今すぐ退治したいの!
夏帆のマンションに来た初春は、早速上半身の服を脱いで、彼女の言うとおりのポーズをとっていた。
学校から帰ってきたばかりの夏帆は外行きの服装を脱いで、少し大きめのシャツにショートパンツという格好で待っていた。
今日は机に向かって鉛筆を持ち、何か書き物をするというポーズを指示された。
「普通裸で机に向かう奴はいないんじゃ……」
「折角だから色んな場面での筋肉の陰影とかをじっくり見たいのよ」
「……」
まあただ腕を上げているよりもこちらの姿勢の方が楽だ。初春は黙ってその姿勢を取った。
もう7月になろうとしている部屋は夕暮れ時で、裸になっている初春に考慮して点いている冷房は弱めだ。
「あ、そうだ。どうせ本とか開いてていいならちょっと読みたい本があるんで、持ってきた本を開いててもいいですか?」
「ん? 勿論いいよ」
「助かります」
昼食の素麺を家で食べて軽く体を休めた後、2時頃から夏帆との待ち合わせまでの時間を潰すために初春は図書館に行っていた。
初春は自分の持ってきた鞄から本を取り出して、机の上に広げた。
「どれどれ、ハルくんはどんな本を読むのかな……」
夏帆はひょこりと机の近くに首を出す。
そこにはチェックの入った数式や図解に加え、初春自身の書き込みも施された分厚い本があった。
「物理の――参考書?」
意外なチョイスに夏帆は驚いた。
「エネルギー保存の法則と、ボイル、シャルルの法則……懐かしいけど何のことだかもうわかんない……」
「葉月先生って、歴史の教科書の肖像画に落書きしてたタイプでしょ」
「黙秘権を主張しまーす」
夏帆は冗談めかして笑った。
「……」
しかし初春は思っていた。
こんな部屋に男を連れ込んで、思いっきり部屋着に着替えて、しかもショートパンツとか……大き目のシャツは楽そうだけど、少しかがむと中の素肌が首元から少し……
自分に対して無警戒過ぎて、この時点で夏帆が教師だということを失念しそうだ。
この部屋に来ると、妙に目の前の夏帆のことを女性として見てしまうようになる。
別にその気はないが――妙な気持ちになる。
紫龍にはこの煩悩を克服するには俺はまだ修行が足りないと言われたけれど……
夏帆の存在に自分の何かが刺激されるようで、落ち着かなくなる……
――ポーズを取ると夏帆もすぐにデッサンを始める。部屋は静かになり、初春がたまにページをめくる参考書の紙の音がたまに聞こえる。
「でも、勉強もやってるんだ」
夏帆がイーゼルに立てかけたキャンバス越しに話しかける。
「一応高卒認定を取るつもりですから」
「――そうなんだ。大学か専門とか、夢とか決まっているの?」
「……」
「まだ考え中かな。でももしそういう学校に行くなら、ハルくんはいつかこの町を出るって事になるね……」
夏帆は初春の体つきをデッサンしながら、初春の目をじっと見る。
「髪が鬱陶しくて見えない……」
夏帆は初春のボサボサに伸びきった髪を見て小さく漏らす。
でも――細身だが鍛え抜かれて絞られた筋肉質の体に、普段は上の空とも取れるけど落ち着いた表情、一見ぶっきらぼうだけど昨日の仕事振りを見る限りなかなか気配りも効くみたいだ。
少なくとも自分の神庭高校の教え子にはない独特の空気がある。
それに二人が言っていた、依頼を何でもこなしてしまうような不思議な力がある。
なるほど――こりゃ女の子から見たら結構もてるタイプだね。
「あれから秋葉さんと柳さんにハルくんの事を結構聞いたんだよ」
「――分かりますよ。今日連絡入れたのだって、俺から二人の話を聞く気なんでしょ」
初春は連絡が来る前から、今日当たり夏帆の連絡が来ることを何となく予想していた。
「あ、わかった?」
「昨日職場ですげぇ面白そうな顔をしていましたからね」
この人は感情が表情にすぐ現れる。俺の人間に対する『嫌な予感センサー』はこういうのによく反応するんだ。
「ふふふ――女子が最も盛り上がる話題だからね。コイバナって」
「……」
知っている。直哉と一緒にいてそういう女子から随分と風評被害を受けた。俺はいわば直哉という花の周りを飛ぶ害虫のように扱われ、『ウザイ』『邪魔』――挙句には『死ねばいいのに』と殺虫剤のような罵声を浴びせられた身だからな。
だから初春は、コイバナをする女のノリが苦手だ。
「で? ハルくんはどっちか気になってるの?」
「は?」
「秋葉さんなんかすごく可愛いよね。結構学校では人気あるみたいよ。まああの凶器のような胸を持ってるしね……何であんなに発育いいのかしら」
夏帆は自分の胸の両手を当てる。夏帆も紅葉に比べたら小さいが、それでも十分ある。
「俺に言われても……」
「柳さんはちょっと幼児体型だけど、肌も髪も綺麗よね。メイクとかファッションにあまり自信がないみたいだけど、絶対お洒落したらもてちゃうと思うな」
「……」
「で? ハルくんはどっちが好みなの?」
夏帆は早くもニコニコ顔になる。
「大丈夫、私これでも結構口が堅いから。二人には内緒にするから」
「――別にそれはどうでもいいですけど」
初春はポーズを崩さず、夏帆の方を見ずに言う。
「どっちがいいかとか俺が選ぶ前提じゃないですから。秋葉や柳は俺とは住む世界が違いますし」
「住む世界?」
「両親もいない、学歴もない、金もない、身元の保証もない――昨日先生が来たファミレスでそんな俺がなんて呼ばれてるか分かります? 秋葉の母親には犯罪者予備軍扱いされてますし、俺が側にいても両親に心配させるし、株が落ちるだけでしょう」
元々初春には、紅葉や雪菜と必要以上に仲良くする理由がない。
紅葉とは最初に借りを作ってしまって、それを返すために腐れ縁が続いた。雪菜は『ねんねこ神社』を作る際に相手の反応を見るテスト役に選んだ。
そして、花見の件で紅葉への借りは返したし、『ねんねこ神社』の枠組みが完成し、雪菜の礼は先日の依頼で果たした。
それに……
腐れ縁が続くのであれば記憶を消した意味がない。
これまでは記憶を消す前の借りがあるから、必要以上に関わってしまったが……
もうそれがない以上、必要以上の接触に前向きではなかった。
「でも昨日のハルくんを見る限り、ハルくんはもてるタイプだと見受けるけどなぁ」
夏帆は粉かけを続ける。
「二人に聞いたけれど、ハルくんは何でも屋の依頼も何でもこなしちゃうんでしょ? おまけに料理も出来て、気配りも出来るとなれば、女の子は放っておかないんじゃないかな」
「……」
「もしハルくんが、あの二人かそれ以外の女の子にも『好きだ』って言われたら、どうする?」
「さあ。言われたことがないんで考えたことないです」
初春は即答した。
「水は方円の器に随う――俺に動く選択肢はないし、相手の行動でその形を変えます。起こっていないことを考えても意味ないですから」
「そうか、好きになられると迷惑ってことじゃないんだね」
「迷惑? どうなんでしょうね」
「……」
夏帆は何となく分かってきた。
ハルくん――気付いてないんだ。
自分がもてる可能性を秘めたタイプだってことに。
そして夏帆が見抜いたその真実こそが、初春の長所であり短所――
思想のなさである。
中学時代に剣道部で全国大会に行っても、学年トップクラスの成績をとっても初春の自己評価は低いままである。
現在の環境にいることもそうだが、直哉に常に比較され、ボロクソにこき下ろされ続けて10年余り――他人は直哉の助けや何らかの不正を疑う始末であり、初春にとって自分が評価されないことはもう当たり前のことなのである。
もうそこに対して何も考えないことが染み付いている。
小さな頃にそうして自分を守ったのだ。全てを聞いて相手にしていたら心が壊れる――それほど初春の幼年から直哉と比較されての罵声は辛辣で人を人とも思わぬものであった。
「……」
その受け答えをしている間に、初春は思っていた。
二人の記憶を消した時――
俺は秋葉と柳に対して酷い気分にさせられた。
二人は俺を『友達』と呼んだ。
俺もこの町に来て、確かに二人に救われたのに、俺はそれに向き合わなかった。
だがもう数ヶ月が経ってみると、その時の痛みにも慣れてしまっている自分がいる。
どうしてそうなってしまうのか、今朝の出来事を経て分かる。
俺は仮に秋葉や柳と恋をしたとしても、その先に何をしたいかという思想がない。
あの二人に何も求めているのか分からないのか、知らないのか――
とにかく『何もない』のだ。
それは多分、俺が今でも思っている結衣にさえも……
この想いに対して、俺は結衣とどうなりたいのかという先の思想がない。
キスをしたいだとか、抱きしめたいとか、上手く想像できない。
自分の欲しいものが手に入ったという経験がないから、それを手に入れた時のことが実感として伴わない。
ただ――ひとつ結衣にだけあるものがあるとすれば。
俺はあいつを……
参考書に目を落としながらそんなことを考えていると……
夏帆はデッサンをやめて初春の前に近付き、初春の両の頬をそれぞれの手で包み込み、顔を上げさせた。
「は……」
「なーんかもやもやする」
顔を近づけて、じとっと初春と睨み付ける夏帆。
「は?」
「人の好意や善意を怖がってる――特に女の子を。そんな感じかな。こりゃ特別授業が必要かな……ハルくんには」
そう甘く囁くと、夏帆は右手で初春の首元を軽く撫でて、左手で小さく初春の顎を上げさせた。
「ハルくんに女を教えてあげるよ――目、つぶって……」
「はぁ?」
「いいから」
気色ばむ初春に、夏帆は甘く小さな声で囁く。
「……」
近くにいる夏帆の体からはほのかに石鹸のいい香りがして――夏帆の掌はほのかに温かく、その暖かさは梅雨時のじめじめした暑さの中でも心地よく感じた。
そんな空気に妙に心地よくなっていた初春は、夏帆の強い目にわけも分からず目を閉じてしまっていた。
暗闇の中、自分の心臓の音が聞こえる――
こんな心臓の音、初めて聞いた……
って、これで俺は何をされるんだ?
まさか……
そんな妄想が初春の思想のない脳を錯綜しだした頃。
「えいっ」
初春の薄い頬を夏帆の指がつまみ上げていた。
思わず初春は目を開ける。
「キスされると思ったんでしょ?」
「え……」
「首筋を触って脈を見てたけど、ドキドキしてたね。ハルくんもエッチだなぁ」
「……」
正直図星を刺されて初春はとても恥ずかしくなる。
「ふふ、今のハルくんの顔、すごく面白いよ。このこの」
夏帆はしてやったりという顔で初春の頬をつねって左右に引っ張って動かした。
「や、やめてくださいって」
初春は今の照れた顔を見るのが無性に恥ずかしくなり、夏帆の手を振り払って目を背けた。
「あはは、でもちゃんとハルくんも女の子にドキドキできるんじゃない」
「は……」
「こんなこと言ったら気分悪いかもしれないけどさ。すごいと思うよ、ハルくんは。15なのに自分で働いて、ひとりで身の回りのことをやって生きていかなきゃいけないって、私がハルくんの歳だったら出来なかったもの。って、ハルくんより料理できない私じゃ、今もハルくんより出来てるか怪しいけど」
「……」
「だから、そうしているのって何か理由があって――すごく大変なことだと思うんだけど、恋愛を『しない』っていうのと『出来ない』は違うから。ハルくんにだって心のままに動いていい時が来るから、それを頭から否定しないでほしいかな」
「……」
「とりあえず、秋葉さんと柳さんのことは信じてあげてよ。あの二人は少なくとも、ハルくんの今の境遇のことでハルくんを差別したりなんかしてない――それだけは分かってあげてね」
「はぁ……」
生返事をする初春は、そんな説教をされる理由がまだ分からなかった。
「ふふ――でもようやくハルくんの仏頂面を崩せたぞ。勝った勝った」
夏帆はそんな呆気に取られた初春の顔を見て、満面の笑みで小さくガッツポーズした。
「……」
――失態だ。
でも――この人、いつも笑ってるな。
俺と一緒にいてこんなに笑っている人を見るのは初めてだ。
この人の屈託のない笑顔を見ていると、何だか……
「でもハルくん、もうちょっと身だしなみを気をつけた方がいいかな」
しばしぼうっとしていた初春に夏帆がそう言うと、初春に手を伸ばして前髪に手を伸ばした。
「特にこの髪の毛! あまりにも放置しすぎかな! 昨日も客商売をしていて接客もよかったのに、この髪の毛で割と台無しだったよ! さっきから私の筆もこの鬱陶しさが気になっちゃってね! 今すぐ退治したいのこれ!」
憎らしさのこもった声で言う。そう言うと夏帆は自分の作業机からすきバサミを取り出した。
「よかったらその髪切ってあげるよ。いつものお礼に」
「え?」
「ハルくん、服装とか髪型とかもっとちゃんとすれば、きっとモテちゃうよ」
「……」
その言葉、どこかで聞いたことがある気がする……
「そりゃ俺としては散髪代が浮くから助かりますけど――いいんですか?」
「いいのいいの。これもいい絵を書く作業だから。じゃあちょっと待っててね」
そう言って夏帆は自分の家に、絵を乾かしたり、湿気を防ぐためなどに補完してある新聞紙を作業室の床に隙間なく敷き詰め、それらをテープで止めて椅子を置いた。
初春は上半身裸のまま椅子に座っている。
「ふふふ――人の髪の毛を切るって一度やってみたかったの」
「は? てことは一度も髪を切ったことないってことですか?」
「そうだよ。でも大丈夫! カッコよくしてあげるよ」
「……」
まあタダなんだから文句は言えないか――それに俺自身もそれほど自分のルックスにあまり興味はないし、俺やセンスの古い音々が切るより美術教師の夏帆の方が信頼できるか……
「お客さん、じゃあしばらくじっとしていてくださいね」
夏帆は初春の髪にハサミを入れていく。
「ハルくんの髪の毛――柴犬の毛みたいだね。私の実家で飼ってた犬を思い出すわ」
「――褒められてるのかわかんないんですけど……」
「ふふ、沢山髪の毛を切れるからテンション上がるなぁ……楽しい」
「……」
前に置かれている姿見に映された鏡に映る自分と夏帆の姿。
そう言えば、結衣にも最後の方で言われたっけ――もっと髪型とか服装をちゃんとすれば、って。
この人といると、何だか結衣と一緒にいるような気持ちになる……
こうして髪を切ってもらったりするのって、俺はいつも抵抗があるのだが。
何となく、今は嫌じゃない。
それどころか……
「どれどれ……」
ある程度髪を切ると、夏帆は初春の前に立って全体のバランスを確認する。
「!」
夏帆が少し屈んだ時、初春の視界に夏帆のTシャツの首元から嘉穂の艶かしい肌――そしてその奥にわずかに夏帆の下着も着けていない胸の膨らみが見えてしまう。
初春の心拍数が早まり、額や頭の汗腺から汗が噴出したのが感覚で分かった。その頭に触れている夏帆の指にその汗が噴出したのがばれていないかと思う程汗が出た感覚である。
な、何やってるんだよ俺は……
初春はもう醜態を晒さないように目を閉じることにした……
もう変なことは考えるな……素数でも数えてりゃ終わる……
「よーし、段々コツが分かってきた」
夏帆は手応えを感じてきたので、邪魔な部分を完全に切るために普通のハサミを手に取り、前髪の目にかかるような部分を切っていく。
「どうかなハルくん、今のところ」
夏帆が聞くが、初春は答えない。
「――ハルくん?」
夏帆がもう一度声をかけ、初春の前に立つと。
初春は目を閉じて、静かな寝息を立ててそのまま眠っていた。
「あれ――寝ちゃったのか。仕事で疲れてるのね……そんな素振り見せなかったけど」
部屋が静かになる。
「……」
夏帆は随分短くなった初春の髪の毛を撫でる。少し癖がある毛は清潔にしてはあるが手入れはあまりされておらず、少しごわごわと固かった。
「ふふ……」
夏帆は初春の見せた隙に笑いながら、初春の髪をぽんぽんと撫でていた。
「――頑張れハルくん。えらいえらい……」
「ただいま」
「お帰りなさいハル……」
初春の帰宅が遅いので心配していた音々は玄関に出迎えると言葉を止めた。
「ん? どうした?」
「いえ、ハル様の髪の毛……」
「葉月先生が切ってくれたんだよ。それでちょっと遅くなっちまった」
初春は居間に入っていく後姿を、音々はじいっと見つめる。
夏帆の趣味だけでベリーショートツーブロックになった初春は額を出して細身の体に小さくなった分顔周りがすっきりしてバランスがよくなり、全体の印象のよさが格段に上がっていた。
まるで変身でもしたかのように音々には見えたのである。
「へえ、さっぱりしたじゃないか」「さすがにあの髪は鬱陶しかったからな」
居間に来ていた中級神や妖怪達も好印象であった。
時計はもう10時を過ぎている。あれから初春は二時間ほど眠っており、予想以上に帰るのが遅くなってしまった。
「明日も仕事は昼からか――のんびりしすぎて今日はすぐ眠れそうにないし、もうちょい練習しておくか」
そう言って初春は台所でコップに水を汲み、また指先で水を固定し、プリン状にして引っ張り上げる所作の確認をする。
「お前、その能力の使い道が分からんと音々に漏らしておったそうじゃな」
それを見ていた紫龍が徳利の酒を飲みながら言った。
「音々――話したのか」
「すみません。でもハル様の神使の能力は私よりもお師匠様や比翼様や、神獣を従えている方の方が詳しいので、皆さんの意見も参考になるかと思ったので……」
「ふん、そんなことを言いつつもお前、いくつかもうその水や風の使い方を考えておるのだろう?」
「え?」
「はじめに水を出した時、お前は何かに閃いたようにその術に興味を持っていた。そしてお前がその術で真っ先に試したのは、人間に自分の出した水が感じられるかどうかだった。その時点でまったく考えていないってことはなかろう」
「そうなんですか?」
「――とは言ってもまだ試作の段階だ。それに使うイメージは出来ているが、それを何に役立てるか――目的までは考えてない」
「へえ、じゃあいくつか考えていることがあるのかい」
「あぁ――おっさん、酔っていてもいいからちょっと考えてるのを少し見てくれないか? 火車もちょっと付き合ってくれないか?」
「む」
紫龍はぴくりと反応する。
「儂と火車を相手にするということは――戦闘用か」
「使えそうなら他でも使うつもりだけどな……あんたの力をこの術で止められるとは思えないけど」
「いいだろう」
紫龍は酔ってはいるものの、庭に出て行く。初春も玄関で靴を履き替えて外に出る。
紫龍は戦神として、初春の考えた戦法に興味があった。
初春の戦闘に対する勘の鋭さや生存確率の計算の正確さと徹底振り、飲み込みの早さなど、初春の戦闘の順応性に対し、紫龍は教えがいすらわずかに感じていた。
「じゃあいくつか試してみるけど……」
10分後。
水に濡れた土の上で、初春は尻餅をついて息を切らしていた。
「はあ、はあ……まああんたの『青龍』や『玄武』を止められないのは分かってたけどさ……」
「……」
縁側や居間でその様子を見ていた音々や比翼達。
そして初春と対峙して打ち負かした紫龍と火車の息子が言葉を失った。
「何とまあ――こんなわずかの水と風だけで、ここまで凶悪な力にするとはね……」
「――今のところ考えてるのは一応こんなもんなんだけど、どうかな」
初春は紫龍に訊いた。
「お前――やっぱり人間に使うことを最初から想定しておったのじゃな」
初春の術を紫龍は難なく破ったが、それは勝者の顔ではない。
「この術――儂ならともかく精度が上がれば人間相手には悪魔の技となるじゃろうな……」
「そうか、結構いけそうか。方針は間違ってないってことだな。じゃあこれからはこの軸で精度を上げていくか……」
「神子柴殿――あなたはこの力が身についた時から、この使用法を考えていたのですか?」
火車の息子も恐ろしさを感じながら訊いた。
「まあ色々水や風のことを勉強してからだけど、俺はこの能力を初めて認識できた時に気に入ったぜ。それは……」
「……」
その理由を淡々と話す初春を、音々は複雑な表情で見ていた。
ハル様――最初から人間を救おうとする気などなかったのですか?
私とハル様の見ているものは――まったく反対のものなのですか……




