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悪党の才能(3)

「そうかい」

 初春は涼しい顔をしていた。

「……」

 あっけらかんとそれを受け入れた初春に、大男達は出鼻をくじかれた気分だった。

「おいいいのかよ。今のうちに俺達への侮辱を謝っておけば俺達も鬼じゃないんだぜ。ちょっとばかり待ってやってもいいのによ」

「無駄なことはしないよ。はじめから許す気なんかないくせに……」

 初春は大男の挑発をかわした。

「水は方円の器に随う――弱者は強者の反応を見て棒の振り方を決めるけど、自発的なことは無駄だからしない」

「……」

 味気のない反応である。

 鳴沢をはじめ、この連中が初春に行っているのは『マウンティング』である。

 自己の上位性を示し、下位の人間の従属する反応を見て支配する。

 犬に追い立てられる羊の如く、選択肢のない弱者は本当に行動の予測が立てやすい。追い込まれる先に罠を張っておき、そこにはまるのを見て楽しむ。

 初春はこの手合いが好むことを知っているのである。

「さっさと帰ってパパに泣きついてデタラメの診断書を作ってもらうなり、弁護士に告訴状を作ってもらうなり好きなだけ卑怯な手を使え。俺は一向に構わないぜ」

 初春のその言動はさっきから、鳴沢をはじめ他の取巻き達にも酷く異様に見えた。

 もう自棄になっての、窮鼠猫を噛むというのを狙っているのか、それとも……

 怒るわけでもなく、怯えるわけでもなく淡々と事実を確認し笑みをこぼす初春の真意が分からなかったが。

 それでも自分達の勝利を確信している。

「君も十分準備をしてくるといい。そこまで言うなら簡単にやられちゃ面白くないからね。僕達を楽しませてよ?」

 鳴沢は初めて初春に対して苛立ちを募らせた目を向けた。

「馬鹿かお前。俺は芸人じゃない。楽しみたいならエンターテイナーに頼めよ」

 初春は薄ら笑いを浮かべながら、自分の頭を指差した。

「こいつ……」

「馬鹿、挑発だよ。手を出してくれるのを待っているんだ。放っておけばいいんだよ」

 そう言うと鳴沢は初春の後ろのベッドで怯える智に視線を向けた。

「ポチ、お前被害者ぶるために明日学校に来ないなんて真似するんじゃねぇぞ。明日学校に来ないなら家に迎えに行くぞ。待ってるからな……」

「は、はい……」

「……」

 初春は、何で返事しちまうんだよと思った。

「そんなに怯えるなよ。友達だろ、僕達は」

「……」

「さて帰ろうか。これでしばらく遊ぶ金の目処が立った……」

「金を踏んだくれたら、あいつボコってもいいか?」

「ほどほどにね……」

 笑い声を残して連中は保健室を出て行く。

 保健室に初春と智だけが残される。

「友達、ねぇ……」

 初春は失笑を浮かべた。

 静かになったところに、保健室から少し離れたところで待っていた三人が、鳴沢達が出てきたのを見て戻ってくる。

「し、失礼します……」

 三人とも怯えきったような顔をして、遠慮がちに保健室に入る。

「み、神子柴くん……」

「別に怯えなくてもいいって。俺の問題に巻き込まれないように見て見ぬ振りしてろよ」

 初春は涼しい顔で三人を確認すると、パイプ椅子に座って智のいるベッドの横に座る。

「で、先輩、あなたはどうします? 俺はもう喧嘩売られちまったんで、そのついでだ。もう二度とあなたに手を出さないようにするって依頼してくれればやりますけど」

「む、無理だ!」

 智は怯えきった表情で初春を見た。

「あいつらには勝てないんだ! こちらの手出しは鳴沢くんが全部揉み消すし、鳴沢くんにはこの高校の一番喧嘩の強い隈武くんを味方につけている! 奴が他のならず者も従えていて、鳴沢くんが奴らを統率している! 暴力では勝てないし、訴えももみ消されるんだ」

「彼我戦力の差はどうでもいい。問題はあなたの方でしょ」

「――え?」

「俺個人のことは俺が決める――でもあなたはここでほっといたらあいつらに血まで吸い尽くされちまう――知っちまって見殺しにするのは嫌なんでね」

「……」

 智も、他の三人も驚いていた。

 鳴沢達に何をされても、初春の行動の優先順位はずっと変わらない。

 このまま放っておけば金を盗られ続け、暴力を受けて骨まで喰らい尽くされることが確実な智をどう生かすか、それだけを考えている。

「――君は強いんだね」

 智は力なく笑った。

「――僕は勉強もできなくて、この通り体も小さくて――あいつらにちょっと脅されるだけで体が震えちゃうんだ……」

「……」

 そう話しながらも震える肩が、今まで散々繰り返された恐怖を物語っていた。

 ここまで追いつめられると本当に人間は操り人形みたいになる。視野が狭くなり、強者がわざと一本残しておいた道を本当に救いだと思って選ぶ。

 そこに救いを求めて走る者を、強者は罠を仕掛けて笑って見ているんだ。

 蟻の巣穴に、水を入れるみたいに。

「――悔しいんですか」

「悔しいさ!」

 ヒステリックな声が保健室を出て、もうほとんどだれもいなくなった校舎中に響き渡るような――そんな声で智は叫んだ。

「あいつら――僕と同じ目にあわせてやりたい! 思い知らせてやりたい! ぶっ殺してやりたい!」

「……」

「でも――怖くて――目の前に立つと、震えが止まらなくて……」

 もう智の声は嗚咽で、消え入りそうなほどか細い声を荒い息の中で何とか絞り出している感じだった。

「君みたいに――僕にも――立ち向かう勇気があればいいのに……」

「やめといた方がいい」

 智の涙声を、初春の冷静な声が遮った。

「先輩――あなたには『悪党の才能』がないですよ」

「あ、『悪党の才能』?」

 そのワードの不気味さに、皆気圧された。

「――先輩。じゃあちょっと予行演習やってみません?」

 初春はそう言って椅子を立ち、保険教諭のデスクから何かを取り出して智に差し出す。

 初春の持ってきたものは、先の尖ったステンレス製のピンセットだった。

「こいつで俺の目、力いっぱい突いてくださいよ」

「え?」

 智だけではなく、横の三人もぎょっとした。

「あぁ、これだけじゃ駄目か……ちょっと待って」

 そう言って初春は再び席を立つと、近くにあるメモ帳に何かを書き込み、最後に机にあった朱肉を親指に押し付け、紙に印を押した。

「はい、仮にこれで俺が目を潰されても、俺はあなたに一切の賠償を負いませんって誓約書を書きましたから。これであなたはノーリスクで俺の目を突けます」

「み、神子柴くん!」

 さっきから人が変わったような初春に気圧されながらも、紅葉は心配のあまりすがるような声を出した。

「こんなピンセットで眼球突いたら中身出ちゃいますね――それこそ卵の殻みたいに。でも、俺の目を突ければ憎いあいつらの目を潰すのなんて、卵割るくらいの感覚でできるでしょ……さあ、度胸をつけるために一気にやっちゃってください」

 初春は椅子に座ったまま顔を差し出して、目をしっかりと見開いた。

「……」

 智はそれを見て、ピンセットを握り締める両手がぶるぶると震えた。

「さあ、早く――これをやらなきゃ、あいつらに反撃なんてとてもできない……先輩は俺の目を潰しても、俺は訴えを起こさないって誓約もしてる。リスクはないんだ」

 初春は実に穏やかな顔で自分の目を潰すことを催促した。

 ――しかし。

「はあ――はあ――」

 智は血走ったような目を泣きそうなくらいに痙攣させて、やがて眼を閉じてピンセットを握る両手をだらりと下げた。ピンセットがベッドの横を滑り、床にちゃりんと落ちる。

「で、できないよそんなこと……理由もないのに人の目を突くなんて……」

「ん? 俺はあなたに訴えを行わないって言ってる――あなたにとってノーリスクでも?」

「そ、そういう問題じゃない……こんなこと……」

 怖さのあまり、涙を流してしまう智。

「――そういうことですよ先輩。人を殴るとか、攻撃するってのは別に勇気や覚悟の大小じゃない」

「……」

 そう言った初春の声は、さっきまでの棘が消え、優しく穏やかな響きだったことに、横の三人は気付いた。

「俺も武道をちょっとやっていますけど――最初のうちは剣道で相手が防具をつけていても手加減して打っていました。痛いだろうな、とか相手のことを沢山考えて、どうやっても体が打つ力をセーブしちゃって――相手に打たれれば怖くて目を閉じちゃって。俺、どうしようもない臆病者(ビビリ)だったんです」

「……」

「少なくとも同年代の奴らの中で俺は一番弱かった。だから先輩みたいに散々他の連中にもいじめられていた――でも俺をいじめる学校の奴には、俺みたいに武道をやって、相手を打ったり打たれたりすることが日常でなくても、努力なしでそのリミッターを外して人を攻撃できる奴がいる――すごいのになると人の顔に金属バットをフルスイングできたり、シャープペンで相手の目を潰すこともできてしまうような――そういう人を傷つける時に働く制御装置を解除できる適性っていうのかな、俺は『悪党の才能』って呼んでますが」

「悪党の、才能……」

「先輩を落としてたあの大男や後ろにいたチビ――あの連中、先輩が白目剥いていてもヘラヘラ笑ってた。あの笑いは勇気や覚悟なんてものじゃない――単に傷つける時の無意識のリミッターが弱い――その強弱の差だけですよ。勇気や覚悟なんてカッコいいものじゃない。そんなのあったら、人を殴るってもっと切実ですから。喧嘩の強い弱いは覚悟もそうだけど、その制御装置を外さないと強い一撃って打てないから――適性ですよ」

「……」

「――今いじめで自殺する未成年の学生って、年間300人くらいいるそうですよ」

 初春は言った。

「でもさ――不思議だと思いません? そんなに沢山のいじめがあって、自分が死ぬ覚悟を決めたのに、自殺したいじめの被害者が、最後に加害者に報復して殺したってニュース、見たことないでしょ」

「あ……」

「俺、思うんですよ。死ぬことを選んだ人達って、そこまでやられて、自分が死にたいと思うほど辛い思いをして――そいつらを憎んでいたとしても――そいつらのこと、傷つけたらかわいそうだな、とか、殺したら自分の親がどうなってしまうんだろうって――そういうことを考えていて――そういう『悪党の才能』がなかったんじゃないかって。だから最後までやり返せずにこうなってしまったんじゃないかって」

「……」

「でも――俺はそういう連中は立派だと思う――年間300人くらい――そいつらは最期の最期まで優しくあり続けられた。鬼や悪魔になることを選ぶくらいなら、自分を傷つけることを選ぶくらい優しかった。すごいなって思いますよ。最後まで優しいまま死ねるって。俺はそっちの方がずっと勇気があると思います」

「……」

「だから先輩。やり返せない、反撃できないこと――やめろって言えないことを自分が劣ってるって考えないでください。それは単に『悪党の才能』がなかったってだけのことですよ。人を殴るなんて勇気なんかじゃない」

「……」

 沈黙。

 淡々と語る初春の言葉の裏に、皆、初春が今まで見てきた『悪党の才能』のある人間による迫害の日々をまざまざと見たのである。

「問題があるとしたら、そういう優しい奴が悪党になれなきゃ殺されちまうって方でしょ――だからそういう人の代わりに、俺みたいな奴がいるんですよ」

 椅子から体を乗り出して、初春はにこりと笑った。

「先輩、俺が先輩にしてほしい覚悟はあいつらの目を抉れとか、そういうことじゃありません。そんなのは勇気でも何でもない――どうせやるなら、別の勇気……」

「別の……」

「それをするだけで、俺達は仲間になる――俺が全力であなたを守りますよ」



 その後智を一人家に帰し、初春達四人は保健室から荷物を置いていた美術室に戻っていた。

 もう6時を回っていたが夏の空はまだ明るく、電気を点けなくても部屋の中がある程度見えるほどだった。

「……」

 初春は智を下駄箱まで送ってからは、一言も紅葉達に声をかけなかった。

 三人も、初春がさっきから自分達のことが見えていないのではないかと思うほどこちらを見てくれないことに気付いていた。

 美術室に入ると、初春は溜息をついてスーツのネクタイを緩めた。

「ハルくん――」

 そのただならぬ気配に戸惑いながらも、夏帆は初春に声をかけた。

「葉月先生、申し訳ないですがしばらく俺は先生の依頼を後回しにさせてもらいますよ。歩原先輩の依頼は一刻を争うんで」

「う、うん――それはいいけれど……」

 夏帆は頷いた。

「ハルくんはすごいね――自分がどんな状況になっても困っている人を助けることを最優先にして、そこがぶれなかったもんね」

「……」

「私はダメな教師だね――ハルくんみたいに率先して間違ったことを正す勇気がなくて」

「いいんじゃないですか。他の教師よりはまだましでしょう。町長の息子を怒らせて、自分に危害が及ぶことを恐れて葉月先生の言葉を止めた奴よりは……」

「――見えてたんだ」

「――多少なりとも俺をかばってくれたこと――礼を言っときますよ」

 初春は夏帆に目を合わせないまま言った。

「み、神子柴くん――ひとつ――訊いてもいいですか?」

 その様子に、初春は普段の穏やかさを取り戻していると感じた雪菜は口を開いた。

「さっき神子柴くん――『悪党の才能』って話をしてましたよね……」

「あぁ」

「先輩にはその才能がないから、無理に戦わなくていいって――で、でもそれって、神子柴くんには『悪党の才能』があるって考えてる――ってことですか?」

「さあ――どうかな」

 初春は首を振った。

「そもそも俺は別に先輩へのいじめをやめさせるのに、『正義』だ『悪』だという気はまったくないんでな」

「え?」

「虫けらに正義も悪もない――やり方なんて選んでられるかよ。特にもう話し合いでの解決は向こうが閉ざしちまったんだから、残りは多少きつい手を使うことになるだろうよ」

「み、神子柴くん! それでも――そんなことしちゃダメだよっ!」

 紅葉が叫ぶように言った。

「秋葉……」

「――ダメだよ、神子柴くんはそんなことをしちゃ」

「そ、そうです……早まったことはしなくても、まだ……」

 雪菜も初春に気後れしながらも止める。

「秋葉。いいもダメも――俺や先輩にはそれを選ぶ選択肢もない。だから『弱者』なんだよ。それに俺が何かしなかったら、先輩は間違いなくもっと酷い目にあうぞ」

「う……」

「柳――じゃああいつらと戦う以外で先輩をどうやって救う? ここの教師だって保身のために部外者の俺を犯人にして丸く収めようとしてやがった。俺の話を聞こうともしてなかったのに、話し合いが通じるとでも?」

「そ、それは……」

 紅葉も雪菜も焦る心に声が震える。

「……」

 初春はそんな二人を見ながら、以前二人の記憶を消した時のことを思い出していた。

 あの時に――ずっと分かっていたことだったはずだ。

 俺とこの娘達は、住む世界が違う。

 これまでは越してきた俺に道を示してくれた二人への恩の分を返すために、記憶を消してからも一緒にいてしまったが。

 これでは――記憶を消した意味がない。

 俺はこれから起こるようなことを二人に見せたくないからこそ、記憶を消したのに。

 なら、俺は……

「俺達は問題を話し合いで解決できないから『弱者』なんだよ。俺達の言葉は力がない――先生の同僚が俺の話を聞くことなく俺を真っ先に疑ったようにね」

「……」

「先生――前に俺に言ってましたね。君はひとりじゃない、って……その言葉、今日の歩原先輩の前で言えます? この学校で先輩があそこまでやられているいじめ――誰も気付いていないわけないでしょ。でも助ける人が誰もいなかった――そうして自分から目を背けた人間を沢山見ただろう先輩に――そんなことを言えるんですか?」

「う……」

「解決の糸口もないのに話し合いをして時間をかければきっといつか――なんて、今も虐げられている奴にとってはそれで解決する保証がないなら『今は我慢して死ね』って言われているのと同じ――やられてる人間からしたらたまったもんじゃないんですけどね」

「……」

「別に説教する気はない。俺とあなた達は、住む世界が違う――俺はあなた達にそんな生き方の理解を強要しない。けどあなた達はその苦しみが分からないなら、綺麗な言葉を吐かずに見てみぬ振りをしててくれ。糞の役にも立たん」

 初春はそう言って、小さく首を傾げる。

「しかし――あいつを説得しなきゃいけないか……あいつの説得は骨が折れそうだ」

 初春は誰にも聞こえないようにそう呟くと、鞄を担いで踵を返す。

「か、帰っちゃうの?」

「ああ――これから骨が折れる仕事なんでな。先に帰らせてもらうよ。じゃあな」

 そう言ってぴしゃりと扉が閉まる。

「……」

 扉の前に、紫龍が待っていた。

「お前が瘴気を出しているのかと思ってびっくりしたぞ」

 実は紫龍ははじめから――智が落とされた現場に初春が駆けつけたのとほぼ同じ時にはもうあの場におり、ずっと事の顛末を見ていたのだった。

「これから音々を説得しなきゃな――気が重いぜ」

「あの阿呆は、人助けを綺麗なものだと信じておるからな――お前のこれからやろうとしていること、理解は時間がかかるじゃろうな」

「あぁ。今夜は長い夜になりそうだな……」



 美術室に残された三人はしばらく何も言わず――いや、何も言えずにそこに座り込む。

「あいたたた……って感じだね」

 夏帆が苦笑いを浮かべる。

「まあ私のことは返す言葉もないけどね――結局今日は何も出来なかったし」

「……」

 お互い黙り込む紅葉と雪菜の様子を夏帆はうかがう。

「ねえ――さっきから二人は私以上に様子がおかしいけど、どうしたの? そりゃああののんびりしたハルくんがブラックに入ったのは私も驚いたけど……きっとハルくんのことだから最後はちゃんと説得を……」

「ち、違うよ夏帆ちゃん――あんなものじゃないよ……」

「は、早く神子柴くんを止めないと――大変なことになるんです……」


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