影法師のラーメン(2)
「わ、私が解くってことですか?」
「『踊る人形』を読むくらいなんだ。ミステリーなら柳に一日の長がありそうだしな。まあ俺も知恵を出すが、俺はワトソン役だな」
「で、でも私は――実際に暗号なんて解いたこと……」
「別に解けなかったからって責める気もない――それに多分柳なら解けるよ」
「おねえちゃん、アンゴーをといてくれるの?」
心が雪菜に興味を示したように、とことこと雪菜に寄って、顔を見上げた。
「……」
雪菜もその小さな子供の期待を寄せられる目に弱いらしく、気後れした様子を見せた。
そして、ちらりと初春の方を見る……
「――何で私なんかにそんなことができるって思うんですか……」
今日始めて自己紹介をして、ほんの数時間一緒にいただけ程度なのに、初春が自分のことを信用していることが意外だった。訝しいと言うよりも、雪菜がその信頼に答えられるか不安に思って出た質問である。
「……」
初春は以前、『ねんねこ神社』発足のために雪菜に知恵を貸してもらった経緯がある。膨大な本を読んでの経験則に関しては初春も随分と助けられている。
――だが、その時のことをもう雪菜は覚えていない。
「まあ――勘だ」
「……」
そう短く言って目を逸らす初春の行動を、後で見ていた紅葉は訝しんだ。
いつも感じる違和感――神子柴くんは仕事で一緒になった時も、私の考えを呼んでいるように先回りして、私の働きやすいようにサポートしてくれる。
まるで、何でも知っているように。
それにあのお花見の時も――神子柴くんはあんな感じで質問には答えてくれなかった。
いつも感じる違和感の中心に、いつも神子柴くんがいる……
――絶対何か神子柴くんは知っているはずなのに。
「……」
雪菜もその初春の曖昧な答えに、紅葉ほどではないが違和感を感じた。
――でも、このままじゃ私はただ神子柴くんの後ろについて歩いていただけだもの……
お世話になっている図書館のためになることだし、私で何か力になれるならなってあげたい……
「……」
――何だか、前にもこんな、誰かのために何かしてあげたいと思ったことがあるような気がする……
それは――自分でも知らなかったような、心がうきうきするような気持ちで……
「あ、あの……」
やがて雪菜が期待の重さに肺を圧迫されているような、少し空気の通りの悪い声で口を開いた。
「じゃ、じゃあ――み、神子柴くんも、知恵を貸していただけませんか……ちょっと一人だと、まだ怖くて……」
「……」
不意にその雪菜の不安そうに初春を見る目に、初春は不意に心を締め付けられる。
その雪菜の表情に、葉月夏帆の部屋にいる時に感じた女性の存在を、身近に感じた気がした……
――それはまだ違和感程度のものでしかなかったので、初春もさほど気には留めなかったが。
「さすがに見て見ぬ振りはしないよ。言いだしっぺは俺だからな」
「――分かりました。私も暗号を解いてみます。多分私がこれから町を回っても本は集まらないでしょうし――神子柴くんの作戦の方が可能性は高そうですから」
「よし、じゃあ暗号をもう一度よく見てみようぜ」
初春はそう言いながら、ラーメン一杯無料で食費が浮いたと心の中でガッツポーズした。
だが多少の打算はあるが初春は本当に雪菜の眼力に期待していた。
初春は人が鈴なりになっているポスターの前に行き、暗号をもう一度しげしげと見つめ、携帯で暗号文をカメラに撮って保存した。初仕事のため念のためにメモ帳を持ってきていたので、それを開く。
1=J 一=H 零=R 日=S 山=Y
一五⑪羊獅8⑪一土。
魚天射七⑩零483土⑪金4九8七蠍土五日射549五十8。
牛零土一4射天日魚⑫土瓶羊⑩三8十五9一射木土六4獅魚。
「ふむ……」
「神子柴くん――分かりそう?」
紅葉は初春の側に寄る。紅葉も5分くらい前にここに来てその暗号を見ていたが、いまだに攻略の糸口も見えてこない。
「まあ、今のところで4割ってところかな」
「え? 一瞬でそんなに?」
「――とりあえず最初のヒントを見る限りは、この暗号は文字の置換えで解ける暗号だってのは間違いないと思うぜ。その法則を掴めば解読できる単純なものだと思う。少なくとも『踊る人形』みたいに記号じゃないだけまだましだ」
「おぉ」
「だが普通にここの連中だってそれに気付いているのもいるだろうさ。その法則ってのが文字が多過ぎてまだ一部だけしか……」
最初の取っ掛かりは何とか初春も辿り着くが、残念ながらここで止まる。初春も暗号を解読なんて事に関しては素人であり、ノウハウはない。
雪菜も初春の横でポスターの写真を見ながら思考を巡らせる。
「柳さんはどう?」
「神子柴くんの言うとおりだと思います。あとは法則なんですけど――それに関しては、もう6割程度は……」
「6割!? もう!?」
紅葉は驚いた声を出すが、何も言わない初春も驚いた。
「そいつはすげぇな。俺は漢字の一部以外はまだ閃いてこないんだが」
雪菜は頭を抱える。
我ながらすごいことになった。まさか自分が現実でこんな暗号の解読をすることになるなんて。
事実は小説よりも奇なり、なんて初めて思った。いつもは本の世界の方にいつも、時に甘く、時に波乱万丈の世界が広がっていたというのに。
現実の世界は本に比べて、色褪せて見えていたのに。
今――何かとても確信めいた予感を感じている。
そして――
「神子柴くん――『踊る人形』で、ホームズが人形の解読のきっかけにしたものってご存知ですか?」
「……」
初春はその雪菜の声を聞いて、心の中でほくそ笑む。
どもりがちだった声の抑揚がはっきりし出した――スイッチが入ったみたいだな。
「あぁ――ネタバレしてもいいのか?」
「大丈夫です――私はあの物語の結末を知ってますから」
私は今、ミステリーを読んでそれを一緒に話せる同好の士がいるという状況を味わっている。
ただひとりでミステリーのトリックを考えるよりも、それがずっと嬉しく、心強い……神子柴くんとこうしていると、何だかわくわくしながらも、ほっとした気持ちになって……
初春の止まっていた思考が、雪菜のヒントで小さな結び目になる。
「――そうか、アルファベットなら……」
「はい。法則性の特定の第一段階はすぐに出来ます。漢字の法則も一部は単純みたいですし」
「となると――あとは子音を……」
「ちょ、ちょっとちょっと!」
雪菜の言葉で初春の思考も活発に動き出す中、後から紅葉に呼び止められる。
「二人だけで先に進めないで――私とココロを無視しないでよ」
そう言いながら、自分の心の戸惑いにまたも違和感を覚える紅葉。
「あぁ――悪い。でも俺と柳は寄贈する本を集めるためにこの暗号を真っ先に解いてその答えの代わりに本を集めなくちゃ……」
「持ってくるよ! 家にある本ならちゃんと譲るから無視しないでよっ!」
「マジ? よし、少しはリアカーが重くなりそうだな」
初春は作戦の成功に取り合えず手応えを得た。
「淡々とし過ぎてて喜んでるのか分からないんだけど……」
「周りにも暗号を考えている連中がいるからな。声を聞かれてヒントをやりたくないんだ」
初春は紅葉と心の前で人差し指を口元に立てて、声を上げないよう指示を飛ばす。
「秋葉は『踊る人形』を読んだことは――ないよな多分」
「き、決め付けないでよ! 馬鹿にしすぎだからっ」
「でも、ないんだろ?」
「……」
悔しいが紅葉は沈黙を以って答える。紅葉の愛読書は漫画と雑誌ばかりである。
「ホームズは有名ですけど150年近く前の作品ですからね。同時代の夏目漱石や森鴎外を読んだことない日本人も大多数いますし……」
「今の時代に『舞姫』をドラマでやったら苦情が来そうだな」
「……」
初春のその一言に、雪菜は一瞬語りたい衝動が沸き起こる。
「はいはい、本の話じゃなくて、暗号の話をしましょ、アンゴー!」
雪菜の目が初春に向いたのを見て、紅葉は脱線を阻止した。
「あ、はい、えっと――『踊る人形』は一言で言えば人形の絵をかたどった暗号を解読する話なんですが、ホームズが暗号を解読する決め手になったのは、キーになるアルファベットの特定です。こういう換字式暗号の基本としては、キーになる文字の特定がカギになるケースが多いんです。私はそれをローマ字入力に応用したんです。ローマ字入力で最も重要なのは母音ですから」
「ろ、ローマ字? 何でそれが分かったの?」
「ヒントが英語ということは、英文かローマ字での翻訳の二択と仮説を立てます――でも英文の場合スペースがなければ単語の区切る位置が分からないですし、接続詞を入れることも困難です。『踊る人形』は、区切る時に人形に旗を持たせることでその問題をクリアしていますが、見たところこの暗号にスペースを入れた形跡はない――それにこの暗号文は明らかに特定の文字が偏っています」
雪菜がそう言ったので、紅葉と心は暗号文を読む。
「あ、『4』と『8』がいっぱいある!」
「『土』も多いね」
しばらくして心と紅葉が特定の文字に目星をつける。
「この短い暗号の中で5回以上使われている『4』『8』『土』――多分これが母音である『A,I,U,E,O』のどれかの確率が高いと思います」
「ついでに言えば、この3行の暗号のうち、末尾にある『土』『8』『魚』は全部母音である可能性が高いな。ローマ字なら文末は『ん』を除けば必ず母音で締まるはずだからな。その3つのうち2つがかぶっている。多分この仮説は固いぜ」
初春もこれがローマ字の暗号であることは目星がついていた。雪菜のように即座に母音に当たりをつけるのはやや遅かったが。
「でもそれだと『魚』を入れてもまだひとつ足りないよ?」
「そうですね――それはまだ分かりませんけど――他のところにも目を付けていけば分かると思います」
「取り合えず一部は俺でも即解読できたからな」
初春は仕事のために一応持ってきていたメモ帳を開く。
「暗号を構成する要素は4つ――漢数字と算用数字、漢字と――この⑩とかってのは、記号になるのかな」
初春はその4つの要素をメモにする。
「算用数字と漢数字は後回しにして――数字以外の漢字に関してはどうにも不自然な漢字が多い――『牛』や『羊』がある中で『蠍』なんて、動物にしては変わったチョイスだし、『射』『瓶』も不自然だ。この文字が入るもののグループは、秋葉なんかは好きそうだな」
「あ! せ……」
紅葉が大声で言いかけたところに初春はもう一度人差し指を当てる仕草を見せて制する。
「ごめんなさい……」
「ヒントの山=Yっていうのは、山羊座のことですね。山羊をローマ字変換して、頭文字のYを取ったんです」
「ああ、その法則で当てはめると、星座をそのまま日本語読みで、頭文字をアルファベットにしろ――牡羊座と牡牛座は頭文字がかぶるから『羊』『牛』にしたんだろう。この2つが母音の『O』だ。さっきの母音の可能性の高い『魚』は魚座だから『U』、『射』が射手座だから『I』だ」
「すごいすごい! 本当にもう半分くらい解けてるんじゃない?」
ショッピングモールの地下は声が響く。同じように考え込んでいる周りの連中が紅葉の言葉にこちらを向き出す。
「――いや、まだ漢字は星座以外にもあるみたいだ。よく目立っている『土』だって星座にその漢字が含まれるものはないからな」
「あ、そっか……」
「――俺が現状閃いてるのはこれだけだ。これ以降はまだ閃かないんだよなぁ……ここまでは単純なんだが」
初春は頭を抱え、もう一度メモを見る。
「……」
その横では雪菜も仕事用に持ってきたメモ帳を取り出して、何かをメモしながら暗号の写しにしげしげと目をやっている。
「――ほんの5分程度しか経ってないけど、柳さんがあんなに喋っているの初めて見たよ」
紅葉の目に映る雪菜は、中学の頃から学校で見ていた伏し目がちの印象とはまったく違い、暗号に本気で取り組んでいた。
さながら本当の探偵のようである。
「元々本の話なら結構お喋りなんだぜ、柳は」
初春は感心したように言った。
「……」
その初春の失言を、紅葉は聞き逃さなかった。
「柳は6割方分かっているって言ったけど――他に目星が何かついているのか?」
「――多分、ですけど……」
雪菜は首を捻りながらメモを初春に見せる。
「――さっきの牡羊座と牡牛座を改めて見て閃いたんです。この暗号にはミスリードを誘う要素があるって」
「と言うと?」
「そのアルファベットを示す文字がひとつだけ、という固定観念です。実際私は今まで『羊』と『牛』をマークしませんでしたが、実際はこれもふたつとも同じ母音です――つまり母音を示す言葉がひとつだと思っていたら、このふたつが同じ言葉であることは気付きません」
「……」
「私はさっきから母音からアプローチする方法を使っていたんですが、さっきの星座の法則から、『I』『U』『O』が判明しました。残る母音の可能性が高いのは『4』『8』です。私はこの2つは別の母音をそれぞれ表すのかと思っていたのですが――最初に一度『4』が出た後は、次の『4』の前には必ず『8』が出てきています。続けて『4』が出ないことを考えて、この2つは同じもので、牡羊座と牡牛座のように交互に使っている可能性が高いことが分かったんです」
「なるほど、確かにこの2つは連続では出ないな。『羊』と『牛』の関係も同じだ。その後にもう片一方が出なければ、いつまでも出ない」
「だから仮にこの2つが母音だとしたら、同じもの……その中でも『I』『U』『O』以外の2つである可能性が高い……」
「う――つ、つまり、『4』と『8』は両方とも『A』か『E』のどちらかってこと?」
紅葉もやや思考が周回遅れになりかけているが、何とかついていく。
「『4』と『8』に共通する『A』か『E』……」
そこまでヒントをもらえば初春も答えに辿り着く。
「そうか。なるほど……ああ、これにヒントの1=Jか」
「はい。算用数字の法則もこれでOKだと思います」
「そうか、柳はここまで来ていたんだな。確かにこれで6割だ」
「……」
またひとり知識に取り残される紅葉。
「ちょ、ちょっと、お願いだから私にも説明してよぉ」
「秋葉は声がでかい――他の奴にネタバレさせると困るからな。全部解けたら一気に教えてやるよ」
「すみません、秋葉さん……」
「ぶー」
紅葉はふてくされる。
「これで母音はあとひとつか……となると『土』が残りのひとつの可能性が高くなったが」
「はい、でも『土』であとひとつになるものが思い浮かばなくて……」
「それでなんだが」
初春はメモ帳を差し出す。
「柳が数字を見ている間に、俺は暗号の漢字から星座を表すだろう漢字を削除してみたんだ。それで残ったのはこの漢字だ。ここから更に数字を除けば残るのは……」
「――あ、そうか……」
「――だろ? 『土』が残りのひとつだとしたら、多分これの略語は……」
「あ、『日』が『S』ってことは……」
「……」
楽しそうに二人で意見交換をする二人を見る紅葉。
柳さんがあんなに笑っているのを見るのも驚くけど――
神子柴くんだって、あんな顔、ファミレスじゃ滅多に見ないのに。
――ドクンと、胸が高鳴る。
「――正直漢数字だけはヒントが少なくて――」
「『零』が『R』、『一』が『H』……多分この時点で法則は見えるんだろうが」
「……」
ここで初春、雪菜がしばらく沈黙する。
「ハルくん、わからないの?」
心が悩む二人を見て、心配そうに歩み寄る。
「あぁ、あとは漢数字だけなんだ。これさえ解ければ終わりなんだが、こいつだけは取っ掛かりが上のヒントしかない――どれもまんべんなく散らばっているし」
「……」
「え? じゃああの『⑩』とか――記号の謎も解けてるの?」
「はい。他の漢字の解読も、神子柴くんのヒントでいけました」
「ホント?」
「じゃあほんとうにあとちょっとなんだ! がんばれハルくん! おねえちゃん!」
心の声援が飛ぶ。
「……」
初春の思考は色々な可能性を探す。
英語じゃない――中国語、フランス語、イタリア語――いや、中国語で『1』は『イー』フランス語は『アン』、イタリア語は『ウーノ』――どれも『H』にはならない……
言語じゃないなら、この数字が何かを象徴する何か……
「……」
同様に雪菜も悩んでいた。
「ね、ねえ、数字の正体が全部分かったって言ってたけど」
紅葉が眉間に皺の寄りはじめた二人に声をかける。
「それって、あの数字の記号も謎が解けてるってこと? ⑩とか……」
「あれは記号じゃなくて、数字をそのまま読め、っていう指示だよ。『10』って書いたら、『1』と『0』を別に読んで意味が変わっちまうだろ」
「あ、そっか……」
「私はどうして同じ数字が別々にあるのかが分からなくて、漢字と数字の意味ばかり考えてたんだけど」
「漢字だと11とかを上手くひとまとめに記号化できなかったんだろ」
「何だそれだけだったのかぁ……私は漢字で書いてある方は、何か和風とかそういう意味があるのかと思っていたよ」
「何だよ和風って……」
「ん、わかんない、あはは……」
苦笑いを浮かべる紅葉。
「――あ」
そのとき、雪菜のペンを持つ手が動き出す。
「――やっぱり。これで全部つじつまが合う」
「何?」
「そうですよ、これは和風だったんです!」
「……」
初春と紅葉は、初めて見た雪菜の喜びに満ち溢れて少し興奮した声に呆気に取られた。
「和風……もしかして漢字であることは区切り方以外にも意味があったのか?」
「いえ、意味ではありませんけど――わざわざこっちを漢字にしたのはヒントでした」
「ヒント……和風……」
初春はその言葉をヒントにもう一度漢数字に目をやる。
「ん?」
しばらくして初春も首を傾げ出す。
「――ハルくん、わかったの?」
心が初春に歩み寄る。
「――そ、そうか、和風、か……」
初春はがっくり肩を落とす。
「――な、なるほどな、これは分かっちまえばアホらしいぜ。今までまったく見当違いのことを考えてた――すっきりしたぜ」
「じゃ、じゃあもう暗号は全部解読できたってこと?」
紅葉が上げた大き目の声に、周りで暗号を考えていた連中が、ざっと初春達の方に目を向ける。
「ちょっと待ってくれ……」
初春はメモ帳に書き込みを入れて、携帯電話で写真に取った暗号文を交互に見る。
「ん……」
初春と雪菜は、2,3分後に首を傾げる。
「二人ともどうしたの?」
その声に初春と雪菜はメモと携帯電話を一度ポケットにしまい、お互いの怪訝な表情を見つめる。
「いや、なんか暗号にしてまで書いたことにしては、普通って言うか」
「はい――何かこれで合っているのかな、って不安になったくらいで」
「そうなの?」
「はい、でもこの暗号が間違っているとは思えないし……」
「まあいずれにせよ、これが答えだと思うぜ。この答えで店に行ってみよう。確かにちょっと拍子抜けだが……」
初春はそう言って首を傾げながらもポスターの前に歩み寄り、掲示板に画鋲で止められたポスターをはがした。
紙がこすれる音に、ポスターの近くで頭を抱えていた連中は一斉に目線が初春の方へ向く。
「き、君、もしかして暗号が解けたのかい?」
すぐ近くにいたまだ心よりも小さな子供を連れた細身の男性が初春に声をかけた。明らかに文化系の読書好きという雰囲気だ。
「まあ解いたのは俺じゃないですけどね。解いたのはあの名探偵です」
初春は後ろにいた雪菜を手で示した。
「そ、そうか! た、頼む! この暗号の解き方を教えてくれないか?」
男性が言った言葉に、初春は心の中でガッツポーズした。
「一度考えてしまうと、答えが分からないのはすっきりしない! どうしても答えが知りたいんだ!」
「結局この暗号の意味は何だったんだ?」
「教えてくれ!」
文科系の男性の言葉がトリガーになって、他の考えていた若いカップルや老人達も初春の所に殺到する。
「じゃあ教えるその代わりに、俺達の仕事に協力してくださいよ」
初春は腕章を見せる。
「図書館に寄贈する本を集めてて、なるべく多く集めたいんです。皆さんの家にあるいらない本と答えを交換でどうです? 勿論答えを教えるのは、彼女が景品を受け取った後でね」
「あ、ああ、それくらいなら」
「――毎度あり」
初春は守銭奴の笑みを浮かべる。
それから初春は答えを知りたがっている人間と住所を交換し、午後にその家に本を受け取りに行くと伝える。
一通り答えを知りたがっている人間を当たると、本の寄贈を希望した世帯は20以上に及んだ。
「よし、これで午後にこの家回れりゃそれなりに本が集まりそうじゃないか?」
「……」
雪菜は呆気に取られていた。
「ん? どうした?」
「いえ――まさかこんなに上手く行くなんて思ってなくて」
「言っただろ? 柳なら解けるって」
「そうだよ! 柳さんすごいよ!」
「……」
「仕事が速く片付いたのも柳のおかげだ。終わったらラーメンタダでご馳走になりに行ったらどうだ?」
そう言って初春は、もうラーメン無料の引き換え券となったポスターを渡す。
「……」
しかし雪菜は暗号解読が終わって本を読む集中力が切れたのか、普段のおどおどした感じがぶり返してくる。
「どうした?」
「いえ――あの――私、ラーメンって食べたことなくて」
「そうなの?」
「は、はい――ラーメン屋で、あれだけ店員さんと距離が近い中で注文を頼んだりするの、できそうになくて……」
「あぁ……」
――確かに。柳はファミレスのように店員を呼ぶボタンがあっても気後れするタイプだ。まして手を上げて、すいませーん、なんて店員を呼ぶなんて無理だろう。
「……」
でも雪菜は元々ラーメンを食べることにはとても興味があった。
ひとりで店に入る勇気はなかったのだけれど……今は……
「み、神子柴くん、一緒に行ってくれませんか……」
雪菜の顔は真っ赤になる。顔が熱い。
「――でもこれ、何人が無料になるか分からんぞ」
「いいんです、神子柴くんが言わなかったら私は暗号を解こうなんて思わなかったから……そ、それに……」
何故だか分からないけれど。
私はもう少しこの人と、話がしたい……
上手く言葉がまとまらないかもしれないけど、でも……
「……」
隣で見ている紅葉は、雪菜のその表情を見て、心の奥に起こる焦りが少し大きくなる。
「わ、私も一緒に行く! 暗号の答えを知りたいもん!」
「ココロもいく!」
思わず言ってしまった衝動的な紅葉の言葉だが、ココロの笑顔が上手く紅葉の焦りを打ち消した。
やっぱり字だけの暗号ってのは法則がすぐに出てしまって簡単になってしまいますね…
絵とか図形を使って暗号を作ることも考えましたが、作者が字が下手なので断念しました。
漫画だと暗号が色々表現できていいなぁ、なんて考えながら今回の話を書いてました。




