は白昼堂々マフィアの店にランチャーを撃ち込む訳?!」

 「御覧の通りだよ! 質問は以上? さぁ逃げるぜ!」


 冗談ではない。


 あのイカれコスプレ野郎はアドニスを伴って何処かへ消えたのだ。もしあの不健全極まりない堕落の坩堝に一緒に居るとしたら?


 あのクソッタレ熊男はアドニスを殺そうとしている。


 「……アイツに突っ込んで」

 「What?!」

 「突っ込めって言ってんの! 後はアタシが何とかするわ!」

 「無茶言うな! 何でそんな事するってんだ! アンタ、サマリアの関係者か?!」


 ボルは白衣の袖を捲り、拳を握ったり開いたりした。


 「ファッキンマフィアが何人くたばろうと知った事じゃないわ。でもあのステージには小さな男の子が捕まってる可能性があるの」

 「……子供? そうかい、俺にも子供が居る。今年で十歳になるよ。捕まってるのはアンタの子かい?」

 「違うわ。でもアタシはあの子に責任がある。……アタシがどうなっても、あの熊野郎をぶちのめしてあの子を守らなきゃ」


 言い合う内にファットマン・ミグノンはエネルギーランチャーの再装填を終えた。

 型遅れの軍の横流し品が再びスカイステージ・ハードラックに向けられる。マフィアの酒場は生意気にも防御フィールドを展開しているようだが何発も耐えられるとは思えない。


 「(ヤバいヤバいヤバい。アタシ本当にクールに計算できてる? アドニスはホントにあそこにいるの? アタシの推測っていうか、思い込みだわ)」


 でも可能性はある。


 ――ええい迷うなボル・ブロワー! あんなデブ右ストレートで一発よ!


 タクシードライバーはひひひと笑った。


 「しょーがねぇ、割増料金だぜお客さん」


 黄色い車体が急加速、そして急降下。

 廃ビル屋上のミグノン向けて突っ込んでいく。轢き殺すのも止む無しと言った勢いだ。


 「?!」


 ミグノンは素早く身を撥ねさせた。タクシーの事故防止セキュリティ装置が作動し黄色いボディが急減速。ついでに発生した防御フィールドが廃ビルの屋上をがりがりと削る。


 ボルはドアを蹴り開けて飛び出し、何を思ったかタクシードライバーまで積んであった金属バットを持って飛び出したのだった。



――



 スカイステージ・ハードラックの客達が緊急用の小型飛行ユニットに掴まり次々と脱出を始める。

 そうでない物は一目散にマフムードの元に駆け付け、彼を引きずり倒して周囲を警戒した。サマリアの構成員達だ。


 「ボス! 避難を!」

 「黙れ」

 「シビル、パルミラ・コミッショナーに連絡を取れ! 協定が破られた!」

 「黙れ」

 「飛行戦車を回せ! 急げ!」


 狼狽える部下達をマフムードが一括する。自分に覆いかぶさる護衛達を投げ飛ばし、周囲を睥睨する。


 「俺は黙れと言ったぞ!!」


 部下達は震え上がり動きを止めた。


 「馬鹿が、ガキみたいに泣き喚きやがって」


 マフムードはステージの端まで行くと自分の腹を殴って胃の中身を強引に吐き出した。レジストドラッグを使用したとしても取り込んだ水分が無くなる訳では無い。

 ハンカチで口元を拭うとソフトハットの位置を整え椅子に座り直す。上品さと野蛮さが同居する一連の仕草。


 通信端末を起動するが通話相手は砂嵐。舌打ち一つ。


 「……周囲の狙撃チームはやられたらしいな」

 「そんなモンを用意してたのか」


 どぉん、と再び轟音。ハードラックの防御フィールドが著しく減衰する。

 何者かに攻撃されているのは疑いようも無い。しかも相手は用意周到で抜け目なく、手段を選ばないと来たもんだ。


 「店には何も持ち込まない。が、何の準備もしなけりゃそれはただの間抜けだ」

 「そいつぁ結構」


 ここに来てキッドマンが口を挟む。


 本当ならジョンの話が終わってから賠償の話を持ち出すつもりだったが、このままでは有耶無耶のままになる。


 キッドマンは無駄足が嫌いだ。


 「だがおっぱじめる前に一つ伝えて置きたい事がある」

 「お前は誰だ? ジョンの御付きの、ボーイ?」

 「こいつはキッドマン。マーケットのオーナーなんだが……」

 「アンタの所の無分別で行儀のなってないソルジャーが、俺の店にエアカーで突っ込んだ。俺がこのクソに着いてきたのはその賠償請求をするためだ。

  だが今、俺達は遠くからビーム兵器で滅多打ちにされてる」


 クソ扱いされたジョンは肩を竦める。マフムードは「言葉に気を付けろ」と言ったが話自体を遮ろうとはしなかった。


 「今何をすべきかは分かる。だがこの話は無くなったりしないぞ。その事だけ先に言っておく」

 「……十分だ、猫面のボーイ」

 「俺をボーイと呼ぶな」


 ジョンが手をぶらぶらとさせて二人の間に割って入った。


 「今俺達はどこかのクソに光学兵器をぶち込まれてる。このタイミングだ。アドニスに関係してるのは間違いない」


 アドニスがメイアの後ろからぴょこんと顔を出した。

 メイアある限りアドニスに触れられる者は居ない。指一本であろうとも。


 「マフムード、つまりアンタのご同類だろう」

 「相手が誰かはどうでも良い。サマリアのメンツに懸けて、敵に思い知らせる」

 「ひょっとしたらアンタのクライアントが一枚噛んでるかもしれないぜ」

 「だとしたら」


 マフムードは黒いエアカーに端末を向けた。低い駆動音と共に震えるボディ。


 「そのビジネスはチャラだ」



――



 ウィングバインダーを展開したメイア・シックスの後ろに続くように二台のエアカーが飛び出した。


 片方は黒いボディに紅のアクセント、オータム・ハンター。もう片方は麦穂のエンブレム、サマリア・レガシー。


 メイアのエネルギーアーマーは恐るべき強度を誇る。並大抵の武装では突破出来ない。撃たれたとしてもメイアが受け止め、その隙にジョンとサマリア・ファミリーで敵を叩く。


 「じょじょじょじょん!」

 「歯を食いしばってろ! 舌噛むぞ!」


 急加速のGにやられながらアドニス。

 予想された迎撃は無かった。しかしアドニスは別の問題に悲鳴を上げた。


 「ボルだ! どうして?!」


 狙撃地点と思われる廃ビルの屋上でボル・ブロワーが黒いコンバットスーツを着込んだ熊の亜人と組み合っていたのである。


 「あのクソ野郎、俺の店で暴れた奴じゃねぇか。相変わらずチェダースの警察は働かねぇな」


 キッドマンが鼻をぴくぴくさせて苛立ちを現した。メイアが無機質に言う。


 「直ちに救助を。ファットマン・ミグノンの戦力はボル・ブロワーを凌駕しています」

 「ジョン、ボルを」


 ジョン・クレイドルはにやりと笑った。


 「OKだ。メイアはアドニスを守れ」


 オータム・ハンターは待機モードに入り、メイアがボンネットの上に着地してアーマーを展開する。

 ジョンは飛び降りた。後を追うようにキッドマン。


 一方ボルは周囲に気を配る余裕などない。熊男は複数の格闘技をに習熟しているようでボルより明らかに強かった。


 ナイフをかわして右ハイキック。左の手の甲で受けられる。即座に反撃の右フックが来てボルの頬を掠めた。


 ダッキング、左右に幻惑してショートジャブ、ジャブ、ジャブ。全て受けられる。熊男の足払い。ボルは体が一回転する勢いで転倒した。


 「Fu○k You!」

 「君と遊んでる余裕は無いんだよね!」


 助っ人として参戦したタクシードライバーは熊男のパンチ一発でノックダウンされた。今は屋上の隅に転がっている。


 逆手に握り直されたナイフ。こいつはマズイ。

 だがボルは血の混じった唾を熊男に吐き掛けた。たとえどんな状況だろうと、こいつ相手に怯えてなる物か。


 「……すまないね、わんぱくガール」


 いざナイフが振り下ろされる、と言った頃合いになって天から憎いクソ野郎が降ってきた。


 「ファットマン!」


 ファットマン・ミグノンは空を睨む。自由落下の勢いを付けて飛び掛かってくるジョンとキッドマン。


 ミグノンは一瞬で撤退を決断した。不利な状況では元のプランに拘らない。

 素早く身を翻し四足になって走る。


 「過去から学べよ!」


 しかしキッドマンよりは遅かった。彼は着地後すぐさま跳躍。ミグノンに飛び乗り首に足を引っ掛けて思い切り身を捩る。


 ごがっ、とミグノンは泡参りの息を吐き出して転倒する。キッドマンは倒れたミグノンの腹に怒りのつま先を叩き込んだ。

 鳩尾への蹴りである。


 ジョンの端末に通信が入る。マフムードだ。


 『プランと違うようだが?』

 「プラン通りだろ? 敵は制圧した」

 『まぁ良い。このビルも含めて周囲に部下をやっている。何匹居ようと狩り出してやる』

 「あー、その、なんだ。……ゆっくりで良いぜ?」


 振り返るジョン。赤毛のスーパーレディ、ボル・ブロワーが殺意を漲らせて立ち上がる所だった。



――



 「見つけたわよこのクソ野郎」

 「レディ、話し合う事は出来ないか」

 「アタシを閉じ込めて……ゲホッ、ゲッホッ! ……置き去りにした奴が何言ってんの」


 口の中を切ったらしいボルが口を拭いながらジョンを睨む。


 「ボルー!」


 オータム・ハンターからアドニスが飛び出そうとしてメイアに捕まえられた。子供がやるには危ないスカイダイビングだ。


 「アド、無事だったのね」

 「言ったろ。この名に誓って、あの子を傷つけない」

 「……こんな危険地帯を連れ回しといて?」

 「君達の研究所が安全な所だと言えるか?」


 アンタみたいなサイコパスと一緒に居るよりはね。


 ボルはファイティングポーズを取った。キッドマンが首を傾げる。


 「なんだその女は」

 「ダンスパートナーさ」

 「アホめ……」


 一言で切り捨てたキッドマンはミグノンをインシュロックで拘束する。マーケットの備品らしい。


 ジョンは居住まいを正してボルと向かい合った。


 「俺は君の事をただの悪党だと思ってた」

 「……道徳的に見たらそうだって自覚はあるわ」

 「でも君はアドニスの事を心配してくれている。仕事だからって訳じゃ無さそうに見える」


 ボルは不愉快だと言いたげに鼻を鳴らした。


 「あの子を母親に会わせるなんてほざいてたわね」

 「……そうだ」

 「どういう条件であの子が……あんな陰気な地下墓地でずっと我慢してた知ってるの?」


 ボルは両腕を下した。少し話してみたいと思ったのだ。


 「あの子の母親は”衰弱症”よ」

 「…………」

 「アンタ見たいなのは聞いた事すら無いかもね。……医療は進歩したし、メリピクドは先進国だけど、それでも完全じゃないわ。

  原因不明、治療の方法も分からない病は未だに存在する。あの子の母親はそうだったの。

  公正な取引だった。アドが研究所に協力する代わりに高額の医療費が支払われてる」

 「それなら、そうだな。win-winの関係に思える」

 「それでも完治させる事は出来ない。現状維持が精一杯。

  ……アタシ、彼の母親に会ったわ。本来はアタシの仕事じゃないけど、アドを引き取る時に面会した。

  彼女は俯いて、唇を噛んで、何も言わなかった」


 ボルは乱れた髪を撫で付ける。それは猛獣の毛づくろいのようにも見えた。


 「親子を引き離した。分かってるわよ、言われなくても。

  ……だからアタシは、少なくともアタシに出来る事をする」


 ジョンは天を仰いだ。


 「マジで、参ったな、こりゃ」


 ボルは再びファイティングポーズを取った。幾ら強がっていても、自分ではジョン・クレイドルに敵わないのは分かっている。

 しかしアドニスを目の前にむざむざ引き下がる事は出来ない。


 ところがジョンは一向に身構えず、小さな記録媒体を投げ渡してきた。


 「何よこれ」

 「……俺は……これに関して、君に責任は無いと感じてる」

 「だから何なのよ」


 ボルは猛烈に嫌な予感がしていた。


 「そいつの中身を見てから決めてくれ。俺をブッ飛ばすか、話し合うか」


 ボルは逡巡したのち、平たい円盤型をした、アクセサリにも見える記録媒体のスイッチを押した。

 ボルの腕に輝く銀のリングが媒体を検知し、接続される。



――



 返り血を浴びたマフムードが廃ビル屋上に降り立った。

 サマリアのアンダーボスは鉄火場にも強い。ミグノンの協力者達と激しい戦いが繰り広げられたようだ。


 「その女は?」

 「ダンスパートナーさ」

 「……そうか」


 マフムードは適当に流した。ジョンの軽口に一々付き合うつもりは無いらしい。


 ボルは難しい顔をして立ち尽くしている。


 「その身の程知らずは俺達が貰っていくぞ。聞きたい事がある」


 ミグノンを見下ろしながらマフムード。


 「殺すのか?」

 「ソイツが素直であれば、別の選択肢もあるだろうよ」

 「ふん……」

 「幾つかのアサルトチームと銃撃戦になった。大した数は居なかったから何とかなったが、非常に計画的だ」

 「クライアントとは喧嘩別れだな」


 顔色も変えない。


 「まだアドニスを狙う気か?」

 「……サマリアは、あのガキをお前達が確保している限り手を出さない」

 「ほぉ、そりゃまたどう言った心境の変化だ」

 「シビルの店にランチャーを撃ち込まれた。契約もクソも無い。俺達がすべき事は報復だ。

  それに……言った通りオファーは幾つも来てる。ガキを研究所に帰したくない奴も居るのさ。何にせよ選ぶのは俺達だ」


 マフムードが部下に目配せし、部下は気絶したミグノンをサマリア・レガシーに放り込んだ。


 ソフトハットを脱いで胸に当てる。ジョンに流し目。


 「俺の酒に最後まで付き合った奴は久し振りだ。……まぁ、悪くなかったぞ、お前」

 「二度と御免だね」


 次いでキッドマン。


 「後でウチの交渉役を遣る。賠償の話はそいつを通せ」


 キッドマンは舌打ちしたが文句は言わなかった。


 サマリアは素早く撤収していった。彼らもこれから忙しくなるだろう。





 帰路、ぎゅうぎゅう詰めになった後部座席でアドニスがボルの身体を撫で擦った。


 「大丈夫? ケガしてる……」

 「アタシは大丈夫、かすり傷よ。アドの方こそアイツに変な事されなかった?」

 「ジョンは変な事なんてしないよ」

 「本当かしら?」


 アドニスを挟んで反対側からメイアが口を挟んだ。


 「大人の遊びを教えようとしていました」

 「なんですって?」


 ジョンはハンドルを握りながら慌てて弁解する。


 「オイオイオイオイちょっと待ってくれ。ポーカーだ。カードゲームの話だよ」

 「えっと……お酒の入ったグラスにコインを入れていって、溢れさせた人が一気飲みするってゲームも教わったよ」

 「アドニス! それは内緒だって言ったろ!」


 アドニスは楽しそうに声を出して笑った。


 ボルはその笑顔を眺めながら沈んだ表情を見せた。




 キッドマンは助手席で寝ていた。女子供が姦しいのは嫌いだった。

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