勇者の来訪......戦争の気配
翌朝、シノは目を覚ますと、隣のベッドで寝ていた例の奴隷の様子を見ていた。
その人は全身に骨折痕やアザ、鼓膜破裂、脳内血腫、欠損歯、骨変形、眼瞼下垂などなど、それは酷い状態だった。多少治療痕があったが、それらを全てを治すに至っていなかった。
ホテルでは、屋上に医療コンテナという、遠隔通信による手術室や検査器具、薬品などが揃い、それら全ての治療を行なった。骨変形や眼瞼下垂ではコンピュータの計算で正常な形状や位置に戻す整形手術、脳内血腫はナノロボット治療、アザは皮膚代謝の促進シートを貼付し、欠損歯は細胞との親和性が高い繊維や物質で形成された人工歯を埋め込み、鼓膜は一時的に代替器官を入れ、数日後に体細胞から人工で作った鼓膜を移植し、30日前後でアザなども消える予定だった。
基本的に、人工歯は現代のセラミックと異なり、細胞癒着による固定で、扱いは天然歯、つまり、元の歯と同じだった。鼓膜も同様であり、サキシマの600年の研究成果の一部だった。
その治療の麻酔で、しばらく眠っていた。
部屋に朝食が届けられ、シノはゆっくり摂っていると、部屋のインフォメーション・ディスプレイに来客の表示と共に、短い通知サウンドが流れた。映像には、昨日の勇者が映っていた。
シノは許可をタップし、部屋に呼んだ。
勇者は部屋をきょろきょろしながら、歩いていた。
「それにしても......ここのホテルって、豪華だよな......」
勇者はそう呟いていた。
「どうしたんですか?何か用事ですか?」
「えっとね、君の冒険者パーティーに参加したいなと思って......」
「へえ、そうですか〜」
シノは上の空で返した。
「良いかな?」
「はぁ......」
「ありがとう!ところで、その人は誰?」
「さあ......知らない。まだ名前、聞いてないんだ」
「......」
シノは我に返り、勇者を見た。
「あの、名前......何ですか?」
勇者はうつむき、ポツポツ言った。
「ユリウス。一応、大陸の勇士とか、勇者とかって呼ばれていて......」
「そうですか......」
「はあ......」
ユリウスはあまりに素っ気のない反応をされ、微妙な返事しかできなかった。
「あの、朝食の続き、良いですか?」
シノはユリウスに尋ねた。
「あっ......もちろん、良いですよ」
その頃、遠く西の列強、世界最大面積の植民地を統治する宗主国、アインズ帝国。その帝国の対外諜報機関では、諸外国の技術水準や軍組織の規模、装備などを調べ、作戦立案に役立てていた。
「この車は、一体何で動いている......?」
(いや、ただの石油......軽油のはずですが、燃焼そのものは一体どこで......)
この場での研究対象は、サキシマ国の輸出用燃料電池車だった。
「内燃機関すら搭載されていないだと!」
(機関そのものはどこかにあるはずだ。第一、運転席に機関始動のスイッチがある)
(ですが、分解すら困難で、最小限に留める努力はしていますが、実質部品を破壊して......)
サキシマ国の燃料電池車は、軽油を用いて酸化反応から直接電気を発生させ、水と二酸化炭素のみを排出する燃料電池が用いられていた。動力変換効率は89%に達し、当然駆動系伝達での損失が発生するが、ディーゼル機関での有害物質の排気や内燃機関そのものの効率面での技術限界を脱した、新たな人工生産された軽油を用いた駆動機構だった。
突然、車内から警告音が鳴った。
「何だ!この音は......」
[警告:当社指定の整備工場以外でのエンジンルーム内での作業は、禁止されています。それにより生じた故障は無償修理保証対象外となり、別途費用が発生します。ご注意下さい]
[警告:投入された燃料の品質水準は、規定水準を下回っています。走行性能、環境性能などが低下し、環境や搭載機関への深刻な悪影響を及ぼします。燃料フィルターと燃料を入れ替えて下さい]
[警告:エンジンルームでの深刻な破損、吸気、エアフィルター、動力ケーブル、駆動用モーター......の故障を検知しました。当社指定の整備工場でのメンテナンスを実施して下さい]......
警告音と共に、自動車の多目的液晶に表示されていた。
(どうやら、故障の警告音だと思われます)
(この解体作業で、故障を判断したようです)
(これは、燃料品質への警告表示です。低品質燃料を使用すると、故障する可能性を示唆......)
サキシマ国での燃料は主に、宇宙空間で藻類や光触媒により生産された軽油で、硫黄などの物質を含んでおらず、燃料電池に特化した成分合成がされており、通常のディーゼル機関でもNOxなどを発生させないよう、特定反応阻害剤が添加されていた。
(イライラする車だな。我が帝国の軽油の品質が、悪いだと?)
(しかし、走行性能は極めて高い!グラファイト領経済圏内で流通する燃料を使用した際、400km/hが最高速度でした。機関音そのものが無く、走行音が極めて静かです)
(その上、グラファイト領経済圏内では、地図や現在地、目的地までの走行ルートを作成し、案内まで、広域映像放送を受信でき、渋滞などの交通情報の考慮まで......)
(航続距離が、およそ1500kmという......圧倒的です......)
(悪路での制振性能、水場での水上航行まで......)
(排気に一切黒煙が含まれておらず、刺激臭すらありません)
それらのグラファイア領の関係国から持ち込まれた自動車を讃える研究者ばかりだった。
「今、どのくらい調達している?」
(数百台に上ります。大型のトラックという、開口型の荷台がある車、閉鎖型の荷台がある車です)
「砲身を積めるか?」
(問題ありません。既に、試射も終了しています)
「そうか。それはどうだ?」
(それが、この車両の制振機構が極めて優秀で、照準精度が地面設置より30%上昇し......)
「車両の複製はできるか?」
(現時点では不可能です。今後数百年から五百年程度の期間、研究が要求される様です)
「なぜだ?」
(この車両には、一切の魔力痕跡が無く、別次元の技術基盤の下、開発されたものという結論に......)
「魔法を使っていない?この表示している画面もか?」
(はい。一切、魔法を用いられていない、その上、超々極微細加工技術、特殊制御など、困難な......)
「特殊制御?」
(はい。軽油を電気に変換している可能性がありますが、変換装置に温度が一定に維持されている箇所を発見し、加熱や冷却を外部から与えても、温度が維持されていました。現状では魔法以外での温度を制御できる技術は現時点で、この車両のみです)
「一体、何の為に......」
(恐らく、温度上昇による軽油の気化を抑え、適切に何かの反応を維持する機構ではないかと思われます。気化した軽油が、この車両に用いられている電気で発火することを防いでいるという意見もありました)
この燃料電池は、触媒による反応が最も効率的に行われる最適温度があり、その反応を継続すると反応部やその周囲で僅かに発熱が生じ通常自然放熱されるが、万が一高温に達すると周囲の部品を劣化、損傷させる場合がある為、それらを防ぐ最適温度に維持する仕組みが必要になる。通常、始動時に最適温度に上昇させる為にのみに使われており、冷却は部品の寿命向上と多重な安全装置の一つだった。
そもそも気化した燃料が、電気による発火への考慮は、ケーブルや基盤などで対応されている上、燃料そのものが加圧されている為、燃料が気化することも、内部に侵入する可能性もほぼ無かった。
すると、責任者らしき男が表情を変えた。
「そういえば、グラファイア領は、軍が無いはずだな?」
(はい。フィルツェーン王国に属する貴族領でありながら、完全な自治を認めている唯一の自治領です。国内には憲兵組織がありますが、それは軍ではなく、武装が限られています。領兵が唯一、約半年前まで存在しましたが、現在では憲兵組織に吸収され、沿岸警備隊が創設されました。この沿岸警備隊も武装が制限され、他国軍との戦闘を考慮していません)
「では、領海警備はどうする?」
(半年前、サキシマ国との間にグラファイア領は、安全保障条約を締結し、同時に領兵組織が実質的に解体されました。その直後、グラファイア領経済圏への参加国との間に、新たに安全保障条約を改正し、グラファイア領が参加国へ分担金の支払い、または必要装備の提供、もしくはその両方を実施する一方、参加国はグラファイア領を守護する義務を負う、という代理防衛政策に移行しました)
「つまり、勝機がある......そうだな?」
(はい)
「直ちに作戦を立案し、軍に指示書を送れ」
(はっ)
何か、戦火の気配が忍び寄っていた。