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悪党の才能(10)

その翌日の神庭高校――

 職員会議で教師達の表情は凍り付いていた。

「歩原智を除くクラスメイト全員、大怪我のため入院……過半数は肺に穴が開いており手術で他県の大病院にも受け入れを――それができない生徒もおり、命の危険もあるとか」

「特に一番酷くやられているのが鳴沢鳴――市長の権限で大病院のICUに入り命に別状はないが、肺だけでなく胃や膵臓、腎臓にも損傷――もう移植がなければ日常生活もままならなくなるかもしれないほどの後遺症とか……」

「どうするんだ? テスト開始は今日だってのに……」

「……」

「とにかく他の生徒に質問をされても一切何の質問も答えないように! おそらく町長の鳴沢氏をはじめ、保護者の対応も必要となりますが、学校外で起きたこと、憶測での行動は慎むようにお願い申し上げます!」

「……」

 神妙な面持ちでの職員会議の中。

 葉月夏帆だけは青褪めて机に突っ伏していた。

 智だけが無事――という情報だけで、経緯はともかくそこに至った経緯は一つしかないことは分かっていたのだった。



 教師がいくら口止めしてもクラスがひとつ一日のうちに――しかもあれだけ血走っていた翌日に誰も学校に来ないのだ。噂にならないわけがない。

「おいおい、マジで教室一人しかいねぇぞ!」

「テストだってのにみんな来れないって――やばくない?」

「噂じゃみんな病院送りにされたんだと!」

「マジで! でもやったのってあの放送流したやつだろ? なんて言ったっけ?」

「『ねんねこ神社』――だったっけ。変な名前だったな」

「何でも屋とか言ってたよな」

「私駅でそのポスター見たよ。ゆるーい猫のイラストのやつ。得意なのは失せ物探しだって」

「それで全員病院送りって――何、仕事人もやるわけ? マジで何でもやってくれるの?」

「てかあの先輩達はやりすぎてたからなぁ。正直やられて当然だと思うわ」

「お、俺、その何でも屋に何か依頼してみようかな……」

 教室の中は皆テストのこと以上にこの噂で持ちきりである。

「……」

 そんな中、秋葉紅葉と柳雪菜の二人も、夏帆と同じように顔を青褪めさせていた。



 テストの手応えは紅葉、雪菜共に散々だった。テスト中にずっと初春のことばかりを考えていた。

 そして二人ともテストが終わると、自然と足が美術準備室に向いていた。

 二人が来たのを見ると、夏帆も二人にお茶を差し出した。

「――ハルくんに――会いに行こうか」

 夏帆は憔悴しきった面持ちの二人に言った。

 二人が自分のその言葉を待っていることは分かったし、夏帆にとっても二人がいてくれることが心強いと思っていたのだ。

 3人とも初春に話を聞きたかったが、今の初春と一人で会って話を聞く勇気がなかったのである。

「あ、ありがとうございます――葉月先生」」

「――多分、今日もファミレスにいるかな……」

「元々忙しい人だからね――電話――かけてみようか?」

 夏帆がそう言って携帯電話を取り出し、初春の電話番号を探した。

「出ないなぁ……」

 8回くらいコールをし、出ないと思った矢先にぶつっと電波が切り替わる音がする。

『葉月…生』

 いつもの落ち着いた初春の声がした。電話の向こうからは初春の声以外にいくつかノイズのような雑音が混ざっていて聞き取りにくい。

「ハルくん――随分電話に出るのに時間かかったけど――今忙しい?」

『いえ、忙…くはないんで…がね……病院に…るんで』

「病院? 何かちょっと周りから雑音が……」

 さっきから電話の音に混じっておかしな音が聞こえるので、夏帆は顔をしかめたが。

 その直後、はっと悪寒が走る。

 まるで夜に森を飛び交う鳥の声のような冠高い、しかし激しさを感じる音。

「――人の、泣き声……」

『あぁ、聞こえるんですか?』

 涼しい声。

『今取立てやってるんですよ。歩原先輩から盗った金の。だから一軒一軒、今病室を回っているところでしてね』

「……」

 夏帆はこの時、紅葉と雪菜が今まで初春のことで怯えていた意味が分かったのだった。

 夏帆の知る初春は、感情の抑揚が乏しく落ち着いた大人しい少年というイメージだった。

 携帯電話の向こうにいる人物が――まるでその初春とは別の人のようにさえ思えた。

「ハルくん――ちょっと今日、会ってお話できないかな……」

『……』

 電話の向こうの初春が一瞬黙り込む。初春が黙ると電話の向こうの泣き声が一層鮮烈に聞こえる。

『――秋葉と柳も来るんですか?』

「――うん」

『――いいですよ。この後ファミレスのバイトなんで、その後――遅い時間でよければ』

「うん――じゃあ……」

 夏帆は電話を切る。

「……」

 スピーカーで初春の声を聞いていた紅葉と雪菜も複雑な思いだった。

 声を聞く限り初春に怪我はなさそう――それはよかったと思ったけれど。

 今、初春は人間の悲鳴を集めている。

 そのことについて、何を言えばいいのかわからなくて、夜までに必死で言うことを考えなくちゃと、必死で言葉を探した。



「さっさと払ってくれませんかね」

 スーツ姿の初春は、同じくスーツ姿の紫龍と共に病室に運ばれた鳴沢のクラスメイトの一人と、見舞いに来ていたその両親に対して、倉庫で押させた領収書をちらつかせていた。

 本人は意識を取り戻したばかり――両親にとっては昨日の深夜、家の前でボロボロになった子供を発見し、急いで救急車を呼び明け方にようやく手術を終え、入院手続きを終えたばかりで一睡もしていない矢先の初春の襲来は、ボロボロの心身に追い撃ちをかけるものであった。

 本人は酸素吸引機を口につけて、ベッドから起き上がることもできなかったが、初春の姿に酷く怯えたように瞳孔を見開いていた。

「あんたの息子が奪った金、貸した金ってことにしてやるから今月中に利子含めて全額収めろ」

「ま、待ってくれ。こっちも急な入院で出費をしたばかりなんだ。その上急にまとまった金なんて」

 肺に穴を空け、内臓の損傷は相当な大怪我である。手術もさることながらしばらくは点滴、よくて流動食以外栄養を取れないのだから、この夏休みをほぼ病院で過ごすかもしれないほど長期の入院、通院が必要である。下手な保険でも治療費を補えるレベルではなかった。

「金」

 しかし初春は氷のように冷たい目を向けて言った。

「おたくの馬鹿に金盗られた人は2年も待ってるんだぜ。待つ理由あるのかよ」

「う……」

「まあいいや、払えないなら息子の恐喝の証拠、警察に持っていくわ――そいつが捕まっても後で保護者のあんた達に請求できるから」

「ま、待って!」

 母親が初春を悲痛な声で止める。

「そ、それだけは――うちのがしたこと、お詫びのしようもないけれど――息子の人生を滅茶苦茶にしないでください!」

「うん、だから、金」

「……」

「や、やめろ……」

 母親を睨む初春に、ベッドから息子が酸素吸引機の向こうから声を上げる。

「お、おふくろ――こんな奴に頭下げる必要はねぇんだ」

「は?」

「こ、こいつは俺達をこんなにしやがったんだ――逆にこっちがこいつをみんなで訴えればいいんだ……そうなりゃこいつは終わりだ。俺達のやったことよりもこいつの罪の方が重いんだ……こいつは20人以上に大怪我を負わせたんだ……一発で刑務所に……」

「――ふ、ふっふっふっふ……」

 それを聞いて初春はこらえきれなくなったように、声を殺しながら肩を震わすように笑った。

「くっくくくくく……」

「な、何がおかしいんだ!」

「いや、ここに来る前にいくつかお前のクラスメイトの病室を回ったけど――みんな同じことを言ったんでな。みんな俺を訴える気でいるらしい」

 そう言って初春は病室のベッドの横に歩を進めて立つ。

「先輩――綺麗な体をしていますねぇ」

 初春は頷いた。

「とても入院患者とは思えないほど傷ひとつない――外傷がないのに肺が潰れていたんだ――きっと担ぎ込まれた医者は不思議がったでしょうね」

 ニコニコと笑う初春。

「何のために俺があの倉庫で上の服を脱いでいたと思う? お前達の怪我は俺に何の仕込もなかったって視覚的に証明するためさ」

 初春は右手を前に差し出した。

「俺はお前達にただ『触れた』だけ……外部の損傷がないのに内臓を触れただけで何の仕掛けもなく傷つけるなんて普通に考えりゃ不可能だ。つまり――俺の『手品』はお前達の大好きな『法』が証明できないのさ」

「……」

 病室の端で何も言わずに見ていた紫龍が小さく唸った。

 そう、奴の拷問が極めて精巧なのはこの点だ。

 奴の拷問は外傷を残さない。

すなわち拷問されたことは『食らった人間の言葉以外の証明がない』のだ。

外部の人間には、ただ奴が触れただけにしか見えない。

 これが火車の浄化の炎や雷牙の雷のような能力ではこうはいかない。必ず外装が焼かれて内部だけを焼くことなど不可能――

 だが水と風――両方の圧力による気圧差での攻撃は外傷を残さない。

 単なる拷問なら武器や初春の徒手空拳ならいくらでもできるのだ。

 だが、敢えて能力で『拷問』した理由は……

「顔に傷をつけたら目立つから傷が見えないボディを狙え――いじめをやってる人間の常套手段だろ? あんたらが先輩にやったのと同じさ。証拠がなきゃ訴えは却下される……」

 仮に『四海』や『波濤』を出す初春の映像が残っていても、その水で内臓損傷をしたという証拠に結びつかない。これが仮に炎で、相手の傷に火傷の跡があればそれはあり得ないが現実と考えられてしまう。

 だが外傷がない以上、映像に残る初春の『四海』や『波濤』は、よくできたCG加工にしか映らないし、初春の説明もそのCGに合わせた芝居の映像――もしくは単に頭のおかしい奴の世迷言にしか見えない。

「これでお分かり? お前等が今まで保護されると思っていた法は、俺のやったことを証明できない。仮に映像があってもな、意味不明の加工があるって考える方が自然だろ」

「そ、そんな……」

「何驚いてるんだよ。疑わしきは罰せず――これも人間のルール――先輩にお前らがやってたことじゃねぇか」

「……」

 そう、この能力は小僧にとって、嫌いな人間への皮肉を込めた意趣返しなのだ。

 今まで人間が使って自分の都合よく捻じ曲げていたルールを味方につけ、それを当てにしていた人間の目論見を皮肉たっぷりに外し、当てにしていたものがまた一つ潰されることで更に精神的な絶望に叩き落す。

「だからもしお前が俺を止めたかったら――俺を直接殺すしかないってことだよ」

「……」

「ただ何でもあり(バーリトゥード)は俺も望むところだ。俺も明確な殺意持ってかかってきてくれるなら大歓迎だぜ。殺し返しても正当防衛になる。こっちもあんな味気ないやり方じゃ腹の虫もおさまらねぇからな」

 奴が一度拷問して、口封じもしないで一旦帰す理由……

 それは生き残った連中が自分を裁こうと躍起になるが、誰もまともに取り合わないことを認識させるためだ。

 法もただ触れただけの初春を裁く論拠がない。

 それを知った時、相手は精神的に追い詰められる。

 初春は自分の秘密を全部洗って白日の下に晒せることを、相手はあの『斬奸状』で知っている。

 初春に常に監視されているという固定的な圧迫感が常に付きまとうのだ。

 そうして最終的に、初春を殺す以外、自分は今後二度と枕を高くして眠れないことを知る。

 奴はそんな連中が自分を殺しに来たところを殺し返すことを狙っている。

 こうして一度逃がして泳がせたことも、徒労を味あわせるという『拷問』のひとつ……

「……」

 よくできている。

 本当に人間の心理を知り、それを逆手に取ることを考え抜かれた拷問。

 これほど聖者のような顔をした人間を苦しめる拷問もそうそうない。

 恐らく拷問としては最良の部類のものじゃろうな……

 この小僧は単体では非常に弱いこの能力を、たった一人でこの『交渉』と『拷問』に昇華させおった。

 それを可能にしたのが――

 今まで自分を踏みにじってきた多くの人間の卑怯なやり口――それを蓄積した経験。

 それを憎み続けた初春の、人間への嫌悪感や憎悪、か……

「まあ好きにしたらいいさ。仮に法が俺を裁けても俺に失うものなんかないしな」

「き、貴様悪魔かぁ!」

 隣にいた父親が絶望に沈む息子の表情にただならぬものを感じてそう叫んだ。

「そんな大層なものじゃないよ。俺はただの水さ」

 初春は涼しい顔をして言った。

「水は方円の器に随う――濁流や津波が紙切れや口先で止まるか? テメエで堰を切っておいて、洪水になった水の被害見て慌ててんじゃねぇよ。俺は先輩を蘇生するだけのつもりが、テメエらに金請求された。俺って水を引き入れたのはテメエら自身だろうがよ」

「う……」

「何度も言わせるなよ。こっちは落としどころも用意して『交渉』してやってるんだぜ? それに文句があるなら戦うか? 俺は何も言わねぇよ? 水自体に悪意なんてないからな。洪水の前に立って飲み込まれたら、法は『水が悪い』なんて言うのかよ。水に飲まれるのはあくまで人間の行動の結果でしかないだろうが」

「……」

「さあ、どうするんだ? 選択肢はもう倉庫でもたっぷりくれてやってるんだ。金を払うのか、法なり武力なりで戦うのか、さっさと選べよ。俺は人間が嫌いなんだ。俺もテメエらと長く関わりたくないんだよ」

 両親もその初春の醸す、ある種壊れたような雰囲気にもう飲まれていた。

 そして、流石に大人の二人は気付いていた。

 もう万策尽きていると……

「……」

 母親は自分の鞄から財布を取り出し、裸のまま無造作に5万円を抜き出して初春の前に差し出した。これから入院費用として病院に払うためのお金であった。

「こ、これでもう私達に関わり合いにならないでください。もう……」

「……」

 初春は無造作にその金を受け取り、札束を数え直した。

「確かに、じゃあ釣りの21200円」

 初春はそう言って母親の前に釣りの21200円を差し出した。

「……」

 母親は意外そうに顔を上げた。

「2万円にプラス44%で28800円……釣りは21200円だろ」

「……」

「もしかして全部盗られると思ってたわけ? 悪いけどおたくの息子みたいな腐った人間と一緒にしないでもらえる? こっちはカツアゲしているわけじゃないんだ。理由のない金を盗る気はないんだよ」

「……」


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