悪党の才能(5)
次の日――
ファミレスのランチタイムのバイトを終えた初春はスーツに着替えてホールに出る。
ホールには今まさに学校帰りの歩原智が来ていて、禁煙席に通されていた。
「従業員優待券あるんで使ってください。金は俺が出しますんで」
「そ、そんな、だって依頼料も払わないのに」
「今金盗られてる人に金の要求はしないですよ」
初春はそう言うと、酷薄に笑った。
「つーか盗られた金も回収するつもりでやりますしね、俺は」
「……」
智は年下なのに初春のこの妙な落ち着きと、時折見せる邪悪さに不気味さを感じていた。
「まあ大船に乗った気でとは言いませんけど――全力でやるんで。先輩のテスト、一週間後でしたっけ。それまでに決着つけますよ」
「い、一週間で?」
「夏休みになって変な間が空くよりいいでしょ――そのためにも早速情報収集のために呼び出してしまいました。一体どんな内容で先輩がそこまでやられているのか、情報収集させてください」
元々この町は小中高が事実上のエスカレーター制に近い。そのためクラスの顔馴染みはほとんどが仲の多少はあれど幼馴染である。
智の代はこの町で4期連続で町長を務め、農協の支店長を務めた現町長である鳴沢氏の息子である鳴が牛耳っており、クラスはほとんど鳴の独裁国家と化している。
「クラスの連中全てに命令が出来るほど鳴沢くんの力は強いんだ……僕はずっとクラスで『ポチ』って呼ばれてそれを定着させてる――本当のカースト制度を作って、弱者に何をしてもいいって状態を作り上げているんだ」
「聞くだけで反吐が出そうな話ですね……」
初春は辟易していた。
「でも、あのチビはあんなに性格が悪いのに何であいつにそこまで人が付き従うんです?」
「やっぱり隈武くんのグループを味方につけているからだと思う――」
「あぁ、あのデカブツですかか。随分強面を従えていましたね」
「隈武くんは総合格闘技をやっていて、大人三人と戦って勝ったとか、隣町の不良20人に囲まれても仲間4人と全て叩きのめしたとかって噂がいっぱいある、本当にやばい奴なんだ! うちの学校でも喧嘩で病院送りにされた奴がいて、停学を3度も食らってる!」
「そいつは凄いな……キレたら見境なさそうな感じでしたが」
初春は首を傾げる。
「なるほど――で、そいつらを飼うために先輩みたいな弱い奴から金を盗って、その金を撒いて自分の支持基盤を作り、弱者の造反を揉み消してる――そんなところか」
「う、うん、多分隈武グループだけじゃなく、従う人間にはマージンを渡しているはず」
「てことは、盗られる側の金は尋常じゃない――先輩、それこそ自分の小遣いで済む額じゃないでしょ、盗られたのは」
「……」
「親の財布から金――抜いてるんですね」
「……」
初春の問いに智は沈黙で答えた。
「――こりゃ、本当にマジで速攻で片付けないとな……これ繰り返してたら、親じゃない人の金を盗むまであの馬鹿止まらねぇ――頭を潰して終わりってわけにはいかないか……」
初春はしばらく考えをまとめる時間を要した。
「――先輩、ターゲットの顔と名前を把握したいんで、クラスの集合写真とか持ってますか?」
「え、あ、いや……」
「――まあないですよね。自分をいじめている奴の写真持ち歩くとか……俺だったら吐く」
初春は携帯電話を取り出し、どこかにメッセージを送ると席を立った。
「葉月先生に頼んだんで、今から学校に行って、譲ってもらえるか聞いてみましょうか」
初春は学校に行くと、美術室にいた夏帆から写真を受け取った。
初春は学校に行くと、美術室にいた夏帆から写真を受け取った。
「こ、個人情報の一環だから大丈夫かな……」
「修学旅行の写真とか学校は一枚100円とかで売ってるでしょ。この学校の生徒の先輩が金を払えば問題はないと思いますけど」
初春は元々自分が頼んでもそうなることは分かっていたので、智についてきてもらったのである。
「……」
今日見てみると、昨日の妙に迫力のある初春とはまるで別人――普段のほわわんとした落ち着いた初春である。
本当に昨日とは別人か、自分の夢だったと思ってしまうくらい、普段の初春にはその時の闘犬のような荒々しさがまるでない――まるで春のそよ風のように静かだ。
写真を渡して、何か酷いことをしようという様子がまったく見られない……
「じゃあこれを」
そんな初春の雰囲気に気が緩んだのか、夏帆は初春に友のクラスの集合写真を手渡した。
「葉月先生、ご協力に感謝しますよ」
慇懃に頭を下げる初春。
「よし、これで準備の第一段階はクリアだ――あとの作戦はこれから説明しますね」
そう言ってくるりと踵を返し、初春は智を連れてさっさと学校を出て行ってしまう。
「……」
こうして学校に来ていると、本当にまるっきり普通の15歳にしか見えない。
あの昨日の刺すような空気がまるで別人のようだけど……
でも、何となくわかる。ハルくんは絶対に何か、歩原くんへのいじめを止めるための準備をしている。飄々としているけれど、いい加減なことはしない。
「……」
それをあんなに淡々とした表情に隠せるまでのポーカーフェイスも、恐らく昨日の剣道の防具なしの訓練と同じ――苦しい思いの果てに身につけたものなのだろう。
――気になる……
紅葉は職員室の自分のデスクに戻ると、パソコンで検索をかけて電話番号を調べ、携帯で番号を打ち込み、通話ボタンを押す。
「――ごめんハルくん」
コールが響く合間に夏帆は呟いた。がちゃりと電話のつながる音。
「もしもし、お忙しいところ失礼いたします。私、神庭高校の教師の葉月と申します。本日はそちらの去年の卒業生が我が校の編入試験に申し込みたいということで、その生徒さんについてお伺いしたいことがありまして……」
「なるほど――よし、全員の名前を確認できました」
初春と智は神庭高校の敷地内――正門の近くにあるベンチに座り、一人ひとりの顔と名前を写真を見て写真の並びをメモに取り、そこから一人ひとりの名前をメモにまとめて顔と名前を特定した。
修学旅行の写真は確かにみんな笑っていたが、これが全員いじめの末に鳴沢から金を受け取り、智を見て見ぬ振りしているどころか、尻馬に乗って智から盗った金のおこぼれを貰っていると思うと、初春は虫唾が走りそうだった。
「あれれ?」
まるで小学生探偵のようなややオーバーな声が背中に響く。
振り返ると鳴沢と取巻きの隈武とその手下の強面のグループが揃って下校をしようとしているところだった。
「よぉポチ、何だ、その中卒と友達になったのかよ?」
先頭の隈武が下卑た笑いを二人に向けた。底辺の人間と認識した、初春のよく知る笑みだ。
「今日学校に来たってことは、金策の猶予期間でも願い出に来たのかい?」
余裕の笑みで鳴沢が初春の目を覗きこむ。
「何度も同じことを言わせるな、無駄だからそんなことはしねぇよ」
初春は指を銃の形にして鳴沢の眉間を差した。
「お前等を潰すための、作戦会議中さ」
「う……」
その宣戦布告に後ろにいる智は心臓が痛いほど高鳴った。
何てことを言うんだ、そんなことを言って失敗したら、俺はこいつらに殺される……
それは確かに、命の危険を感じてのものだった。
「ふぅん――ポチ……僕達に逆らうってことの意味、分かるよねぇ」
昨日と同じ、鳴沢の目がすっと細まり、声のトーンが変わる。
「大丈夫だよ先輩、こいつら、俺から金を盗れるまで俺達を殴れないから」
初春が涼しい顔で言った。
「あ?」
「ここで自分が加害者だって証拠作るわけにいかないもんなぁ。しかもこんな校門のまん前なんて目立つところでさ」
初春達の立っているところはもう校門から20メートルも離れていない。騒ぎになれば外の通行人にも見える。
既に下校途中の生徒達も、足を止めてこちらを見ている者がいる。どうやら鳴沢や隈武は有名人のようだ。
「お、今度はあいつが処刑されんのか」「動画撮ろうぜ」
中には初春がやられるシーンを撮ろうと、笑顔でスマホをこちらに向けている者もいる。
「……」
野次馬の数はどんどん膨れ上がる。
「テメェできねぇと思ってるのかよ。俺は最初からテメェのそのこっちをなめきったような態度にハラワタ煮えくり返ってるんだ。金を盗ったら覚悟しておけよ」
隈武が初春ににじり寄る。
「お前さ――俺から本当に金を盗れると思っているのか?」
「なんだと?」
「そこのチビが俺に請求した額は10万――払えなくても法的に取り立てる、って言った。でもね、ありえないんだよこれ」
「何?」
「考えてもみろ、俺達は未成年で法律行為が行えない――つまり代理人が俺を訴えるわけだが、その代理人に弁護士なんか雇って訴訟なんかすれば、俺から10万とっても簡単に赤字だ。かと言って弁護士を通さない本人同士の訴訟なんかしたら、こいつの保護者である父ちゃんは町長なんだろ? 町長が自分の歳の3分の1もないような中卒のろくでなしからたった10万巻き上げましたなんて知られたら、みみっちくていい笑いものだ。あからさまなブラフさ。俺から10万取り立てるには、俺が自分から払う以外にこいつの利益にはならない。『法的に』取り立てる額として10万はこの場合ありえない」
「……」
黙って初春の言葉に耳を傾けた隈武に、初春は心の中でほくそ笑んだ。
「この台詞の真意は相手の知力を測ってるんだよ。本当に法的に訴えられると思ってビビッてしまったところに押しをかけるか、温情を見せた振りをして相手を信じ込ませるって手口――10万っていう額は、それ以上の請求だと脅迫だと思われどこかに泣きつかれるのを防ぐため――頑張れば払えそうな額を提示することで抵抗するより温和に解決すると思わせる――自分の横にあんたみたいな強面がいりゃ、その効果が上がるしな。今回は俺が中卒だって聞いて、『馬鹿』と判断した俺を狩るためにそんな脅迫をしたのさ」
初春も元は被害者だったことでこういう連中の思考については個人的に調べもした。
追い詰めて救いの手を伸ばすように見せ、更なる地獄への一本道に誘導――
法外な請求をしてからそれを取り下げ譲歩するように見せることで、優しい人間に見せる――
人を傷つける奴は、そうして聖者のような顔で相手に取り付くんだ。
「こいつはそうやって馬鹿を選んでるんだ――そういう手口を使っている奴が、お前みたいな脳筋を見下してないわけないだろ。多分お前も弱みを握られて同じ手口で脅されて、そのチビについているはずだぜ。けどよ、そりゃ仲間じゃねぇ、『番犬』さ。お前は先輩を『ポチ』なんて呼んでやがったが――お前は自分が犬扱いされてるのも分からずに犬を笑ってるんだ。惨めなもんだよ」
「て、テメエっ!」
「はいはいはいはい」
荒ぶる隈武の間に鳴沢が割って入り、初春への進路を塞いだ。
「いちいちこんなのに噛み付くんじゃないよ。こいつは何とか口先三寸で僕達を分断させようとしてるんだ。それくらいしか出来ないんだからさ」
「……」
「よく考えなよ。仮に僕を離れてあいつについても君に特はない――僕の力があるからこそ君の悪事もかばえるけど、それがなくなったらさすがに君達のやっていることはフォローできなくなる……お互い持ちつ持たれつでやっているだろう? 僕が君を裏切るはずないじゃないか。ね」
「あ、あぁ……」
「いいんだよ。もう勝利は確定しているんだから、大人しくその時を待っていれば」
「……」
黙りこくる隈武を横目に、鳴沢は初春を睨む。
「――君、これだけ沢山の人の前で虚言とは言え不愉快だな――名誉毀損の罪状を追加させてもらうよ」
「――ご自由にどうぞ。多分その訴えは無意味になると思うけどね」
初春は余裕の表情を崩さない。
「何?」
「訴えが起こる頃にはお前の名誉は既に潰れているからね。毀損される名誉なんてないって意味さ――おっと、ヒントをあげすぎちまったか?」
初春はそう言って後ろを振り返り、恐怖に腰を抜かしかけている智に手を差し伸べた。
「先輩、帰りましょう。もう用は済んだし」
そう言って智をしゃんと立たせて、校門の方へ歩いていく……
「うわー、宣戦布告キター」
「あいつ死んだな……合掌」
「悪目立ちしたクソDQNだろあれ」
「ウケるわ、カッコつけて殺されるんだぜ」
初春にスマホを向けている連中の声が聞こえる。
「……」
どいつもこいつも、智がいじめられていても誰も助けないわけだ。
初春は失望の色を深めながらそんな連中の顔を見た。
「な、何てことを言うんだよ。わざわざあいつらを怒らせるようなことを……」
校門へ歩きながら、智は真っ青な顔で言った。
「明日からどんな顔して学校に行けば……」
「ああ、それは大丈夫。先輩、これから3日間学校を休んでくれませんか?」
「え?」
「テストの初日に登校してください――それまでに全部終わらせますよ」
「……」
葉月夏帆はそんな騒ぎが校門前で起きているとは知らず、それまでずっと職員室で電話を続けていた。
受話器の向こうにいた、白崎という教師の驚いたようだったが、無事を確認して少し嬉しそうだった声。
その教師が話す、生徒会の副会長をやっていたことや、都内市の都立高への推薦が決まっていたこと。
それを両親の離婚が決まり、親戚の家をたらい回しにされ、誰も親権を預かろうとしないために立ち消えたこと。
色々な話を聞いた。
「そうですか――でもそんなすごい生徒さんだったんですか」
この町に来る前の初春は夏帆の想像以上の生徒であった。
「剣道で、防具なしで打ち合いをするっていうのを見せてもらったんですが……」
「あぁ、やっていましたね。何でも昔、自分のせいで友達を馬鹿にされたことがあるらしくて――それが悔しくて、何が何でも強くなりたくてはじめたそうです。あいつは元々自己主張をしない生徒で、いじめられても黙っているような奴でしたが、それだけは嫌だったらしくてね。そんな目的で勉強も運動も出来るようになったので、あいつはどうも自分の実力に自己評価が追いついてなくて……」
「……」
「しかしあいつが高校に行けるかもしれないのか……いや、ほっとしましたよ。あいつは大したことない勉強もスポーツも、自分のためではないとは言え、ほぼトップクラスまで努力で押し上げた努力の虫ですから。高校に行って、その分足りてない夢やら目標やら、色んなものを見つけてほしかったんですよ。できればあいつが慕う友達と一緒に高校生活を送らせてやってほしかったんですが」
「はい……」
「神子柴は、友達の話をしますか?」
「え?」
「あいつは本当に友達を大事にしていたようですからね。このまま忘れてしまうのはあまりに不憫で……でもあいつはそういうのをもう切り捨ててやしないかと思いましてね」
「……」
しばらくして受話器を置いた夏帆は、自分の無力さに大きな溜め息をついた。
友達を馬鹿にされたことに怒ってそこまでの努力を積み上げて。
そんな人が学校にも行けず、人から馬鹿にされ。
自分が望んでも手に入らないもの、いられない場所があって。
生きたくても生きることを許されなかった初春が、今を無駄に生きる人間を憎む。
それに何を言えばいいのだろう……
「でも、知っちゃった以上、見過ごしておけないな……」
夏帆は自分の両頬を自分の両手で強く叩いた。
「反省して、私も前に進まなきゃね」
翌日。
朝のHRで歩原智がクラスで唯一欠席という報を聞いた後、鳴沢の席にはいじめの主犯格の連中であるクラスの約半数が集まって笑みを浮かべていた。
「ポチの野郎、ビビッて休んじまいやがった。不登校にするこたぁねぇのによ。サンドバッグとATMがなくなっちまったぜ」
「ま、近いうちに新しいのが手に入るぜ。昨日のあのDQN野郎、俺らに喧嘩売ってきたからな」
「ボコる時は私達も見せてよ。最近ポチじゃいじめても面白くなかったしさ」
男子も女子も大声で笑いながら、落書きだらけになった誰もいない智の机を蹴飛ばす。
鳴沢自身も初春のことは不気味に感じていたが、智が明らかにビビッているのは確認できたし、あれでは初春も孤立無援だ。ならひとりを囲めば勝負はつくだろうと考えていた。
「じゃあ、期末テストが終わったら、あいつの『おごり』でみんなでどっか遊びに行こうか!」
「行く行く!」
「海に行こうぜ! この町のシケた海岸じゃなく、ねーちゃんがいるような海にさ!」
既に鳴沢側は初春と智から徹底的に搾り取る気でいた。
だが、それから3日後――
「な、なんだよこれ!」
「や、やばいよこれ、こんなのが流れてるんじゃ……」
「ど、どうするのこれ!」
鳴沢のクラスは登校するなり、クラスの全生徒が顔を真っ青にして狼狽していた。
鳴沢も登校するなり、クラス中が異様な殺気に包まれているのを察し、首を傾げた。
「どうした?」
手近にいるクラスメイトに確認する鳴沢。
「め、鳴くん! 今日学校に来たら、こんなものが全員の机に!」
そう言ってクラスメイトは何の変哲もない封筒を見せた。
そこには毛筆で『斬奸状』と書かれていたのである。裏には小さく、『ねんねこ神社』と書かれている。
自分の机を見ると、一際分厚い封筒がひとつ、自分の机にも置かれている。
「お、俺は関係ねぇぞ!」
「何言ってやがる! お前は散々鳴沢くんに媚びてたくせによ!」
恐慌により喧嘩を始める者も出始め、暴徒化する生徒も出始めていた。
「な、何だよ『ねんねこ神社』って!」
騒ぎ立てるクラスメイトをよそに鳴沢も自分の机に座り、封筒の中身を少し確認した。
「!」
封筒の中身を少し見るなり、鳴沢は必死に動揺を隠したが、この真夏に寒気を覚えるほどの悪寒に襲われた。




