悪党の才能(11)
紅葉と雪菜が一度家に帰り、着替えて再び学校に行き、夏帆と合流したのは夏の日も沈んだ夜も更けた頃であった。
「二人ともテスト明けじゃ打ち上げとかがあったんじゃないの?」
「わ、私は誘われなかったので……」
雪菜は頭を振った。
「私は――なんかバイト先に行きそうな予感がしたから……」
「なるほど、バイト先で騒ぐ気になれなかったんだ。分かるなぁ」
この田舎町では高校生が打ち上げが出来る場所など高が知れている。紅葉が打ち上げに参加しなかった理由はバイト先で騒ぐのが気が引けたというのもあるけれど。
今日神子柴くんが働いているのだとしたら、気を遣って私を無視しそうな気がして。
私も神子柴くんの前で学校のみんなと一緒にいながらどんな風に接していいか分からなかったからだ。
紅葉も雪菜も智を初春が助けたあの日以来10日ほど会えていない。
本当ならテストが明けてまた会えることに、この淡い恋心は嬉しくて仕方がなかったはずなのに。
今の二人の胸は高鳴りながらも不安でいっぱいになる。
「じゃあ行こうか。狭いけど私の車に乗っていこう」
扉を開けるとチャイムが鳴り、パントリーから一人の店員が出てきた。
「み、神子柴くん……」
「ああ、いらっしゃい」
初春はいつもの落ち着いた対応で3人を迎えた。
「3人とも同じ席でいいのか?」
そう確認して初春は3人を奥へ通す。
店内には客はもう誰もおらず、店内の中央の方の座席は大量の皿がまだ残っていた。
「結構忙しかったの?」
仕事の早い初春がこれだけバッシング(客の皿を下げること)を貯めているのを見たことがない。紅葉は意外そうに訊いた。
「さっきまで高校の連中が馬鹿騒ぎしていた。五月蝿いから年配の客はほとんど帰っちゃったから貸切状態になっちまったもんだから」
「あぁ……」
テーブルを見ると随分と食い散らかし、飲み散らかした跡が惨憺と広がっている。ドリンクバーのジュースを混ぜて口を付けずに置いてあるコップ、何故か吸殻の捨ててある灰皿、大量に頼んでおいて残してあるピザや揚げ物。これは相当周りの迷惑を考えずに騒いだ証拠だ。
そして……
「神子柴くん……このディナーのホールをひとりで回したの?」
「人もいないしな。しょうがねぇよ」
「……」
初春は3人を席に通すとメニューをすぐに渡す。
「申し訳ないんだがあと5分でラストオーダーだ。頼むんだとしたらこれが最後になるけど」
「……」
それを訊いて紅葉はすっくと立ち上がる、
「神子柴くん、私も閉店準備、手伝うよ」
「え?」
初春は首を傾げた。
「いいのかよ、秋葉もテスト明けで疲れてるんじゃないの? それに多分バイト代も出ないぜ」
「いいよそんなの。それに……」
紅葉は一度言い淀む。
「今日は――神子柴くんと話をしに来たんだから――時間が惜しい……」
「そ、そうですね」
雪菜も立ち上がる。
「秋葉さん、ホールの掃除程度なら私も手伝います。指示をいただければ」
「こりゃ、私も待っているよりも動いた方がよさそうだね」
夏帆も立ち上がった。
「お前等……」
「店長はキッチンでしょ? 一応断ってくるよ。神子柴くんはこの調子ならキッチンの片づけを手伝った方がいいかも。ホールは私達に任せてキッチンの閉店作業を手伝って」
「……」
初春は少し呆気に取られたが。
「――まあ助かる。俺は労基的に10時で帰れるけど、店長は仕込みもボロボロで明日ランチの連中に怒られるのは確実だしな」
そう言って初春はキッチンの方へ向かっていった。
「……」
しかし呆気に取られたのは3人も同じだった。
今までの状況から見て初春が鳴沢達2年生の先輩を一クラスまとめて一晩で病院送りにし、そこから金を取り立てていたことは確実なのに。
久し振りに会った初春はそんなことをやってのけたという鋭さがまるでなく、いつも通りの物静かなただのファミレス店員だ。今日ここで打ち上げで騒いでいた神庭高校の生徒達も、今日テスト以上に神庭高校の話題を攫った芸当をやってのけた人がこの人だとは絶対に気づかないだろう。
あと、それとは別に……
一気に3人増えたファミレスは閉店作業が捗々しく進んだ。
初春も残業を覚悟していたが、奇跡的に10時を回る前で仕事が終わったのだった。
「いやありがとう、みんなのおかげで助かったよ」
店長も最悪日付が変わる帰宅を覚悟していたので、助っ人の3人に頭を下げた。
「店長、明日朝一なんで俺に鍵を貸してくれませんか」
初春は言った。
「ああいいよ。明日はランチだな。よろしく。俺は11時には来ると思うから。」
初春は鍵を受け取って店長を先に帰した。車が駐車場を出て行く音。
初春はここに来る前までの仕事の名残でスーツを着ていた。長袖のワイシャツを織り込んで肘まで捲っている。
「さて――3人とも、俺に話があるんだっけ」
初春が力ない声で3人に言った。
「適当に座ったら? 礼も兼ねてドリンクバー使っていい許可貰ってるし、ジュースくらい飲んでいくといい」
初春は4人分のグラスを用意して氷を入れた。
「ハルくん――もしかして疲れてる?」
夏帆が首を傾げた。
「――そう見えます?」
「み、神子柴くん、何だか顔色が……」
雪菜も心配そうに言った。
そう、放課後の電話越しでは分からず、会ってからもしばらくは気づかなかったけれど。
今の初春は顔色が悪い。
血の気が薄く、声の抑揚も元々小さい方だがいつにも増して小さい。
二人は初春の体調が悪そうなのを察して仕事を手伝ったのだった。
「――いや、仕事続きであまり寝てないだけだ。気にしないでくれ」
初春はかぶりを振った。
「神子柴くん――明日朝一ってことは、もしかしておじいちゃん達のところも」
「そうだな――4時置きで農場の仕事で、明日は9時からここだけど――それが終わったら寝られるから気にしないでいい。秋葉もテストが終わって戻るなら、俺も少しは休めそうだ――まあ手短な話にしてくれるとありがたいけどな」
「……」
こう話していると、普通に真面目な勤労少年だ。
改めて状況が信じられない。
「ていうか俺も葉月先生に訊きたいことがあるし――多分そっちの用件もそれでしょ」
初春はそれぞれ適当に汲んだジュースのコップを3人が座っているテーブルに置く。
「葉月先生――今日歩原先輩が学校に来たはず――あのクラス、他に出席した奴はいましたか?」
「……」
3人は初春があっけらかんと核心に触れてきたことに一瞬唖然とした。
「――ひとりも来なかったわよ。歩原くんは教室でひとりでテストを受けてた……満面の笑顔でね」
「そうですか。ならよかった」
初春は小さく笑いながら、3人のひとつ隣の四人掛けの座椅子の片方に深く寄りかかってコーラを少し飲んだ。
「――ねえ、ハルくん」
夏帆はおずおずと訊いた。
「本当に、ハルくんがやったの?」
「……」
「今日学校の職員会議で話題になったわ。保護者からの連絡によると……」
「全員糞尿にまみれて肺に穴を開けられ酸欠と呼吸困難――人によっては重度の後遺症――でしょ」
夏帆の説明を遮って初春は言った。
あの後初春は全員に体内に水を流し込むことで糞尿を撒き散らさせたあと、圧力差による内臓負担をかける拷問を一人残らず行った。撒き散らされた糞尿に這いつくばって悶え苦しむ連中は糞まみれとなり、見るも無残な有様だった。
初春は一通りの拷問をかけると適当な奴の携帯を拝借して救急車を倉庫に呼んで、その後智の家を見張っていた残りの連中を携帯で呼びつけて、闇討ちのように圧力破壊を叩き込んだというわけだ。
「……」
紅葉と雪菜はここに来るまで初春のやったことの詳細を知らなかった。
しかし初春の今言ったそれは、予想よりもはるかに酷い――残虐な行為であった。
「まあ具体的なことは都合上言えないんだが――『何らかのこと』を俺が奴等にしたことは事実だよ」
初春は淡々と言った。自分一人のことであれば詳細を語ってもいいが、一応依頼人の智を庇う意味で詳細を語らなかった。
「……」
3人は言葉を失った。
その事実を確認したというよりも、初春が淡々とそれを言ったことに気圧された。
「で、でも一体、どうやって……」
雪菜はそう漏らした。
「訊かない方がいいと思うぞ」
初春は静かな目で雪菜の目をきっと覗きこんだ。
「少なくとも柳が同じ目にあったら、一生消えない傷が残る――そういうことをやった」
「……」
「それを否定はしないんだね」
夏帆は言った。
「で? 説教でもかましに来たんですか? それとも法に裁かれろって?」
「……」
3人は沈黙する。
「言いたいことがあるなら言えばいい」
「……」
全員が口をつぐんだ。
「上手く言葉にできなくて、もどかしい……多分みんな、神子柴くんに言うことなんて決まってないんだよ」
最初に口を開いたのは紅葉だった。
「私は神子柴くんのしたこと――こういうの、嫌だって感じるけど――でも――私バカだからさ、きっと何を言っても神子柴くんに論破されちゃう気がするんだ。柳さんの話を聞いて、神子柴くんって色んな事を考えているってことが私にもわかったから」
あの全校放送は、初春が表向きとは言え交渉をしようと持ち掛けたという証拠を残す策であることを雪菜から教えられた紅葉は初春という人間を一つ理解したのだ。
自分が及びもつかないほど狡猾で――相手の策や反論を予想して動く人間であることを。
「俺は学もない中卒だぜ。そんな大層な……」
「でも、都内一の都立高校に、推薦合格が決まっていたんでしょう?」
夏帆が初春の自虐を遮る。
初春は眠そうな表情を初めて少し動揺させ、目を開いて夏帆の顔を見た。
「――それ、誰から聞いたんですか?」
「ハルくんの行っていた中学の、白崎って先生からよ」
「――俺の中学がどうして分かったんです?」
「ハルくんの剣道の腕前を見て、ハルくんが只者じゃないと思って調べたの。そしたら去年の中学剣道の全国大会個人戦のトーナメント表のベスト8にハルくんの名前があったわ。そこに中学名が書いてあったの」
「あぁ……成程……」
「ほ、本当に……」
まだ聞かされていなかった紅葉と雪菜は少し驚いたが、すぐにそれが納得に変わる。
学校に行っていない割に妙に回る機転や仕事の飲み込みの速さ、そして高校過程の勉強も二人以上に知識を持っている。
元々のスペックが、神庭高校にいる生徒とは文武どちらも比べ物にならない存在だったのだと。
「ごめんね――勝手に電話をかけてしまって」
「いいですよ別に。俺に知られて困る情報はないし――実際俺も同じことをやってますしね」
初春は音々に同じことをやらせている。
それを自分がやられて文句を言うつもりも毛頭なかった。むしろ自分がやられて文句がないからこそ初春はあの策を取ったのだ。
「私は――ハルくんがどうしてこの町であんなことをしているか――何が見えているかを知りたかったのかな。どうせ私は――あの時歩原くんのいじめを止める代わりの方法を言えなかった時点で、ハルくんを責める権利なんてないんだから」
「……」
沈黙。
「――柳は? 俺に何か言いたいことがあるわけ?」
「わ、私は――『悪党の才能』について……」
「は?」
「あの時――保健室で言ってた言葉が気になっていたんです……神子柴くんの言ってたその言葉――そして、神子柴くんは今回、とても残酷な手で先輩達を……」
「残酷――ねぇ」
その言葉に、初春はぴくりと反応する。
「柳――この2年で少なくとも歩原先輩が連中から盗られた金の総額、いくらか分かるか?」
「え……じゅ、10万くらいですか……」
柳はやや悩んで答えを出す。
「54万3千円」
「……」
その額に、雪菜以外の二人も凍り付く。
「俺のこのファミレスのバイトの時給は最低賃金の750円――8時間働いて6000円だ。俺がこの額をこのバイトで稼ぐには休みなしで3か月働いても全額届かない――そんな額を盗っておいて、残酷な目に合わないって考えがそもそもおかしいんじゃないの」
「……」
「俺のやったことを残酷って言うなら、そりゃやられた奴はそのまま死ねって言っているのと同じだろ」
「ち、ちが……」
「違わない。これでも抵抗できないんだとしたら、俺や歩原先輩は他の幸せな人間を羨む権利もないってことだろう?」
「……」
3人とも初春の様子が変わったのが分かった。
さっきまでのただのファミレス店員ではない――覚悟のない人間を潰しに来る。
――あの時と同じ目だ。
「言わなかったけどよ、あの時鳴沢が俺に金を握らせて、俺が金盗ったってあいつが騒いだ時――3人とも俺を疑ってたろ。俺は何を言わずに流したけどな」
「う……」
「あの時一緒にいた教師も俺が学校に行ってないってだけで俺を有罪扱いしたが――俺は逆に連中が先輩から金を盗ってた証拠を嫌ってほど持ってる。で、その証拠を見せたらあの時俺達と一緒にいた教師は俺に謝罪するわけ? 多分しないだろ。俺が学校にも行かない、定職にも就いてないことで見下してるだろうし――あの連中もそうだったぜ。証拠突きつけても謝ろうともしなかった」
「……」
「だったら俺も、もう別に謝ってくれなくてもいいや――謝ってもらう権利を放棄するから、その代わりどんな手段を使ってでも購わせてやる。それだけのことだ」
「で、でもそれは人間の法では犯罪です――このまま神子柴くんが同じことを続けたらいつか……」
「はっはっはっは……」
初春はその雪菜の言葉に笑いを浮かべた。
「な、何が可笑しいんですか?」
今まで仏頂面の初春がこんなに大笑いしているところを3人とも見たことがない。驚きを通り越して不気味ささえ感じた。
「ははは――だってよ、人間の法? 俺は生まれてこの方一度も人間扱いを人間にされたことなんてないんだよ。なのに人間様にとって都合のいい時だけ俺を人間に格上げしてくれるってわけか? 傑作だ!」
「え……」
「だってそうだろう。お前等の教師だって俺が金盗ったことを疑って、それがシロだって証拠見せても謝ろうともしねぇ。俺に礼儀なんて必要ないってあの連中も言ってた。俺はこのファミレスじゃ体のいい奴隷で、俺の両親親族はテメエのために俺を保健所に犬猫捨てるみたいに俺を捨てていった。でもそうしている奴等は法に裁かれてない――俺に人間としての要素がどこにあるんだよ。まるで家畜や虫けらだぜ。でも家畜を法じゃ裁けないから、都合のいい時だけ俺を人間扱いかよ。ありがたくって涙が出そうだ」
初春の顔が狂気めいた笑みに歪む。
「まあそれは俺も願ったりだがな――あれだけの大金盗られた先輩をやられっぱなしで見て見ぬ振りしてるのが正しくて、俺のしたことが間違いだと言うなら――俺はもう人間として生きられなくてもいいや。そんな生き物であることに、何の未練もねぇ」
「……」
その言葉が実に重い――そして激しい初春の意志を含んでいて。
3人は何も言い返せなかった。
自分のしたことが人間に非難されるなら、人間をやめる――人間として生きることさえ捨てるつもりで今回の件に及んだ。
「ま、これが答えだ。何か反論があるならどうぞ。ないならお開きだ」
「……」
その初春の自信は、開き直った者の強さというのもあるが、3人の反論を遮るのに十分な圧力があった。
何か反論をしても初春は論破してしまう……それは改めて3人とも感じたのである。
けど……
「――そういう顔するくらいなら、もう俺に関わるなよ」
3人とも何か初春に言えることを必死で探しているが、初春はその表情の真意を見逃さなかった。
初春は椅子から立ち上がる。
「俺は言ったぜ。見て見ぬ振りしてろって。俺にとってこの世界は地獄だが、見て見ぬ振りしている人間を糾弾する気もないんだよ。俺は『人間嫌い』だから。人間に何も求めない――だから俺の心配なんてしてくれなくて結構だ。お前らが歩原先輩みたいな人を見て見ぬ振りをする人間でもいいさ。住む世界が違うんだよ。俺みたいな奴とお前等は」
「……」
「分かったならもう帰れ」
初春は出口を指差した。
「ただいま……」
初春は玄関を開けると居間に顔を出さずに、二階に登って自分の部屋のベッドに倒れ込んだ。
「はぁ……」
溜息を一つつく。
紅葉、雪菜、夏帆――最後黙って店を出て行ったとき、みんな泣いていた。
だが、これでいい――記憶を消した後も続いてしまった腐れ縁も、これで清算だ。
あれで俺が自分達とは一緒にいてはいけない人間で、とてもついていけないと思い知っただろう……
そんな消え入りそうな思考の中、響くノックの音。
「ハル様――入ってもよろしいですか?」
「あぁ……」
初春の声で、音々が部屋に入ってベッドの横に座る。後ろには紫龍が付いてきている。
「ハル様、顔色が優れないようですし――治癒術を」
「――いや、ここ数日お前に治癒術をかけてもらっているのにあまりだるさが取れん――こいつは治癒術では完全には治らんのだろう。お前は折角の力を無駄に使うな」
目を開けるのも億劫で、初春は目を閉じたまま言った。
初春はここ数日体調が優れない。体がだるくて何とかバイトには出かけているが、日々の鍛錬も休んで家に帰れば横になり弱っている有様である。
「報酬もまだ全額じゃないが入ったからな――結構上等のプリンが冷蔵庫に入ってるし、お前もそれを食ってゆっくり休むといい」
「水と風を一日で許容量以上使い過ぎたな。お前の能力は人間には悪魔の技だが、今のお前と媒体になる主の音々の神力では多くは使えん。連中を拷問にかける最後の方にはお前も息も絶え絶えだったじゃろう」
「……」
音々は初春が何をしたのかは知らない。紫龍が『悪魔の所業だった』と形容した一言を聞いただけだ。
だが――実際は初春もこうして弱っている。
元々能力の使い過ぎで体が疲労することは知っていた。つまり初春はそれが分かっていてその『悪魔の所業』をやったということだ。
「……」
音々はこの初春の代償を負う覚悟にある可能性を見ていた。
「あ、クレハちゃん、おかえりなさい」
家に帰り、部屋に戻ると一緒の部屋で寝る心が紅葉を出迎えた。
「ど、どうしたの? ないてる?」
しかし心は入るなり、泣き腫らした紅葉の顔を見て狼狽した。
「だ、大丈夫だよココロ。何でもないの……」
「そ、そうなの?」
「うん……」
「ハルくんと、またケンカしたの?」
「……」
ケンカ――と言うより、私が一方的にやられただけだ。
何も言い返せなかった。
でも……
その時、紅葉の携帯が鳴る。
「ココロ、ちょっとごめんね」
そう言って電話を取る。
『秋葉さん』
「夏帆ちゃん……柳さんを送ったの?」
『まあね――結構ショックだったみたいだったし』
「……」
あれから3人、何も初春に言うこともできないまますごすごと店を出てしまい、それぞれが家路についたが、特に辛辣な言葉の耐性のなかった雪菜がショックを受けてしまい、夏帆が雪菜に付き添ったのだった。
『まあ秋葉さんもショックだったのかなと思って――好きな男の子がこのままでいるのを放っておけないよね……』
「でも――何も言えなかった。あの人の意志がそれを間違いだと思ってないのに、何を言えば止められたのか……」
『でも、あれだけ突き放されても止めるのを諦めるわけじゃないんだ』
「……」
紅葉はまた言葉を探す。
「夏帆ちゃん――また私、言葉が見つからないんだけどさ……」
『ん?』
「確かに神子柴くんにああやって言われちゃうことは、ショックだったんだ。でもさ……私、怖いとか、嫌だとは思わなかったんだよね……」
『……』
「おかしいのかな、私。Mだとかそういうことじゃなくて――確かに神子柴くんのことを悪い人だとは思ったけど……でも、不思議とあまり怖くなかった」
『――秋葉さんもか』
「え?」
『実は柳さんも同じことを言ったのよね。ハルくんはあの時、もっと私達を辛辣に責めることもできたんじゃないかって』
「――柳さんも?」
『うん――私も――上手く言えないけど、ハルくんにそこまで嫌な感じは感じなかったんだ』
「どういうことだろう?」
『うーん、分からないけれど――今日のところは休んだらどうかな? きっと混乱していることもあるだろうし――考えをまとめるためにも眠ったら?』
「そうだね――ありがとう、夏帆ちゃん」
紅葉は電話を切る。
「クレハちゃん、『えむ』って何?」
電話を聞いていた心が首を傾げる。
「な! い、いいからココロは寝なさい!」
そういって紅葉は心をベッドに寝かしつけて布団を肩までかけてしまった。
小さな違和感を抱えたまま、紅葉も服を着替えて、寝る前の風呂に向かった。




