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春の終わりに(6)

 一応仕事のチェックをしてもらい、OKが出ると初春はお爺さんの運転でトラックに乗り、農協へ収穫した野菜を納めに行った。その間にお婆さんが搾乳を同時進行で行う。

「しかしたまげたなぁ。起きたら仕事がほぼ終わってるなんて」

 お爺さんがまだ薄暗い朝の農道を走りながら助手席の初春に言った。

「一体どんな手品を使ったんだい? ていうか何時から働いていたんだい?」

「まあいいじゃないですか。それは」

 初春は下手な嘘をつく才能がないことを自覚していた。そんなことができるならもっと上手く世渡りができていただろうことを自覚しているのだ。

「それより一旦僕をここに降ろして、少しだけ家で待っていていただけませんか? もうすぐお孫さんが家に来るはずなので」

 そう言って初春は車を降りると、誰もいない場所で後ろをついてきていた火車の息子の背に乗って、一度家に帰った。

 庭に出ていた紫龍に声をかける。

「おっさん、大丈夫そうか?」

「ああ、任せておけ」


 時を同じくした頃、秋葉紅葉と秋葉心の二人は仲良く手をつなぎながら祖父母の家へと向かっていた。

「どうしたんだろう、神子柴くん、今日は二人でお婆ちゃんの家に行ってくれって」

「ハルくんがあそんでくれるのかな?」

 心は紅葉から渡された、初春の手書きの招待状を持ってご機嫌だった。

「……」

 何でココロって、こんなに神子柴くんに懐いているんだろう……

 甘えん坊のココロは私にべったりだから、私が知らないことがあるはずはないのに。

 祖父母の家に二人が着いた頃には、祖父母は縁側に出て何となくお茶を飲んでいるところだった。

 そこで紅葉は祖父母の口から、自分達が起きて畑に出た頃には初春がひとりでで今日の仕事を全部終わらせていたということを聞いた。

「え? 神子柴くんがひとりで?」

「あぁ――どうやったかは分からんのだが、収穫から牛舎の掃除や餌やりも卵の洗浄も全部終わっておったのじゃ」

「……」

 紅葉も幼い頃から祖父母の農作業を見ていたのでよく分かる。普通に考えても一人で真夜中働いたとは言えそんなことを行うのは容易なことではない。

「おばあちゃん、ハルくんは?」

 甘えん坊の心はおばあさんの膝の上に乗って初春を探してきょろきょろした。

「ちょっと待っていてくれって言って出て行っちゃったんだよ。だから私達も仕事がなくなってこうして待っているんだけどねぇ」

 そうお婆さんが言った時。

 玄関の門扉を開けて、スーツ姿の初春が現れた。

「み、神子柴くん?」

 紅葉は驚いた。普段ボサボサ頭の初春がちゃんと整髪してスーツを身に纏っている姿は、バイト先で会う時よりもずっと大人っぽく見えた。

「ハルくんだ!」

「すみません、お待たせしました」

「み、神子柴くん、どうしてスーツなんて」

「この度、僕達の何でも屋『ねんねこ神社』に、お二人にプレゼントをしたいという依頼がありまして、この度そのお手伝いをさせていただきました」

「何でも屋……」

 以前蒼太を学校に行かせるためにココロに協力を仰いだので、紅葉も初春がそんなことをしているのは知っていた。

「その方のプレゼントをお渡ししたいと思いますので、皆さんこちらに乗っていただけますか?」

 初春はそう言って一度門扉を出て、家の外に止めてあったものを引っ張って庭に入る。

 そこには黒い漆に金箔の装飾のなされた、戦国時代の輿入れを行うような雅やかな四輪の牛車があった。勿論牛に引かせているわけではなく、今はただの手押し車である。

「すごーい!」

「こちらで皆さんをお運びしますので、どうぞ乗ってください」

 初春は牛車の後ろの簾を開けて4人を促した。

「……」

 お爺さんとお婆さんはあまりに非現実的なことの起こるこの状況にしばらく戸惑っていたが。

「おもしろそう! ねえねえみんな、はやくのろうよ!」

 ココロが満面の笑みで初春に駆け寄る。牛車の段差は高いので、初春が心を抱き上げて牛車の座敷に登らせた。

「ふむ――まあ神子柴くんのことだ。変なことはないだろう……」

 お爺さんお婆さんも心が乗ったのを見て気持ちが楽になったのか、牛車に乗った。

「……」

 しかし紅葉だけはその状況もそうだが。

 神子柴初春という人間の存在の不思議さに気圧され、まだ動けずにいた。

 何――これ――こんなものを用意するなんて……

 でも――何だかずっと前からこの人の前では不思議なこと――不思議な感覚ばかりが起きていて。

 この人――本当に一体何者なの?

「秋葉?」

 首を傾げる紅葉に初春が声をかけた。

「お姉ちゃん、早く行こうよ!」

 心が牛車の座敷の中で手招きする。

「……」

 でも――大丈夫だよね。神子柴くんは病気で学校に行けなかった子のためにココロに協力を仰ぐような、優しい人だもの……

 ――あれ、何で私この人にまだ会って間もないはずなのにそんなこと思い出したんだろう……

 取り合えず促されるまま、牛車に紅葉も乗り込んだ。

 初春は簾を持ち上げながら中を見る。牛車の中は前後に簾、左右に小さな障子がついている。

「すぐに着きますのでしばらく我慢してください。ココロ、いい子で大人しくしてるんだぞ」

 初春はそう言って簾を下ろし、しっかり固定した。

 そして初春は庭に降り立っていた、雷牙に乗った紫龍と土筆に合図を出した。

 二人は両手に神力を集中し、それを牛車に向けて霧状に放った。

 初春は紫龍の終了の合図を受け取ると、牛車の前に待機していた火車の息子の手綱を牛車の(ながえ)(牛車の前に突き出ている日本の棒)に通し、火車の息子の背に跨った。

 初春は手綱を握って、雷牙と共に空へと垂直に飛翔する。

「こりゃ結構怖いぜ」

 初春もぶっつけ本番の操作で不安だったが、思ったよりも牛車も地面に設置していた時と同じ並行をちゃんと保っている。

 紫龍が神力で牛車に反重力と結界を張っているから、この牛車は空を飛んでも他の人間には見えないし、空に飛んでもまっさかさまに落ちたりもしない。

「大丈夫なのか? 外を見られたらまずいぜ」

 初春は雷牙に乗って牛車に併走する紫龍に言った。

 この牛車は紫龍の天界時代の愛用の牛車らしい。遊郭などに行く際にこの牛車に乗って女を持ち帰ったりしていたらしいが、土筆の願いを立てるために紫龍が整備してくれていたものだ。

「花を見る前に登山じゃ折角の興を削ぐじゃろう? 大丈夫じゃ、結界を張っておるから簾も障子も開かん。中の反重力も安定しておる」

「――まあ確かにな」

 初春は手綱を握り、火車の息子の首を山へと向けさせた。



「はい、どうぞ降りてください」

 初春は牛車の後部の簾を開けて(はしだて)を用意する。

 真っ先に降りようとやって来た心に手を貸しながら降ろすと、目の前の光景を見て、心はキャッキャとはしゃいだ。

「ねえねえすごいよ! お花がいっぱいなの!」

 心のあまりのはしゃぎように、首を傾げながら牛車を降りると。

「えぇ?」

 3人の目の前には色とりどりの四季の花が咲き誇り、その奥にはまるで大きな鳥が翼を広げるように立派に枝を広げて満開に咲き誇る桜、そしてその桜の向こうの緩やかな斜面からは、山林の緑の奥に神庭町の町並みが一望できる絶景が広がっていた。

 桜の木の下には赤い毛氈(もうせん)が敷かれ、そこには煮しめや伊達巻、きんとん等の入ったお重が用意されている。両端にはぼんぼり提灯が飾られ、両脇には桃の枝が飾られてている。

「依頼主からお二人に、お孫さんとのお花見をプレゼントすると言付を承っております。本日はこちらでごゆっくりなさってください」

「な、何で桜が咲いてるの? もう5月なのに……」

「依頼のために狂い咲きの桜を見つけたんだ。全く大変だったぜ」

 死にかけたりな。

「何とまあ……」

「ああ、しかし――なんて見事な桜じゃ」

 お爺さんとお婆さんはその見事な景観に陶然とした。

 お重は家に残った比翼達が供え物などを集めて用意してくれたものである。野生の動物と話が出来る妖怪もいて、魚や蜂蜜なども分けてもらっていた。

「しかしありがたいんですが、牛や鶏はまた見に行かないと……」

「そうだろうと思うので、今日は俺が小屋に残って牛や鶏の世話をさせていただきます」

「おやぁ……」

 あまりに仕事が日常化しているお婆さんは、まだゆっくりとくつろぐということに頭が追いついていないようだったが。

 ――そりゃあ確かに孫と花見でもしてのんびりできたらとは思ったこともある。でも、その神子柴くんに依頼した人というのは、何故それが私の願いだと分かったのだろう……

「え? ハルくんはいっしょにお花見しないの?」

 名残惜しそうに心が初春の足にしがみついた。

「悪いなココロ。今日は依頼人のために俺は何でも屋をしなきゃいけないんでな。ココロはお婆ちゃん達と一緒に花見を楽しんでくれよ。忙しいお婆ちゃん達に、いつもありがとうって、その分今日はいっぱい側にいてやれ」

 初春は心の頭を撫でた。

「その牛車に乗って、中にある鈴を鳴らせばまた家の庭まで運んでいってくれますので、のんびり過ごしていってください。それでは、俺はこれで牛の世話に戻ります」

 初春はそう言って、歩いて山を下山していくのだった。

「いっちゃった……」

「……」

「まあ、折角神子柴くんが用意してくれた席だ。ご相伴に預かろうじゃないか」

 お爺さんがそう言ったので、4人は赤い毛氈に腰を降ろした。

「すっごーい」

 桜の真下で満開の桜の木を見上げて心はキャッキャと声を上げた。

 紅葉は見事に作られたお重を広げる。

「あ、桜餅が入ってる……」

 甘いもの好きの紅葉は思わずにこりと喜んだ。

「ココロだてまきがいい!」

 ココロがせっつくので、紅葉は備え付けの利休箸で漆塗りの小皿に伊達巻を乗せた。

「……」

 ――まあいいか。こういうのも。桜は綺麗で、料理も美味しそうだし、貸切でこんな場所を私達で独り占めだ。

 まるで夢みたいに綺麗だ――

「いやぁ、たまにはこういうのもいいねぇ、クレハやココロとこうしてお花見なんて、ずっとしてみたかったからねぇ」

「お、銚子に酒が入ってるな。こっちはオレンジジュースだ。ココロはこっちだな」

 お爺さんは銚子から酒を注いでぐいと飲み干した。この酒は紫龍が術で作ったものである。

「いやぁ、昼間から酒を飲むなんて、この歳まで生きて初めてだ」

 お爺さんはご機嫌だ。

「……」

 段々とこの突然の状況に慣れてきて、皆は花見を楽しみながら笑顔が絶えない時間を送り始めていた。

 秋葉一家が帰る時のことを考えて、終わりまで待機している土筆、紫龍、比翼は桜の木の枝に座ってその様子を窺っている。

 依頼人である土筆は、お婆さんが心を膝に乗せて歌を歌ったりしているのを見て、楽しんでくれていると嬉しそうに微笑んでいた。

「――良かったな。お前の願いが叶って」

「――はいでし……」

「……」

 比翼は黙って煙管をふかす。

「だが折角の桜だが、音楽や出し物がないのはちと寂しいねぇ。みんなで急ごしらえで席や料理を用意するので精一杯で、そこまではあまり考えてなかったよ」

「出し物――でしか……」

「ふ――まあ土筆殿の願いだ。私もひとつ腕を振るおうか」

 比翼はそう言って自身の白い着物の袖から小瓶をひとつ取り出して、中の液体を少し指に垂らした。

 そしてその指を、小さくふうっとひと吹きした。

 しばらくすると桜の木の周りに、山頂の方からモンシロチョウやアゲハチョウなど、明るい場所を好む蝶が無数の群れを連れて山を下ってきた。

「わぁ、こんなにチョウチョがいっぱい!」

 蝶達は紅葉達のいる毛氈の周りを取り囲むように咲く花にそれぞれが止まり、アブラナやチューリップの蜜を吸い始める。

「綺麗……」

 紅葉は思わず携帯を構えてシャッターを連射する。

 やがて小さく風か吹くと、蝶達は一斉に渦を巻くように飛び立ち始め、それはまるで花びらが空を舞うように、梢から差し込む光に鱗粉を輝かせながらまた山を降りていく。

「すごいすごーい!」

 ココロは蝶の大群の一斉に飛び立つ美しさに大はしゃぎだ。

「綺麗だったねぇ……今日はまるで夢みたいだよ、こんなことがあるなんて……」

 お婆さんもうっとりと空を見上げた。

「――なるほど、蜜の匂いを神力で強めて蝶を引き寄せたのか」

「この山の水場は知っているからね。新鮮な蜜や水があるって匂いを出したのさ」

「艶やかな芸じゃ」

 比翼が芸の種明かしをしている頃、紅葉はシャッターを連射した携帯の写真を見た。

「綺麗だったねぇ、クレハ」

 お婆さんが隣にいる紅葉に声をかけた。

「すごかったね。沢山写真取っちゃったよ。あとでお婆ちゃんにも見せてあげるね」

 今日は本当にすごい。こんな綺麗な景色が立て続けに見れるなんて……

「でも――神子柴くんは誰かの依頼でお婆ちゃん達にこんな場所を用意したって言ってたけど――そんなこと、誰がしてくれたんだろう? 心当たりとかある?」

「いや――本当に誰が私達にこんなことまでしてくれたんだろうねぇ」

「……」

 確かにすごく綺麗だけれど、あまりにも夢のような光景に紅葉は戸惑っていた。

「神子柴くんって――何者? て言うかどうしてお爺ちゃん達と働いてるんだっけ……」

「変なこと言うねぇ、クレハが雇ってくれって言ったんじゃないか」

「え?」

 紅葉はびっくりする。

「わ、私がそんなこと言ったっけ?」

「何を言ってるんだか――てっきりクレハが彼氏を連れてきたのかと思ったのに」

 ――トクン。

 お婆さんにそう言われた時、不意に紅葉の心が小さく高鳴った。

「え……」

「クレハちゃん、ハルくんのこと忘れちゃったごっこしてるの。ハルくんとケンカしたみたいなの」

「……」

 ケンカ――そうじゃない。

 何か今、胸が小さく痛くなった。神子柴くんのことを考えたら、急に何だか胸の奥が少し……



「あーしんどー」

 牛舎の入り口横の椅子に腰掛けて、干し草を運び終えた初春は大きく一息ついた。

 誰もいない牛舎で初春は5月の陽気を浴びながらあくびをひとつ。

「取り合えず牛達も元気そうだし、お産を控えた牛もいないし――大丈夫かな」

 こういう待機仕事をしていると眠くなってくるもので、初春はここしばらく仕事と並行して紫龍の鍛錬も受けていたので疲れがどっと出た。

「ハル様」

 不意に声をかけられて、初春は目を開ける。

 見ると目の前には音々が風呂敷包みを持って立っていた。

「ひとりお留守番ですから、お昼ご飯持って来ました。今日のお重の残りですけど……」

「――サンキュ」

 初春はそれを見て小さな重を開けてみる。

 中には重に入っていたものと同じ惣菜が入っており、音々がおにぎりを添えていた。

「ハル様もお花見なされたらよかったのに」

「誰かが仕事を代わらないとお婆ちゃん達が休んだ気にならないだろ。それに俺、誰かと一緒にいるのは苦手だしな。こういうところが落ち着く」

 誰かが楽しんでいる間に自分はぼっちで飯を食べていると、中学時代のことが思い出された。初春も煩わしい人間から離れてこうして人気のない場所にいて時間を潰したものだ。

 音々もまだ長時間は外にいられないから紅葉達の帰るまでの監視を外れて、重の下ごしらえと席の確保をやったら家で待機だった。

「上手くいっているでしょうか、お花見は」

「あれだけ揃えて楽しめないんだったらしょうがないな。みんなが力を貸してくれたおかげで予想以上に上手くいったと思うけど」

 初春はまだ結果を知らないが、もう既に成功を確信していた。

「しかし――あの物臭な中級神や妖怪達が何であんなに協力的だったんだか・・・・・・」

「土筆様の人徳――ですかね」

 音々も考え込んだ。

「そうだハル様。依頼主の人間さんが花見を終えたら、夜に皆さんでお花見をしないかって皆さんで言ってました。あまり長く咲かせていると来年の桜の咲く準備が始められないから明日には治癒術を解いて来年の準備をさせてやろうって話で、明日で桜は見納めだそうです」

「そうか――」

「あ、あれ? 行かないんですか? 『ねんねこ神社』の仕事が一段落したのに」

「どうすっかなぁ――眠いし」

「行きましょうよハル様ぁお願いしますぅ」

 ややたどたどしく駄々をこねる音々。

「分かった分かった、行くよ。それならお前は夜に備えて一度帰っておけ。また透明になっちまうぞ」


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