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追憶~俺は人間よりももっと、嫌いなものがある

この回はお食事中及び、食前食後の閲覧はご遠慮ください。

「――やれやれ、すっかり遅くなっちまったなぁ」

「全国大会に出るっていうから生徒会の仕事をためちゃってたもんね」

 少年と結衣が生徒会の引継ぎのための仕事をまとめ終えた頃には、もう時間は午後の6時近くになっていた。まだ真夏なので外は明るいが空は群青色の夕暮れが広がり始めた頃である。

 部活に来ていたテニス部やサッカー部の連中が校庭で片づけを始めているのが、生徒会室の窓から見える。

「――帰るか」

「うん」

 少年と結衣は職員室に向かう。

「私、鍵を職員室に返してくるよ。ハルはちょっと待ってて」

「――ああ」

 結衣は少年を置いて職員室に入っていく。

「……」

「おい、神子柴」

 不意に少年に声をかけてくる者がいた。

 少年は声の方を向くと、練習終わりに上がってきたサッカー部の連中が3人、ユニホーム姿のまま、少年の方へ向かって来ていた。3人とも中肉中背の少年よりも体が一回り大きい。

「全国大会のヒーローさん。ちょっと連れションでもしねぇか」

 先頭のサッカー部の主将が近くのトイレを指差した。

「……」

 廊下の後ろを見ると、少年の背後にも二人サッカー部の部員がいた。

「ユイを待たせてるんだよ。別の機会にしてくれないか?」

「すぐに済むよ、ほら」

 そう言って部員達は無遠慮に少年の両腕に手を回して、強引に少年の体をトイレへと引っ張っていった。

「――ちっ」

 結衣の名前を出したことに、連中は明らかな不快感を示した。

 少年がトイレに連れられる。少年の背後にいた二人はトイレの中には入らずに、表に立っていた。

「……」

 少年は入ってすぐに外でドアを抑え込んでいる二人のことを確認した。勿論そうすることは初めから分かっていたが。

「……」

 当然一緒にトイレに入った3人も小便器などには向かわず、入り口のドアに寄りかかる少年を囲んだ。

「日下部さんのことを、ユイなんて呼んでんじゃねぇよ」

 真ん中にいる主将が少年に言った。

「生徒会だ剣道部だ幼馴染だと並べ立てて、テメエが日下部さんの前をいちいちしゃしゃってんのが目障りで仕方ねぇ」

「お前日下部さんに気があんの? 成績も大したことねぇ、何の取り得もねぇ上に、嘘ばかりついてるお前なんかが幼馴染だからって日下部さんの傍にいたら、日下部さんの株まで落ちるんだぜ。身の程を知って身を引けよ」

「日下部さんはみんなのアイドルなんだ。そんな日下部さんに近づくんじゃねぇよ」

 強い口調で口々にそう言った。

「……ふ」

 少年は、自分に向けられている激しい怒りとは裏腹に涼しい笑みを浮かべた。

「何が可笑しいんだよ!」

「――いや、人間ってのは今日も今日とて醜いなと思ってね……」

 少年の声は酷く落ち着いていた。

「今の理屈でお前達が俺をここに連れ込んだなら――俺と同じ立場の奴がもう一人いるじゃないか。お前達が言ったとおり、成績も大したことのない嫌われ者の俺なんかよりも、もっと結衣を独占しそうな奴が――俺なんかよりも真っ先に喧嘩を売らなきゃいけない奴がいるだろ」

「……」

「――そう、ナオのことだ。この学校のアイドルを射止められる一番の可能性のある男は、間違いなくナオだ。その理屈であればお前達は真っ先にナオに喧嘩を売らなきゃいけない――だが――お前等、ナオには喧嘩売れないんだろ? ナオをこうして集団でトイレに拉致ったなんて噂になりゃ、一気にお前等全校の敵だ。だから俺を選んだ」

「……」

「ナオは傷つけていけない人間で、俺は傷つけてもいい人間か――そう判断した理由は何なのかは別にどうでもいいがね……」

「……」

「いずれにせよ、お前達がその時点で弱そうな奴を選んで憂さ晴らしにそういうことをしているってのはよくわかるよ。これでナオも一緒にここに連れ込んだのなら、あいつに危害が加えられる前に俺がお前達に謝ってもよかったんだがね」

「何言ってやがる」

「俺は人間が嫌いだ。卑怯で卑屈で他人をいたぶることでしか自分の優位性を感じて安心できない――だがな、俺はそんな人間よりも嫌いなものがある。それは――弱者を踏みつける弱い者いじめだ」

 そう静かに言った次の瞬間。

 少年の右にいた部員は、少年の放った速い蹴りにより顎を蹴られて吹っ飛んでおり、その捻った体をすぐに立て直すと今度は左にいた部員の膵臓に向かって正拳突きを繰り出していた。

 その間のスピード、わずか3秒。

 共に人体急所を狙われ蹴りを食らった方はトイレに這いつくばって体を痙攣させ、膵臓の一発を食らった方は膝をついて咳き込み、胃液を嘔吐した。

「集団で囲んでいるって安心感があるってのは――奇襲や不意打ちってのを確実に成功させるな」

「どうした何があった!」

 ドアを抑え込んでいた外の2人が、中で聞こえる少年の悲鳴以外の声に慌てて声をあげた。

 だが。

 ドアを開けた瞬間に少年はそのうちの一人のこめかみに突進しながらフックを入れ、倒れる一人を見向きもせずにもう一人の首を掴んでトイレに連れ込み、壁に叩きつけて腹に膝蹴りを入れた。

「あ……ぐぐ……」

 トイレに連れ込んで1分も経たないうちに、床には4人の男が転がった。

「ドアを開けて、状況を確認しようとした瞬間は完全に無防備……攻撃してくださいって言って飛び込んでくるようなもんだぜ」

 少年は足元に転がった二人を見下ろして、それからただ一人無事な主将を睨んだ。

「しかし――お前等、俺のことを警戒してなさすぎだな。集団で囲んでいるからか、俺を弱いと思っていたのか、自分達がサッカーで日ごろ鍛えているから強いと思っていたのか……その理由もどうでもいいが」

「う……」

「俺が人間が嫌いな理由も一つがそれでね。ライオンやチーターが獲物を狩るのだって、自分よりも弱い相手を選んで狙っているがね……だが、彼等は獲物が抵抗することを知っている――ライオンはシマウマに蹴り殺されることだってある。ライオンは自分が常に無傷で狩りを成功させられるとは思っていない、自分が傷つくことも想定して他者を蹂躙しているんだ。人間だけが自分が傷つこうともせずに相手を傷つけやがる――最低の生き物だな」

「う……」

「こうして4人が早くも俺の足元に転がっている原因は、そういう警戒心が根付いてない証拠――自分が本当に傷ついたことがない奴の贅沢の結果さ」

 主将は息を呑み、次の瞬間、ドアの前を塞ぐ少年を体をぶつけて突き飛ばしてそのままトイレから逃げようとした。少年と主将はかなりの力の差もあるし、この主将はセンターバック――フィジカルには自信があった。

 だが。

 少年は主将の突き飛ばしを受けてもびくともせず、主将は近づいた際に腕を取られて体をがっちりと羽交い絞めにされてしまった。

「仲間見捨てて主犯が逃げるとか――俺の嫌いな人間像そのものだよ、お前」

「う……」

 すごい力で体の関節を抑えられているわけではない。少年は相手の力が入りにくい体の抑え方をしているのである。

「う、あ、話が違うだろ、こんな奴が……」

「お前みたいに俺を嫌ってる奴は多いんでね。場数はお前等よりもずっと踏んでるぜ」

 そう言って少年は主将の体を抑えたまま、トイレの扉を蹴り開けた。

 和式トイレの上には、見事なフォルムをした竹輪大の茶色い大便が流さずに放置されていた。

「さっきから臭っていたんで分かっていたが、用意のよろしいことで……純粋な悪意って奴は、見境がないから恐ろしいぜ」

 それを見て少年は笑った。そのまま主将の体をねじ伏せるようにしゃがませ、左手を抑え込んだまま、少年の右手は主将の後頭部を抑えつける。

「表に見張りを立たせていたってことは、長時間俺をいたぶって愉しむ気満々だったってわけだ。そしてご丁寧にこういう用意がしてあるってことは、当然俺をこうするつもりだったんだろうな……」

 少年は右手に力を込めて、主将の頭を和式トイレの中に近づけさせた。

「ひいいいいいいいいいいいっ!」

「そうか、そんなに声を上げるほど楽しいか」

 静かな声で少年は言った。

「や、やめてくれ、やめてくれえっ!」

「何で? お前、俺にこうしようとしてたんじゃないの?」

 少年はもう一度グイッと力を込める。もう主将の顔は大便とキスする5秒前という至近距離まで来ていた。

「自分がやったら愉しいけど、自分がやられたら悲鳴を上げるほど嫌なの? じゃあ何でそんなものを他人に勧めるの? 人が嫌がることはやらない――小学校で習わなかったの?」

「……」

「それに、俺はここに来る前に言ったよ。ユイを待たせてるから別の機会にしてくれって。それをお前らが無視したから俺はこんなことをする羽目になってるんだよ。俺にやめてやる理由がないんだけど」

「だ、誰か! 誰か助けて!」

「お前等見張りを立てて俺が助けを呼べないようにしてたのに、テメエが劣勢に立てば助け呼ぶのかよ」

 少年はは足で蹲る主将の横腹を蹴り上げた。

「ガハッ!」

 少年の蹴りはその痩身の風貌からは想像がつかないほど重く、たった一撃で自分の体の何かが壊れるのが伝わるのが分かった。

「見張りなんぞ立てずにここに連れ込んだ瞬間に5人で一斉に潰しにかかればよかったのになぁ。そうしてくれりゃ俺もまだ慈悲の心も持てたが――愉しむ上にお咎めもなしに他人を玩具にしようなんてされちゃ、もうこうするしかないよなぁ」

 もうみっともなく叫びを挙げるだけの主将。

 そんな主将を少年は愉悦もなく、淡々と見下ろしていた。

「――楽しいかよ。こんなことして」

「うわあああああああ!」

「俺はちっとも楽しくないがね……弱い者いじめなんかしても」

「あっあっああああああ!」

「俺とお前でこうも違うのは、俺がMでお前がSだからか? まあそれもどうでもいいが……」

 少年は面倒臭くなってそのままとどめの一押しをし、主将の顔を大便に埋めさせた。

「うぎゃああああああああっ!」

 主将の断末魔の悲鳴を上げる。

「俺相手の恨みのみであれば、弱い者いじめは見るのもやるのも嫌いなんでね。ここまでしなかったが――お前等みたいな危険なのがユイに近づくならこうしておく――ユイに近づく悪意は、念のために摘んでおいた方がいいしな」

 少年はそう言って主将の髪を掴んで和式トイレから顔を引き上げて、糞のついた顔を自分と正対させ、もう片方の手で携帯電話を取り出した。

「言っておくがお前らが喧嘩を売ってきた音声ってのは俺の携帯に録音した。教師に泣きつくような真似をするなよ。俺が怒られるのはどうでもいいが、一応俺はまだ生徒会の副会長だ。ユイに迷惑をかけたくないしな……」

 そう言ってぽいと主将の体を投げ捨てて、少年はトイレを跡にした。

 職員室の前に結衣がいなかったので、少年は階段を下りて3年生の下駄箱に向かった。

「あ、ハル! どこ行ってたの?」

 結衣はそこで少年を待っており、少年の姿を見るや少し怒ったような反応を示した。

「――悪い、ちょっと生理現象」

「なんだ、すっぽかして帰っちゃったかと思ったよ」

 結衣は安心したように微笑んだ。

「……」

 その結衣の微笑みを見ながら、少年は考えていた。

 直哉と結衣は――確かにいつも俺のことを待っていてくれた。

 自転車に乗る時も、逆上がりをする時も……二人はすぐにできるようになったのに、いつまでもできない俺を待っていてくれた。

 そうして自分が迷惑をかけていると思って、何度も奴等から離れようとした。

 さっきの連中も言っていた、俺と一緒にいると株が落ちる、っていうのは嘘じゃないんだ。

 だけど――

 どれだけ離れようとしても、直哉も結衣も俺についてきた。

 それが何故なのか、俺もいまだによく分かっていない。

 そして――どれだけ逃げてもついてくる2人を見て、俺は思った。

 俺のせいでこのお人よし共が悪く言われるのは――さすがに忍びない。

「帰ろう、ハル」

「ああ」

 そう返事する少年は自分の携帯を覗き込んだ。

 携帯のボイスレコーダーは、先程の音声を保存する場合は過去の音声をいくつか削除してください、という表示を出していた。


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