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悪党の才能(7)

 目覚ましにかけていた携帯電話のアラームで目を覚ますと、時間は13時55分だった。

「――久し振りに4時間以上寝たな……」

 正直まだ眠いが、寝る前より随分体が楽だった。

「ハル様」

 時間が迫り様子を見に来た音々が部屋のドア越しに初春を呼んだ。

「大丈夫、起きてるよ」

 初春はのたのたと居間に降りていく。居間には出陣を前にした初春の様子を見に、顔馴染みの妖怪達も昼から集まっていた。

 皆初春の人間との戦闘で瘴気が巻き起こり、中てられることを心配しているのである。

「放課後まであと2時間か――」

「少し寝過ぎじゃな。人間は起きて数刻は体が目覚めん。まあ無理もないが」

「最上の体調を10としたら、5ってところだな、今は」

 初春はまだ少し眠気の残る頭を掻いた。

「気休めかもしれんが、試してみるか……」

 初春はそう言って、両手を胸の前でパンと叩いて合わせ、目を閉じて大きく深呼吸をした。

「ん?」

 周りにいる妖怪や中級神達も、初春の体にこちら側――彼岸の力が流れたのが分かった。

「ふう」

 初春は30秒ほどして目を開ける。

「――それ、あの落ちた小僧にも使っておったな。人間の手前『おまじない』とか言っておったが」

 紫龍が煙管をふかす。

「――まあ、使うとすぐにトイレに行きたくなるのが難点だけどな……」

 初春はそう言い残して、家のトイレに向かうであった。

「へえ、あんな治癒術みたいな使い方があるのかい……」

「あいつはこの能力の特性を発揮するために色々なことを調べておったようじゃからな」

「……」

「よし、結構体が軽くなった。短時間だけど効果あるな」

 初春はトイレに出てくると、体をほぐし始めた。

「……」

 ちゃんと戦闘用だけじゃなく、こういう使い方も考えてたんだ。

 お師匠様から聞いたけれど、ハル様はいじめられている人を助けたという。

 私は本当は、ハル様にこういう力で誰かを救ってもらいたかったのに。

「ハル様――どうしてもやるんですか?」

 音々は今でも、初春の手を汚すようなことが心配だった。

「もういじめの証拠は掴んでいるんだし、これで警察や学校に届けてやめさせることは十分できるはずじゃ……」

「それで一時的に止まることはあるかもしれないけど、絶対報復があるぜ。ああいう連中は群れている限りまた集まって同じことを繰り返す。やるなら再発も止めなきゃ」

「……」

「だから――二度と同じことが起こらないように、あいつらの人間関係を再起不能に破壊する」

 初春は淡々とした声で言うが、とても冷たい目をしていた。

「今回は儂が立ち会ってやろう。お前のその能力の使い方にも興味があるのでな」

 紫龍も錫杖を持って立ち上がる。

「そうか――あんたは神力を強めれば人間にも姿を見せられるんだっけ……」

「だが基本味方はせんぞ。儂はお前達の戦場に結界を貼って、瘴気が出た場合外に漏らさないようにするだけじゃ。でないとここにいる連中にも悪影響があるからな。特にお前が瘴気に毒されれば、音々が危険じゃ。その神使の刻印がある者の瘴気は、主である神に直接伝わるからな。それを少しでも抑えるだけじゃ」

「結界か――ますますおあつらえ向きだな」

「ハル様……」

「音々、お前はこの家でお茶でも飲んで待っているといい」

 初春は心配する音々の頭に手を乗せ、軽く撫でた。

「仕事が終わればすぐ帰ってくるよ。俺の読みだと臨時収入も入るから、帰りはプリンでも買ってこようか?」

「え……」

「まあ――多分あいつら、隠し武器を仕込んでくる奴もいると思うからお前の能力で隠し武器が何か暴いてもらえたらありがたいけど――さすがにそれをやってもらうのは卑怯すぎるかな」

 自嘲気味に笑う初春であった。

「あんまり卑怯だから、あいつらにハンデやらないとな……」

 そう言って、初春は携帯電話を取り出す。



 その日の学校は瘴気が読める人間でなくても殺伐とした空気が流れているのが分かるほどに嫌な雰囲気だった。

「あの野郎、絶対に助けも呼べなくしてやらぁ!」

「誰かが最初に体を押さえつけて、携帯を壊して口を塞げ!」

「逃げられた時のために石を拾っていけ! こいつを投げて足を止めるんだ!」

 もう鳴沢のクラスは授業など視野の外で、校内で武器を集めているような有様である。

「……」

 もう教師達も何も言わなかった。さすがに『斬奸状』を見せはしなかったが鳴沢が今朝校内放送をジャックした連中のいたずらが度を過ぎていると、クラス全員に届いた封筒を見せたこともあるが、止めたら逆に生徒に殺されそうな程の殺気が生徒達に出ていたのだった。

 折節、鳴沢の携帯にまた着信が起きる。

「や、奴だ」

 周りに初春からの着信であることを伝えると、鳴沢は通話ボタンとスピーカーボタンを押した。

『よぉ、多分今頃武器でもかき集めて俺をシメる準備ってところか……』

 その言葉に周りのクラスメイトもあたりを見回す。

『でもさ、そんなに派手に俺をやりたいなら、人目に付くところじゃない方がいいだろうと思って。だから()る場所をあんたらに選ばせてあげようと思って』

「は?」

『得意の戦場なり罠を仕掛けるなり、お前達のルールでやってやるよ――俺が死んだら山にでも海にでも捨てればいいさ。俺に両親はいないし、いなくなっても探す奴はいねぇ』

「……」

『先に言っておくけど、俺もそれなりに卑怯な手を用意している。あんまりにも卑怯なんで、少しお前達にハンデをやろうと思ってな』

「ハンデだぁ? なめやがって!」

 脇にいる隈武が叫ぶ。

『お前――隈武って奴か』

 その声を聞いた初春が言った。

『いや、お前とだけは『一応』正々堂々やるよ。勿論お前が俺との一対一(サシ)の勝負を請けるなら、だがな』

「あ?」

『今回の勝負、実質戦うのは俺一人だし多勢に無勢だしね。こういう戦闘では一番強い奴を真っ先に潰して、雑魚の戦意を削ぐのが定石なの。お前を潰せれば一気に戦局が有利になるからな』

「……」

『どうした? あんまりお前達に有利な条件過ぎて怖いか?』

「は! いいぜ、やってやろうじゃねぇか!」

『そう来なくちゃ……で、場所は?』

「5時に海辺にある廃倉庫だ」

『あぁ、お前達が気に入らない奴を拉致ってリンチする拷問場か』

「何?」

『今更驚かないでよ。何でも知ってるよ、お前等のことは……』

「……」

『分かった。じゃあ5時にそこに行く。せいぜい準備をして待つことだな』

 そう言い残し、ぶつっと電話が切れる。

「う、薄気味悪い野郎だぜ。これから俺達に囲まれるってのに全然落ち着いてやがる……」

「な、何かずっと見張られているみたい……本当にまだ裏切り者がここに……」

 もうクラスメイト達も一度は矛を収めたものの『裏切り者』の存在をにおわされ、互いの疑心暗鬼を隠せなくなっていた。

 初春の言った『善意の協力者』とは、音々の能力で協力してくれた、各家庭に住み着いたアヤカシ達のことなのだが、それを皆知る由もなかった。

「とりあえずそれは後だ。あいつを潰せばことは丸く収まる……」

 だがそう言う鳴沢も初春の電話が来る度に不安が大きくなっていた。

 本当にそれで俺達は何事もなかったように終われるのか?

 あいつにもし絶対の勝算があるのだとしたら……



 鳴沢達が初春の電話に出ている頃、紅葉、雪菜は二人、夏帆のいる美術準備室に隠れて3人で昼休みにお弁当を食べた。

「本当に――とんでもないことになったわね」

 夏帆は沈み込む二人に声をかけた。

「み、神子柴くんに何か――逃げろとか連絡を入れてあげた方がいいのかな?」

「ち――違いますよ、秋葉さん……むしろこれは、神子柴くんの思うとおりの展開なんです……」

 雪菜は狼狽する紅葉の横で首を振った。

「神子柴くんが校内放送を全校に流した理由は――わ、私達を含む全校生徒を『証人』にするためですから」

「――証人?」

「神子柴くんはあの放送で具体的な要求を何も言わずに『選ばせてやる』って言ったんです……せ、先輩達が望めば話し合いに応じる意思を見せた、っていうことをこの学校中に示したんです。脅迫なんて一言もしていません……」

「――それ――何か意味があるの?」

「こ、これから喧嘩が始まった場合――それは先輩達が交渉を断ったから、っていう根拠を神子柴くんは主張できます――これからどれだけ痛めつけられても、話し合いを拒んだお前達が悪い――多分、そういう形にしたかったから全校放送を使ったんです」

「それが今の有様――鳴沢くん達が交渉を蹴った事は全校中に知れ渡った……ハルくんはそれを自己防衛で迎撃する大義名分が手に入ったのね」

「最後に会った時――神子柴くんは完全に私達をわざと突き放すことを言いましたから――多分、私達が何かをすることなんて本当に邪魔としか思ってないんだと思います……」

「――つまりそれって、誰の助けもなく返り討ちに出来る、ってことだよね……」

 それを訊いて、紅葉は戦慄した。

 そしてそれを訊いて、紅葉の中での不安の正体が顕在化したのが分かった。

 私は今、すごく恐れている……

 それは、初春がこのまま鳴沢達に八つ裂きにされるということではなく。

 初春がこれから鳴沢達をどんな目に合わせるかが恐ろしいのだと気付く。

「『悪党の才能』――」

 雪菜が言葉を呟く。

「私――神子柴くんのこの言葉が気になっていたんです――神子柴くんって――すごく人間の『悪』の部分を知っているようですから……」

 雪菜はもう、この言葉を聞いた時に初春に感じる不安の正体に気付いていた。

 初春の『悪党の才能』は、鳴沢達など比べ物にならない――

 そう意図したのではないかと考えると、初春のそれからの行動の理に全てのつじつまが合うのだ。

 神子柴くんの中にある『悪』がどれほどのものか――

 かつて人を半殺しにしたのを見た初春を知っている雪菜は、あれでもまだ序の口に思えて……

「――まったく、何でそんなものにだけは色々と敏感なのよっ!」

 雪菜が怯える思考の中に、少し怒ったような紅葉の声がカットインした。

「こっちはこの前、あの人に勉強教わったり、剣道でカッコいいところ見せられたりしてずっとドキドキさせられてたっていうのに……人の気も知らないで! 普段は本当に飄々として鈍いくせしてっ!」

「……」

「ふ、ふふふふ……」

「ふふふふふふ……」

 その紅葉の反応に、雪菜と夏帆が思わず笑ってしまう。

「そ、そうですね……」

「本当だよねぇ。あのハルくんの浮世離れも大概なものだね。鈍さハンパじゃないよね」

「あ、あれ?」

 三人の空気が途端和やかになる。

「秋葉さん――私も同じですよ。神子柴くんは怖いところはあるかもしれませんが――ただ怖いだけの人じゃない――少なくとも、弱いものいじめをしているあの先輩達みたいな人とは違うと思います」

 雪菜も頷いた。

「私も――そう信じたいです。神子柴くんはそういう人だって」

「――そうだね。そうだよね」



 テスト前だというのに、もう『斬奸状』を握られたことでテストどころではなくなった鳴沢達は、テスト勉強も視野の外――学校が終わるとすぐに全員揃って鳴沢達の根城である、神庭町の海辺の岩場にひっそりとたたずむ古い廃倉庫前に集まっていた。

 神庭町の小さな砂浜地帯の奥へ行くと、岬の方から灯台に向けて岩場になっており、少し登ったあたりに町工場の部品や農協の大型農具の車庫代わり、農家の野菜の保管用など多目的に作った農協保管の古い倉庫がいくつか建っている。管理が甘く一部は空のままになっているため近くの不良達のたまり場になっているのだった。私物の椅子やら玩具も持ち込まれている。

「武器は隠せ。こっちが被害者だって見せることは大事だ」

 鳴沢の指示で各々が凶器を持ってはいるが、一般生徒は拳に乾電池とか、靴下に砂利といった暗器の類に、投げられる石を各自数発、隈武ら不良生徒達は標準装備で鉄パイプやら携帯ナイフを持っている。

 鳴沢はアクセサリ感覚でタクティカルペンを保有しており、学生服のポケットに入れていた。

「だ、だけど本当に来るのか? あいつはもう証拠を握ってる――こんな大勢を相手にしなくても、持っているだけで有利なんだぜ?」

「一応ポチの家と町の交番の前に一人ずつ見張りを置いた。もし奴がそっちに行ったら連絡が来るようになっている……」

「あれ? 何だ全員が集まったんじゃなかったのか」

 不意に鳴沢達の頭上から初春の声がする。

 上を見上げた瞬間、鳴沢達の眼前は夏の5時のまだ明るく照り付ける太陽を隠すほどの白い霧が迫っており、待っているクラスメイトを全員霧の中に飲み込んだ。

「な、なんだ!」

 クラスメイトはすぐ隣にいたはずのクラスメイトも見えないほどの濃霧の中、互いの声だけが聞こえていた。

「わ! 誰だ今触った奴!」

「きゃ! ちょっと変なところ触らないで!」

 所々で悲鳴のような声が上がる。

「みんな落ち着け! もう奴は来てるんだ! 下手に攻撃されないように伏せて身を守れ!」

 鳴沢が皆に指示を出す。

「ま、妥当な作戦だね」

 そう初春の声がすると、霧は海から吹いてくる風にあおられて、うっすらと晴れていく。

 霧の晴れた先――皆の視界の中心に、黒のTシャツとジーンズというおよそ戦いに来たとは思えない格好の初春と、ストローハットに杖、黒のスーツという無精髭を携えた中肉中背の中年男が二人並んで立っていた。

「呼ばれて飛び出て――ってやつだ。俺を楽しませろ、って所望だったから、ちょっと手品風に登場してみたよ」

 初春は抑揚の少ない声で涼しい顔をしたまま鳴沢の顔を見た。

「な、仲間を連れてきたのかい」

 鳴沢は紫龍の方を見た。

「ふん、儂はただの検分役じゃよ。こいつが負けた時の死体の引き取り手ってところじゃ。気にせんでいい」

「ふぅん――でもそいつが負けたら逆にこっちを訴えるなんてなしにしてほしいね。喧嘩を売ったのはそっちなんだから」

「ふ……」

 紫龍は鳴沢の言葉を鼻で笑った。

「さっさと中に入ろうぜ。密室でのパーティーの始まりといこう」

 そう言って初春は我先にと真っ暗な廃倉庫の中に入っていく。

「あ、ここ確か電気引いてるんだっけ。確かスイッチはここだっけ」

 初春は入るなり、鳴沢達が自分でつけた電池式のライトを点灯させた。スイッチの場所をノータイムで探し当てた。

「……」

 そんな初春の見透かしたような行動に、鳴沢達も身構えていたが。

 何のことはない――これだけの数で、みんな武器も持っている。一斉にかかれば訳はないと考えていた。

 皆がこの中に入り終わり、扉が閉まった瞬間に全員で一斉に武器を用いて初春を潰す。

 全員が同じことを考えていた。

 そして最後の一人が入り、入口の大きな引き戸を締めようとするが。

 その前に誰も手を下さずにびしゃんと激しい音を立てて入口の扉が閉まった。

 あまりの激しい音に、飛びかかろうとした皆も一度扉の方を見る。

「さて、のこのこ馬鹿がまとめて袋の鼠になったところで――お前等には早速地獄を見てもらおうか」

 振り返ると初春は倉庫の中心に立ち、上着のTシャツを脱いで上半身裸になっていた。そこには武器などは何一つ持っていない。短剣の形と将棋の駒を模ったアクセサリーを首にかけているだけだ。

 後ろにいた鳴沢のクラスメイトは不気味に思い、入り口の扉に手をかけたが。

「開かない!」

 その声に他の数人も手を貸して扉を引っ張ったが、びくともしなかった。

「ついでに言っておくと、携帯も圏外だよ」

 入り口に釘付けになった鳴沢達の後方から声がした。

「安心しな、俺の携帯も圏外だから。条件は対等だよ」

 その前方を見た瞬間、鳴沢達の両端の壁が手前から奥にかけて、誰もいないのに勝手に壁から約2メートル程度の等間隔で壁に設置されていたランタンに炎が灯り、倉庫を明るく照らした。

「そして……」

 初春がそう言いかけた瞬間。

「うっ……」

 鳴沢の周りにいるクラスメイト達がほぼ同時に膝を突き、胸を抑えたり、荒い息遣いで息を切らせたり、途端に苦しみだした。

「な、何だ?」

「あぁ、何人かは無事だったか……」

 鳴沢をはじめ5人ほど何の影響もなく立っている者もいるが、ほぼ8割のクラスメイトが過呼吸のような症状を示している。皆額に油汗を浮かべ、意識は朦朧とし、酷く息苦しかった。

 大きな体の隈武さえ、吐き気や息切れに歯を食いしばっている。

「な、何をしたんだ!」

 無事だった一人が初春に叫ぶ。

「さあ――何だろうね……」

 初春はそう言って、苦しむ連中を見回す。

「そのままの状態でいいから聞いてくれる? 今からお前達がどんな状況に陥っているか、ヒントくらいはやるよ」

 初春は一歩前に出て両肘を体の内側を向くように曲げてみせる。

四海(シカイ)

 そう唱えると初春の右の掌を底にして、大きな水の球が出来上がる。

「俺には不思議な力があってね――右手でこうして水を、左手に風や空気を出すことができるんだよね。まあ大した量じゃないんだけど」

「……」

「まあ、と言っても安心してよ。この水や風は俺が触れているときにしか形を保てないから。お前達を水に飲み込むことも、真空の刃で切り刻むなんてこともできないから」

 皆裸になった初春から何も仕掛けもなしに水が現れたことを訝しんだが。

 もう皆考えも虚ろ――吐き気や頭痛が酷く、朦朧として考えが上手くまとまらないような体調になっており、状況を不思議がってリアクションを取ることも覚束ないような有様だった。

「これからお前達に起こること、全て水と風――空気によって起こる事だから。今起こっていることもそう――具体的に言うと、お前達の体の水と空気にちょっとした手を加えたのさ。原理はお前達が歩原先輩にやってた『失神ゲーム』と同じだぜ」

「……」

「さっきの霧を出して視界を奪った合間に、俺はあの中でお前達の体に右手と左手のどっちかで触れた――右手で触れた奴には血管内に水を流し、左手で触れた奴には血管に気泡が入ってる。お前等の中には血管の中に所々ふくらみがある奴もいるはずだぜ」

 そう言われてクラスメイト達は挙って自分の血管を見る。

「お、おい! 本当に俺の血管が!」

「な、なんなのよこれ!」

 何人かは膨らんだ血管の箇所をいくつか見つけて大騒ぎする。

「気泡は血栓になって血の巡りを低下させ、酸素の供給量を下げて体を貧血状態にする……左手で触れた奴はそれによって体が貧血になっているのさ。次は右手で触れられた者の状況を説明しようか」

 初春は右手を開いて見せる。

「ちょっとした地理と生物の問題といこうか。味噌汁に入るシジミ――こいつの稚貝の産地は島根県にある汽水湖(海水と淡水が入り混じる水質の湖)の宍道湖が有名だが、シジミは淡水では繁殖できない――この理由が分かるかい?」

 初春は無事な鳴沢の方を見る。

「浸透圧の原理だろ……」

「その通り、真水の濃度よりもシジミの卵の濃度が高くなるから、卵の中に真水が染みこんで破裂する――今同じことがお前達の体にも起きているんだぜ?」

「!」

「はは、策士さんはもう分かったようだね。そう、赤血球さ。医療現場で使われる人間の体液と同じの濃度の食塩水――生理食塩水でない真水に赤血球が晒されれば、浸透圧の原理で赤血球に真水が入り込んで破壊されるってわけ。赤血球は肺で取り込んだ酸素を運ぶ――赤血球が減れば酸欠になって貧血が起こるってわけさ」

 初春が落とされた智や先程自分に使った『おまじない』はこの原理と逆――左手の風の力で血液中に酸素を直接送り込み、血流を右手の水を流す力で循環を早め、老廃物や毒素を体でかき集めて腎臓に送り、排出を促す――医療用やスポーツ選手の疲労回復などに使われる高濃度酸素カプセルと同じ原理である。

その排出をするために、トイレに行きたくなるという欠点はあるが、体の毒素を取り除いて酸素を体内に行き渡らせるので、かなり解毒やリフレッシュ効果がある。

「おい、あんたを無事にしておいてる意味、分かってる?」

 初春は考えを巡らせる鳴沢に冷たい視線を向ける。

「あんた、このグループの頭脳(ブレーン)気取りなんだろ? 随分自分のことを策士だと思っているみたいだけど――俺はこれからどんどん手の内晒すぜ? これから考える時間もちょくちょくくれてやるから、どんどんみんなを助ける案でも考えなよ。常勝の策士さんよ……」

「は……」

 鳴沢は初春の行動が理解できなかった。

 こんなことができるなら俺もその力で他の奴のように行動不能の状態にすればいいのに、何故それをしないのか……

「はあ、はあ……」

「い、息が、苦しい……」

「苦しい? それは困ったねぇ。ほらほら策士さんよ? どうするよ? 何か動かないとこのまま終わっちゃうぜ?」

 初春は静かに言う。

「ちなみにこれ、解除しなきゃそのうち死ぬからね」

「は……」

「『失神ゲーム』だってずっと続けりゃ死ぬんだ。赤血球が死んでいる連中はこれからその速度がどんどん上がるし、気泡が入ってる奴はその血管が腕や足なら大したことはないが――その気泡が血流の流れに乗って移動して、脳に繋がる血管に入ったら――クモ膜下出血で即死だぜ?」

「!」

「ふ、ふざけるなっ!」

「じょ、冗談でしょっ!」

 初春の言葉に阿鼻叫喚の悲鳴が上がる。

「電気工学の教科書の1ページ目に書かれている内容だけどよ。1A(アンペア)の電流を用意できるとして人間を殺すのに必要な最低電圧って分かる? 死にボルト――たった42V(ボルト)だよ? 実際は人間の皮膚の抵抗が約10000Ω(オーム)あるから相当量の電圧じゃないと死なないけどさ。人間ってのはそんなわずかのことで死んじゃうんだよね……わずかの気泡や真水の血管投与なんかでもさ」

「た、助けてっ!」

 体調が悪く余裕のなくなった連中は喚きだしパニックを起こす。無事な数人はクラスメイトのその様子に恐怖を拡大させ、彼らを止めることすら忘れて体が震えだした。

「止める方法は、俺をぶっ倒すか、ここをこじ開けて病院に行くかだな――はっきり言って病院に行けばものの10分ですぐ楽になれるような仕掛けなんだよ。気泡なんてすぐに抜いてもらえるし、赤血球の減少も輸血や点滴で直るさ。そうだな……」

 初春はそう言って一歩前に歩み寄り、先頭にいた男子生徒の前でしゃがみこむと右の手首を取って状態を確認した。

「お前は――左手か。ほい」

 初春がそう言って5秒ほど経つと、その男子生徒の血色はみるみるよくなり、ゼエゼエという息切れもぴたりと止まる。

「あ、あれ……」

 さっきまでの動機や息切れ、吐き気や頭痛などが一気に取れ、男子生徒は初春に反撃することも忘れて体の軽さに驚いた。

「まあこんな感じに、お前等を楽にすることもすぐできるんだよ」

 初春はそう言って男子生徒の手首を離し踵を返す。

 後ろを向いた初春の無防備な姿に、男子生徒は我に返る。ポケットに入れていた石の入った靴下を取り出して、初春に向かって振り上げようとした。

 その時。

「がっ……」

 男子生徒は腕を振り上げた瞬間に、体を締め付けられるような痛みに襲われ、再び酷い頭痛や倦怠感に襲われ、そこに膝をついた。

「はい、というわけでお分かり? 俺を倒して失神させるか、俺に言うことを聞かせて治療させるか、自分で医者に行くかのどれかでお前達はすぐに助かるよ」

 これが初春がこの能力に目覚めた際に最初に考えた使用法である。

 人間の体の7割は水で構成されている。その水を触れている間だけでも操るということ……

 紫龍はこの使い方の試作を見た時、恐ろしさに思わず絶句した。

 そして、それを見た後に言った初春の能力が気に入った理由に戦慄した。

「この能力は交渉に便利だ――それと――拷問にもな」

『……』

 こいつははじめから人間を傷つけることを最初に考えていたのだと知った。

 紫龍は初春が負けることなど微塵も心配していなかった。

 人間相手なら、こうしてどちらかの手で触れるだけでも勝負がついてしまう。

 初春の能力は力がほぼない分、そのわずかの変化を実に精密に行うのである。

 しかし、これだけではない……

 こいつの『拷問』による『交渉』は、これから始まるのだ。


ちなみに人間の皮膚の電気抵抗は水や汗で濡れると2000Ωまで落ち、皮膚の内部である肉体の電気抵抗はさらにその下なので、低電圧でも直接流せばより致命的なダメージになります。

仮にピカチュウが10万Vを放電したとしたら、オームの法則に当てはめると

100000÷10000=10Aで10万Vが流れるので問答無用で人間は死ねます。オーバーキルです。

もしピカチュウが現実にいたら特Aクラスの危険生物ですね…


作中にある初春の水と酸素を使ってのおまじない(能力名を決めてないので募集)は物理的な治癒能力がないので、デトックスに近いですね。

治癒術が○イミや○アルなら、初春のこのおまじないは○アリーや○スナ寄りです。

作者もこの能力を思いついて医療用の酸素カプセルに参考に入りましたが、結構気持ちいいです。今はマッサージ感覚でやってるところもあり、値段もエステやマッサージより高くないので興味がある人はやってみてはどうでしょうか。

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