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悪党の才能(1)

 格技棟にやってきた4人は剣道部の練習中の道場内へと入る。

 滅多にない外部の来客にはじめは剣道部も驚いていたが、その来客の主が男子に大人気のマドンナ先生の夏帆と、一年生ではトップとも言われる美少女の紅葉と見ると、すぐに表情が引き締まった。

「葉月先生、どうなさいました?」

 男性教師の顧問が色めき立つ男子部員を制して夏帆の前に立つ。

「モチーフに体育の授業で使う剣道の防具一式を貸していただきたいんですが」

「あぁ、いいでしょう」

「夏帆ちゃん道着姿の絵のモデル探してんの?」

「俺達でよければいつでも歓迎だよ!」

 餓狼のような剣道部員達がはしゃいでいる。

「うーん、キミ達みたいな下心がありそうなモデルはお断りかな」

 夏帆は余裕ある大人の笑みでやんわり断る。

「もうモデルは決まっているからね」

 そう言って夏帆は後ろにいる、またスーツを着た初春の方を指す。

「……」

 そう言われた瞬間、夏帆に可愛がられることに対し男子部員達は露骨に初春に嫌悪感を示した。

「はぁ。人間の嫉妬ってのは鬱陶しいぜ」

 それを見て初春は溜め息をつきながら一歩前に出た。

「俺も一方的にそういう視線を浴びせられるのは癪なんでね――先輩、誰か俺と剣道で勝負しませんか? いいところを見せれば葉月先生も考えが変わるかもしれないし、恨みっこなしになるでしょ。勝負して後腐れなしとしたいんですけど」

「何?」

「俺も中学まで剣道やっていましたけど、高校の剣道部のレベルに興味あるし――ひとつ手合わせ願えませんか」

「へえ、道場破りみたいで面白いや、やろうぜ」

 そう言って一人の男が立ち上がった。

「しゅ、主将が?」

「あらあら……」

 夏帆は予想外の出来事に頷いた。

「……」

 だが、傍らにいた紅葉と雪菜の顔色が、さっきの和やかなものとは違う強張ったものになっているのを見て、夏帆は驚いた。

「君、奴は剣道三段だぞ。大丈夫か? 君は何段だ?」

 顧問の先生が心配そうに訊いた。

「俺に段位はありませんよ。生憎昇段試験は金がないから受けたことないんで」

「……」

「まあやってみれば分かりますよ」

 初春は靴下を脱いで、来賓用のスリッパの中に脱いだ靴下を入れる。

「じゃあ防具を貸してあげよう。竹刀は……」

「防具はいいですよ。竹刀は三九(サンク)(竹刀の長さ、三尺九寸のことで高校生用に比べて若干長い)あります?」

「え?」

「な、何? 防具はいらないのか?」

「ええ、先輩は防具ありでいいですよ。俺は無しでいいです」

「し、しかし怪我をする。もし目なんかを突いてしまったら……」

「その時はその時だ。あなた達に何の責任も負わせないって誓約書書いてもいい」

「……」

 格技棟にいる誰もが、初春のことを「こいつ馬鹿だ」と同時に思っていた。

 夏帆も初春のあまりにも突飛な行動を見て、普段の飄々と落ち着いている初春のらしくなさに違和感を覚えていたが、心配の方が勝った。

「は、ハルくん、怪我したら大変よ、防具はちゃんと……」

「大丈夫ですよ葉月先生。中学の時は防具なしで練習もやってますから」

「……」

 だがこの時、紅葉と雪菜だけは他の者とはまったく違うものが見えていた。

 神子柴くん――やっぱりあれは夢じゃなかったの?

 記憶が混乱してずっと思い出せずにいたけれど、あなたは本当は……

 主将が面をつけて首を傾げた。

 剣道三段を取る彼も剣道の経験は長いが、自分が防具をつけた状態で丸腰の相手を試合で叩くという経験がないため、戸惑っているのだった。

「先に言っておきますけど、防具をつけないのは駆け引きや心理作戦の類のつもりは一切ないんで。なので俺に気を遣わずに打ってくる事をお勧めしますよ」

 試合がつまらなくなるのもしらけるので、初春はできる限りの忠告をした。

 初春も古びた三九竹刀を持って道場の中央に立つ。

「……」

 初春は自分の両手に持つ竹刀の軽さに違和感を覚える程だった。普段はこの竹刀の5倍以上重い『行雲』で鍛錬をしている。しかも両手ではなく、片手でだ。

 初春の中学までの練習用だった三六(サブロク)竹刀で、三九竹刀は練習でも持ったことがない。自分の竹刀に比べると随分長いなと感じたが、『行雲』の太刀の姿に比べたら随分短い。

そして――まるで羽毛のように軽く、竹刀の重さを感じない……

「はじめっ」

 顧問の号令で二人は構える。

「おおっ!」

 主将は小刻みに足を動かしながら気勢を上げ、初春のむき出しの体を叩く場所を計っていた。

「……」

 だがそれに比べると初春の構えは実に静かだった。小刻みにステップしながら主将の動きに合わせて体の向きを変えるだけで、はじめの構えた場所から一歩も動いていない。

 正眼の構えも一糸乱れず、剣先はぴくりとも動かない。初春の視線は瞬きも止まり、主将の動きをじっと見ている。

 主将はまだこの時点で防具のない初春を打つことに戸惑っていた。

 強く叩かずともいいように、踏み込みを見せて初春が腰が引けた瞬間に軽く叩いて終わりにしてやるか――相手は一度腰が引けたらもう痛い思いをしないように防御一辺倒で打ち返すような余裕などないだろう、という作戦を立てた。

 主将はじりじりと間を測ると、前に向かい、ダン! と格技棟の床を強く踏み込み、床が震わすような踏み込みで小さく竹刀を振り上げ面を打つ威嚇を見せた。

 だが初春の腰はまったく動じず、緩い面打ちは竹刀を握る握力まで緩め加減になっていた。上段に振り上げた竹刀は初春の竹刀の横薙ぎによってはじき飛ばされ、その反動で脇の開いた胴に向かって、そのまま初春の竹刀が入っていたのだった。

「胴一本!」

 顧問の手が上がる。

「な、何……」

 主将は何が起きたのか分からず呆然とした。

「先輩は優しい人なんですね。生身の俺を打つのが忍びなくて加減して打とうとしたんでしょ。少し脅かして腰を引かせたところを軽く小突いて終わらせようとした」

 主将は初春が自分の狙いを的確に言い当てたことに背筋が凍った。

「言ったでしょ。ちゃんと打つことをお勧めするって。俺はハッタリで防具をつけない勝負を挑んでるんじゃありませんので。もう一本、仕切り直しませんか」

「あ、ああ……」

 主将ももう初春が嘘を言っていないことはわかった。

だが防具をつけていない相手というのは、自分にとっては有利な状況のはずだがなかなかやりにくい。かと言って初春に防具をつけてくれとこちらから言うのは自分の臆病(チキン)ぶりを部員や夏帆達にも見せてしまうみっともない行為だ。主将はもう一度防具なしの初春との立合いを選択した。

「はじめっ!」

 顧問の手が上がり、主将は今度は積極的に動いていく。

 小刻みな打ち込みで間合いを詰めて、ところどころでフェイントをかけながら間断なく攻め手に回る。

 だが初春はその剣を竹刀でことごとく受けていく。まるで柳の枝のような柔らかな剣で、前に来る剣を次々に打ち払っていく。

手数は多いが一発の有効打も決まらない。

 初春が一度も手を出さないうちに開始から一分が経過した。

「主将! 早く打ち込め! そいつは防具がないんだからプレッシャーをかければ」

「主将!」

 剣道部の仲間達から声援が飛ぶ。

「……」

 だが、面の向こうの主将の目は、瞳孔が開くほど初春を凝視した目に、焦りの色さえ浮かび始めていた。

 分かってる――分かってるけど。

 こいつ――まったく構えが崩れないんだよ……

 さっきから何度も打ちかける牽制で腰を引かせようとしているが、まったく足腰が崩れない……

 そしてあの氷のような目――俺の竹刀を持つ手の可動域を全て見破っているみたいに見ている――完全に俺の後の先を狙っているんだ。

 こちらの攻めでできた隙を突くことだけに集中していて、迂闊に手を出せば逆に飛び込まれる――静かな構えと目が意図を読ませず、それがプレッシャーとなって警戒心を煽る。

 そしてあいつ……

 俺がいくら攻め立てても、目を全然閉じないぞ。

 竹刀でぶたれて痛いとか、そういう恐怖がまるでないのかよ……顔を狙っても瞬きひとつせずに剣を見てやがる……

 こいつ――怖ぇ……

 初春の得体の知れない、その不気味なほどの静かさに氷のような冷たさを感じて、主将はぞくりと恐怖した。

 その一瞬に主将の打ち込む戦闘意欲がわずかに崩れた。

 パァンッ!

 その瞬間、初春の目にも留まらぬ面が間合いの外から大蛇のように伸び、主将の竹刀を反応もさせないまま面の頭を綺麗に叩き伏せていた。

「一本! それまで!」

「は……」

 面を受けた主将はその場で尻餅を突いた。

「な、何だあの速い面は……」

 油断したつもりはなかったが、かわすも受けるも、反応すら出来ない初春の面の速さに食らった本人は衝撃を受けた。

「……」

 だが尻餅をついた主将の眼前――主将に目もくれずに竹刀をかざしながらしげしげと竹刀を見つめる初春も驚いていた。

 驚いたな――あんな速い面が行くとは。

 普段の『行雲』の重さに慣れているせいか、全然剣が軽い……

 それに――普段おっさんや火車の動きを見て鍛錬していたし、最近はスケボーの制御のために相当瞬時の判断を鍛えていたからな。相手の動きがちょっと遅いとここまでよく見えるとは。剣も命中の瞬間まで見てもまだ余裕がある程だ。

 紫龍から剣を習って3ヶ月――初めて初春が自身の上達を実感できた瞬間であった。

「……」

 夏帆も目を見開いて初春の剣を見た。

「す、すごい……ハルくんって、こんなに強かったの? 年上の先輩にあっさり……」

「……」「……」

 その強さに、紅葉と雪菜は改めて、記憶を消されたことによる混乱が夢ではなかったことを確信していた。

 神子柴くんが強いことを私達はその前から知っていた。それはつまり……

「くそっ、おい、次は俺がやる!」

「やめろ。あいつには勝てない……」

 主将がリベンジに燃える部員を制して面を取った。

「訓練と場数の量が俺達とは比べ物にならない……防具をつけないのも俺達をなめているとか、勝利を確信しているとか、そんなものじゃ断じてねぇ」

「賢明な判断だ」

 初春は靴下を履き直した。

「……」

 靴下を履きながら、初春は思っていた。

根が優しい分少し剣が鈍っただけで、この人も実際弱くはない。

だが――同じ根の優しさがありながら、あいつの――直哉の剣はこれよりも遥かに上だった。

 あの直哉の力強く、そして速い剣――中学の頃は奴の重い剣を受けるだけで体勢を崩され、俺の剣の売りである、小さな動きからの速い剣を封じられていたが。

紫龍と鍛錬した今の俺ならあいつとの勝負を互角以上に戦えただろうか。

――未練、だな。

 あいつの剣と本気で戦いたいなんて思いもしないほど負け犬根性が染み付いた俺なのに、今更こんなことを思うなんて……



 格技棟から美術室へと戻る道。

 初春は剣道部から体育の授業用にある剣道の防具と袴一式を持っていた。

 一度外に出て、一階の屋根のついた渡り廊下を抜けて校舎へ戻る道。

 テスト期間で部活を早く切り上げる部活も多く、5時を回った校舎はまだ夏の西日が明るいが、人の気配はあまり感じられなくなっていた。

「……」

 しかし紅葉、雪菜、夏帆ともに初春の強さに言葉を失う。

 本当にこの人――何者?

 勉強も剣道も、この学校に通えばすぐに学年のエース級になるくらいの力は既にある。

 何でこの人――これだけのレベルにいるのに学校に行ってないわけ?

「ハルくん、まさか防具をつけずに3年生に勝っちゃうなんて、最初はどうなることかと思ったけど」

「あの人普通の試合なら結構強いと思いますよ。防具つけていない俺を気を遣ったから負けただけでしょ」

 初春はそう言った。

「そういう優しい奴っていますから」

「……」

 妙に実感のこもった言い方に雪菜は気付く。

「でもハルくん、二人からハルくんの何でも屋は本当に何でも出来ちゃうって聞いていたけど、今日のハルくんを見て、それが本当なんだなって思ったよ」

 素直に初春を褒めるしかない――そんな気にさせられる。

「でも、防具をつけないで練習って――それって、中学にいた頃の顧問の先生の指示とかで?」

「いや、自発的にですよ。今時そんな顧問いたら保護者のバッシングすごいでしょ」

「何でそんな危ないこと……」

 紅葉が訊いた。

「俺、臆病者(ビビリ)だったんでな」

「え……」

「ガキの頃はよくいじめられて泣いててさ。だから少しは強くなりたいと思って始めた剣道だけど、面をかぶっても相手の攻撃に目をつぶっちまうわ、相手が痛いと思って打ち込めないわで話になってなかった。愚図を晒して余計に周りから笑われて、雑魚扱いされて――なめられていじめられて――ドツボにはまってた」

「――全然想像できないよ、そんな神子柴くん」

 紅葉が驚いた。

「それを無理やり矯正するために防具なしで、叩かれても目を開けられるように訓練した。相手の攻撃をぎりぎりまで見る鍛錬にもなるしな」

「……」

 淡々と話す初春だが。

 そこまでしなければいけなかったことが、初春が受けたいじめの壮絶さを物語っていた。

 それを淡々と――平気な顔をして話す初春の心の底に。

 紅葉と雪菜は、記憶の錯綜が起こった中心にある出来事――

 鉄面皮の初春が一度だけ心のほころびを見せ、子供のように泣いていたあの時のことを思い出していた。

 あの時、私は……

「ん?」

 二人の思考が同じことを思っていた時。

 初春がひとり渡り廊下の途中で足を止める。

「……」

 辺りをきょろきょろと見回す初春。

 こいつは……

「どうしたの? 神子柴くん」

「――悪い秋葉、ちょっとこれ持っていてくれ」

 そう言うと初春は渡り廊下を脱線して、校舎裏の方へ向かってひとり走り出していた。

「み、神子柴くん!」

 初春が動く時、何かがあることを知っている紅葉と雪菜は、初春のことを追いかける。

「えぇ? ちょっと!」

 その二人の必死さにつられて夏帆も追いかける。

 初春の足は一般の高校生よりも速く、追いかける紅葉達をぐんぐん突き放していく。

 三人を振り切って校舎を回って正門横に体育館を確認。

 初春は体育館の裏手に回った。

 そこには。

 身長190センチ近い男を先頭に4人の男がひとりの小柄な男を囲み。

 先頭の男に腹を掴まれている小柄な男子生徒は、目が据わって白目を剥いていた。

 その白目を剥いた男子生徒の制服のポケットから、片割れの金髪の男が財布を抜き取っているのだった。

 後ろの鉄柵には、ひとりだけ綺麗な黒髪の少年が取り巻きに参加せずガムを噛みながらその様子を笑って見ていた。

「……」

 そうか、さっきから感じていたのはこいつらからか……

 おっさんや火車と訓練して、多少なりとも俺は鼻が効くようになったらしいな。

 まだこいつらはアヤカシに憑かれていないみたいだけど――確かに感じた。

 こいつらの『瘴気』を。


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