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こいつは強過ぎるな

「ギィッ!」

 アヤカシは悲鳴をあげる。

 初春はアヤカシに投擲したヨーヨーを一度消して紐を巻き取る時間を短縮。

 夜の闇に溶けるようなその小さな体でムササビのように飛行し、闇に隠れながらアヤカシは、自分がターゲットになったことを悟って身を隠そうとする。

 初春は右手でもう一度持っていたヨーヨーを投擲。ムササビ型のアヤカシはそれを左に旋回してかわす。

 だがその旋回した先を、初春の左手が投げていたヨーヨーが飛んできており、アヤカシは背中にヨーヨーを直撃させた。

「ユキクモ」

 空中でバランスを崩してふらふらと高度を落とすアヤカシに一気に走り寄り、距離を詰めると太刀の形になった『行雲』を両手で振り下ろした。

『行雲』の一の太刀は切れ味鋭くムササビの体を真っ二つに切り裂くと、ムササビの体は白い光を纏ってはじけるように空へ昇って行った。

「四分二十三秒――まあまあじゃ」

 そう言って空の上で見物していた紫龍が降りてくる。

「『行雲』の限界時間のぎりぎりじゃが、よく動きを捉えたもんじゃ」

「避けたところを狙うってのはあんたに教わったし、動きでの揺さぶりの対策は火車との追いかけっこでずっとやってたからな。火車に比べたら的は小さいけど遅かった」

 初春は『行雲』をアクセサリーに戻して首にかける。

「ヨーヨーも普通に投げるだけならコツも掴んできたし結構使えるね。もう少し棘が出るとかギミックを考えてみるかな。受けられなくても消せばいいわけだし。十分飛び道具の代わりにはなりそうだな」

「……」

 淡々と言うが、まだ鍛錬をつけて二ヶ月ちょっとだというのに上達が著しい。

 癪で認めたくはないが、紫龍は初春に新たな手を仕込んでいくことが楽しいと感じていた。戦神として大きな戦いを捨て、衰える神として自堕落に生きていた紫龍であったが、初春との手合わせの中に、昔の戦神としての自分の存在価値をもう一度思い出すような想いで鍛錬に付き合っていた。

「それにしても――あんな奴が人間に乗り移っていたっていうのか」

 初春は傍らの自動販売機を見つめる。夜道に煌々と輝く自動販売機の明かりの陰に人影があり、そこには小太りの男が寄りかかって気を失っていた。

「瘴気が出ているから、あんたが瞳術(どうじゅつ)でそこの奴を眠らせたら、さっきのが飛び出して」

 初春は瘴気を察知した紫龍に呼ばれ、実戦の機会がありそうだということで雷牙の背に乗って神庭町の田園地帯に降り立った。その瘴気の中心にいたのがこの自販機に寄りかかって眠っている男だった。

 紫龍はしゃがみこんで男のパンパンのジャージのポケットから何かを取り出した。

 それはフリルのついた女性のブラジャーである。どう見ても新品ではない。

「――おいおい」

「さっきの奴はアヤカシ――アヤカシというのは本来力が弱いが、このように人間に取り憑くとこのように『魔が差す』のじゃ。お前が桜を咲かせるために戦った小鬼なんかは元は妖怪じゃが、妖怪も瘴気に中てられるとあのように凶暴化することがある。だから見つけたら即斬ってしまうのが一番じゃ」

「……」

 初春はその言葉を聞きながら、気を失っている小太りの男を見た。

「『魔が差す』ねぇ……」

「ん?」

「人間の悪事は全てアヤカシのせいで――俺は悪いのは全てアヤカシで、人間は本当は悪くないって考え方は出来ないけどな」

「……」

「仮にこれに取り憑かれて殺される人がいて――殺した奴を恨むことも出来ないなんて辛過ぎるじゃないか……」

 天界にいると人や妖怪を惑わすアヤカシが悪であることは常識である。そんな紫龍の常識の中で、初春の意見は新鮮であった。

「俺はどんな理由があろうと、こういう奴が許されるのは見ていて虫唾が走る」



「あ、火者様、あの山の茂みの中から声が聞こえます」

 一方その頃、夜の町の空を駆ける火車の息子の背中から、音々は目の前の山林を指差した。

 火車の息子は一旦山に着地して音々を降ろし、音々は耳を澄ませる。

「――あ、これです」

 音々は茂みの中にしゃがみこんで何かを見つける。拾い上げたのは綺麗な装飾の施された髪飾り(バレッタ)だった。

「なかなかあるものですな」

「動物なんかがこういう光ったものに興味を示して持ってきちゃったりするみたいですね」

「中にはいたずらをした妖怪などもいるでしょうが」

 音々の両手には既にロボットのプラモデルや、小さなダイヤモンドのついたピアス、カードの入ってない小銭入れなどの拾い物が5、6個乗っている。

 宣伝をしようにも活動費用の集まらない『ねんねこ神社』は、効率の悪い宣伝をやめ、もう少しピンポイントでアピールを行おうという方針を音々は考え付いた。

 つまり失せ物をした依頼人の依頼を待つのではなく、その失せ物を先に見つけて依頼人をこちらが探し、その家にチラシをポスティングして依頼を出すよう誘導する――はじめから依頼を出す見込みのある人間を音々の能力で探して宣伝をかけるのである。

「しかしそれで三週間依頼がなければ、落とし主の家の玄関先に失せ物を置いて無償で返してしまう……ですか。まるで義賊ですな」

「無料になっちゃいますけど、そこに『ねんねこ神社より』って手紙を添えておけば少なくとも宣伝にはなると思うんです。少なくとも今のままだとハル様にばかり仕事をさせちゃいますから」

「神子柴殿は『無料で一度返しちゃったら誰も依頼をしなくなる』と反対していましたが――宣伝くらいはご自身でやりたいという音々殿に折れましたな」

 音々もわずかとは言え依頼をこなすことで徳が集まったのか、以前の倍以上の時間家の外にいても体が透明になるようなことはなくなっていた。それでも相変わらず活動時間は短いが、こうして初春を介さずともひとりで仕事がこなすことができるようになっていた。

「でも――ハル様、大丈夫でしょうか……今日はアヤカシ退治に行っちゃいましたし」

「紫龍殿がついていますから大丈夫でしょう。それに神子柴殿はもう随分強くなっていますよ。今は『行雲』を片手で操れるようになってきておりますし、紫龍殿も稽古のつけ甲斐があると仰っていましたよ。私も毎日稽古に付き合っておりますから」

「でも――最近ハル様、お疲れみたいですから」



 二人が家に帰ると、今日も家には山に住む妖怪や中級神達が集まっていた。

 音々は玄関に出迎えてくれた比翼に、両手に抱いた拾得物を見せる。

「へぇ、一刻ほどなのに随分集まるものだね」

「ここにあるものからは相当沢山の小さなアヤカシが宿っていましたから、恐らく持ち主は大事にしていたものだと思います。とりあえず明日は山を降りて、町でこの落とし主を探してみるつもりです」

「そうかい――頑張りなよ」

 比翼はにこやかに微笑みながら煙管を咥える。

「あんたが神力を取り戻してるってのはこの町に住む神々にとっちゃ希望になっている。随分と自分の未来に怯える者も減ってきているからね。あんた達に協力したいという者も出てくるだろうからね」

「ありがとうございます」

 音々は頭を下げる。

「あの――ハル様とお師匠様はもうお帰りですか?」

「帰ってるねぇ」

 そう言って音々を居間に促し、襖を開ける。

 そこには紫龍と来客の神々達が少ない肴を当てに酒を飲んでいる中。

 部屋の隅で畳の上に横たわり、浅い眠りについたばかりの初春がいた。

「アヤカシの退治は坊やが一人でやったらしいよ。でも帰ってきて少し横になっていたら、すぐに眠ってしまったよ」

「……」

 この頃初春は家に帰るとこうして食事を食べた後や、少し時間が開いてしまうとすぐにこてんと眠ってしまうことが増えた。

「神子柴殿も疲れているようですな」

「そりゃそうさ――この歳で家族に捨てられて見知らぬ町で生きるために働いて――早朝も仕事を掛け持ちして、寝る時間も起きる時間もばらばらだ。紫龍殿の鍛錬やアヤカシ退治で気持ちも張り詰め通しだし、肉体的にだけじゃなく、精神的にも疲れているはずだよ」

「完全に今の生活は小僧の容量を超えておる――鍛錬もして、勉強もしておるからな。大学というのに三年後――江戸にいる仲間と一緒に通うには小僧にとっては莫大な金がいるらしい。そいつを貯めるためにもかなり体に無理をかけておるからな」

「それが分かっているのに――お師匠様はハル様を休ませずに鍛錬を?」

「仕方ないさ――坊やは本来あれだけの瘴気を中に秘めている。今は思想が薄い故にそれが噴出すタイミングがないだけで、本来いつ爆発してもおかしくない――妖怪に取り込まれてもおかしくないからね」

「……」

「そうなって一番悲しむのはあんただろう? 私としても坊やを紫龍殿が斬るってのは見て気分のいいものじゃない――こうして鍛錬に付き合って坊やの気持ちを発散させながら心身を鍛えるってのは紫龍殿なりの考えなのさ」

「……」

 音々は黙って初春の横に膝をついて座って、初春のTシャツ一枚の胸の真ん中に手を置いた。

 音々の耳が初春の使い古された衣服や私物から聞こえるアヤカシの声に集中する。

 声の聞こえる方向を頼りに命の流れを感じ、その道に沿って神力を流す――

 音々の体が黄金色に輝くと、初春の体にもその光が伝わっていく。

「……」

 やがて音々から黄金の光が消えると、音々の体は体の向こうが見えない程度に薄い透明になった。

「治癒術か――この家の中とは言えさっきまで家を出ていたのに、治癒術を使っても存在を維持できるなんて、少しは『徳』が溜まってきているようだね」

 比翼が頷いた。

「しかしいまだにあんたの治癒術は、相手に宿っているアヤカシの声を聞いて生命の流れを探知するから効果は安定しないがね」

「……」

「だけど――坊やに関しては効果抜群のようだね」

「う……」

 初春がおぼろに目を開ける。

「――あぁ、また眠っちまってたのか」

 初春は上半身だけ起こす。

「――あれ。ほんの少ししか寝てないはずだが、何か少し体が軽くなった感じだな」

「この子が治癒術をかけたからね。術の出力は弱いが坊やにはよく効いているみたいだね」

「そうか――すまんな、音々」

「い、いえ――ハル様、お疲れのようでしたし……」

「ああ、そうだ」

 そう言うと初春は自分のジーンズのポケットからブラジャーを取り出す。

「ぶっ!」

 周りにいる中級神や妖怪が噴出した。

「は、ハル様っ!」

「こいつ――持ち主の家を探して返しておいてやってくれないか。お前の義賊活動のついででいいから」

「……」

 音々は思わず下着に宿ったアヤカシの声に耳を澄ませる。

「な、何だよかった……ハル様のことですから、何かとんでもないことをやったんじゃないかと」

「へぇ、あんたの言う『とんでもないこと』ってのは一体どういうことなんだい?」

「ふふふ、私もそれを訊きたいですねぇ」

 比翼の扇動で音々は飛躍した妄想を周りの神や妖怪達からからかわれ、赤面しながら俯く。

 その喧騒の中で、紫龍はさっきの音々の治癒術を反芻しながら徳利を置く。

「お主――まだ拙いが治癒術はある程度ものになっておるようじゃな」

「――お師匠様?」

「数ヶ月前のお前は術など何も使えなかった。今術が簡単な治癒術とは言え使えるようになっておるということは、おぬしは既に神としての力を持っていることになる。仕事をしているうちに、確実に徳が集まっておるようじゃな」

「そ、そうなんでしょうか……」

「うむ、少なくとも神の影響があるのであれば、刻印が刻まれておる神使にも影響が出るはずじゃ。もしかしたらそろそろ小僧にもそんなものが掴めておるかも知れん。実際小僧も少しくらいは瘴気の流れなど、彼岸の力を肌で感じることはできるようじゃしな。彼岸の武器である『行雲』も馴染んでおる」

「へえ。じゃあ俺も何か『行雲』以外に力が使えるようになっているかもしれないってことか?」

「物は試しだ。一度試してみるか?」



 紫龍の先導で初春と音々、火車の息子は家の裏山のいつも鍛錬に使っている少し開けた岩場にやってきた。それを見物に比翼や他の家にいた中級神達もついてくる。

「それ――前から言われているんだが――神使が目覚める力っての? いまいちピンと来ないんだが。具体的にどんなもんになるのかが分からないんだが」

「ふむ、じゃあ具体的に実演してやろうか」

 紫龍は初春の指摘を受け、持っている錫杖をカランと鳴らした。

 その音を聞くと、空の向こうから真っ白な体の山犬が降りてくる。紫龍の神獣、雷牙である。

「この小僧にお前の『ショウライ』を見せてやれ」

 紫龍は雷牙の首下の毛を撫でながらそう言った。

「みんな伏せな。あと耳を塞ぐんだよ」

 比翼がそれを聞いて真っ先にしゃがみこんで、自分の耳を指で塞いだ。

 他の者達も怯えるように耳をすぐ塞ぐ。

 それを見ているうちに雷牙は開けた場所の中央に立つ。

 その目線の先には初春の背丈の倍はあるような巨大な一枚岩があった。

「小僧、皆のように伏せて耳を塞いだ方がいいぞ。そして目を少し細めて前の岩を見ておけ」

 そう言うと雷牙は息を吸うと、その真っ白な毛を全身総毛立たせ、鏃のような歯を食いしばって見せた。

 すると一番近くにいた初春の肌もぴりぴりと毛羽立ち、周りの空気がわずかに湿った風を渦状に巻き起こしていることに気付く。

 やがて舞っていた風は不自然なほどぴたりと止まり、あたりは一瞬静かになる。

「ショウライ!」

 だが、雷牙がそう叫んだ瞬間。

 白い閃光が爆音と共に初春の目の前に空から落下し、当たりを真っ白に包んだ。

「うっ!」

 ぴしゃあん、という空気が割れるような音は耳を塞いでいなかったら空気の振動で鼓膜が破れそうなほど大きく、その閃光も少し目を細めていなかったら、目がおかしくないそうなほどであった。

 音のすぐ後に小さな爆風で巻き上げられた土埃が立ち、初春もわずかに土を浴びる。

 そして静かになり、土埃も収まってきたその後に目を見開くと。

 目の前にある初春の身長の倍ほどある大きな一枚岩の頂点に真っ二つに大きな亀裂が入って桃のように断ち割られ、一枚岩はその裂け目から微細なヒビを無数に入れてふたつにごろりと倒れるように転がっていた。

「――なるほど。『招雷』ってわけか……お前の名前の由来が分かったよ」

「私は元々雷を操る『木貂(きてん)』という種族の妖怪――紫龍殿の神獣になってこれだけの威力の雷を操れるようになり、この名前を授かったのだ」

「妖怪を神獣に迎え入れた場合、本来持っている妖力が聖なる力を帯びて威力を増すことが多い――恐らく火車の息子の場合は本来持っている炎の力が今後増していくのじゃろう。だが神使の場合は違う――目覚める力は神の影響と本人に左右されて決定するために、どんな力が発現するかは分からん」

「――坊やが雷牙並みの力を見につけちまったら、人間界はおしまいかもしれないねぇ」

「まあ神使の能力も主の神力に影響する――少なくともお前の主人が盆暗なうちは大したことはできんじゃろう」

「……」

 初春は力を解除した途端に暗雲が晴れて星空が戻り始めている空を見た後、落雷で一気に断ち割られた一枚岩の亀裂を見た。

「――確かに、こいつは強過ぎるな……」

「今日はあくまで試運転じゃ。お前にどんな力が目覚めそうか試してやろう」


基本的に物語の場合「妖怪」とかは悪いもので、人間を惑わすものだといわれていますが、作者の場合そう決め付けられていることにやや疑問を持っていたのです。

仮にそうだとして、人間に悪事を働かせたとは言え、人間が悪くないと本当に言えるのか。

殺人を犯しても認知症とか精神疾患とかで許されてしまったら、恨むことも出来ないというのはものすごく辛いことだと思うんですね。

そういう部分を考えていたらこういう話を書きたくなって、今細々こんな話を書いてます。拙い話ですが、お付き合いしてくださる方、ありがとうございます。

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