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ずっと一緒に頑張ってきたのに

 自転車を飛ばして初春がバイトから帰ってきたのは、まだ日が夏の夕暮れにうっすら照らされた、まだ少し明るい時分だった。

 息を切らせて山道を自転車で登ってきた初春は、庭に雷牙と火車の息子の巨体を確認した。

「お、おかえりなさい」

 その庭には彼等の陰に隠れて紅葉、雪菜、夏帆が3人ともいて、巨体の影からひょこりと顔を出した。

「――あれからずっとここにいたのか?」

「まさか。勝手に家の中を使うわけにいかないもの。一度帰ってちょっと前にまた来たところだよ」

「……」

 その3人を、縁側に出ていた音々が膝を抱えて座って見ていた。

「ハル様、お帰りなさい」

 初春を待っていたと言わんばかりに、珍しく庭の外にすぐ出てきて、初春を出迎えた。

 居間に入った初春はクーラーの効いた部屋にふうっと一息ついて、部屋の隅に座った。3人も縁側に自分の靴を脱いで、そこから居間に入った。

「み、神子柴くん――手の怪我は、大丈夫でしたか?」

「ああ。いまだに多少痛むし、握力は入らないけどそっちは問題ない。どちらかと言うとこの炎天下の厨房の暑さが堪えた……」

 中学の剣道部で暑さに耐性があると思っていた初春も、炎天下の上巨大オーブンに常に火を入れ、コンロでも火を使う厨房の、陽炎さえ見えるような暑さは堪えていた。初春は休憩を挟んで8時間、汗をダラダラに流しながらバイトをしてきた後で、それなりに消耗していた。Tシャツ1枚の肌も濡れているようであった。

「……」

 紅葉も雪菜も初春の脱いだ上半身を既に見ているから、薄着でTシャツが張り付くほど汗をかいている初春の姿は、少し疲れた表情も合わせて少し色っぽかった。

「音々、お前の治癒術のおかげで仕事を休まないで済んだよ。ありがとな」

「い、いえ、私はハル様に、それくらいしか出来ませんから……」

 何気ない言葉で気色ばむ音々に初春は怪訝に思うが。

「悪い、今日バイトしながらやることは頭で整理してたんだが、あんまり暑いんで少し考えが飛んでた――3人がいるなら話が早い」

 そう言うと初春は自分のシャツを手で払い、汗で貼りついた短い前髪を少し拭って3人の前に座った。

「すんませんでしたぁ!」

 そう言って、初春は畳に頭をこすり付けるように深く礼をした。

「本当に、色々と申し訳ありませんでしたぁ!」

 人間嫌いの初春が、人間相手に綺麗な土下座をしたことは、周りの中級神達も驚いた。

「ま、当然だね。嫁入り前の女にあんな怖い思いさせたんだ」

 比翼が茶化す。

「か、顔を上げてください……」

 雪菜が初春の方に手を伸ばす。

「別に謝らなくていいですけど――も、もう勝手に私の記憶を消させるとか、そんなのは無しにしてください……」

「そうだよ! 他のことはいいけどそれが一番あんまりだよ……い、いや、他のこともよくないけどさ」

 初春が顔を上げる。

「だから――こういうのはもう、ダメだよ」

「……」

 初春の目はきょとんと丸くなった。

「お前達――謝っておいて俺が言うことじゃないが――昼間におっさんから記憶を消されたんじゃないのか……俺はてっきりおっさんがお前達を呼び出すくらいじゃ、記憶を消すことも想定していたんだが」

 初春は酒を飲む紫龍の顔を窺った。

「結局お前達、何の話をしてたの?」

「この女子共に暫くお前と音々の仕事を手伝って貰うことにした」

「――は?」

 初春は首を傾げた。

「どういう風の吹き回しだよ。今まで俺が来るまでここに寄り付く人間を追い払っていたようなお前達が」

「儂もそうしたのじゃがな、駄目じゃ。この女子共の記憶を消すには、相当手荒な手段をしなければもう消えんじゃろう」

 紫龍はお手上げのポーズをした。

「お前も人間を学ぶいい機会じゃろう。このまま依頼をこなしていても、お前は人間の悪いところの見れん音々とは逆じゃ。人間が嫌いな故に人間のいいところを見ようとせんし、また見逃す――依頼とは別に人間と関わるなり協力することを身近にやるのも勉強になると思うぞ」

「……」

 音々は沈黙する初春を見て、ふと願った。

 断ってくれ、と。

「――何でこいつらなんだよ。あんな目に遭ってるんだぞ――距離を置いてやるってのが優しさってもんじゃ」

「それを坊やが決めるなって今言われたばかりじゃないか」

 初春の言葉を比翼が遮った。

「とりあえずこの娘達はそれでもいいって承諾したのさ。だから大丈夫だよ」

 比翼は言いながら呆れる。

 こりゃあ――これだけの香気を発しているこの娘達の想いに、坊やは全く気付いてないね。

「……」

 初春は3人の顔を一瞥する。

「本当にいいのか? このおっさん達は自分の都合で言っているだけだが、仕事は最低額でやっているからバイト代も出せないし――お前達は楽しい楽しい夏休みだろ? タダ働きで終わっちまうなんて――勿体無いだろ」

「べ、別にお金はいいよ。それよりも『何でも屋』のお仕事に興味あるし。あのお花見みたいなこともやるなら、一緒にやりたいと思って……」

「は、はい――足手まといになるかもしれませんしそれでよければ神子柴くんのお仕事――手伝わせてもらいたいんですが」

 言いながら紅葉達も分かっていた。

 目の前の初春が、自分達の気持ちに全く気付いていないことを。

「……」

 初春は首を振った。

「――でも、この3人はこの家以外じゃ音々の姿が見えないんだろ? それじゃこいつのための仕事にならんぞ。それに音々の行動時間もまだ短いし、火車にはいいとこ二人乗りが限界だ。足がないんじゃ人数がいてもかえって非効率だぞ」

「それなら心配ない」

 そう言うと紫龍はアップルグリーンの光沢を放つ半透明の小さな美しい石を差し出した。

「何だこれ。宝石か?」

「この山で取れた翡翠を精製したんじゃ。これに結界術を込めてある。一月程度は身に付けていればどこでも多少は音々が見えるじゃろう」

 石自体はそこらで売っているパワーストーンの翡翠より小さいが、純度が高く綺麗に磨かれているため美しさは格段に上である。

 よく見ると3人とも紐を通してネックレスにしている。

「足に関しても心配するな。雷牙を一月貸してやる。そう思って既に顔合わせしているからな」

 初春はそう言われ、帰ってきた時にこの3人に雷牙と火車の息子がじゃれていたのを思い出す。

「――あの淫獣め」

「小僧! 聞こえておるぞ!」

 庭から雷牙の怒った声がした。

「どうじゃ、まだ不安要素は?」

「……」

 さすがに初春も少し考えたが。

「うん――まあそれならいいんじゃないのか。本人達がそれでいいなら俺に文句はないし――あとは秋葉達と音々次第だな」

「え!」

 音々はその反応に思わず飛び上がった。

「は、ハル様、どうしてですか? ずっと一緒に頑張ってきたのに……わ、私じゃ頼りないからですか?」

 人間嫌いで、なおかつ優しい初春のことだ。あんなことがあった直後の3人の勧誘は絶対反対すると思っていたのに……

「どうしてって――実際『ねんねこ神社』は今依頼殺到のかき入れ時だろ。このタイミングで人手が無料で手に入るならむしろありがたいことだぜ。結果出して口コミ広げるチャンスだし」

「そ、それはそうですけど……」

「お前の行動時間のこともあるが、俺も時給が時給だから普段のバイトも削ったら生活できないしな。将来的にお前が外で動ける時間が増えるか『ねんねこ神社』に仕事の依頼が来るようになれば、俺以外にも協力者が出来た方がいいとは思っていたんだ。まあ少しそれが早まっちまったけど」

 元々初春は鍛錬に割く時間もそれなりに長いが、それを抜きにしてもなかなか忙しい。

ファミレスと農場のバイトを掛け持ちし、『ねんねこ神社』の仕事の面倒も逐一見ているだけで簡単に過労死ラインを突破する。初春にまったく仕事が入ってない日は月に二日あるかないかといったくらいだ。

 比翼や中級神が感心する程よく働いており、キャパオーバーを体力気力で何とかしている有様なのである。

「でもハルくん、聞いたけどここの家賃って1万円なんでしょ? もう少し仕事を減らしても生活は困らないんじゃ……」

「俺、来年には高卒認定取るために勉強に時間割くつもりなんで。3年後に大学に行くならもう今のうちに金を貯めとかないといけないし――俺、扶養も外れているから来年になったら税金も払わなくちゃいけないし――早いうちにまとまった金作っておきたいんですよ」

「……」

 扶養とか税金とか、考えたこともない単語を初春が言うのに紅葉は驚いた。

 普段の様子では分からないけれど――この人は私達のことじゃない――もっと遠く――本等に一人で生きていかなければいけないのだと感じさせられた。

「……」

 しかし音々は当惑した顔だ。

「何だ、音々は反対なのか?」

 初春は立ち上がり、音々の前に座り直す。

「俺は正直秋葉達に対して申し訳ないんで気が引けるんだが――仕事を手伝ってもらえるならお前にとっては喜ばしいことじゃないのか。お前が神様として名を上げるチャンスじゃん」

「そ、それはそうなんですけど……」

 音々は口ごもる。

「ん? どうした?」

 初春は音々の前で胡坐をかいて目を覗きこんだ。

 音々は恥ずかしさと申し訳なさで、顔が真っ赤に熱くなる。

 こ、こんなにみんながいる中で、私の我侭なんて言えないよ……

「……」

 音々の夢は神になってのし上がり、皆に愛され、感謝、信仰され、最後は自分の社や神社も建立され、広く名の知れた神になること。

 ――初春はそう解釈していたのである。

 だが元々落ちこぼれと言われていた音々も、初春同様幸せの沸点が低い。

 勿論そこまでの神になれたらいいなとは思ってはいたが、実際は長年夢見た『自分を神と呼び、信仰してくれる人がわずかでもいること』――

それが叶っただけでも嬉しくて、それだけでも十分幸せだったのだ。

 特に自分を神にしてくれた『ねんねこ神社』と、それを作ってくれ、神使になってくれた初春は、落ちこぼれの自分を引き上げてくれた存在で。

 いつしかそんな初春がかけがえのない存在になっていた。

 音々は最初に『徳』を得た時はもっと神様として修行し、偉くなりたいと考えていたが、初春の恋心に気付いてから、その気持ちが自分でも気付かぬうちにやや変質していたのである。

 今は――二人きりがいい……

「う……」

 不意にこらえていた気持ちが抑えられなくなって、音々の目から涙がこぼれ落ちた。

「え? ど、どうした?」

 初春はそれに気付くと、音々の前にしゃがみ込んだ。

「な、何だよ音々、いきなりどうした」

 初春は理由も分からないまま、苦笑いを浮かべて音々の顔を覗き込もうとした。

 音々は今自分が初春を困らせていることが分かっているから、今の顔を見られるのが恥ずかしくて、初春の肩を突き飛ばした。

「うお」

 つま先立ちで腰を下ろしていた初春はそのまま達磨のようにごろりと後ろに倒れた。

「ご、ごめんなさい、ちょっと頭、冷やしてきます……」

 そう言って音々は立ち上がって、初春と目も合わせないまま玄関の草鞋を履いて、家を出て行ってしまった。

「あ」

 元々音々は体が羽毛のように軽く、身のこなしが素早い。体力はないが足は初春の全力疾走に匹敵するほど速いのである。

「……」

 背からごろりと畳に転がった初春は、またきょとんとする。

「どうしたんだろ――喜ぶと思ったのに」

 初春はゆっくり上半身を起こす。

「はぁ……」

 しかしこの場にいる初春以外の全員が、音々の表情からその理由を見破っていた。

「ハルくん、ニブ過ぎ……」

 夏帆が溜め息をついた。

「こういうところも勉強が必要ってことだね、坊やは」

「何だよ比翼、お前には音々が泣いてた理由が分かるって言うのか?」

「とにかくあの娘を追いかけてやりな、どうせ坊や、鍛錬のついでだろ?」

「――は?」

「いいから行きなさーい」

 夏帆がふざけ半分に怒った声を出す。

「――ま、いいけど」

 初春は立ち上がって、体を伸ばす。

「秋葉達もちょっと待っててくれ。あいつと話をしたらすぐに戻るから」

 そう言って初春はまた玄関で靴を履いて、出て行ってしまった。

「忙しないんだなぁ、ハルくんは」

「音々はちょっと坊やへの依存が強いからねぇ。坊やは苦労してるよ。まあ坊やもあの通り音々の好意には気付いてないんだけどね。自分が人に好かれるって経験が乏しいから、はじめからその可能性を考える思想がないのさ」

「……」

 紫龍は黙って立ち上がる。

「紫龍殿も音々を探すのかい?」

「いや、少し気になることがあるのでな。調べものじゃ。然程遅くならんうちに戻る」

 紫龍はまだ庭にいる雷牙の背にひらりと飛び乗ると、雷牙はそのまま飛び上がり、空を蹴って町の海の方へ向かって飛び去ってしまった。

「ふふ、紫龍殿も変わったね」

「え?」

「要するに紫龍殿は、あんた達にささくれ立った坊やの心を癒してやって欲しいのさ。何故か分かるかい?」

「いえ……」

「紫龍殿が、悪鬼羅刹に堕ちた坊やを斬りたくないからだよ」

「……」

「ま、言ったら怒るだろうけどね、紫龍殿は。私も坊やと紫龍殿が血しぶき吹きあうなんてのは見たくない――坊やが来てこの町の彼岸の者も変わり始めているしね」

「そうじゃな。神子柴殿は見ていて飽きない。音々殿が消える寸前から力を付け始めて、私達のような者にもまだ希望は残されていると見せてくれたからな」

「何だかんだ言って、依頼をこなす神子柴殿はいつも驚かせてくれる。満月の夜以外の楽しみが出来たのは久々だよ」

 周りの中級神や妖怪達も初春の評価を口にする。

「……」

「あんた達には悪いと思ってるよ。私達も坊やに人斬りはやってほしくないから、あんた達を利用しているんだ。その矢先にあの娘のあんな態度だ。詫びのしようもない……」

「い、いえ、私もあの娘の気持ち、ちょっと分かりますから……」

 友達の少ない雪菜は音々に何が起きたのか、すぐ分かった。

 要は私が葉月先生と神子柴くんのことを見た時と一緒。

 自分の大事な人が、他の人に取られるんじゃないかって、不安だったんだよね。

「でも、久し振りにあんな抜けてる神子柴くんを見た気がする……」

 紅葉は音々の拒絶のショックよりも、初春の鈍さに妙な懐かしさを覚えると共に、嬉しかった。

「昼間に見せてもらった神子柴くんと同じ人とは思えないくらいで……」

 さっきからの周りにいる人(?)達の様子を見ていても分かる。

 人間達にはつまはじきにされている初春だけど。

 ここにいる時は、皆に慕われている。

 神子柴くんも、いつもの神子柴くんだ。

「……」

 人間と関わらない時の神子柴くんは――優し過ぎる……

 だから――怖くない。

 そんな人に――怖いことなんてしてほしくない。

 そして――あの娘にしたような優しい顔を、私にも向けてほしい……

 私も、あんな風に特別に扱ってほしいよ……


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