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悪党の才能(6)

『斬奸状』と銘打たれたその封筒――

その中にはその机に座る者の通帳の履歴やネット通販の履歴、それらを総合して出る流出先不明の金銭が算出されており、中にはSNSの記録に残っていた智をシメて金を奪い、その金でタダで豪遊したことを裏付けるメッセージや、いたぶった際に撮影した智が全裸にひん剥かれたりしている情けない姿の写真に自分が写っているもの、過去に誰にも知られていないはずののぞきや万引きの前科などの犯罪歴、影で気に入らないと思っていたクラスメイトの陰口など、全て事実で構成された、知られたらまずい個人情報がクラス全員、例外なくたっぷり入っていたのである。

 中でも主犯格の鳴沢の入金履歴はぎっしりと黒い部分が羅列されている。父親に教わり既に株や外貨での資産運用をしていた鳴沢だったが、その種銭を智から奪った金ではじめており、貯金用口座が一度も減らずに用立てが始まっていることや、儲けが出て新たに外貨を買っているのに元手である通帳から一度たりとも金を引き出した形跡がないのに、新たな用立てをするという、まさに減らない財布のような不自然な運用の証拠が何枚ものコピーによって暴かれており、他にもSNSのメッセージで智のいじめの指示だけでなく、隈武や他のクラスメイトに指示を出し、従わない生徒を脅迫して金を奪ったりしている証拠が山のように羅列されていた。

「な、何でみんなの個人情報がこんなに……」

「や、やばいよこれは――訴えられたら言い逃れできない……」

 皆少なくとも智のいじめに関与しており、鳴沢ともつながりがある。潔白な者などおらず、皆少なからず罪状がある。

 警察に持ち込まれれば犯罪歴がつくことが免れない者もいた。

「ど、どうするんだよ鳴沢くん!」

「こ、これも揉み消せるよね? みんなで口裏を合わせれば……」

 クラスの男子女子が鬼気迫る顔で鳴沢の席に集まり策を願った時。

『ぴんぽんぱんぽ~ん』

 校内放送を流すスピーカーから、自我擬音で効果音を鳴らす男子の声がした。

『えー、鳴沢鳴くんをはじめとした2年生の皆さん、こんにちは、何でも屋『ねんねこ神社』と申します』

 この声に、校内中がぎょっとした。

 中でも一年生の教室にいた紅葉、雪菜と、職員室の夏帆は腰を抜かしかけた。

 この学校にいないはずの初春の声なのである。

『この度、歩原智先輩より、鳴沢先輩を主犯としたいじめを裁いてほしいとうちに依頼がありまして。手始めにあなた方の汚い動きの証拠は全部掴んで、全員の机に置いておいたが――いやはや、集めているこっちが吐き気がしそうだよ』

「放送室か! なめやがって!」

 鳴沢のクラスの生徒達は皆怒りの表情で教室を出、放送室へと走る。

 初春の皮肉を含んだ高圧的な声がスピーカーを通し全校に流される。

『俺達はお前等のやってきた悪事の証拠を握ってる――その前提でお前達に選ばせてやるよ。これで歩原先輩のいじめをやめるために俺達と交渉するか、それともまだ俺達とやるのか……好きな方を選べ。俺達はどっちでもいいんでクラスで話し合う時間をくれてやろう。しっかり考えて決めるんだな。話し合いが終わる頃にまたこちらから連絡する』

 弱みを握り、3日前に比べ圧倒的に有利な状況を掴んだというのに、尻馬に乗るわけでもなく、実に淡々と要件を述べる事務的な放送。

 鳴沢のクラス以外からも騒ぎを嗅ぎ付け野次馬が集まり、神庭高校の放送室の扉のドアノブに手がかかる。

 ドアには鍵もかかっておらず、すんなり開いたが。

 放送室の中には誰もおらず、オンになったマイクがあるだけで、夏の風が開け放たれた窓から気持ちよく入り込んでいた。

「くそ、どこに行ったんだ!」

「隠れてるんだ! 探せ!」

 中に入った鳴沢のクラスメイト達は必死の形相で初春の姿を探すが、掃除用具入れなどの隠れられそうなところを探しても初春の姿はない。

 教師も騒ぎを聞きつけやってくる。

「コラ! お前達静かにしろ!」

 教師が収拾をつけ、鳴沢達生徒を一度教室に戻す。

 教師が今の放送はいたずらであると、生徒の野次馬化の拡大を阻止する放送が流される。

 ようやく朝の騒ぎも沈静化し、担任教師が入り、朝のホームルームが始まった頃。

 突然鳴沢の携帯電話に着信が入った。名前には『奴隷くん』と出ている。

 教師の咎など視野の外で、鳴沢は教室でおおっぴらに電話に出る。

『どうも』

 やる気のない声で、さっきと同じ声が聞こえる。

「君にこの番号は教えていないはずだ。何故……」

『状況判断遅くない? これだけ個人情報握られてるんだよ? 電話番号なんて調べはついてるさ。何ならこれからクラス全員の携帯に電話かけて見せようか?』

「……」

『携帯のスピーカーをオンにしてくれない? 教室中に聞こえるようにさ』

「僕に命令するのか?」

『あれ? これだけ証拠握られてるのにまだ自分の方が上とか思ってるわけ? 握られてるのが個人情報だけとは限らないと考えた方が利口だと思うけど』

「……」

 鳴沢は苦々しい顔をしながら自分の携帯を机の上に置き、スピーカーをオンにした。

『さっきの放送で言い忘れたことがあったんで、全員に一応伝えておこうと思ってね』

 教師ももう、クラスに漂う異様な雰囲気に校則違反のHR中の通話を咎めることもできなかった。

『お前等の便所でケツを拭いた後の紙より汚い個人情報だけどさ――これだけの個人情報、たった3日で集められると思う?』

「は?」

『言っている意味分からない? これらの情報は『善意の協力者』から得たものってことさ。これ以上は俺が言わなくても、策士の鳴沢さんなら分かるんじゃないの?』

「……」

『だから人によって、封筒の分厚さがまちまちだろ? 薄い奴が厚い奴を売ったか――それとも分厚い封筒を持っている奴が、実は白紙が入っているのかも……さあ、どっちかな? 俺は『協力者』を売りはしないけど――そんな存在がお前達の中に混じっているとしたら、これからの決断の答えも変わるだろうから――それを踏まえた上で棒の振り方を決めなって忠告をせめてさせてもらうよ。決まる頃にまたあんたらを代表してこの携帯にかける。それで今後のそっちの答えを聞かせてもらおうか』

「……」

『ま、最善策を選ぶといいよ――それじゃあね』

 電話がぶつっと切れる。



「……」

 柳雪菜は初春の全校放送が流れてから、気が気ではなかった。

「柳さん……」

 一限が終わった休み時間に、秋葉紅葉が雪菜の席の前に来た。

「クレハどうしたの?」

 普段クラスの中心にいる紅葉が、クラスで目立たない雪菜の席に移動するのをいぶかしむ、紅葉のグループの女子達。

「ごめん、ちょっと」

 紅葉は外してくれるように頼み、教室内で雪菜と二人になる。

「さっきの――やっぱり神子柴くんの声だったよね」

「はい……『ねんねこ神社』って言ってましたし」

「本当にいじめを止めるために、本気で動き出したのかな」

「そうとしか……」

 雪菜がそう言いかけた時。

 クラスの男子生徒がすごい勢いで教室の引き戸を開けて、息をせき切って入ってくる。

「おいすげぇぞ! 二年の教室で大乱闘起こってる! シャレにならねぇ!」

「!」

 その知らせに、二人の心臓が痛いほど強く鳴った。

「も、もしかして神子柴くんが! 柳さん、行こう!」

 そう言って真っ先に紅葉は走って教室を出て行く。

「……」

 自分に何が出来るかなど二の次で、雪菜も紅葉を追った。

 紅葉の背中を見ながら、雪菜は思っていた。

 やっぱり秋葉さんも、神子柴くんを止めるつもりなんだ……

 二年生の教室のある四階に登ると、もう既に野次馬が出来始めており、スマホを持った連中が騒動を写真に撮ろうとしている。

「テメエが裏切ったのかよ!」

「誰だよ協力した野郎は!」

「名乗り出なさいよ! あたしの陰口を言ったのは誰!!」

 初春の『裏切り者』を臭わせる発言は、クラスメイト全員の知られたらまずい個人情報――それをたった3日で全員分集めたという不自然さが逆に、『裏切り者』がいなければ不可能という理屈にリアリティを与えた。

 行き場を失った恐怖が強い攻撃性となる――

 いつでもお前達を社会的に殺せる――という脅迫を受けたも同然のクラスメイト達は、自分を窮地に追いやった『裏切り者』に強い怒りを覚えさせ、暴徒化させる……

『裏切り者探し』という楔を打ち込まれ、握られた個人情報がまずいクラスメイトを先頭に暴徒化がはじまった。

「……」「……」

 紅葉と雪菜は言葉を失った。

「秋葉さん、柳さん!」

 背中越しに駆けつけた夏帆の声がした。

「鳴沢くんのクラスが大変なことになってるって――これって、ハルくんが?」

「い、いえ。『裏切り者』って言っているってことは、神子柴くんはあそこにはいないはずです……いれば『裏切り者』より最優先で攻撃対象になります」

 まだ冷静な雪菜がそう分析した。

「ただ、神子柴くんがその情報を校内放送とは別に後で伝えて、刺激したのかも……」

「……」

 目の前の暴動は、本当に教室が壊れるんじゃないかというほどすごい音と振動を立てて。

 目が血走った生徒が男も女もなく掴み合い、互いに罵倒し合い。

 何か悪いものに憑かれたかのような異常さを3人に感じさせた。

「落ち着けお前等!」

 よく通る声が教室の中から聞こえた。

 鳴沢の声だった。掴み合いや罵り合いをしていたクラスメイトが一度ぴたりと止まる。

「この中に『裏切り者』がいたとしても――そいつを潰しても解決にならない――もう情報はポチとあの男が持ってるんだ。ここで同士討ちをしていたらあの男の思う壺だ」

「……」

「怒りを向けるなら奴等だ。ここにいる全員でポチを締め上げて、あの男の居場所を吐かせてあの男を仕留める――それでいいだろ」

「お、おおそうだな」

「あ、相手はあのポチだもんね……」

 皆鳴沢の言葉に冷静さを取り戻す。よく考えれば相手は自分達の前に出るだけで震えるような智なのだ。多少の拷問で口を割り、握った情報をもみ消すのは容易いというイメージがあった。

「どんな手を使おうとこれだけの人数に囲まれては何も出来ない。たとえ個人の都合の悪い弱みを見つけてもだ。だから奴は揺さぶりをかけて俺達を分断し、集団で囲めないように疑心暗鬼に陥らせようとしたんだ。奴が俺達の中に裏切り者がいると伝えたのは、集団で囲まれることが怖いからなんだ」

 その時、また再び鳴沢の携帯が鳴る。

「――奴だ!」

 液晶画面を見て確認した鳴沢が皆にそう伝えると、周りにいる皆が静かになる。鳴沢は通話ボタンを押して、スピーカーボタンを押す。

「その様子だと、同士討ちで潰れてくれなかったかぁ」

 初春の声がした。

「!」

 その言葉に、皆ぎょっと辺りを見回した。

「もしかして教室にカメラがあるとか考えた? さっきみたいに無様に罵り合いながら探してみるといいかもね」

「なめんじゃねぇぞクソが!」

「顔出せやチキン野郎が! 今すぐボコってやるからよぉ!」

 再び初春の声に怒りを露にするクラスメイト達。

「俺は今回はさっき言ったように、これから俺と歩原先輩と交渉するか、俺達と()るかの答えを確認したいだけなんだけどな」

 初春の口調はいつもと変わらない。

「それ次第で俺もお前等の前に顔を出すけど――その感じだと、交渉を破棄するって答えで満場一致?」

「当たり前だボケェ!」

「あんたから全てを奪ってやる!」

「はぁ……」

 電話越しの初春は溜め息をついた。

「お前等に交渉でことを済ませようってのは、うちのボスのお前等への温情だったんだが――お前等、俺の主の優しさを無視しやがって……」

 明らかに初春の口調がさっきまでののんびりした声から棘を含んでいるのが分かった。

「まあいい。交渉の余地なしか――分かった」

 電話がぶつっと切れる。

「……」

 初春の声を聞いた鳴沢の心には、既に恐怖があった。

 言っていることは確かに我ながら合理的だ。智が仲間にいる以上、数の暴力で逆にこちらが押し返すのが相手の最も嫌な手であろう。

 あいつだって一人だ。集団を全て潰せる手があるとは思えない。

 そう考えているのだが。

 何だ? この作戦の『これじゃない』感は……

 何か――この決断で更に深みにはまりそうな予感もあるが……

 だが、今はそれ以外に現状を打開できないことも事実。

 助かるためには、初春を全力で潰すしかない……

「裏切り者がいたかはポチとあいつをシメればすぐにわかる。とりあえずはその問題は後回しにして、あいつらを潰してこれを消させることを考えよう」

 鳴沢は冷静さを装うよう自らに言い聞かせながらクラスメイトを一瞥した。



 初春は右手に持つ双眼鏡を目に当てながら、左手に持つ携帯をジーンズのポケットにしまう。

「晴れて交渉決裂――っと」

 初春は今、火車の息子の背に乗りながら神庭高校から100メートル程離れた場所にある木の陰で双眼鏡をのぞきながら、鳴沢達の様子を窺っていたのである。

 放送室での演説は初春が実際に放送室で喋った音声。それが終わって窓から火車の息子の背に乗って離脱し、ここに隠れて鳴沢に電話。その顛末を見ていたのである。

「よく言うわ、はじめから交渉する気などなかった癖に」

 初春のすぐ近くに、雷牙に乗った紫龍がいる。紫龍も音々程ではないがいい耳があり、教室の中の音声が聞こえている。中の混乱の様子を初春に実況していたのである。

「それはちょっと違うな。俺は交渉する気がなかったんじゃなく、初めから交渉なんて無理だと考えていたんだ。だが音々は違うからな。最後まで平和裏な解決を望んでいた。だからこうして交渉の選択肢を選ばせてやったんだよ。相手が断ったから仕方ない……」

 そこまで言うと、初春は大欠伸をした。

「つーか、俺の読みだとあいつら、放課後に先輩の家を囲んで俺をおびき出そうとするはずだからな――その前にさっさと帰って寝よう――ここ三日間ほとんど寝てないからな……」

 初春は眠そうな目をしょぼしょぼさせていた。



 家に帰るなり初春はクーラーのかかっている居間に入り、壁に寄りかかって座った。

 昼だというのに今日は比翼や他の妖怪もちらほら来ている。この3日間初春達がやっていたことを見て、その反応を聞きたかったのだろう。

「眠い……」

「まあ坊や、自分の仕事をしながら夜通し走っていたからねぇ」

 この3日間、初春は日付が変わる頃になると音々や火車の息子、紫龍や他の妖怪達と町中の鳴沢のクラスメイトの家まで飛んでは、個人情報を集めていた。

 現代人にとってパソコンや携帯電話、通帳やカード類は手にする機会も多いため、念のこもったアヤカシの住処になっているらしい。音々にとっては離れていてもよく声が聞こえるらしい。

ネット通販やSNSのメールアドレスやパスワードは家の前まで来れば音々の能力で簡単に入手できたし、通帳などの保管場所も音々にはバレバレでノータイムで入手できる。無線LANの環境があればワイヤレスでも初春のパソコンでパスワードとIDを音々から聞きだして侵入しアクセスすることが可能だった。

この田舎町では預けている口座も同一の地銀や信用口座だったから、家で口座番号と暗証番号を手に入れて、銀行のコンピューターから口座の情報を引き出すのも簡単だった。

そうして得た情報を自宅待機していた智に送信し、一つ一つ洗っては智の家のコピー機で出力してもらい、集めたというわけだ。

昼はファミレスや農場のバイトにも行きながらだったので、睡眠時間を削って三日三晩動き回っていたのだった。

「思いっきり泥棒だけどね……」

「実際に家には忍び込んでないしな。それに金盗ってる奴にそう言われる筋合いないって。こっちがお上品に筋通す必要なんかねぇ」

 初春はバックアップをUSBに移し変えると、集めた個人情報を削除する。

「それに――愉快犯って野郎はみんな携帯に歩原先輩をいたぶった写真を残してやがったからな。愉悦で証拠を持ってやがるのも悪い――やられる方が悪いんだろ、人間様はさ」

 そう言って、初春は音々の方を見る。

「まあ勿論、現代のセキュリティをほぼザルにしちまう音々がいるからできる芸当だけどな。IDやパスワードを手に入れちまえば、俺程度のパソコンの知識でも簡単に個人情報が手に入っちまう――こういう使い方ができることも分かっていたから、俺も『ねんねこ神社』のホームページを作りながら多少のハッキングなんかの手法は調べていたんだが」

「わ、私の力って、そんなことが出来ちゃうんですか……」

 高天原では『何の役にも立たない能力』と言われて落ちこぼれの烙印を押した、この『ものに宿るアヤカシの声を聞く』能力がそんなにすごい能力という実感が、音々にはまだなかった。

「今回は個人情報だけを盗んだが、こんなもんじゃない。実際『行雲』があれば相手の家に忍び込むことだって簡単だし、お前の耳は索敵代わりになるから俺は怪盗にだってなれちまう――ルーブル美術館やホワイトハウスの侵入も精度を上げればできちゃうかもな」

「……」

「逆にお前がいれば、世界中の迷宮入りしている事件を全て解決させることも、指名手配犯の潜伏場所を突き止めることもそう難しくないと思うぜ――世界中の探偵が失業するし、世界中の警察が喜ぶ」

「じゃ、じゃあハル様もこんなことせずに、警察に事情を説明してこういう情報をしらみつぶしに調べてもらえば……」

「警察がそう言って動いてくれるなら、年間で300人もいじめの自殺者は出ない」

 初春は音々の言葉も遮る。

「人間は『根拠』や『証拠』を突きつけなきゃ動いてくれないんだ。警察もな。そしてお前の能力は『証拠』を突きつける力に欠ける――お前の姿は人に見えない。現場を見ていたアヤカシの声が聞こえました、なんて、お前が見える俺達じゃなきゃ誰も信じないさ」

 そう言って初春は手近にあった『斬奸状』と書かれた封筒を音々に見せた。

「あのいじめをやってた連中もそれを知っている――現代ってのはセキュリティを馬鹿でも使えるようになった分、その『証拠』を掴ませるだけでも一苦労なんだ。警察も学校も動かないことを連中は知っていて、ナメきっている――だからこうして目に見える『証拠』を作らなきゃいけない――」

「……」

「音々、残念だけど『交渉』って奴も現代じゃ『弱みを握る』って卑怯なこととほぼ同義なんだ。ある程度の材料がなきゃ初めから交渉のテーブルにもつけない。平和的な解決ってお前は思っているようだけど、実際は弱みに付け込む行為なんだ」

「そうじゃな。戦でも弱い国の和睦の交渉が破棄されるのと同じ――お前は交渉を、血が流れない平和的なものと思っておるようじゃが、実際は違う――その前に相手の泣き所を知ってやるのが『交渉』じゃ弱点を突く意味では戦闘と変わらん」

「現代じゃ核ミサイルの発射を交渉材料に経済支援を引き出す国もあるくらいだからな」

「……」

 音々は返す言葉もない。

「しかし――儂も一つ解せんことがある。お前達が集めたあの醜聞――結果的に奴等はお前達との交戦を望んだが、あれを見て相手が和睦交渉に応じる可能性もあった。実際は五分五分だったはずじゃが、お前は初めから相手が交渉を破棄することが、さっきの口ぶりを見るに分かっていたようじゃな。それは何故じゃ。何かを仕掛けたのか?」

「いや、何も――強いて言うなら仕掛けたのは先輩だよ。3日前に会った時にな」

「……」

「あの連中に会った時に、あの連中がどの程度の人間かはもう分かっていた。俺を東京でいたぶって、蔑んでいた野郎と同じ――『撃たれる覚悟もないのに人を撃つ』――そんな人間さ。そんな連中が自分も痛みを負う『交渉』なんかに応じることはないことは初めから分かっていた。あいつらは『証拠』を突きつけられれば、俺や先輩を潰せば自分は無傷で事が収まると考える――最も自分が傷つかない方法を選ぶに決まっている。特に3日前にあんなに怯えている先輩を見た後だ。先輩を多少拷問すればすぐに『斬奸状』の中身を消去させることに応じる――その難易度は低いと考えるはずだ」

「……」

 音々も紫龍も比翼も、他の妖怪達もそう語る初春の視点にぞっとする。

「やっぱり人間、多少は痛い目にあうことをたまにはした方がいいってああいう連中を見ていて思うよ――あいつらは連戦連勝――無傷の勝利を繰り返していた。だからこれだけの証拠を突きつけられても自分が窮地に立ったことに気付いていない――まだ自分が無傷でいることを考えてやがるんだからな。勝ち続けている奴は、傷つくことに慣れていない故に、負ける時に多少の傷を恐れて大怪我をする……これからのあいつらだ」

 淡々と語る初春だが、その目は明らかに人間への怒りがありありと浮かび、それをぶち壊す算段をつけている狩人の目になっていたのだ。

 初春の脳裏に、自分を捨てた両親や親族のことが思い浮かんだ。

 あの連中もそうだったよ――自分が傷つかないことが最優先で、俺に恨まれる覚悟もせずに俺を切り捨てた。

「おっさん――あんたに剣を教わってよかったよ。あんたに負け続けているおかげで、俺はあの連中と同じにならずに済んだと思う。あのまま人間を斬っていたら、俺も人間と同じ、慢心しながら死んでいたんだろうな」

 そう言って初春は音々の方を見た。

「音々、お前の意に添わんやり方だったろうが、協力してくれてありがとな。あれだけ証拠を突きつけたら、流石に交渉に応じることは一割くらいは期待してたが――やっぱ無理だった。あとは俺に任せろ」

「……」

 紫龍はそれを聞いて思った。

 あいつは音々に自分のやることに口出しをさせないつもりでこの作戦を取ったのか。

 相手に交渉するか戦うかを選ばせることで、相手に音々の主張する交渉での解決の線を潰させる。

 こうしたら音々も初春の言うことを聞かざるを得ない……

 こいつ、初めから音々と『交渉』していたのか。

 残念だが、こういう『言質を取る』ようなやり方が『交渉』――

 いや、交渉という名の暴力であることを、この小僧はもうずっと人間によって、身を以って体験していたんだ。

「は、ハル様、で、でも……」

「大丈夫だよ、お前と約束した。お前の名を背負っている以上、お前を俺の瘴気で傷つけることはしない――俺がやるのはあくまで『交渉』だよ」

 初春は右手を動かす。

「何?」

 紫龍は訝しんだ。音々の主張が無力化した今、初春は思う存分連中を叩きのめすと考えていたからだ。

「言っただろ? 俺がこの能力を気に入った理由。それは――交渉に便利だからだよ」

「……」

「俺がこの仕事を請けた理由は――あんまり卑怯だから普通の人間相手にこの能力は試せなかったが――あれだけの悪党ならためらいなく実験動物(モルモット)にできるぜ。俺の交渉術(ネゴシエイション)を十分試せる――その実験台にするためだからな。そのためにも――あいつらが先輩の家に押し掛ける前に、ちょっと寝ておくか――2時になって起きなかったら声をかけてくれないか」

 初春は立ち上がって階段を上り、自分の部屋に行ってしまった。

「どう考えても言葉通りの『交渉』をする顔じゃなかったねぇ、あれは」

 比翼は初春の邪悪ともいえるような顔を見た感想を言った。

「本当に怒ってらっしゃるんですね、ハル様、人間に……普段表情に出ないハル様が、最近ずっと怖い顔をしている……」

「しかし瘴気が全然出てない――あれだけ坊やの怒りを感じるけれど、全然嫌な感じじゃないよ。どういうわけか分からないけど」

「あれで瘴気が出るなら儂もとっくに止めておる――出ていないから止めておらんのじゃ。少なくともあの小僧、連中を殺す気も、愉悦で痛めつける気もないのは確かじゃ。あれはおそらく『義憤』というやつじゃな」

「義憤――かい?」

「やり方はともかく、本気であのいじめを止める気でいるのは確かじゃ。お前の名前を汚さないこともちゃんと考えておる――相手の都合に便乗して人間を痛めつける口実にする気はないようじゃ」

「……」

 しかし音々は複雑な思いを抱えていた。

 お師匠様や火車様の前で初めてハル様の考えた能力の使い方を見せた時――

 確かにあの時もハル様は言っていた。

「この能力は交渉に便利だ」と。

 でも――

 その後に続く言葉があったんだ。

 それは……

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